【序章】第六話『異界ダンジョン、侵蝕されたビル』
ビルの合間をすり抜けるように走る、バスの中。
私は、ぼんやりと窓の外を眺め、ここに来た時のことを、思い出していた。
この街に来て、もうすぐ一ヶ月になる。
保護してくれると言われ、生まれ育った街を離れ、この街に来た。
だけど、異能の最前線であるこの街でも、いまだに、私のように変異した『異形』に対する偏見は残っていた。
時折、窓に反射してフードの隙間から自分の姿が写る。
長い金髪。翡翠の瞳。細く長くなった耳。
望まずに与えられた『異能』によって変わってしまった――
私の嫌いな私が、窓ガラスに反射して、こっちを見ている。
今の自分の姿を見るのも、見られるのも嫌で……
外出する、しないに関わらず、私はフードを被り、出来る限り顔が見えないようにしている。
だけど、そんな私の些細な抵抗は、あまり功を成してはいないのかもしれない……
結局は、フードの隙間から姿を見られて、変異した『異形の能力者』への恐れと物珍しさから、奇異な目に晒される。
そうして、相変わらずバスの乗客達は、私を奇異な目で見て、好き勝手に話している。
この街に来る前から変わる事のない周りの反応にうんざりしながら、周りの視線を遮るように、私は、パーカーのフードを目深に被り直した。
これが今の私の日常――
嫌でも慣れていくしかないんだと、自分に言い聞かせるようにするが、それでも悲しい気持ちが込み上げてくる。
泣きそうになる自分をごまかすように、外を見ようとした――その時だった。
「うわっ……!」
前方から運転手の大きな声が聞こえた――直後。
――ガタン!
激しい衝撃が車体を揺らした。
「きゃっ……!?」
「えっ!? な、なに!?」
「人!?……飛び出してくるなっ……クソッ、避けきれない!」
叫び声が次々と上がり、バスは急ブレーキとともに、斜めに傾いた。
車内は大きく揺れ、私はシートにしがみつくようにしてなんとか体勢を保つ。
事態を把握しようと、少し顔を上げた時、バスの目の前に、ビルの壁面が迫っているのが、見えた。
そして――バスは、そのまま正面にあったビルに突っ込んだ。
「きゃぁー!!!!」
誰かの甲高い悲鳴の後に……
ドォーン!っと。
ビルの硬い壁にぶつかり、大きな衝撃と音が車内に響く。
「……きゃぁ!?」
建物にバスが突っ込んだ瞬間、顔を上げていたせいで、衝撃に揺れ、前の座席に頭をぶつけた。
その衝撃のせいか、視界の端に見えたバスの外が、ぐにゃりと歪んだように感じた。
それは、歪んで、ねじれて、色が変わり、風景も書き換えられたかのように変わっていくように見えた。
(なに……今の?)
私は乗り物酔いのように、気分が悪くなり、意識が朦朧とする感覚に襲われる。
そんな中、バスは制御を失い、ガリガリと異様な音を立てながら、進んでいく。
進んでいる間も、車内では、悲鳴が鳴り響き――
しばらくすると、暴走していたバスが止まった。
突然の出来事と衝撃により、まだ視界が霞む。
何が起きたのか、周りを見渡す。
「……皆さん、怪我は……無事ですか!?」
前の方から、運転手が後ろを振り向き、乗客の安否を確認する声が聞こえてきた。
「くそっ、何が起きたんだ!?」
「今、ビルに突っ込まなかった……!?」
「ねぇ、なんか……くらくら、しない?」
運転手の声に従って、異常がないか自分の身体を確認する。
(なんだろう……少し、気持ち悪い……感じがする)
幸い、ぶつけた所が少し痛むくらいで、それ以外に大した怪我はなかったが……
私は頭をぶつけた影響か、それとも事故の衝撃か、少し気分が悪く、胸が締め付けられるような感覚に襲われていた。
周囲を見ても、周りの乗客達にも大きな怪我をしている人はいなさそうで、混乱した乗客達が同じように、状況を確認し合っていたが、中には私のように、体調の悪そうな人が、何人か見受けられた。
だが、それ以上に――おかしいのは、「景色」だった。
(え……? なに、これ……ビル、の中……なのに……?)
