表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅と地球の淡い夢  作者: 旅崎 ノブヒロ
アンマンの日々
13/41

時の記憶の収蔵庫

 ヨルダンの首都アンマンの中心部は、坂道が多い。特に旧市街のある中心部は、まるで丘に広がる迷路のように、どこもかしこも急な斜面が続いている。その坂に沿って、車がなんとかすれ違えるくらいの細い通りが網の目のように交差し、道なりに登ったり降りたりしながら街が展開している。一部の道は舗装もまばらで、車両の交通マナーも最悪だが、意外にも歩行者用の歩道はしっかり整備されているため、歩いての移動はしやすくなっている。民家も商店もみな坂道に面して建てられており、それぞれの玄関前には少しだけ平らな空間が整地られている。さらに、隣同士の家を結ぶように、数段の階段が急な角度で設置されていて、斜面の街らしい独特な光景を作り出している。


 今日は、タムとは別行動で、僕はアンマン市内にある国立博物館へ向かうことにした。カッサ=アル=ハラーナへの旅行から5日ほどが過ぎ、旅の余韻も落ち着いてきたところだ。アンマンの国立博物館は、近年に王妃の指揮のもと建てられた博物館で、年季のはいった建物が多い街の中心部には不釣り合いなほど大きく、真新しい白い建物だった。入口の広場は開放感があり、広々とした石畳が広がっていて、訪れた観光客や地元の人々が写真を撮ったり、休憩したりしている。現代的なデザインの建物が美しいコントラストを生み出し、周囲の古めかしい建物や坂道との対比がどこか印象的だった。

 館内は、炎天下で高温の外とは一転して、クーラーが適温に効いており、清涼感が心地よかった。入り口を抜けた瞬間、ひんやりとした空気が肌に触れる。静寂が漂う空間で、最初に目に飛び込んできたのは、「史上最も古い人間像」とも言われるアイン・ガザル像だった。

 アイン・ガザル像は高さが1メートルほどの大きな石像で、二つの頭部を備えた不思議な姿をしている。この二つの頭が肩を並べるようにして大きな胴体に接続されているその造形は、観る者に強烈な印象を残す。制作されたのは今から約9000年前とされ、そんな太古の姿がこうして現代に残っていること自体が驚きだ。顔の表現はどこか幼稚で、まるで子供が落書きしたかのような瞳がぎょろりとこちらを見つめており、少しうす怖い。とはいえ、この時代の人々の描写力には限界があっただろう。なにせ日本列島でいえばまだ縄文時代。僕たちがドングリや木の実を主食としていた頃の作品だ。実際、日本の縄文時代はは1万年以上も続いたとされていて、単純な考えだが、この石造ができてから7000年後まで、自然の中での狩猟と採集を続けていたとされる。そう考えると、この地域のどれほど先進的だったことか。

 中東・西アジアでは、世界で最も早い農耕が約1万年前に始まったと言われており、人類の文明の萌芽がここで育まれたとまで言われることも多い。文明の萌芽を探るという意味でも、このあたりの中東の国々は面白い。 それだけに、シリアやイラクといった周辺国の情勢には胸が痛むものがある。僕は、そんなことに思いをはせながら、一歩一歩、広い館内を巡り歩いた。


 さらに館内を進むと、ローマ時代の遺物も多く展示されている。石像の中には、神話の神々を模した彫刻や、当時の生活様式を描いたレリーフが数多く並べられている。どれも欠けや損傷が見られるが、約2000年前の遺物がここまで残されているのは驚きだ。このアンマンは、古代ローマ時代には「フィラデルフィア」と呼ばれるローマの地方都市であり、当時の繁栄を感じさせる痕跡が展示されていた。ローマ時代の遺跡や建造物というものは、ヨーロッパだけでなく、トルコや北アフリカ地域にむしろ多く見られ、まさに古代の世界がつながっていたことを感じる。ユーラシア大陸を旅すると、僕たち島国の歴史とは違う、ダイナミックな歴史感が大陸の国々にはあることを感じさせられる。

 そしてこのヨルダンには、西洋と中東との歴史的なつながりを象徴する場所がある。それが「ヨルダン川」だ。ヨルダンという国名も、まさにこの川に由来する。キリスト教の聖書では、このヨルダン川(英語では「リヴァー・ジョーダン」)でキリストが洗礼を受けたとされ、キリスト教徒にとって非常に重要な川である。この川の名にちなんで「ジョーダン」という名は、キリスト教文化圏で男児の名前としても使われ、アメリカのバスケットボール界のレジェンド、マイケル・ジョーダンもそのひとりだ。イスラムのイメージが強いこの中東の地が、キリスト教圏で有名な「ジョーダン」という名前のルーツになっているというのは、実に不思議な話である。ちなみに日本語で「ヨルダン」と発音されるこの国名は、英語では「ジョーダン」と発音される。

 次に大きく展示されていたのは、ヨルダン南部にある名高いペトラ遺跡の水道に関する展示だった。この水道システムは、かつて砂漠の中に位置する巨大な都市ペトラで水の運搬のために築かれたもので、まるで大きめのコップのような形状の陶器が数珠つなぎのように連なり、古代の配管の役割を果たしていた。陶器の断面が見える形で並べられ、当時の水の流れがどのように設計されていたのかがよく分かる展示になっている。ペトラ遺跡のあるヨルダン南部は、ほとんど雨の降らない乾燥地帯だが、古代の人々はこの水道を通して、貴重な水を効率よく運搬していたという。

 展示を前にして「なるほどね〜」と一人感心しながらじっと見入っていると、古代の工夫が少しずつ見えてきた。このように陶器を一つ一つ数珠つなぎにしていけば、大きな陶器を焼くことができなくても、繋ぎ合わせて長い配管を作ることができる。たとえ壊れたとしても、部分的に交換ができ、メンテナンスも容易だっただろう。


 僕は展示を眺めながら、現代に生きる僕たちが簡単に使えるさまざまな設備に改めて思いを馳せた。いまや蛇口をひねれば水が出るし、家の中には鉄製のパイプやゴム製のホースなどが通っていて、簡単に水やガスを供給できる。もし水道管が壊れても、ホームセンターにはあらゆる材料が揃っている。普段は当たり前に感じているこうした便利な道具やインフラが、何千年にもわたる人類の発明の積み重ねの上に成り立っているのだと思うと、感謝の念が自然と湧いてくる。

 博物館を訪れるたび、古代の知恵や工夫がいかに現代の生活を支えているかに気づかされる。ペトラ遺跡のように限られた環境で生活し、資源を最大限に利用するために考え出された古代の技術は、今もなお多くのことを教えてくれる。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