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旅と地球の淡い夢  作者: 旅崎 ノブヒロ
カッサ=アル=ハラーナ
8/41

砂の砦に宿る夢

 パチパチとした乾いた木のはじける音で目が覚めた。

 その不規則でありながらもどこか心落ち着く響きは、まるで遠い夢から私を現実へと引き戻すように、ぼんやりとした暗闇の中に淡々と時間の流れを刻んでいた。


「よぉ、目が覚めたかい」

 その声にかすかな温かみが宿り、目覚めかけた意識に一滴ずつ現実が染み込んでくる。しかし、体は依然として自由にならず、浮遊感とともに、どこか夢の続きの中にいるような感覚が残っていた。

「まったく、呑気なやつだ」

 少し鼻にかかった声が再び話しかけてくる。その言葉に耳を澄ませるうちに、混濁した意識が次第に鮮明になっていった。目が慣れてくると、うっすらと視界の中に、薄暗いテントの内装が浮かび上がってきた。

「せっかく連れてきてやったのに、到着するなり熟睡しちまって、まぁ」

 ぼんやりした意識の中で、その言葉が妙に心に残った。そうだ、確かに私は、この青年に頼んでここへ連れてきてもらったはずだ。

「本来なら、一族の外の者なんぞ、この地に呼ぶわけにはいかないんだ。だが、今回は特別だ、お前は大切な客人だからな」


 冷え込んだ空気が、顔や手先を刺激した。寒い。ふと、そばに焚き火の温かみを感じて、そちらに目をやった。テントの中央にある小さな焚き火が、揺れるオレンジ色の光を周囲に投げかけていた。その明かりに照らされて、テントの中にはもう一人、別の男が焚き火に手をかざしていた。男の指先に反射する火の光が、砂漠の夜の静寂をさらに際立たせるように揺らめく。砂漠の夜は冷える。


 ついで私は自分の手に目を落とした。ダボッとした白い服が袖からのぞくごつごつとした手のひらには、砂がこびりついており、爪の間には乾いた泥が挟まっていた。見慣れないこの手が、遠いどこかからやってきた自分のものであると理解するのに少し時間がかかった。

「なんだ、まだ寝ぼけてるのか」

 そうだ、何か、夢を見ていた。大きく広い青空に、朽ち果てた土色の砦が鎮座していて、それはたいそう綺麗な景色だった。

「あぁ、なんだか、妙な、夢を見ていたのかも」

 私は、やっとのことで返事をした。ようやく私の言葉がこぼれたことで、青年は肩をすくめるように笑った。

「まったく、しっかりしてくれよ。今日は半年に一度の、族長会議なんだぞ」

 彼の声がじわりと頭の中に響き、まだ霞んだ意識を掴みながら、その言葉の意味を考える。族長会議……そうだ、他の部族も集まる特別な日だと聞いていた。この砂漠に住む人々が、同じ場所に集い、語らい、何かを決める。そんな場に興味がわいて、彼に頼み込みここまで連れてきてもらったのだった。


「あぁ、そうだったな……会議はもう始まってるのか?」私は眠気を押し殺して問いかけた。

「親父はもう行ってるさ。俺たちは今はここで待機してりゃいい。目が覚めたんなら、この隙に色々と見て回ってこいよ」

 青年はすこしぶっきらぼうな物言いをするが、その言葉の底には友人としての親しみが感じられた。私は自分の体がまだ重いことに気付いたが、何かに突き動かされるように自然と体を起こし、テントの入り口へと足を向けた。

 立ち上がると、焚き火の横の男が少し笑いながら肩をすくめ、「なんだ、行くのかよ」と半ば呆れたように言ったが、その一方で皴の多いその壮年の顔は、どこか安心した表情にも見えた。彼もまた、客人が目覚めたことで少し安心したのだろう。青年が「俺も行くよ」と言って飛び跳ねた。あわせて「留守を頼む」と焚き火の男に声をかける。男は手のひらを少しあげて、了承の意を示した。

 テントの入り口には、重厚な獣の皮でできた帳が垂れ下がっていた。荒野の中で、冷たく乾いた空気を防ぐためのもので、その厚みがこの過酷な気候を少しでも緩和してくれているのだろう。私は肩でそれを押しのけ、寒さを感じながら夜の砂漠の空気を吸い込んだ。


 一歩外へ出て、まず目に飛び込んできたのは、果てしなく広がる満天の星空だった。無数の星が空いっぱいに散りばめられ、冷たく澄んだ夜気の中でまるで宝石のように煌めいている。星たちは互いに光を織りなし、夜空全体が輝く天蓋となって砂漠を包み込んでいる。