何気なく見たバスの外――
バスの窓越しに見えたのは、見慣れた都市の街並みでも、ビルの内装でもなかった。
そこに広がっていたのは、まるで森の中のような風景だった。
木々が生い茂り、光源もないのに、どこからか柔らかな光が差し込んでいる。
「え、なに……ここ?」
乗客の誰かがつぶやいた声が、妙に響いて聞こえた。
(これ、まさか……異界化現象!?)
『異界化現象』――
それは、現実世界が、異世界に書き換えられていく現象であり、『グラウンド・ゼロ』以降に異界と繋がった事で、現れるようになった災害。
「嘘だろ……異界化が起きてるって事は……ここ『異界ダンジョン』じゃないのか……!?」
そう、乗客の誰かが言ったように、異界化現象が起きているという事は、この建物は、異界化したダンジョンだという事。
『異界ダンジョン』とは、異界化現象が発生した地点に形成される異世界化した空間の事を指す。
異界化現象は、突如として現れ、空間、物質、生物までも侵蝕し、こんな風に現実を、『異界』――『異世界』に変貌させてまうという。
私も、学校や噂で聞いてはいたが、ここまで変わってしまうものだとは……都市の外では、滅多に起きる事のない現象に、初めて巻き込まれてしまい、内心、動揺が隠せなかった。
(さっきの……風景が歪んで見えたのは、気のせいじゃなかったんだ……)
ここは、ビルの中――のはずなのに、空間がねじれ、外から見た構造とは明らかに一致しない。
だが、広がる木々の隙間に、まだ事務机やコピー機の残骸らしきものが転がっていて、ここがかつてはオフィスだったことをかろうじて示していた。
ダンジョン内には、異界の魔力が充満し、中にあるものを侵蝕し、さらには、異界の生物『魔物』などの危険が潜んでいるという。
街中の、それも通学路に異界ダンジョンと化した建物があるとは聞かなかった為、恐らくは、危険の少なくなった、すでに沈静化しているダンジョンなのだろう……
だが、沈静化していても、発生した異界ダンジョンへの立ち入りは、危険な為、一般人の立ち入りは禁止されている。
なのに――
私たちは、今、まさにその中にいた。
異界の森のような空間。
バスは、その空間にある広場のような場所で停まっていた。
バスが止まった所よりも、少し先、広場の奥には巨大な裂け目が、まるで口を開けているように広がっていた。
「パニックにならないで! アルテミスの予報や『異界局』からも、この路線に異界ダンジョンの発生は、確認されてません。恐らく、ここは沈静化したダンジョンですので、どうか皆さん落ち着いて!」
バスの前方で、運転手が必死に声を上げる。
だがその声は届かない。
乗客たちは窓の外の異様な景色に怯え、ざわざわと騒ぎ始め、あっという間に車内はパニックに陥った。
「異界ダンジョンって……ここ、ヤバイよ!」
「うそでしょ!?」
「ダンジョンって、魔物が出るんでしょ!!」
「それに、私達、侵蝕されちゃうんじゃ……!?」
パニックに陥った乗客たちは、我先にと立ち上がり、出口に殺到し始める。
「ちょ、押さないで!」
「ヤバいって、早く逃げなきゃ!」
「皆さん、押さないで! 落ち着いて下さい!」
と、そのとき――
バスの外から、誰かがこちらに駆け寄ってくる姿が見えた。
「おーい! そこのバス、中に人がいるのか!」
防護服のような装備を身に着け、腰には武装を帯びた人物。
恐らくこの区域を警備していた治安官だろう。
「落ち着いて、この区域は異界化指定された危険区域です! 私が誘導します! 危険ですので、順番に、安全を確保して避難を……ゆっくり
一人ずつ、降りて下さい!」
治安官が、外からバスに向かって叫び、運転手に目配せする。
