【序章】第一話『災厄と勇者のおわり、彼と彼女の出会い《はじまり》』
ある日、不思議な穴が、とある都市の大地に開いた。
その穴はこの世界の理では閉じることができず、
やがて『こちら』と『あちら』を繋ぐ門となった。
その向こうから現れたのは、ここではない世界の理。
その理は、生き物の魂を揺らし、身体を蝕み、時に怪物へと変え、
やがて世界の在り方さえも変えてしまいました。
傷つき壊れていく世界を見て、人々は叫びました。
祈り、願い、そして……
それらを聞き届けたのか、誰かが立ち上がりました。
その誰かは、『勇者』と呼ばれました。
勇者は、現れた滅びの災厄と戦い、災厄を虚空へと封じました。
災厄を封じられ、役目を終えた勇者も去ってしまいました。
残された世界は、災厄により傷つき、壊れかけていましたが、
異界の理を取り込み、新しく生まれ変わり始めました。
新しい日常の中で、人は戦いながら、生きています。
勇者が戦った穴の中心、災厄が始まった地――『グラウンド・ゼロ』
これは、その地に築かれた、とある都市での物語。
「いや……いや、いやっ……!」
その絶叫は糸に包まれ、森のような異界の空間に虚しく消えていく。
私は、恐怖に縛られたまま、糸に絡め取られて宙に浮いていた。
自分の足が地面から離れ、冷たい天井へと吊り上げられている。
宙に浮くその感覚に、恐怖が背筋を這い上がり、思考は霧のように霞んでいく。
目の前に、『笑っている面』が迫る。
まるで人間の能面をつけたような、人の子供くらいの体格をもつ『マネハグモ』と呼ばれる仮面の蜘蛛。
八本の脚で糸を軋ませながら、近づいてくるそれは、まさに悪夢の象徴だった。
(――来ないで!!)
やがて、その蜘蛛は、私の側まで来ると、長い前脚を振り上げた。
細く鋭いその脚が、真一文字に振り下ろされ、そのまま私の着ている服を裂き、布地が裂ける音が響いた。
胸元から下腹部まで、一気に冷たい空気が触れる。
「ひっ……!」
羞恥と恐怖がない交ぜになって、喉が詰まる。
笑う能面の口から伸びている管――魔力を吸うための『吸魔口』が、うねりながら、ゆっくりと私に近づいてくる。
その舌のような器官は、頬から首筋へ、そして、破かれた服の内側へと滑り込んでくる。
破れた服の内側の柔肌を、ぬめる舌のように吸魔口が、私の身体のラインを確かめるように、這っていく。
(嫌っ……気持ち、悪い……)
笑う能面の顔が、どこか楽しげに、いやらしく笑っているように見えた。
それは、まるで『獲物』を弄んで、楽しんでいるかのようだった。
そして、吸魔口は、スカートと肌の境界を探るように迫り、乱れたスカートのホックの隙間から、スカートの中へと侵入してくる。
(やだ、やだやだ…………お願い……誰か、助けて…………!)
そう恐怖に押し潰されそうになった、その時――
「そこまでだ」
鋭い声が響いた。
瞬間――空気を裂く音と共に、仮面の蜘蛛の顔面が真っ二つに割れた。
吸魔口ごと、その身体が断ち切られ、その体が地面へと崩れ落ちる。
そして――私を吊るしていた糸が、張り詰めた弦のように音を立てて弾け飛び、身体を縛っていた束縛が一気に緩む。
糸が切れて、私の身体も落下していく。
「っ……!」
地面に激突する――
そう思い、恐怖から目を瞑った瞬間――
「おっとと。ふぅー、間に合ったぁ」
先ほどと、同じ声が聞こえ、ふわりと宙を舞った私の身体を、力強い腕が優しく抱きとめた。
恐る恐る目を開けると、お姫様抱っこの形で、支えられている私の姿が目に入った。
全身が硬直し、何が起きたのかわからないまま、視線と共に顔を上げる。
床に落ちていた松明の火が、その輪郭を照らし出している。
見上げた先には、整えられた短い黒髪と、金色の瞳――
精悍な顔つきの落ち着いた雰囲気を纏った青年がいた。
所々に傷みのある、年季の入った黒のジャケット。同じく使い込まれた革のベルトと剣。派手さのない、実直な装いだった。
けれどその手からは、確かに自分を救ってくれた優しさと温もりが感じられた。
「大丈夫か?」
そう尋ねられて、やっと声が出た。
「えっ……あ、あなたは……?」
青年は、一瞬だけ微笑んで、
「大上陽太、『異界士』さ」
その笑顔は、陽だまりのような安心感をくれる、優しい微笑みだった。