プロローグ①
そこは電脳空間のトキオ・シティ、上空だった。雲の合間を抜け、現実以上に美しくリアルな商業ビルや真っ赤なタワーを横目に舞い降りる。
やがてスクランブル交差点の真ん中で何かを落として、爆風を巻き起こして着地する。行きかうアバターは少ないが、俺が上からやってきたことに驚いて遠巻きに見ている。まるで宇宙人が地球に降り立ったかのごとくだ。他のアバターは二頭身、三頭身のマスコット風で、ほとんど人間風のアバターは俺くらいで目が覚めるような蛍光色の黄色のスーツとハットを身に着けていたので嫌でも目立っていた。そもそも上空から登場する奴なんてシステム上にいるわけないから、目立つに決まっている。
アバターたちの目、かなり心地よい。そしてワクワクする。
俺は真っ黒な革靴でリズムを打つ。小粋の良い音が連なっていき音楽になって、俺も楽しく
なってきた。他のアバターも手拍子をしてくれて、更に俺のタップダンスもノリに乗ってきた。
その時、俺を捕まえようと笑顔の警察服を着た熊のアバターが目の前に出てきた。電脳警察の者だ。俺を捕まえようとドスンと着地した瞬間、向かってきた。それを俺は踊りながら避けて踊り続ける。再び向かってくる熊を今度は顔を足蹴にして、クルッと一回転する。
ずっと笑顔だが怒りさえ見えてくる電脳警察の熊アバター。そろそろまずいなって思いながら、向かってきた熊に避けながら、相方がクラッキングをかける。すると熊はパタンと倒れてしまった。
電脳警察のアバターが倒れた所で、ハットを片手で押さえながら、クルッと回って、パチンと音を立てて決めポーズを決めた。
アンコールの声が鳴り響く。もう一度踊りたかったが、電脳警察をコケにしたのだからさっさと逃げないといけない。
さあ、楽しい時間がもうおしまい。
俺は口を開く。
『本日は、レモンクラッシュ、日和なり!』
突然、夢から覚めたような感覚が脳に来た。楽しい夢から突然目覚めて、鈍い痛みが走り、まだぼんやりと脳が動いていないような感じだった。
『お目覚めですか』
頭から声が響いて気味が悪い。答えないでいると、俺の前に赤い金魚が現れた。ピンポン玉を飲み込んだような丸いお腹に小さなヒレを必死で動かして、俺を覗き込む。
『こんにちは』
『ああ、はい』『誰だ、お前』
声が二重に聞こえて驚く。俺以外にも近くに誰かがいるようだった。
『どういう事?』『意味がよく分からない』
俺達の質問に答えず、金魚はクルッと俺の周りを一周する。
『ここは電脳空間です。電脳空間と言うのは、数十年前に流行ったバーチャルリアリティー、メタバースなどの仮想空間が更に進化して、視覚や聴覚を使わずに脳へ直接的に電脳空間の世界に入り、意識のみで動くことが出来ます』
『はあ』『それは知っている』
『そしてこういったアバターを身につけられて、別の誰かになれるのです。ちなみにこれは【ピンポンパール】と言う金魚です』
ヒレをひらひらさせて【ピンポンパール】と言う金魚は説明する。
だが俺の近くにいる奴はつまらなそうに『どうでもいいし』と呟いた。そして奴は不機嫌そうな態度をとっている。姿は見えないのに何で分かるんだろうと思っていると、金魚はスイスイと目の前で泳ぎながら言葉を紡ぐ。
『ところであなた方は、どこまで思い出していますか?』
『思い出す?』『どこまで?』
金魚の質問で自分の記憶がぽっかりとない事に気が付いた。俺の傍にいる奴も記憶がない事に気が付いて不安になっている。
この様子を金魚は興味深そうに見ながら口を開く。
『この様子だと忘れている部分が多いようですね』
なんだか診察されている感じだったので、俺が『あんたって医者なの?』と聞くと金魚は体全体を使って横に振った。
『違いますよ。私達はアクアリウム・クオリアと言う組織にいます。元々電脳医療空間専門の組織ですが、色々あって本国の電脳空間関係の企業のアドバイザー的な事もしています』
『へえ』『ほう』
『それで我々は十数年前に電脳空間の犯罪者を集めて、減刑と引き換えに電脳空間で戦争に従事させました。そしてレモンクラッシュと名乗って軽犯罪を繰り返していたあなた方も参加して肉体を失い脳だけになっています』
はあ? どういう事?
