①どっちの世界が魅力的?
……ヒトと魔族。さながら水と火のように決して交わらず、互いに相手を滅ぼそうと戦い続ける二大勢力。だが、見た目に違いは有れど異なる種族から見れば似た者同士。力を欲して群れ集い、そして意に沿わぬ他者を圧倒し排斥する点は同じだった。
その世界が生まれて間もない頃、先に現れた魔族は取るに足らぬ矮小な種族のヒトを集め、奴隷として扱っていた。だが、魔力に欠け空も飛べず寿命の短いヒトは知恵に優れていた故に、少しづつ少しづつ知識を子孫へと口伝えで残し打倒魔族の機会を窺う。そして、気の遠くなるような月日が過ぎたある日、魔族の隙を衝いて【 次元の門 】を通じ緒族を統べる魔王に抗う力を有したヒトを召喚して蜂起し、魔族の統治を終わらせたのだ。
だが、それは長き寿命を持つ魔族から見ればたったの一時。再び魔族が己れの覇権を取り戻さんと画策し導いた結論は、皮肉にもかつてヒトが用いた【 次元の門 】を経由し、劣勢を打開する力を持った者を新たな魔王として召喚する事だった……。
その足先に転がるは、人類最後の希望たる勇者の髑髏。嗚呼、その悼ましき姿……見るに堪えず。だが、魔王は傲り昂らず眼下の眷属を睥睨しながら宣った。
「……長い戦いも、遂に終わったなぁ……」
その瞬間、うおおおおぉーーっと配下の魔族達が叫び、今この瞬間を迎えられた悦びを共に歓喜する。在るものは傍らの仲間の身体を打ち、また在るものは地を踏み締めて絶叫する。
魔王、又の名を【在りうべからぬ不可触の主】と呼ばれ、反抗する人間や彼らに加勢した種族を打倒する為に魔族の先陣を切り続けてきた者。異世界と今世を隔てる次元の狭間に招かれたそれは、か細く頼り無げな容姿とは裏腹に容赦無く他者を圧倒する者だった。その強さは、正に天下無双。
……では、何故そこまで戦い続けてきたのか? そして、世界を手中に納めた魔王は果たして何を望んでいたのか。居並ぶ魔族達は次第に静けさを取り戻すと、魔王の次に続く新たな言葉を待った。
「……んじゃ、帰るわ!」
……と、潔く片手をしゅびっと挙げ、魔王は宣言した、って……いやちょっと待て。帰るって何処に?
「んぁ~、今更だけどさ! 私そーゆー感じになったから、ここらで一旦帰るわ。じゃ、あとはヨロシクね!!」
魔王はそう言い残すと幾千万と居並ぶ魔族達を尻目に、さっさと暑苦しいこの世界から居なくなった。まるで、残業を嫌がる若手新入社員のように、颯爽とそしてあっけらかんと。
魔界を統べる暴虐の王が、他の世界からやって来た只の女子校生だった事を知っているのは、近しい一部の者だけ。だからこそ主を失った魔界は沸点に達した水面のように激しく泡立ち、混乱の渦と化したのだが……その騒ぎを沈静化させたのは、後程戻った彼女自身だった。但し、今はまだその時では無い。
……魔王が魔界から離脱した、一週間後。
「……あのですね、幾ら魔王様が余所の世界から来たからって言っても……何というかその……守るべき仁義ってのは、無いもんですか?」
じーわじーわ、とセミの鳴く声が木霊する夏の教室にそんな声が響く。
「……無いっ!! 全く無いっ!!」
ベコベコベコベコッと耳障りな音を奏でつつネコとイヌが積み重なった写真を挟んだ下敷き代わりのクリアファイルでスカートの中を扇ぎながら、向かいに座る相手はさらりと答える。
「あのさぁ、そんなのはどーでも良いから、ちまちまと小姑みたいに言うのやめない?」
「あーーっ!! もう小姑じゃないですって! だいたいミヨコ様も酷いですよ! ……戦勝式典の真っ最中に大暴露してドロンだなんて……」
「そんなん、そっちの都合じゃない? だって私には私の考えがあるし! それにさ~、私が向こう側に招かれたのも一時的な理由だし~?」
