【序章】第十話『命の炎、繋ぐ魔力』
奥の部屋までは、意外にもすぐに着いた。
蜘蛛に襲われた部屋から、真っ直ぐに行った所にある、さらに小さな部屋。
部屋の内部には、恐らく――糸だ。天井から、壁から、床まで、無数の白い蜘蛛の糸が張り巡らされている。
空気は湿っていて、甘く腐ったような匂いが鼻をつく。
その中心。
そこに吊るされた繭が、いくつもあった。
「マネハグモの巣の貯蔵庫だな……この規模、小さいが……まさか……女王が……?」
部屋の様子を見た彼が、ぽつりと呟いた。
けど、陽翔くんを探す私の耳には、あまり届かなかった。
(どれに陽翔くんが、いるの……?)
早く助けて上げたいのに、なるべく糸を避けて繭に近づいて、繭を見ていく。
だが、繭は私の目には、どれも同じに見えた。
「これは、魔物……これも、……こいつも、魔物……」
焦っていた私の横に、いつの間にか彼がやって来ていた。
彼は、どことなく神秘的な輝きを持つ金色の瞳を細め、真剣に、一つずつ慎重に繭を見ていった。
そして、全ての繭を見終わると、そのひとつに近づく。
「見つけた、こいつだ」
「えっ……分かるんですか!?」
「あぁ……まぁね、下ろすの手伝ってくれる?」
「あ、はい!」
声をかけられて私は慌てて、彼が指す繭に近づく。
「じゃあ、吊るされている糸を切るから、繭を支えてて」
そう静かに言う、彼の指示通りに繭の下を支える。
彼は剣を構え、しゃがむ。
そして、しゃがみながら、足をバネにして地を蹴り、宙へと飛ぶ。
高くジャンプした彼は、構えていた剣を鋭く横に振り、糸を切る。
支えられていた糸が切れた繭は、重力に引かれて、繭を支えていた私の両腕にずっしりとした重さがかかる。
「わ、わわっ……!」
「よっと、平気?」
「あ、ありがとうございます……!」
腕にかかる繭の重さに、バランスを崩して、倒れそうになる繭と私を、降りてきた彼が支えてくれた。
「よし、それじゃ少し離れてて」
「はい……!」
繭を地面に置くと、そう言って彼は細心の注意を払うように、ゆっくりと繭を裂いていく。
繭を裂くと、中から現れたのは、陽翔くんだった。
「すごい……ほんとに陽翔くんがいる繭を見つけた……」
陽翔くんの繭を一発で当てた彼の目に、素直に称賛の声が出る。
(異界士ってこんな事も分かるんだ……!)
「まずいな……」
称賛の声を上げていた私とは違い、陽翔くんを見た彼は冷静に、だが、そこには確かに焦りを感じさせる声を漏らす。
深刻な彼の表情を見て、私は思わず駆け寄り、陽翔くんの顔を覗く。
「……陽翔くん……っ!?」
繭の中で横たわる陽翔くんは、生気が抜けて、青ざめた顔色をしていた。
外傷は一切ないのに、その顔色は素人の私でも分かるほど、死の影すら滲ませているほどだった。
「……な、何でっ……!?」
「……君たち、ここに来る時に誰かに呼ばれる声を聞かなかったか?」
「……は、はい……女の人が、子供を探すような声が聞こえて……お母さんかもしれないって、止めようとしたんですけど……この子が一人で走っていって……それで……」
「それで、あの蜘蛛に襲われていたと?」
「はい……」
冷静に聞いてくる彼の言葉に、捕まる前に仮面の蜘蛛に襲われて、苦しそうにしていた陽翔くんの姿を思い出す。
「あの蜘蛛の名前は『マネハグモ』、獲物の声を真似て、巣に誘き寄せて、獲物を狩る魔物だ。彼、捕まる前に魔力を吸われてなかったか?」
「……ありました! さっきの仮面の蜘蛛の、口から舌みたいな管が伸びていて……たぶん『吸魔口』が彼の口の中に……」
学校で聞いた事はあったが、魔力を糧にしている魔物には、対象から魔力を得る為の専用の器官が備わっているものが、いるそうだ。
初めて魔物を目にしたが、舌のような管状の器官が、あの仮面の蜘蛛の『吸魔口』で間違いないのだろう。
「そうか。時間は短かったが、体内に直に吸魔口を入れられて……子供だから、魔力を吸われすぎたか……」
彼は、私に説明してくれた。
マネハグモに吸われた魔力。
魔力は、ただのエネルギーではなく、魂に紐づいた力。
つまり生きる為の生命エネルギー、そのものでもあるという。
その魔力を奪われすぎた陽翔くんは、そのせいで弱り、このままでは脱出するまで、命がもたないと、一刻の猶予もない状態だと言う。
「そ、そんな……何とかならないんですか……!?」
あまりに唐突な幼い命の危機。
その事実が目の前に迫り、何とか出来ないかと、どうしようもないのかと彼に詰め寄ってしまう。
「残念だけど……今の装備じゃ……」
彼が、陽翔くんを見ながら、唇を噛みしめて呟き、目を伏せる。
