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旅と地球の淡い夢  作者: 旅崎 ノブヒロ
カッサ=アル=ハラーナ
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砂漠の道標

 市街地の渋滞には捕まらず、30分ほど車を走らせると郊外へ出た。首都アンマンのにぎやかさが嘘のように消え、周囲にはもう荒野と広がる高い空だけの世界が現れた。空は果てしなく青く、視界を遮るものは何もなく、ただ風が砂を巻き上げながら道路沿いを流れていく。ぽつりぽつりと、平屋の民家やほっそりとした木々が時折車窓をかすめるように流れ、すぐに視界から消えていく。荒れた土地には時々、小さな砂丘や乾いた草がひっそりと生えていて、まるで広大な砂漠に飲み込まれるのを恐れるようにひっそりと佇んでいた。

 

 ヨルダンは、砂漠の国の常として、国土のほとんどが砂漠である関係で、都市部の人口密度がとても高い。そのため、都市部を離れると急激に人口は少なくなり、まるで人が住んでいないかのような広大な砂漠が続く。対向車も見えない道をひたすら走る。周囲には生活の気配がまったく感じられない。たまに車窓に映るのは、工場のような大きな建物だが、近づくにつれて、それが使われなくなった廃墟であることがはっきりとわかる。せっかくの広大な土地を有効活用しようとしても、砂漠の厳しい環境は、無骨な工場さえも容赦しない。この強烈な日差しと絶え間ない砂嵐が、維持費を膨大にしてしまうため、意気揚々と郊外に建設された工場でさえ、早期の撤退を余儀なくされるのだ。


 今回僕らは、まず一息にサウジアラビアとの国境付近まで行くことにして、帰り道に気になる場所へ立ち寄りながら、首都アンマンへ戻ってくるプランにしていた。タムは陽気に鼻歌を歌いながらハンドルを握り、僕は窓から広がる砂漠を眺めていた。日差しは徐々に強さを増し、車内に照り返してきている。窓を開ければ、砂漠から吹きつける熱風が即座に入ってくることだろう。

 サウジアラビアは入国にビザが必要な国なので、ビザを持っていない僕たちは、当然その手前で引き返すことになる。ただ、僕らの、というかタムの目的はその手前にあった。


 車を走らせること約2時間。国境の近くまでドライブすると、それが見えてきた。遠くの地平線に大きな青い看板。近づくにつれて、その看板の文字がはっきりと見える。上にはアラビア語が大きく書かれていて、その下に英語で「Saudi Arabia - 10 Km」とある。 つまるところ、これはただの道路標識だった。

 道路標識の近くに来ると、タムは車を停めた。砂漠の道には他に車は見当たらないし、少しの間車を放置しても問題はないだろう。タムはハンドルを大きく切り、走行車線の中央に斜めに停車させるという大胆な駐車をした。僕らは車を降り、標識の前に立ってみる。相変わらず日差しがじりじりと照り付けて、頭上から強烈な熱を感じる。乾いた風が砂を舞い上げ、僕らの足元をさらさらと流れていく。

「おぉう、こりゃ暑いね」

タムが両手で傘を作って、頭を覆いながら苦笑した。

「うん、熱いわ」僕もその日差しに圧倒されながら、思わず同意する。

 このあたりの道路標識は、道路の真横にでかでかと置かれている。有り余るほど土地があるのだから、わざわざポールで道路の上に表示することもないのだろう。

 二人で道路わきの標識を、しばらく見つめていた。

「つまり、この先がサウジってことね」と僕はぽつりと言う。

「あぁ、ヨルダンの端っこだ」とタムも頷きながら応じた。彼はそのままズボンのポケットを探り、スマホを取り出して僕に差し出してきた。

「ノブ、写真を撮ってくれ」

「もっちろんよ」

 合点承知。と答えたい気分だったのだが、あいにくオフコースしか語彙を知らなかったので、その気持ちだけこめて、オフコースと答えた。タムのスマホを受け取ると、早速シャッターを押し始めた。まず立ち姿で3枚。しゃがんで3枚。角度を変えてさらに3枚。角度を変えてもう3枚。いい写真家とは、とにかく沢山シャッターを押す写真家なのだ。

