筋肉ちゃん、発つ
筋トレの概念がない世界へと、コンテストレベルのビルダーが飛び立つ話です。異世界への筋トレの啓蒙を通じ、そもそも筋トレという概念がどういった欲望に突き動かされる想いなのかを紐解いていく予定です。予定は未定なのでおそらく変わります。
ステロイドを打つ。トレンボロン50mgをお尻に筋肉注射。お尻の側面に対して注射針が垂直になるよう刺入する。正確に手早く針を刺し、薬液を注入すると、筋肉ちゃんの肉体が震える。異物が体に侵入した不快感と、その侵入こそが筋肉を増強させるという確信が筋肉ちゃんを包んだ。
冷蔵庫を開けて、インスタントコーヒーの蓋を捻る。中でカラカラと音を立てて注射器が転がる。感染症対策として、使用済みの注射器はコーヒーの空き瓶に入れて管理していた。適当な数が貯まったら薬局に持ち込んで回収してもらう。
連続して、ケア剤のレトロゾール、カベルゴリンを上腕三頭筋に注射し、注射器を瓶に入れた後一息つく。
あれだけ嫌だった注射も手慣れたものだと少し自嘲気味に笑う。
コーヒーの容器を机に置き、鏡に向かって斜めに立つ。徐に大きく息を吸い、上体を捻り、腹の前で左手首を強く握りしめる。サイドチェストのポージングだ。上腕にびっしりと太い血管が浮かび、大胸筋にストリエーションが走る。
「体脂肪率4%くらいか。もう少し絞れるな。」ひとりごちる。
続いて右足に重心をうつし、両腕を曲げ、いわゆる力コブを作る。フロントダブルバイセップスだ。分厚い胸筋にカットのでた脚。そして何より50センチを超える上腕。この丸太のような腕には我ながらうっとりしてしまう。
身長176cm、体重110キロ、体脂肪率4%。日本トップクラスのバルク派ボディビルダーである筋肉ちゃん。その肉体は苛烈な筋トレと、猛烈なドラッグに支えられていた。
ミキサーに冷凍ブルーベリーとプロテインを60g入れ撹拌。カフェインの錠剤と合わせて飲み干し、家を出る。
秋の夜。時刻は21時。本日2度目のジムへと筋肉ちゃんは向かった。
金属同士がぶつかるけたたましい音に筋肉ちゃんの規則的な息遣いが加わる。 ezバーに50キロ荷重し、60キロでアームカール。全ての動作を丁寧に、そしてリズミカルにこなす。12repで30秒休憩。限界rep数休憩、限界rep数休憩...腕が上がらなくなるまで繰り返す。
お次はケーブルに24キロの錘をつけてアームカールを行う。今日は上腕二頭筋と背中の日だ。
体も暖まってきたので腕トレを切り上げ、デッドリフトを行う。eaaを溶かしたドリンクを啜り、リストラップを手首に巻き付ける。締めすぎず緩すぎず 綿密に調整する。まずは錘をつけず、フォームの確認をする。ベルトを締め上げ、左は順手、右は順手にバーを握る。息を吸い、腹圧をかけ、胸を張る。足先は20度に開き、バーを足首から3cmの位置まで近づける。ハムストリングスに程よいテンションがかかるのを感じながら、肩甲骨を下制し、脚に、太腿に、腿裏に瞬発的な力を込めてバーを引き上げる。
「やれるな」
コンディションの良さを確認し、バーベルに加重していく。60キロ、100キロ、140キロ、、、錘は増え、フリーウエイトの錘を占有して340キロのバーベルを作る。目標は3rep。
大きく深呼吸し、ベルトを締めてバーを握る。雑念はない。今日は絶対に上がる 確信があった。全身でバーベルを引く。瞬間、筋肉ちゃんは膝から崩れ落ちた。転がるウエイト。視界が暗転し、白い星がチカチカと明滅している。腰に強烈な違和感を覚えながら、筋肉ちゃんは意識を失った。
「クォクォア...?」
偉大なるトレーニー「君の腰は死んだ。君はもう筋トレできない。君に新しい腰骨をやる。」
妖精1「ライウェイッ」
「!?」
偉大なるトレーニー「君にはこの新たな腰骨と共に、異世界へ行ってもらう。」
妖精2「ライウェイッ」
「....!」
偉大なるトレーニー「そこは筋トレという概念がまだ存在しない世界だ。君はそこで人々に筋トレを伝え、啓蒙し、マッチョを育てるんだ。やれるかい?」
妖精1、2「ライウェイッ!!」
筋肉ちゃん「やります!やらせてくださいロニー!!」
ロニーコールマン「よく言った!異世界への啓蒙なんてピーナッツに比べりゃ屁だ!!行ってこい!!」
ロニーは巨木のような脚で僕を蹴り飛ばす。レッグプレスのセットを1tで組むロニーの規格外の脚力で蹴り飛ばされた僕は次元の壁を突き破り、勢いのままロニーの言った ”筋トレという概念がまだない異世界” へと飛び立った。