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旅と地球の淡い夢  作者: 旅崎 ノブヒロ
はじまり
2/41

旅は道連れ 気分は上々

「ノブ。コーヒーは欲しいかい?」

 相部屋の友人は、僕が毛布のなかでもがいている間もテキパキとモーニングルーティーンを続けていた。一日を一杯のコーヒーで始めるのが、彼の流儀だ。気配から、彼が今ちょうど二つのカップにコーヒーを注いでいるのが分かる。どこか甘い香ばしい香りが漂ってきて、自然と体が引き寄せられるようだった。


「ありがとう」そう答えて、僕はやっとのことで体を起こした。体を起こすと同時に、毛布の端からひょいと小さな黒い影が現れた。黒猫のルナだ。彼女はこの安宿の隠れた住人であり、ビロードのような艶のある毛並みを持っている。いつもはどこにいるのか分からないが、誰かが起きるとどこからともなく現れて足元にすり寄ってくる。小さく「ミャア」と鳴いて僕に挨拶し、いつものように友人の足元にも軽く頭をすりつけた。彼女にとってこの宿の住人は皆家族のようなものなのだろう。


 僕がベッドから降りると、ルナは丸い瞳で僕を見上げ、気が済んだかのようにゆっくりとその場に座り込んだ。部屋に一つだけぶら下がっている安い豆電球に照らされて、彼女の毛並みはまるで深い海のように濃い濃紺色に輝いている。アザーンの声とルナの落ち着いた振る舞いが、少しばかり眠気の残る朝の空気を一層穏やかなものにしているようだった。


 中東の小国ヨルダンでの一日が今日も始まった。

 ヨルダン。21世紀になっても情勢の落ち着く事がない中東地域。その中でも政治的には比較的穏やかな緩衝国家だ。人口は、およそ1000万人と少し。国土は約9万平方キロメートルで、日本のだいたい四分の一くらいだ。緩衝国家といったのは、周辺国が軒並み情勢が不安定なことによる。北にシリアとイラクがあり、東はサウジアラビアと接している。そして西にはパレスチナとイスラエルがあるのだ。

 この国にも、争いの火種がないわけではないが、先代の国王から続く穏健方針と、その対価としての国連機関からの援助が、周辺各国の情勢とは不釣り合いな平穏をこの国にもたらしていた。また、平穏のもうひとつの理由は石油だった。この国は中東地域にありながら石油の産出がない。とはいえ、それは悪い話ばかりではないのだ。「石油は出ないが、おかげで平和だ」と笑って教えてくれたのは、繁華街の大衆食堂で居合わせた太ったアラブ人だった。ルナが伸びをして、軽く尻尾をゆらしているのを見て、僕は少し微笑んだ。

 そういった理由からか、首都のアンマンには世界各国の中東支援系のNGOの支部や、グローバル企業の中東支部が置かれたりしていた。アンマンの中心部や繁華街には国際色豊かなエリアも多く、バックパッカーなどの旅人も多い。安宿に集まる僕ら旅人は、そこで旅の有益な情報を交換したり、それぞれの故郷の話をしたり、友達になったりするのだ。

「それで、僕たち今日はどこに行くんだっけ?」

 熱々のコーヒーを啜りながら僕はきいた。室内には湯沸かしポットなどはなく、キッチンでお湯を沸かして作ったコーヒーを、この友人が僕らの部屋まで運んできてくれていた。小さな湯気が立ち上るカップを持つタムが、微笑みながら答える。

「東の砂漠までドライブさ」

 彼の名前はタム。ベトナム系のオーストラリア人で、スポーティで綺麗好きな男だ。そして僕よりも数段に礼儀の正しい男だった。かれこれ数か月ほど、僕らはバディとして、この安宿を拠点に共同生活を行っていた。

「いいね。やっと旅らしくなってきたよ」

少しガタついたみすぼらしい木の椅子に腰かけながら、小さな丸テーブルで、タムと一緒にコーヒーを飲む。丸テーブルには赤と黒のストライプ模様の伝統織物がクロスとして敷いてあった。テーブルの隅にはルナが小さく丸まり、じっと僕らを見守っている。

「ムハンマドは?」

「寝てるよ。でも、オマルとジャードは部屋でお祈りをしている」

 なるほど、といった具合に僕は小さくうなずいた。なんとか喋ってはいるが、まだ、目がきちんと覚めていないのだ。外から聞こえるアザーンの声は、まだ続いているようで、祈りの時間、僕ら外国人はなるべく音をたてないように気を付けていた。

 ムハンマドはこの安宿のオーナーで、不健康なアラブ人を絵にかいたような、丸々と太った初老の男だ。オマルとジャードは若いアラブ人で、ヨルダン国民ではあるが、それぞれの事情で僕らバックパッカー同様に、この安宿に滞在している宿泊者だった。最初、オマルは朝の礼拝をしていなかったが、敬虔なジャードがこの安宿に泊まり始め、二人が相部屋となってからはオマルも一緒に朝の礼拝をしているようだった。安宿にはほかにも4〜5人のアラブ人と旅行客が宿泊しており、彼らもそれぞれの目的でこの地を訪れていた。ルナは、そんな僕らを均等に訪れては、体を摺り寄せておやつを貰う、なんとも甘え上手な猫だった。


挿絵(By みてみん)

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