それを合図に、運転手がボタンを操作して、ドアを開いた。
すると――
「わ、私、もう無理! 早く逃げなきゃ!」
「出口は、どこにあるんだ!?」
バスのドアが開いた瞬間、混乱した数人が我先にと飛び出していく。
「皆さん、落ち着いて! 勝手に動かないでください!」
乗客たちは治安官の制止も聞かず、バスを飛び出し、異界の空間をあてもなく駆け出していく。
その時――
混乱の最中、バスの後ろにいた私の目に、小さな男の子が通路で突き飛ばされ、転倒するのが見えた。
突き飛ばした大人は見向きもせず、出口へと駆けていく。
突き飛ばされたその子は、先ほど、不思議そうに私を見ていた男の子だった。
手を伸ばすように「おかあさん」と叫んでいたが、混乱した大人達は、泣き叫ぶ子供に気付かずに我先へとバスの出口に向かっていく。
「危ない!」
気づけば、私は席を飛び出して、その子の上に覆い被さっていた。
「大丈夫、怪我はしてない?」
男の子は震えながら、こくりと頷いた。
「お母さんが……いないの……ひとりに、なっちゃったよ……」
母親らしき女性が出口の方で、名前を呼びながら子供を探しているのが、聞こえる。
震える男の子の手を、私はしっかりと握りしめて、不安を与えないよう笑顔を見せて、男の子に話す。
「大丈夫、私がついてるからね? お母さんの所に、一緒に行こう」
「……もう誰も残っていませんか!?」
男の子を連れて立ち上がろうとした時、外から治安官の声が届く。
「います! 誰か、この子の母親を!」
中にまだ、私と男の子がいる事を伝えようと叫ぶ。
「確認しますので、あなた達も出てきて下さい!」
「はい! ボク? 立てるかな?」
「うん……大丈夫……」
私は、男の子の手を引いて共にバスを出ようとした。
その瞬間――
――ドンッ!!
突如聞こえた轟音と衝撃がバスを揺らし、バランスを崩してしまう。
それは、何かが、バスの外の地面に着地した、重い音と衝撃だった。
そして、異形の影が、木々の隙間から姿を現し、こちらを睨みつけていた。
まるで巨大な蜘蛛のような、節くれだった長い八本の脚と、硬そうな甲殻に覆われた怪物。
現実では考えられないような、大人の男の人の数倍以上ある巨大な体を持っていた。
それは、石畳を鋭利な刃物のような脚で穿ち、草木を踏み潰しながら、音を立てて迫ってくる。
「何だ、こいつ!?」
治安官が叫び、腰の武器に手を伸ばす――が、間に合わなかった。
「う……わぁぁあ!!」
蜘蛛の化け物の一閃が、治安官の身体を容易く吹き飛ばし、地面に叩きつけた。
その身体は、まるで人形のように転がっていった。
転がっていった治安官は、ピクリとも動かない。
乗客たちはその光景を見て悲鳴を上げ、我先にと逃げ出していく。
逃げ惑う人間の群れに、化け物はさらに興奮したように動き出す。
そして次の瞬間――
興奮した化け物は暴れ回り、その脚を大きく振り上げた。
そして、振り下ろされた化け物の足がバスに直撃する。
その衝撃で、バスが大きく押し出される。
「っ……!」
私は咄嗟に男の子を抱きしめ、その場に伏せた。
恐怖で、声は出なかった。
押し出されたバスは、そのまま広場の奥へ。その先にあった口を開けていた巨大な裂け目へと進む。
そして、落ちた。
下へ。
ずるりと滑る感覚。
車体が傾き、私と男の子を乗せたまま、バスは黒く深い裂け目へと飲み込まれていった。
「え、あっ……うそ!?」
視界がぐるりと反転し、世界が深い闇へと落ちていく。
(いや……こんなの、こんなのって……!)
男の子の不安が握っていた手の平から伝わってくる。
私も怖かったはずなのに、その恐怖を押し殺すように私は、男の子の手を優しく握り返す。
そして、私達は、異界の闇の中に消えていった。