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旅と地球の淡い夢  作者: 旅崎 ノブヒロ
忘れられた神々
31/41

夢の見える荒野

 ちょっと砂漠の景色が見たい、というのは僕のリクエストだった。

「いやぁ、すごいね。ホホホ」

 狭い車内でムハンマドが楽しそうに笑っている。

 ぼろぼろの車は、ばうんばうんと大きく揺れながら、砂漠の轍を進んでいく。オフロードに入ってからというもの、道はすっかり荒れていて、砂利と硬い土が混じった不規則な地面が続いていた。タムがハンドルをしっかり握りながら、ゆっくりと車を進める。

 ワディ・ムサの街からほんの10分も走れば、あたりは一面の砂漠だった。とはいえ、誰もが思い描くような砂丘のあるような広大な砂漠ではない。まるで乾ききってひび割れた小学校の校庭がそのまま広がっているような地面。それが起伏を織りなしながら、たまにある砂岩の岩山を浮かべて、どこまでも広がっている。遠くに見える岩山は赤みを帯び、砂漠の青空とのコントラストが絶妙だ。

「レンタカー、Jeepにするべきだったかもね」

 タムが冗談めかして言った。荒れた道を走るには、この車ではちょっと心許ない。ガタガタと揺れるたびに、車内で僕たちの体が跳ね上がる。ドライブというよりは、なにかのアトラクションに乗っているような気分だ。

挿絵(By みてみん)


 しばらく走ったところで、僕たちは車を止めて外に出た。

「う~ん、何にもない空っぽな場所って、いいよね。」

 タムが大きく伸びをしながら深呼吸をする。今日も日差しは強いが、この場所にはそれ以上の爽快感があった。目の前に広がるのは、どこまでも続く広大な大地。圧倒的な解放感が全身を包み込む。

 もちろん、完全に「何もない」というわけではない。ところどころに乾燥した砂漠特有の低木が生えている。砂をまとった葉っぱは黄緑色に近く、地面と一体化して目立たない。それでも、その存在感がこの荒野に微かな生命の兆しを与えているように見えた。

「ホホホ、広いねぇ」

 ムハンマドは車のそばで腕を組みながら穏やかに笑っていた。本日の彼は、昨日の観光で既にかなりの疲労をため込んでいるらしい。明日はまたシークを通り、ペトラ遺跡まで歩く予定があるので、今日は体力を温存しているのだろう。

  一方で僕とタムは、それぞれ思い思いの方向に散策を始めた。目的があるわけでもなく、どこを目指すでもない。ただ、その瞬間に自分が向いている方向へ、ふらふらと気の向くままに足を運んでいた。

 サングラス越しでも眩しい砂漠の陽光が目に入る。自然と視線は下に向かい、足元を確認しながら歩くことが多くなる。乾燥した砂地が広がり、その合間には時折、低木や小さな岩が点在している。足元には大小さまざまな砂利が転がっているだけで、一見すれば何の変哲もない光景だ。ただ、何か面白いものがないかな、という気持ちで目を配っていると、ありふれた景色の中にも不思議と新しい発見があるように思えたのだ。

「この辺りには、虫とかいないのかな?」

 なんとなく頭の中でそんなことを考えながら、ぼんやりと地面を見つめていた。乾いた砂が宙に舞う中、ふと目に留まったのは、真っ白で細長い何かだった。それは石のようにも見えるが、妙に規則的な形状をしている。興味を引かれ、僕は足を止めた。

 しゃがみ込んでその白い物体を手に取る。手に伝わる感触は、ザラザラと乾いた質感。それは明らかに石ではなく、「骨」だということに気づいた。

 「あ……骨だ」

 思わず呟く。その白さと形状から、それが間違いなく骨であることがわかる。何の骨だろう?誰かがここで食事をして残した動物の骨なのだろうか。それとも、この砂漠に生きる何かが静かに命を終えたのだろうか――。この、一見して何もないように見える砂漠にも、確かに命の営みがあった。そしてその命が終わり、骨となってこの地に残される。その不思議な感覚に、僕はしばらく見入っていた。

 太陽の下で透き通るように白く輝くそれは、砂漠の中ではどこか異質な存在に思えた。

 その時だった。

 

 ズン、ズン、ズン


 地鳴りのような音が背後から響いてきた。 

 胸の奥にまで響き渡る重低音。すべてを包み込むようなその音に、まるで世界の暑さも眩しさも、その他すべてが消え失せてしまったような感覚に襲われた。


 反射的に振り返る。目に飛び込んできたのは、広大な砂漠を埋め尽くす大勢の兵士たちだった。

 彼らは皆、楔帷子をまとい、長槍を手にしていた。砂漠の地平線の向こうから、まるで波のように押し寄せるその軍勢は、統率の取れた動きで次々と前進してくる。その様子は圧倒的で、視界いっぱいに広がる動く壁のようだった。

