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旅と地球の淡い夢  作者: 旅崎 ノブヒロ
カッサ=アル=ハラーナ
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砂嵐

 国境までの長い一本道を30分ほど引き返すと、ようやく最初の寄り道地点に到着した。道の脇に砂と小石が積もった看板が現れ、「自然公園まであと500メートル」と書かれている。ここは、砂漠に生息する生き物たちが見られると評判の自然公園で、普段目にすることの難しい砂漠の生態系を学べる場所だと地図アプリには記されていた。公園内には、この地域特有の動物や爬虫類などが生息しており、絶滅危惧種でもあるアラビアオリックスという動物も見ることができるそうだ。真っ白な毛並みに二本の長く伸びた角をもつ美しいアラビアオリックスは、ヨルダンの国獣とされている。一時は11頭にまで減ってしまったものを、この自然公園が保護・繁殖に成功し、頭数も回復したためレッドリストでの扱いも絶滅危惧種から危急種に再分類されたらしい。


 いよいよ自然公園に近づいてきたところで、僕たちに嫌な予感が走った。駐車場に車を止めるころには、予感は確信に変わっていた。車を降り、砂と乾いた草の生えた道を少し歩くと小奇麗なゲートが見えてきた。ゲートに近づくにつれ、その入口に掲げられた「Closed」の看板が視界に入る。プラスチックの看板が無造作にかけられており、風に吹かれてわずかに揺れている。

「えー、閉まってるじゃん…」

僕は少しがっかりしながら、タムに目配せした。

「失敗したね。どうやら閉園日だったようだ」タムも肩をすくめ、ため息をついた。タムが看板に手を伸ばし、少し揺らしてみると、カタンと乾いた音が響いた。どうやら本当に閉園しているようで、中に人の気配はまったく感じられない。

 僕らは「こんなこともあるよね」と苦笑いを浮かべながら言い合い、自然公園を後にした。これもまた、旅の巡り合わせだ。


 車に戻り、エンジンをかけて再び砂漠の道を進み始める。車内には乾いた風が入り込んで、少し砂の匂いが漂っていた。それにしても、と言葉をつけてから「そんなに動物が好きだったんだ」と運転席のタムが尋ねてきた。

「いや、別にそういうわけじゃないんだけどさ。その国を代表する国獣とか、国花とか言われると、見ておきたくなるんだよね。旅先でそれを見つけると、なんかその土地をちゃんと味わえた気がするというか…」僕は少し考えながら答えた。

「なるほどね」タムがうなずきながら「ちなみに、オーストラリアの国獣はなんだい?」と尋ねてきた。

「わかんないの?イージーだよ」僕は笑って、少し茶化すように言った。案外僕ら旅人は、自分の国のそういうことはよく知らなかったりする。

「カンガルーだろ」僕はタムに教えてあげた。

 タムは驚いたように目を丸くし、「あぁ、そりゃ当然だ」と苦笑いを浮かべた。

「確かにね。カンガルーは俺たちのシンボルみたいなもんだな」

 納得したようなタムだったが、しばらく車を走らせると、ふと何かを思い出したように、「いや、でもコアラもいるぞ」とつぶやいた。

「あ、確かに!それもオーストラリアらしい。カンガルーと並んで象徴的だよな」

 結局、その場では電波がなかったので、僕たちはどっちが正しいのか、答えの出ないまま笑いながらあれこれ言い合った。


 次に僕らは、昼食を取るために小さな町に立ち寄った。もっとも、町という表現が正しいかはわからない。民家が数軒集まっているだけで、集落というほうがしっくりくる。幹線道路沿いにぽつんぽつんとスモールマーケット(個人商店のようなもの)が並んでおり、砂埃にまみれた古びた看板がそれぞれの店先に掲げられている。商店と呼ぶには小さすぎて、並ぶ商品も生活必需品が中心だった。

 その並びの中に、少し色あせた青い屋根が目を引く小さなホットドッグ屋がぽつんと店を出していた。ほかに昼食を取れるような場所は見当たらないので、僕たちはここで食事をとることにした。看板には「ホットドッグ」の文字が不揃いに描かれていて、その上にホコリが積もっている。主にトラックの運転手が立ち寄るのだろう。店の中に飲食スペースはなく、店の前にカラフルなプラスチック製の椅子がいくつか無造作に並べられているだけだった。

 椅子は鮮やかな赤や青だが、日差しと砂で色あせていて、少し座るとガタつく感じがした。僕たちは紙製のパックに入ったフライドポテトと、少ししなびたパンにソーセージが挟まれたホットドッグを受け取り、プラスチックの椅子に腰掛けた。砂漠の乾いた空気のせいか、パンは少し硬く感じたが、空腹もあって僕らは無言でそれをかじり始めた。塩の効いたポテトとケチャップがかすかに甘く、思った以上においしかった。