 

 タムはサングラスがギラリと輝き、そのスポーティーな外見も相まって、なんだか戦闘機のパイロットのように見えた。広大な砂漠をバックに、彼の姿がひときわ映えている。

「ほかにポーズは?」

 僕が促すと、タムは少し照れた様子で、片手をボンネットに添え、反対の手を腰にあてた。そして顔を少し空に向けてポーズをとった。ぎこちない仕草が微笑ましくて、僕はカメラ越しにニヤリとしながらシャッターを切る。

「おぉ、いいよぉ。ちょっとこっちも向いてみて、ほら、いいよぉ」

 ふざけながら声をかけてさらに3枚撮ると、タムも笑い出した。肩の力が抜けて、彼の表情がいっそう柔らかくなる。笑いながら「ありがとう、ありがとう」と言って、スマホを返してもらおうと僕の方へ手を差し出してきたので、僕もカメラアプリを閉じてスマホを手渡した。

「よく撮れてる?」

 彼が画面を覗き込んでいるのを見て、僕は尋ねた。

「あぁ、いい感じだ。ありがとう」

 タムがうれしそうに何度も写真を確認する姿を見て、僕は心の中で少し笑ってしまった。こうやって満足げな表情をする彼の姿を見ると、わざわざこの場所までやってきたかいがあったな、と感じた。

 これがタムの、旅人としてのこだわりだった。彼は海外に行くと、必ずその国の国境付近までレンタカーを走らせ、そこにある道路標識と一緒に写真を撮るのだ。「こうすることで、俺はこの国を隅々まで見てやったぞ、っていう気持ちになるんだ」と、以前に彼が語ってくれたことを思い出す。話を聞いた時は、少し変わったこだわりだと感じたが、実際にこうして彼に付き合ってみると、確かに面白い”こだわり”のように思えた。ただただ観光名所を巡るだけでなく、自分だけのこだわりの場所を巡ることで、その土地に対する愛着が増すのかもしれない。


 旅人にはそれぞれこだわりがある。例えば、旅先のご飯にこだわる旅人。自転車での旅にこだわる旅人。立ち寄った国から家族に絵葉書を出すことにこだわる旅人。彼らのこだわりの一つ一つが、旅を楽しむそれぞれのスパイスになるのだ。


 僕でいうとなんだろう。なるべく飛行機を使わない。なるべく日本に帰らない。なるべくいろいろ調べてみる。どれも、そこまでこだわってきたつもりはないのだけれど、気が付くとそんなことが僕にとっての旅のこだわりになっていた。もちろん、こだわりなんて無くたって旅は楽しいのだが、長く旅を続けていると、きっとみんな自分の旅をより楽しむために、自分なりの”旅のこだわり”を見つけていくのだろう。タムのうれしそうな顔を見ると、そんなことを少し考えた。


「暑かったね」

 僕が呟くと、タムも「ああ、本当にな」と笑いながらうなずいた。

「おんぼろな車だけど、エアコンだけは壊れてなくてよかった」

 彼がそう言うと、僕はシートに体を預けた。背中から染み出した汗がほんの少しだけ冷たく感じられた。窓の外に広がる砂漠と、遠くに霞んで見える乾いた山並みが、車内の冷気とは対照的に荒涼とした景色を広げている。

「ここで、引き返すの?僕は国境まで行ってもいいけど」

 僕は伺うようにそう言った。

「いや、もう満足だ。ここで引き返そう」

 タムは肩をすくめて笑った。国境線までの数キロを進むのは、彼にとってさほど重要ではないのだろう。ここで十分に国境の雰囲気を味わったということだ。エンジン音が砂漠の静寂に溶け込むように響き渡り、僕らは国境付近の何の変哲もない道路標識を後にした。目指す砂漠の古い砦カッサ=アル=ハラーナまでには、まだいくつかの寄り道が待っている。


挿絵(By みてみん)

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