 槍が太陽の光を反射してぎらりと光る。足元の砂が、無数の蹄と足音で巻き上がり、砂煙が兵士たちの姿を淡く覆う。砂漠を埋め尽くす彼らの群れは、見ているだけで圧倒されるほどの熱気と殺気を帯びていた。

 先ほどまで広がっていた空っぽの静寂と、乾いた砂漠の風景が一変し、荒々しい生命力の奔流に変わった。その光景に僕はただ呆然とし、動けずにしゃがみ込むしかなかった。

「何をしているのだ、お客人!ここは危険だぞ、早く乗れ!」

 頭上から強い声が響いた。その声に驚き、顔を上げると、目に入ったのは馬にまたがる若き王の姿だった。その背後には馬やラクダに騎乗したナバテアの戦士たちが続いている。ナバテアの王は僕の腕をぐいっと引っ張り上げると、そのまま彼の馬の後ろに乗せた。慣れた手つきで彼が僕を背後に座らせると、再び強い声が響く。

「捕まれ!」

 僕はその言葉通りに彼の胴にしがみついた。

 馬が大地を蹴り上げ、砂を舞わせながら全力で駆け抜けていく。僕の視界は上下に揺れ、耳には叫び声、金属のぶつかり合う音、そして蹄が砂を叩く鈍い響きが次々と飛び込んでくる。これらはどれもさっきまで存在しなかったものだ。それらが急に押し寄せてくると、現実感があまりに乏しく、頭が混乱してくる。

 僕は目の前の王の背中に必死でしがみつきながらも、何が起きているのか把握しようと周囲を見回した。しかし、視界に入ってくるのは次々と地面に倒れる兵士たち。槍や剣が閃き、砂煙の中で戦いの音がこだまする。先ほどの隊列は、おそらくローマ兵であろう。彼らの隊列は崩れず、無言のまま前進を続けている。

 何が起きている? いや、これは……。

 間違いない。僕はまたしても、白昼夢の世界に迷い込んだのだ――しかも今度は、最悪の戦場の真っただ中に。

「引け、引くのだ!」

 王が馬首を翻しながら大声で叫ぶ。その力強い声が砂漠に響くと、ナバテア兵たちは迅速に隊列を組み直し、砂漠の起伏を巧みに利用しながら撤退を開始した。彼らの動きには迷いがなく、この地形を熟知しているからこその自信があった。

 

 一方でローマ軍はその混乱に乗じて追撃を試みていた。しかし、軽装のナバテア兵は機動性に優れ、砂漠の地形を熟知している。そのため、追撃を巧みにかわしながら、次々と撤退していった。

 砂塵が立ち込める中、視界はどんどん悪くなる。僕は喉の渇きを感じ、口の中には砂が入り込んで不快感を覚えたが、そんなことを気にしている余裕はなかった。馬の背中で体を揺らしながら、ただ目の前の兵士たちの背中を追うしかない。

「斥候から連絡があって陣を張っていたのだ。やつら、思いのほか早かった!」

 王が振り返りざま、叫ぶように説明する。その声は敵の進軍速度に驚きながらも冷静さを失っていない。

 僕は自分の服が、朝に宿から着てきた速乾機能のある黒いTシャツではなく、汚れた灰色のローブに変わっていることに気づいた。間違いない、やはりここは白昼夢の中だ。

「引け! 負傷者を回収しろ! シークへ撤退だ!」

 兵士たちが叫びながら、狭いシークの方向へと向かう。一面の広い大地が、気が付けば砂岩の多い大地へと変わっていた。多勢に無勢の戦いであるならば、狭い地形は格好の防衛拠点となる。視界に映るナバテア兵たちは砂塵を巻き上げながらも迅速に動き、負傷した兵士をラクダに乗せて安全な場所へ運び出していた。

「ローマ軍の追撃が続いているぞ!」

 後方から伝令の声が響く。王は鋭い眼差しを背後へ向けた。

「シークの入り口で一度陣形を整え直す!それまで全力で撤退せよ!」

 その声には揺るぎない決意が感じられる。彼の指示を受け、兵士たちはさらに速度を上げ、撤退を続けた。

 僕は王にしがみつきながら、自分の胸の鼓動が激しく脈打っているのを感じた。これは夢の世界だと理解する脳と、戦場の恐怖と混乱を感じる肌とが争っていて、頭ではわかっていても、どうしても現実のように感じられた。

「引け、引け! シークへ撤退だ!」

 再び誰かの声が響き渡る。響く声、蹄の音、そして金属がぶつかる音。狭いシークへと兵士たちが押し寄せていく中、僕はただ馬上で混乱した頭を整理することで精いっぱいだった。



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