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旅と地球の淡い夢  作者: 旅崎 ノブヒロ
カッサ=アル=ハラーナ
9/41

砂漠を駆ける

「ノブ、大丈夫か」

 ぼんやりした視界の中で、タムの顔が心配そうにこちらを覗き込んでいた。足に力は入らないが、どうやら自分はなんとか立っているようだった。頭の奥がぼんやりとして、砂漠の砂に反射した太陽の光がゆらゆらと揺れているように感じられる。

「大丈夫。ちょっと立ち眩みかな。どうしたの?」

 タムは眉をひそめて、僕のおでこに手を当てた。

「セルフィーを撮ろうって、君が呼ぶからこっちに来たんだ。そしたら急に君がふらっと体勢を崩したもんだから、驚いたよ」


 彼の表情から視線を外しあたりを見ると、カッサ=アル=ハラーナが見えた。それは、白い漆喰造りの砦ではなく、赤茶けた土壁がむき出しになった砦だった。

「あぁ、そうか。久しぶりに見たなぁ……白昼夢か」

 まだ夢の残り香が消えないような感覚を振り払い、ゆっくりと意識を現実に戻す。目の前に広がるのは、広大な砂漠の風景と乾いた風が舞う遺跡だった。そうだ、タムと砂漠の遺跡に来ていたのだ。目の前の景色が少しずつくっきりとしていき、今いる場所の現実感が戻ってくる。

「本当に大丈夫?」

 タムの言葉に顔を上げると、彼はじっとこちらを見つめていた。

「大丈夫、大丈夫。よくあるんだよ、こういうこと」

「頑丈そうな体をしているわりに、ノブは案外ひ弱なんだな」

「いやいや、ふがいないもんだな。たまにこう、ふらっとしちゃうことがあるんだ」冗談めかして言うと、タムは少しだけ笑って肩をすくめた。

 だんだんと砂漠の熱が容赦なく体に染み込んできた。まばゆい日差しの下で、自分の影がジリジリと揺れていた。どこからか風が吹き抜け、砂がさっと巻き上がる。

「なにせこの暑さだからな。さ、帰ろう。車の中に水があるから」

 タムは優しく肩を叩き、促すように背を向けた。遺跡の壮大な姿が遠ざかっていくのを惜しみながらも、ゆっくりと車に向かって歩き出した。数歩進んで、再びタムが振り返った。「でも、写真は撮っておかないとだろ?」

「そうだな」

 遺跡を背に、日差しの中で何枚かセルフィーを撮った。砂に立つ二人の姿が、スマホの画面に映る。

 そして、日差しに照らされた大地と石と、まばらな植物を踏み越えて、僕らはボロい車へと帰っていった。

 

 すっかりアツアツになった車内に戻ると、タムがエンジンをかけると同時に、「さあ、冷やそう!」と元気よく言った。僕らはエアコンのスイッチを入れ、水のペットボトルを取り出すと、一度車の外に出た。ドアをすべて開け放ち、車内の空気を入れ替える。熱い日差しが肌にじりじりと感じられる中、僕はペットボトルの飲み口に口をつけながら、がぶがぶと水を飲んだ。


「いやー、大満足だったね!」とタムが言った。彼の顔には、今日一番の笑顔があふれていた。

「あぁ、まったく。帰ったらムハンマドにお礼を言おう。彼が教えてくれなかったら、こんな素敵な場所には来れなかったよ」と僕も続けて言った。

「それにしても、本当に不思議な砦だよね。周りには、他に何もないのに」

「いったい、何に使っていたんだろうね」と僕が問い返すと、タムは少し考え込むように目を細めた。

「さてね。きっと砂漠のベドウィンたちが、話し合いの場にでも使っていたんじゃないかね」と、彼の声にはどこか楽しげな響きがあった。

 その言葉を聞いた瞬間、ふと先ほどの白昼夢が思い起こされたが、内容はもうはっきりとは思い出せなくなっていた。ただ、何か不思議な感覚が心の奥に残っているような気がした。思い出せないからこそ、どこか暖かい懐かしさだけが胸に残っていた。