 完全にテントから身を出し、周囲を見渡すと、そこには大小のテントが砂地に並び立ち、いくつもの焚き火が夜の冷えを追い払うようにぽつぽつと灯されている。焚き火は赤々と燃え、暖かな光がテントを柔らかく包み、炎の明滅に合わせて影が揺らめいている。篝火も所々に置かれ、乾いた夜風が火を揺らすたびに、辺りが幻想的な光に包まれた。

 目線を少しあげると、テントの列の向こうにひときわ目立つ建物が鎮座していた。白い漆喰に塗られた四角い建物で、その端正な姿は月明かりの中で静かに佇んでいる。夜の闇の中でもその白色がはっきりと際立って見えるのは、建物のあちこちに置かれた篝火が壁面を照らし出しているからだった。砂漠の荒々しい景観の中で、その白い砦はまるで神殿のように荘厳な雰囲気を漂わせている。

「似ている」と思わず呟いた。自分でも、何に似ているのか確かめるように。

「似ている?何に?」青年が尋ねてくる。

「いや、さっき夢で見たような気がして……」私は答えたが、言葉を繰り返すうちに夢の輪郭はぼやけ、もうほとんど内容を思い出せなくなっていた。

 それにしても、と思いながら、私は目の前の砦の堂々たる姿をじっと見上げた。「立派な砦だ」

「あぁ、ウマイヤードの時代に建てられたものだが、今もこうして見事にその姿を残している」と、彼は誇らしげに答える。

 四角く頑丈なその姿は、焼けつくような陽射しや、たびたび襲う砂嵐を悠然と耐え抜いてきた砦の風格を感じさせた。白い壁は月光と炎の光に照らされ、過去と現在を行き交うかのように静かにその存在感を放っていた。

「あぁ、本当に見事だ」


 それにしても、見渡す限りのテントの数だ。昼にここに着いたときには、確かに数えるほどしか見かけなかったはずだが、今は目の前に広がる砂漠が、テントと篝火で埋め尽くされている。まるで小さな集落が一夜で立ち現れたかのような賑わいだった。

「すごい数のテントだな。さっきはこんなにたくさんはなかったのに…」

「当然だろう。この辺りの族長たちがみんな集まってきているんだ。半年に一度のお祭りみたいなもんさ。」

「そうか…祭りか。」私はつぶやくように答えた。テントを囲む人々の話し声や、遠くから聞こえる馬のいななきが、この異国の空気に独特のリズムを生んでいる。砂漠の冷気に篝火が温かく揺らめき、笑い声やざわめきが夜風に乗って耳に届く。

「族長たちは、いったい何を話し合っているんだ?」私は率直に聞いた。

「この先に起こりそうな戦いのことだよ。どっちの勢力に味方するか、部族をどの立場に置くかを決めるんだ。」

「戦い?」その言葉が思いのほか重く響いた。

「ああ。ホラズムの方で新しく乱が起きている。サラーフ・アッディーンって男が名を上げているのは知ってるだろう?」

「サラーフ・アッディーン…?」確かに聞き覚えのある言葉だったが、どうにも頭に靄がかかったようになり、私は首を横に振った。

 青年は目を丸くする。

「知らないのか?東の方から来たなら、名前くらい耳にしてるかと思ったよ」

 東か…そうだ、私は遥か東の地から来たんだった。再び鈍くなる頭脳を回避するように、私は会話を続けることにした。

「いや、聞いたことはあるような気がするんだが。彼はどんな人物なんだ?」

「サラーフ・アッディーンは強い戦士であり、指導者だって言われている。己の力を信じてここら一帯を掌握しようとしているんだ。今まさに、奴がこっちに向かっている最中さ。今、このあたりはセルジュークの一族が幅を利かせているが、族長たちは今後どちらの勢力に付くべきかを議論しているってわけさ」

「そうか…」私はしばらく無言で星空を見上げた。無数の星が、この砂漠の広がりの上でただ静かに輝いているだけのように見えるが、その下で人々が争い、選択に迫られているのだと思うと、急に現実感を増してきた。

「それにしても、族長たちの会議というのは、ずいぶんと賑やかなんだな。あちこちで火を囲んで、楽しそうな声がする。」

「ああ、今回は戦いへの備えもあるけど、やっぱり俺らにとっては集まるのが何よりの楽しみなんだよ。普段、離れた砂漠の各地で暮らしているからな。こうして互いの近況を聞いたり、部族の誇りを語ったりできるのは貴重なんだ。」