 運転をすべてタムに任せてしまっていることもあり、ここのホットドッグ代は僕が払うことにした。もっとも、日本円にすると300円程度のささやかな出費だった。

「さて、いよいよカッサ=アル=ハラーナだね」

 手についたケチャップを舐めながら僕は言った。お腹が満たされると、次の目的地が少しずつ楽しみになってくる。

「ハサンがお勧めするくらいだから、きっといいところだろう」とタムが答える。

「楽しみだね。どんな場所なんだろう」


 砂漠の空は広く、太陽の光がじりじりと照りつけているが、僕らは食後にそれぞれ肩を回したり、体を伸ばしたりしてから、再び車に向かった。

 町を出てしばらく走ったところだった。突然、周囲がぼんやりと霞みはじめ、視界が悪くなってきた。砂が風に巻き上げられているのが遠くから見え、タムは自然とスピードを落として慎重に運転していた。まるで薄いベールがかかったように、景色がぼやけてくる。

「タム。これは、あれじゃないか?えっと、砂嵐ってやつ」

 僕が少し不安げに声をかけると、タムも真剣な表情で前方を見つめた。

「うーん、ちょっと車を止めようか。安全にいったほうがいい」

 そう言うと、タムはゆっくりと車を路肩に寄せ、停車させた。まばゆい日差しにさらされていたはずの砂漠が、ほんの数分のうちに暗い灰色に包まれていくのがわかる。風が強く吹き付け、砂が車の窓ガラスにぶつかる音がささやかな雨音のように聞こえ始めた。

 僕はミネラルウォーターのボトルをタムに手渡し、少し緊張した空気を和らげようとした。窓の外はみるみるうちに暗くなり、太陽の光がほとんど遮られ、まるで夕暮れのような薄暗さに包まれていた。遠くの風景は完全に霞んでしまい、近くの地面や道路だけが辛うじて見えるほどだ。タムは水を飲みながら、「いや、完全に砂嵐だね」と呟いた。

「そういえば、オーストラリアにも砂漠があるよね?」僕はふと気になって尋ねた。

「中央部には広大な砂漠があるけど、僕は行ったことがないなぁ。砂嵐、初めて見るよ」タムは少し楽しそうに言った。

「え、ないの?」僕は驚きながら聞き返した。

「あぁ、ないね」とタムが苦笑いを浮かべる。たしかに、自分の国にあっても意外と行かない場所というものはあるのかもしれない。僕もふと、自分のことを考えた。小さいころに親にいろいろな場所に連れて行ってもらった記憶はあるが、結局、大人になってから自分の足で国内をきちんと旅したことはほとんどないまま、海外に出てしまったのだ。日本に帰ったら、今度は日本を旅してみたいなという思いが、海外を放浪している間に少しずつ僕の中に芽生えていた。

「日本には、砂漠はないの?」とタムが興味深げに尋ねた。

「実はね、小さいのが少しある。でも僕は、あれはただの海岸だと思う」僕は笑いながら答えた。

「へぇ、そうなんだ」タムは少し驚いたように相槌を打つ。

 正確には鳥取砂丘は砂漠ではないそうだが、日本人がその砂漠を維持するために草むしりをしているという面白い話をすると、タムは小さい声くくっと笑った。


「じゃあ、砂嵐はノブも初めて見るのかい?」

「いや、ウズベキスタンで見たことがある」

「さすが、旅人だね」

「まぁね」

 砂漠は、世界のさまざまな訪問場所の中でも、とりわけワクワクする場所の一つだった。それだけで異国感があって、なんだか大地の広さを感じる気がするのだ。

 しばらくすると、突風は少しずつ弱まってきた。周囲の暗さが次第に薄れていき、空にはうっすらと青さが戻り始めている。僕は身を乗り出してフロントガラス越しに空を見上げ、日差しが再び差し込んでいるのを確認した。遠くのほうにはまだ砂煙が灰色の帯のように漂っていて、おそらくほんの数分前までは、僕たちはあの中にいたのだろう。何か異次元の場所に迷い込んでいたような気がして、僕は不思議な感覚に包まれた。

「あっという間だったねぇ」

 僕は何気なくつぶやいた。

 

 その時だった。遠くにやった視線の先、上空の砂煙の中で何かがわずかに動いたように見えた。かすかに尻尾のようなものが、渦巻く砂の中から一瞬だけ姿を現し、そのまま砂煙に飲み込まれるように消えていった。僕は瞼を何度かパチパチとさせ、まばたきをしながら砂嵐の向こうを見つめた。気のせいかとも思ったが、さっきの尻尾のようなものが妙に鮮明に思い出され、僕はじっと目を細めて注視した。しかし、どれだけ目を凝らしても、もうその姿はどこにも見えなかった。砂の中に浮かび上がった幻のように、たった一瞬だけ現れて、消えてしまったのだ。

「どうかした?」タムが尋ねる。

「いや、なんでもないよ」僕は微笑んで首を振った。

 タムは特に気に留めることなくステアリングを握り直し、エンジンをかけた。そして、僕たちは青空が広がりはじめた砂漠の中を、目指す砂漠の砦カッサ=アル=ハラーナへの最後の十数分のドライブを再開した。


挿絵(By みてみん)

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