悔しそうにする彼の姿を見て、私も何もできないのかと、悔しくて、涙が溢れてくる。
「……せめて魔力を回復……いや、増やす手立てでもあ、れば……」
そう呟きながら顔を上げた彼が、私を見ると、不意に、言葉を詰まらせた。
さっき、陽翔くんの繭を見つけた時のように、あの神秘的な輝きを持つ金の瞳が、私の事を真剣に見つめている。
何故か、ずっと私と目を逸らしていたはずの彼が、今度は私を見つめてくる。
こんな時に、まるで品定めをしているように私を見つめる視線に、なんとも言えない感情が湧き上がる。
「えっ、と……な、なんですか……?」
視線に耐えられず、思わず彼に声をかけると――
「君の異能の力。『異能力』は、何だ?」
唐突な問い。
急に一体、何なのか、聞き返したかったが、彼のまなざしは真剣そのものだったので――
「えっ……わ、分かりません……一ヶ月くらい前に、街に来たばかり、なので……」
一か月前に街に来たばかりの私は、まだ自分の異能が何かさえ分かっていないと、そのことを正直に伝えた。
それを聞いた彼は、小さく頷いた。
「……もしかしたら、君の力で、この子を救えるかもしれない」
「え……!?」
思わず目を見開いた。
けれど彼の顔は真剣だった。
どういう事か分からなかったが……もしも陽翔くんを、救えるなら――
私は、神秘的な輝きを放つ、その真剣な金の瞳を持つ青年を信じてみる事にした。
「あ、あの……! な、何をすれば、いいですか……?」
震える声でそう聞くと、彼は静かに言った。
「君の魔力を……彼の消えかけている魔力に流して、彼の魔力を補助してみる。大丈夫、俺がサポートする」
「わ、分かりました……!」
「じゃあ、彼の胸に手を当てて?」
理屈も、やり方も分からないが、私は陽翔くんの横にしゃがみ、彼の指示通りに動く。
上手くいくかどうかなんて、分からない。
失敗したら、どうしよう――
(上手くいかなかったら、陽翔くんが……)
そう思うと、怖くてたまらなかった。
陽翔くんの胸に当てた両手が、自然と震えていく。
「大丈夫、目を閉じて。深呼吸して?」
そっと彼の手が私の手の上に重ねられ、温かな体温が伝わってくる。
私は彼を信じて、目を閉じて、深呼吸をする。
「まず、自分の中の魔力を感じて、それを感じたら、今度は彼の魔力を探って、そこに意識を集中させて」
彼の言葉を頼りに、自分の中の魔力に意識を集中させる。
言いようのない力の流れ、もしも例えて言うのなら、血のように全身を流れている大きな力の流れを捉える。
その魔力の流れに身を任せる。
そして、意識を集中させて、今度は中ではなく外へ、陽翔くんの魔力を探っていく。
やがて陽翔くんの中に、微かに灯る魔力の芯を捉える。
「……何か、見える……いえ、感じます……!」
それは、例えるなら小さな炎のように感じる。
身体の内側、中心で揺らめく炎。それが、今にも消えそうなほど小さくなっていた。
「よし、そうしたら、そこに君の魔力を流し込んであげて」
「流し込む……あ、あの、どんな風にやれば、良いんでしょうか……?」
「え、うーん……言葉にするのは難しいな……そうだ、君、魔石に魔力を流した事はある?」
「は、はい……あります。さっきも、初めてでしたが……それで、魔石を使って、松明を作ってみました」
「へー! すごいじゃないか。初めてで、魔石を扱えたのか! なら、大丈夫だ。その時の感覚とほとんど一緒だよ」
「君なら出来る」そう言いながら、私の手に重ねられた彼の手が励ますように、優しく握ってくれる。
「はい……! やってみます……!」
私は再び、深呼吸をして、陽翔くんの魔力に意識を向ける。
魔石に魔力を流し込んだ時のように、今度は陽翔くんの魔力に、私の魔力を流し込んでいく。
「流し込んだら、今度は彼の魔力を、手の平で包み込むように……大切なものをそっと包むような感じで、魔力で覆ってあげて」
「……包み込むように……こう、かな……?」
彼の言うように、陽翔くんの魔力を手で包み込むように、炎が風で消えないようなイメージで、優しく魔力で覆っていくように流し込んでいく。
しばらく、その状態を維持していると――
「……う、うーん……」
「……よし、上手くいった!」
うなされたような子供の声と、嬉しそうな彼の声に、私ははっと目を開けた。
陽翔くんを見ると、青ざめていた陽翔くんの顔色に、血色が戻っていき、表情も少しずつ穏やかになっていく。
「これで……成功なの?」
「ああ、おめでとう。よく頑張ったね」
彼は、握っていた私の手を労うように優しくさすり、マネハグモから助けてくれた時と同じ陽だまりのような笑顔を向ける。