「なるほどな…」私は大きく息を吸い込み、この場にいる人々の、不安や喜び、熱気を感じ取るようにした。

「ま、そろそろ食事にしよう。ちょうど向こうに、俺の母さんの親戚筋にあたる部族のテントがある」

 青年がにっこりと笑い、私を先導しながら歩き出した。砂の上を、サンダルがきしむ音が響く。テントが立ち並ぶ砂漠のキャンプはどこか幻想的で、焚き火の炎が小さくはためく度に、影が踊り、肌に染みる寒さと共に暖かで家庭的な空気を感じさせた。しばらく歩いたところで、香ばしい匂いが鼻先に漂ってきた。羊肉を焼く香りと、油の焦げる匂いが混じり合い、何とも言えない胸の高鳴りを感じさせる。これほど食欲をそそる香りに囲まれたのは久しぶりだ。


「おい、着いたぞ」と青年が言うと、目の前のテントから褐色の衣服に包まれた女性が現れ、私たちを中へ招き入れてくれた。テントの中は意外にも暖かく、床には柔らかい絨毯が敷かれ、中央では小さな炉がつくられて炎を上げていた。彼女は青年に引率されている私を見て一瞬驚いた様子を見せたが、青年に説明されると、笑顔で「どうぞ」と促し、温かいスープの入った小さな器を、私の前に置いた。

「さぁ、食べなさい」と優しく微笑む女性の顔には、砂漠に生きる人々の穏やかさと、どこか深い慈愛が漂っていた。

 湯気の立つスープから漂う香りを胸いっぱいに吸い込みながら、私はそれをゆっくりと口に含んだ。羊肉の濃厚な旨味とスパイスの香りが、冷え切った体の芯からじわりと温め、心まで癒していく。噛むごとに肉の旨味が広がり、歯に馴染む柔らかさが何とも心地よい。思わず「うまいな」と漏らしてしまった。青年は満足そうに頷き、再び私の隣に腰を下ろした。

「ここいらじゃ、家畜の羊は何より大切な資源だからな。このスープはちょっとしたご馳走なんだぜ」

 青年がそう言って、にっこりと笑みを浮かべた。スープからは香ばしい羊肉の香りが漂い、僕は再びスプーンをすくい、ゆっくりと喉を通した。温かなスープが体の隅々まで行き渡っていく。冷えた体が内側から温まり、旅の疲れがじんわりと溶けていくようだった。


「それにしても、外に出たときの星空は見事だったな。あんなにたくさんの星を見たのは久しぶりだ」と私はなんとはなしに青年に話しかけた。さきほどの砂漠の夜空は、まるで満天の宝石のようで、思わず立ち尽くして見惚れたほどだった。

「そうか?どこもこんなもんだと思うけどな」

 青年は、どこか不思議そうにそう答えた。スープを飲みすすめながら、私は、先ほど見た美しい星空の光景を思い出していた。どこまでも続く星の海。空一面に輝く無数の光が、深い夜の中で静かに瞬いていた。その美しさをなんと表現すればいいのか言葉に詰まる。しばらく考えてから、ある言葉が思わず口をついて出た。

「あぁ…まるでプラネタリウムだったよ」

 その言葉が出た瞬間、自分でも驚いていた。プラネタリウム——いったい、なんだそれは。この不思議な響きを持つ言葉が、なぜ突然浮かんできたのだろう。その瞬間、不意に奇妙な感覚が襲ってきた。視界の端で、スープの表面が揺らめいているように見える。まるで水面に小さな石が投げ込まれたかのように、スープが静かに渦を巻き始めていたのだ。それに気を取られていると、周囲の景色も次第に歪み出し、地面やテントの内部が揺れるように感じられた。頭がクラクラとし、目の前が急に暗くなっていく。

「おい、大丈夫か?」と青年が僕に声をかけたが、その声も遠く感じられ、体がふわりと宙に浮くような感覚に襲われる。まるで引き込まれるように、頭がクラクラと揺れ、視界が歪み出す。地面やテントの内部までもが次第に歪んでゆき、意識が深く沈んでいくようだった。周りの光景が淡く霞み、まるで夢の中にいるような非現実感が広がっていく。砦も砂漠もすべてが遠ざかり、闇が私を深い海の底へと引きずり込むように包み込んでいった。


挿絵(By みてみん)

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