 僕たちは大きく伸びをして、体のこわばりをほぐした後、再び車に乗り込むことにした。「さあ、冷たい空気が待ってるから、早く入ろう」とタムが促し、僕も頷く。車内に戻ると、エアコンの冷気がしっかりと肌に心地よく触れ、疲れた体を癒してくれる。こうして、熱い日差しの下での楽しい冒険を終え、僕たちは安宿のある首都アンマンへの帰路に就いた。



 車を出して5分ほど経ったころ、静かな砂漠の道を走る車内は、徐々に疲れた雰囲気に包まれていた。「いやぁ、よかったね」とタムが、サングラスの上の短髪を書き上げながら満足げに言った。彼の顔には、今日の冒険を振り返るかのような、心地よい疲労感が漂っている。

「あぁ、次はいよいよペトラかな」と、僕も同様に疲れた表情で返す。ペトラ遺跡は、ヨルダンの顔ともいえる古代遺跡で、首都アンマンからは車で半日ほど南へ下ったところにあった。

「うん、楽しみだねえ」と、タムも同意して、少し体を前に乗り出す。

「でも、今日は本当に疲れたね。あんなに炎天下にいるの、久しぶりだったから」

 車内は、さわやかなエアコンの風が流れ込んでいるとはいえ、二人とも先ほどのカッサ=アル=ハラーナでしっかりと汗をかいていた。身体は少しだるく、心地よい疲労感が全身を包んでいる。

「なんだか、あくびが出ちゃうや」と口元を手で隠しながらつぶやいたその瞬間だった。視界の端で、ぼろぼろになったダッシュボードの上でひらりと揺れるものが目に入った。半透明で、光を受けてふわりと揺らめくように見えるそれは、まるで金魚の尾のように軽やかだった。頭の中で、場違いな光景をどう理解すればいいのか混乱し、慌てて目を閉じて手のひらを額に当てた。「ただの見間違いだろう」と自分に言い聞かせるようにして、何度か頭を振った。


 深呼吸してから、ゆっくりと目を開ける。けれどもそこにあったのは幻覚ではなかった。半透明な体を小さく上下させながら、ダッシュボードの上に浮かんでいる奇妙な生き物が、静かにこちらを見つめ返していた。その見た目は小さいが、姿形は鯨のようでも、鯰のようでも、金魚のようでもあった。空中でゆらりと漂うと、ずずっとダッシュボードの中に潜り込んでは顔を出す。その動きはまるでダッシュボードが水面になったかのようだ。冷房の微かな風が車内に回り、薄暗い車内で、謎の水生生物のような存在が、泳げるはずのない空間を泳いでいた。心臓が早鐘を打つように高鳴り、思わず息を飲み込んだ。

 古びた車内の色あせたシートや、無数の擦り傷が刻まれたダッシュボードが、僕の現実感を引き戻そうとするが、どうしてもそこにある異質な存在に目が釘付けになってしまう。埃っぽいダッシュボードの表面が、そいつの泳ぎに合わせてゆれるたびに、まるでこの空間だけが現実から切り離されているかのようだった。

「あ、あれぇ……」言葉にならず、ただ呆然と見つめることしかできない。実は、これまでの旅の途中でも、ふとした時にこいつは姿を見せたことがあったのだが、こんなふうに目の前に留まって、正体をあらわにするのは初めてのことだった。動揺と不安が入り混じり、頭の中が真っ白になる。僕は軽く息を飲み、次に何が起こるのかと不安になった。自分の体が現実から切り離されていくような奇妙な感覚に襲われながらも、ただ目をそらせずにじっと見つめていた。まるで、不思議な夢の中にいるかのように、車の中は静まり返り、その空間だけが非現実的な色に染まっていくようだった

挿絵(By みてみん)

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