【序章】第三話『拒絶のまなざし、彼女の現実《にちじょう》』
異界管理都市『カルデラシティ』
『グラウンド・ゼロ』の巨大なクレーターを囲むように築かれたこの円環構造の都市は、『異界化現象』の監視と制御、それに対応するための能力者育成を目的として作られた、世界でも数少ない異界関係の事を扱う管理都市。
そんな都市の中を、一台のバスが走行していた。
バスの後方座席に座り、周囲の視線を遮るように、制服の中に着ているパーカーのフードを目深く被り、私は黙ったまま、車窓の外に流れていく風景を、ぼんやりと眺めていた。
突如ピンポーン、と少し高い電子音がバスの車内に響く。
音の方に目をやると、バスの前方に取り付けられた液晶モニターからの音だった。目を向けた時、ちょうど液晶モニターの映像が切り替わった。
『本日午後のお知らせです。魔力濃度は『8%』。平均値よりやや低めを記録。午後の天候は晴れ、風速1.3メートル。現在、都市上空を周回中の都市管理衛星『アルテミス』より、最新のデータが送信されています』
無機質な女性の声と共に映し出されたのは、宇宙に浮かぶ巨大な白い人工衛星の映像だった。
(……人工衛星『アルテミス』)
都市の上空にあるその衛星は、大気や気象、そして魔力濃度に至るまで、この街のあらゆる『環境』を測定、管理しているという。この街に来たとき、そう教わった。
一瞬だけ空を見上げるが、遥か上空に浮かぶそれは肉眼では見えず、私はすぐに車窓の景色に視線を戻し、またぼんやりと眺めていく。
高層ビル群が立ち並ぶ街並みが過ぎていく。
管理都市と言っても、車窓から見える風景は、普通の都会の街並みとそう変わらないように見える。
ぼんやりと流れる都市の風景を眺めながら、私は帰る前に先生から言われた事を思い返していく。
「白野恵瑠さん。学校に通い始めてから、もうすぐ一ヶ月が経つけど、生活には慣れてきた?」
「はい……まだ少しですけど……」
放課後。
授業終わりに先生に引き留められ、今はこうして職員室で近況報告をしていた。
「そう、それなら良かったわ。けど、何かあったら、いつでも相談してね?」
「……はい」
悪い先生ではないのだが……
教師になりたてなのだろう、私のクラスを担当する若い女性教師は、私の境遇もあり、ちらちらと、無意識に、こちらの顔色をうかがうような仕草をしていた。
「あの……話は、それだけですか?」
放っておくと、いつまでも話が進まない気がしたので、そう思い、私の方から話を切り出す。
「あっ……ううん、話はそれだけじゃなくて、白野さんの進路というか、今後の事で話があるの」
「今後……ですか?」
「そうなの。ここ、『能力者』の学校に通う生徒は、高等部を卒業した後、自分の進路として『異能』の力と、どう向き合っていくのか、決める事になってるの」
先生の話を聞くと、この街の『能力者学校』の高校生は卒業後、二つの道のどちらに進むかを選ぶらしい。
一つは、能力――『異能』の力の扱い方を学び、『異界』関連のカリキュラムをこなしていく『異界士』を養成する『異界士』専門の学校に進学する道。
もう一つは、能力を暴走したりさせない程度の扱い方だけを学び、能力を扱わない事を条件に、所謂『普通』の学校に進学または就職する道に進むかを選ぶらしい。
本来ならその道に合わせて、高校三年生になる前に進路を決めて、それに合わせたカリキュラムを受ける事になっているらしい。
だけど――どうやら、卒業まで残り三ヶ月という高校の終わりで編入する事になった私は、特例で最初の一ヶ月は、『普通』の学校とほとんど変わらない『普通科』のカリキュラムを受けてもらい、学校生活に慣れてきた頃に、どちらの道を進むのか決めてもらう事になっていたらしい。
「私としては、白野さんくらい『魔力』が高い人は、あえて能力を扱わないようにするよりも、『異能』の力との向き合い方を学んで、役に立てていく道を選ぶのが良いんじゃないかと思うけど……こればっかりは白野さん自身に決めてもらわないといけない事だから」
先生は机に置いてある私の事が書かれている書類に目を通しながら、話す。
思わず、私もその書類に目を向けると、【白野恵瑠『魔力保有量』評価:Aクラス】という文字が目に留まった。
「…………」
正直、いきなり『道を選べ』と言われても、迷ってしまう……
たしかに、この街に来て、一人暮らしを始めて、少しは慣れてきた。
だが、それはあくまで一人暮らしの生活に対してであり、この街、ましてや『異能』の力や『異界』の事になんて、まだ全然慣れていない。
「私は……」