随分と急展開な内容に俺たちは絶句した。犯罪者を集めて、電脳戦争をして、脳だけになったって、サイバーパンク不条理ギャグマンガ展開じゃないか。
……って、あれ? 俺も俺の傍にいる奴も犯罪者って事か?
『パニックに陥っていると思いますが、事実です。ああ、言い忘れていましたがあなた達の脳はくっついています』
『はあ? くっついている?』『どんなふうに?』
『うまく言えません。どういう言葉を使えばいいのか分からないからです。でもいいじゃないですか。すべての生き物は生きているうちに自分の脳を見る事は出来ないのですから』
何、開き直ってんだよ! この金魚!
わなわなと怒りが出てくるが、自分は今、手も足もない事に気が付いた。そして相方もどうしようもない怒りを持て余している。
『今はアバターが無い状態なので、あなた達二人はむき出しの魂、意識だけとなっている状態です。あなた方が得意とするクラッキングとハッキング能力も普通の人より素早い思考回路により素早く動くも今は出来ません。だってそうでもしないと真剣に聞いてくれないでしょうし』
そこまで俺達は問題児なのだろうか? だが傍にいる奴は確かに問題児だ。金魚の説明よりも煮魚に出来るかを考えている。
『犯罪者とは言え、あなた方を脳だけになってしまったのは我々の責任です。お二人が出来る限り幸福に過ごせるように手助けします』
『脳しかない人間に?』『心臓ないから俺らの生命活動、終わってんじゃん』
『はい。お二人の脳は生命維持装置を付けて、更に電脳に直接入れるようになってます。活動圏は電脳空間のみとなりますが、逮捕前からお二人は鬱屈した現実生活を送っていたし、ほとんど電脳空間に入り浸っていたので、多分大丈夫だと思いますよ』
ナチュラルに失礼だな! 何が鬱屈した現実世界を送っていた、だよ! そもそもだ。失敗して脳だけになったんだから、態度だけでも申し訳なさそうにしておけよ。
『お二人にはアバター二つ用意しますので、いずれ分かれて別々の行動がとれると思います。それに生命維持装置を付けておりますので、食欲などは一切感じませんので大丈夫です』
『……ある意味、地獄では?』『リアル水槽の脳って感じだな』
ものすごく裏がありそうだが、この暗黒空間にずっといたら精神も病んでしまいそうだ。俺の中にいるもう一人もこの金魚の提案に不信感があるが、ここにいてもしょうがないと言った感じだ。
ひとまず、俺達はアバターを装着できた。だが三頭身の初期設定アバターみたいで、野暮ったい。さっき見ていた夢ではスタイリッシュな感じの八頭身アバターで動いていた気がするけど。
『さて、あなた方が配属される部署は……』
『はあ? 俺達は仕事するの?』『ここに?』
『ええ、そうですよ。給料もいいですし、福利厚生もあります』
『脳しかない状況を作り出した所で仕事したくない』『僕は組織とかに囚われたくない』
俺達のわがままに金魚は一瞬フリーズしたかと思ったら、『じゃあ、どうするんですか?』と逆に尋ねてきた。なんか呆れているようだ。
でも記憶が無いのでアクアリウム・クオリアに就職と言う選択肢しかないけど、選びたくない。そう思っていると傍にいる奴が喋り出した。
『電脳空間の中ではフリーランスの奴もいるはず。僕には自分自身の記憶がないが、電脳空間でのアバターや空間作りの知識はある。それで何とか二人で食えるんじゃない』
『うーん、なるほど』
金魚はそう言って『ちょっと待ってください』と消えていった。謎の電脳空間で俺と傍にいる奴だけになった。
『……あの、初めま……』『あんたさ、ここの空間うざくない?』
挨拶しようとした瞬間、傍にいる奴が喋り出す。
『なんかあの金魚、怪しいからこのまま逃げない?』
『え? どうやって』
『こうやって』
そう言って、俺は一瞬にして暗黒の電脳空間から眩しい空間に入った。