その笑顔に、上手くできたんだと、実感が湧いてきて、私は思わず泣きそうになった。
魔力を送る行為は、想像以上に疲れるものみたいで……
動いていないのに、全力で走ったような疲労感が全身を巡る。
成功するか分からなかった……正直、失敗するかもという気持ちでいっぱいだった。
けれど、彼の言う通りにして、頑張ってみて、陽翔くんを救えた。
それだけで、心が満ちた。
「あ、ありがとう……ございます……!」
「なに、君が頑張ったおかげだよ。俺は見てただけだし、ね?」
私が深く頭を下げると、彼は少し照れたように笑ってそう言った。
(ううん、私だけだったら、きっと諦めてた……)
だから、陽翔くんを救えたのは、そんな私に、彼が声をかけてくれたおかげだ。
(異界士って、すごく頼りになるんだなぁ……)
そんな彼に、最初の疑いの視線はすでに消えて、尊敬の念で彼を見る。
「大丈夫? もう、落ち着いたかな?」
「えっ!? あ、はい……! おかげさまで陽翔くんを助けられましたから……」
無意識に彼を見つめていて、急に声をかけられて思わず動揺し、さらに手を握られたままだった事を思い出し、恥ずかしさから顔が火照る。
「そっか、じゃあ、良かったら、これでも着てくれないかな?」
そう言って、ぱっと私の手を離すと、そそくさと自分の黒いジャケットを脱いで、私に差し出してきた。
「え……?」
何故、急にジャケットを渡してきたのか……
首をかしげる私に、彼は目を逸らしながら口を開いた。
「今の格好だと……その、大変でしょ?」
「……?」
「え、いや……まさか、気づいてない、のか?」
小声で、彼が言葉を漏らし、私の方を見ないようにしている。
「えっと……何が、です?」
彼の言う事がいまいち分からなくて、聞き返す。
「えっと、その……色々と、見えちゃって、ます、よ……?」
言葉を詰まらせながら、変に敬語を使って、私の一点を指差してくる。
指差された場所は、私の胸元だ。
ちらりと、その場所を見て――思い出した。
あの時、蜘蛛に裂かれた衣服。
真一文字に裂かれて、かろうじて残った布地で、今は胸元が隠れているだけの、惨状を。
(えっ……この格好で、今まで……!? 『見えちゃってる』って、まさか……!)
私は凍りついた。
黙り込んでいた私を心配してか、ちらりと彼がこちらを見て、視線が合った瞬間、羞恥心が全身を駆け巡る――
「~~~っっ!! み、見ないでくださいィーっ!!」
私は叫び、反射的に――彼の頬を叩いていた。
「す、すみません……取り乱しました……」
あれから、少しして。
落ち着いた私は、平手の跡が残る彼に向かって、深く頭を下げた。
「い、いや……すぐに言えなかった、俺が悪いんだ……」
そう言って、目を瞑りながら、逆に彼も頭を下げてきた。
「……あ、頭を上げて下さい! せっかく好意で服を貸してくれたのに、叩いてしまって、ごめんなさい!」
「……いや、大丈夫。サイズは……やっぱり、合わないよな。ごめん、貸せる服、それしかなくてさ……」
袖は手が半分以上も隠れるくらい長く、素肌を隠す為にファスナーを上まで閉めると、胸の所はぴっちりというよりも、パツパツしていて、少し苦しい。
ぶかぶかなのに、胸のラインだけが妙にはっきりしていて、アンバランスな格好になってしまっていた。
(これじゃ、服を着ているっていうよりも、着られてるって感じかな?)
だが、胸、上半身がほぼ裸の状態よりも、何倍もマシだった。
「いえ、服を貸して頂けただけ、助かります……」
「……本当に? セクハラで訴えたりは……」
「……しないですよ!? 命の恩人に、そんな事、しません!」
「……そうか、そう言ってもらえると、助かる……」
そう言って彼の顔を見て、私が苦笑すると、私の視線に気付いた彼も同じように苦笑し、思わずお互いに笑い合う。
「……さて、そしたら、出口を目指して、脱出しようか」
「はい!」
気を取り直すように、明るく笑う彼に導かれ、私も元気よく頷いた。
彼は、装備している剣を確認し、マネハグモに襲われた際に落とした、私が作った松明を片手に、先導していく。
もし、魔物が出ても彼が戦えるようにして、寝ている陽翔くんは、私が背負う事にした。
先ほどの行為は、私の魔力で陽翔くんの魔力を増強して、尽きないよう支える応急処置のようなものだと、彼は言っていた。
陽翔くんは、命の窮地は脱したが、完全に危機が去ったわけではないという。
その為、『異界ダンジョン』の中にいる限りは、安全とはいえず、なるべく早く救急隊に引き渡すべきだと言う。
「さ、行こう。なぁに、出口は……すぐそこさ」
導く彼の背中を追って、私は一歩を踏み出した。