「別に今すぐに決めてって、訳じゃないから。数日、考えてもらって、また一週間後、気持ちを聞かせてね?」
そう先生は言って、話は終わった。
その後、職員室を後にした私は、帰路につき、こうしてバスの中から景色を見ている。
数年前、『グラウンド・ゼロ』が起こり、『異能』や『異界』が現れるようになり、世の中が変わってしまった。
世の中がそういう風に変わってしまい、受け入れていかないといけないと、頭では理解できても、心はそう簡単に納得出来るものではない。
私が、この街に来るきっかけとなった『異能』の力を、積極的に使おうなんて、考えたことすらなかった。
むしろ――
もし出来るなら……こんな力、手放したいとさえ思っている。
軽くため息をつき、視線を落とす。
そしてフードを、目深に被り直した。
制服の襟元を指でつまみ寄せると、胸元の締め付けがまた少しきつくなった。
成長のせいか、それとも、心が重いからか――どちらかなんて、今は考える気にもなれなかった。
そうこうしている内に、バスは次の停留所に着く。
車体が軽く揺れ、ドアが開くと、母親と小さな男の子の親子が、乗ってくる。
「お母さん、ここ空いてるよ〜?」
バスに乗った男の子が、私の前の空いている席に近づき、大きな声で母親を呼ぶ。呼ばれた母親は「バスの中で大声を出しちゃダメ」と男の子を嗜める。
母親が近づくよりも前に、男の子は席に座り、こちらを見てきたので、目が合ってしまう。
「お姉ちゃん、綺麗な目してるね? それに、なんか……お耳も長い?」
私の顔を見た男の子が、指を指して、不意にそんな事を言ってくる。
たぶん、フードの隙間から覗いた私の『耳』が見えたのだろう。
普通の人のとは明らかに違う、細く、長く、先の尖った輪郭。
私の能力のせいで、一番わかりやすく『変化』した事を示してしまう部位を見られてしまった。
言われた私は、慌ててフードを被り直そうとする。
「こら、他の人を指さしちゃ、いけません!」
だが、それよりも早く、男の子の母親が席にやって来た。
「うちの子が、ごめんなさい。こちら、大丈夫ですか?」
「ねぇー、お母さん! このお姉ちゃん、他の人よりも、お耳が長いよ?」
「……えっ?」
男の子に言われて、母親がこちらを向く。
母親の視線が、フードの隙間から覗く私の顔を捉えると、わずかに目を見開いた。
フードの隙間から覗いた、細長く尖った耳。
陽光に透けるような金色の髪。
そして――翡翠の色をした瞳。
「……あ、やっぱり大丈夫です……ほら、別の所に行くわよ?」
私の顔を見た母親はすぐに目を逸らし、慌てて男の子の手を引いて、別の席へ移っていく。
けれど、男の子は好奇心に満ちた声で言った。
「あのお姉ちゃん、なんで、他の人と違って、お耳が長いのー?」
無邪気な声が、耳に突き刺さる。
母親は返事をせず、苦笑いを浮かべ、息子の頭をそっと撫でた。
……このやり取りは、これで何度目だろう。
気づけば、車内はそこそこ混んでいるはずなのに、まるで結界でも張られたかのように恵瑠の周囲だけが、ぽっかりと空いていた。
席を避けられているのが分かる。
視線も、感じる。
ささやき声が、耳に届く。
「あの子、外国の方なんかね?」
「違うって……たしか『エルフ』って言うそうよ?」
「能力者の中には、身体が変わる人がいるんだってな」
「そうなの? ……ちょっと怖いね、見た目が変わるなんて」
「怖いわよね……いつ暴走するか分からないって話もあるし」
「能力者は、不思議な力を持つというしな……人間じゃ、ないんじゃないか?」
私は――私も、好きでこうなったんじゃない……
唇を、かすかに噛みしめる。
背もたれに深くもたれかかり、フードをより深くかぶる。
心にひんやりとした膜が張りつくような感覚。
それは、この能力に目覚めたあの日から、何度も味わってきた。
魔力が覚醒したことによって、この身体は変化して、髪も、目も、――全部、今までと、変わってしまった。
選んだわけじゃない――
なりたくて、なったわけじゃないのに――
(この都市に来れば、何か変わるかもと思って、来たけど……)
「結局、何も、変わらない……」
誰に聞かせるでもなく、私の口から小さく、そんな言葉が漏れた。
遠くに見える防壁が、陽に照らされてぼんやりと光っていた。
それは、
都市をぐるりと囲む巨大な輪――内と外、『現実』と『異界』を隔てる、街を守るための境界線。
けれど、その中にいるはずの私もまた――
境界の外にいる気がしていた。
「そういえば、この都市に来た時もこんな風にバスに乗ってたっけ……」
ぼんやりと、外を眺めながら、この街に来る前の事が私の中で、思い返される。