そう気さくに話す彼女こそ、魔界で【在りうべからぬ不可触の王】と呼ばれた元魔王。今は元居た世界に戻り、平凡な学生生活に返り咲いた秋吉三代子その人である。放課後の暑苦しい教室でこんな風に話しているのも、たまたま学校に忘れ物を取りに戻った折りに魔界の元臣下が突如やって来て、どーしても戻らないと愚図る彼女を説得しようと試みている最中だからだ。
「それにさー、あそこってコッチと比べるとホントにガサツって言うかさ……そもそも温水便座やトイレットペーパーも無いって、どーゆー事?」
「……あのですね、世界には世界の都合ってもんがあるんですよ? コッチの世界みたいに快適性や利便性を求める奴が居なかったから、発明自体が起きないってもんで……」
そんな風に彼女と話している彼は、魔界で最初に三代子と出会ったゴブリンのリブレである。無論、異界の姿のままでは要らぬ混乱を招く為、様々な宝珠による付加機能のお陰で見た目は只の(割りとイケメン系)男子生徒だ。
「まあ、それは仕方ないけど……とにかく、直ぐ戻れと言われても私はイヤ! 折角こっちに戻ったんだから、向こうじゃ出来なかった事を好きなだけさせて貰うまで帰らない!」
「……えっ?」
と、話の流れから見て、てっきり絶対戻らないと主張すると思っていた三代子が、さらっと帰還を認める発言をしてリブレを驚かせた。
「ほ、ホントですか!?」
「……そりゃあ、私にも多少の責任はあるし、全く戻りたくないって訳じゃないからさ……」
何故そんな事を言うかと問われれば、環境の違いはともかく一度は現代社会から離脱した三代子である。元居た今の環境に不満が全く無い訳ではなく、だからといって向こうとはもう無縁だと言い切る程に無責任極まりない訳でも無い。義理は通したいのも山々だが、本音を言えばちょっとだけ待って欲しいのだ。
「たださぁ~、こっちに戻ってから一番の問題は、成績とおこずかいなのよねぇ……」
「……それは、ミヨコ様自身の努力と頑張りで何とかしてください」
「えええぇ~っ!? そこはホラ! 上手く何とか良い感じにしてくんないの?」
「あのですね、両方とも我々が何とか出来る事じゃありません。成績は体育以外は勉強すれば何とかなりますし、おこずかいは用意出来ません……だから、そこは自分で働いて何とかしてください」
そう言われ、三代子はがっくりと項垂れる。実際、魔界から戻った時に三代子が感じたのは若干の肉体的な変化だったが、それは魔界で得た様々な能力が影響しているだけで、転移の際に与えられる自己都合も甚だしいチート能力とかではない。詳細は省くが三代子の魂に付いていた魔王の能力の余りみたいな物で、知的能力に至っては元のままである。
「……あーあ、折角頑張ったのになぁ……ねー、何で向こうに居た時みたいに飛べたり岩叩いて粉々に出来ないの?」
「ミヨコ様はアホですか? 向こうに居た時はあなた自身が魔王として様々な努力をして、それが功を奏して能力を伸ばした結果です。謂わば、魔王の器としての向こうで用意されていた肉体の許容範囲に見合うだけの伸び代みたいなもので、ミヨコ様自身は根本的にこちら側に居た時と何も変わりは無かったんです」
「じゃ~こっちで努力したら?」
「……こっちの世界では、努力した女子校生がみんな空を飛んだり、岩を叩いて粉々に出来ますか?」
「……だよねぇ~」
リブレとそう話し、三代子はくたりと机の上に身体を伏せる。魔界は魔界、現世は現世。刺激や享楽の本質的な違いは有れど、各々の世界に共通しているのは、その世界に見合った能力と適した環境なのだ。今の彼女は只の女子校生でしかなく、彼女が戻ってきたのは女子校生は空が飛べない退屈な世界。但し、その退屈な世界には温水便座やトイレットペーパーが有り、魔界には無い様々な娯楽が溢れているのだ。