その3
丸いテーブルに並べられた『ふるふるプリン』は、イチゴの色と香りのするウサギのついたのとニンジン色のネコの顔をかたどったものだった。
かわいいイチゴのウサギは、アンナ嬢と洗濯屋の娘の前に置かれ、セドリックとエリーの前には猫が並んだ。
アンナが皿を揺らすと乗せられたウサギがふるふると動く。
子供たちの顔がぱあっと明るくなるとそれだけで微笑ましい気がする。
「眺めてばかりだと、溶けちゃいますよ。」
ルーエの言葉にアンナがそっと匙を差し込む。
すみっこから掬い上げて口に運ぶ。
満面の笑みだ。
(お子様だからな。)
セドリックもエリーも猫の端っこから口に運んでアンナと同じように笑顔になる。
エリーの瞳がキラキラしている。
(センセイって、食いしん坊なのか…)
一番幸せそうなのは洗濯屋の娘だ。
この日のために一生懸命働いてきたのだろうから感慨も深いだろう。
ルーエのパウンドケーキもクルミのカシカシ感としっとりラムが効いたスポンジが旨い。
(これなら、作れそうかな。
でも、勤務中にラムはまずいな。)
アンナ嬢もセドリック殿も洗濯屋の娘の話を熱心に聞いている。
自分たちの周りでは聞けない話だ。
(わがままな子供達かと思ったら、案外、勉強家なのかもしれない。)
その三人の姿を見守っているエリー嬢の姿は母親のようだ。
(センセイが『おかあさん』に見えるっていったら失礼だろうな…。)
パウンドケーキを平らげて、ルーエがお茶を口にする。
(俺は… 何に見えるのかな…)
楽しい時間は終わり、店を出ると洗濯屋の娘は四人に何度も頭を下げて雑踏の中を帰っていった。
ルーエたちも馬車停まりまで歩き出す。
「ルーエ、」
セドリックがルーエを見上げた。
「なぜ、あの娘から代金を受け取ったのだ?」
口調に非難が混じっている。
「当然のことですよ。」
「銅貨五枚って、あの娘には大金だろう?
私たちが払ってやれば、彼女は貧乏じゃなくなる。」
「それは『施し』ということですか。」
「そういうのではない!」
「彼女は、たくさん働いてお金をためて、自分の力で『ふるふるプリン』を食べに来たのです。
彼女にとっては誇らしいことです。
それをセドリック様がお金を払ってしまったら、彼女の誇りを取り上げてしまうことになるでしょう。
彼女はセドリック様に負い目を感じてしまうでしょうし、馬鹿にされたと悲しくなるかもしれません。」
「そんなこと…。」
「人の『誇り』は大切にされるべきです。
貴族様でも平民でも、自分を誇らしく思っているときが一番、生き生きしていますよ。
帰り道の彼女、『ふるふるプリン』を食べ終わって、胸をはって帰っていきましたね。」
「…私は自分で働いて『ふるふるプリン』を食べたわけではない。」
「当り前です。セドリック様はまだお子様ですから。」
「ルーエ!」
「セドリック様は、いやでも大人になられます。
セドリック様が『働く』というのは、今はたくさん学ぶことなのです。」
「…。」
「セドリック様がお爺様やお父様のような大人になられて、さっきの娘さんのように『ふるふるプリン』を口にできる国にしてくださることが大事なのですよ。」
「えらそうに!」
ちょっと反発された。
(説教くさかったな。)
「ルーエさん、」
エリーの呼びかけにルーエがセドリックからアンナの方を見た。
小さな女の子はエリーのスカートにしがみついて眠そうな顔をしている。
「おなかがいっぱいになって眠くなったんですね。」
そう言いながらルーエが手を伸ばし、アンナを抱き上げた。
ルーエの肩に顔を乗せてアンナがうとうとする。
セドリックがそういう妹を見上げていた。
「父上も母上もいそがしいのだ。
アンナは父上と出かけることもない。」
「ルーエでは、お父様の代わりにはなりませんよ。」
「アンナもわかっている。
誰かに甘えたいだけだ。」
「セドリック様も?」
セドリックは答えず、背中を向けた。
ルーエがセドリックの背中にそっと手を当てた。
子供にしては固く緊張した背中。
それを勇気づけるようにそっとひとつ叩く。
「馬車までもう少しです。」
セドリックの背中がぴんと伸びた。
◇◇◇
待っていたのは、街に似合わない高級な馬車だった。
馬車にある紋章はケルトイ侯爵家のものだ。
ルーエ達の姿が馬車に近づくと、扉が大きく開いてリリア夫人がドレスの裾を大きく持ち上げて下りてきた。
「セドリック! アンナ!」
青い顔の夫人はルーエからアンナを受け取り、セドリックの目線までしゃがみ込んで子供たちを抱きしめた。
「とても、心配したのよ!」
「母上、苦しいです!」
セドリックがルーエに苦笑を見せる。
「リリア様、」エリーが口を開いた。
「遅くなりましたか、申し訳ありません。」
「いいえ、エリー。私が心配で我慢できなかったの。
子供たちはいい子にしていたかしら?」
「はい、とてもご立派でございました。」
「かあさま、『ふるふるプリン』とってもおいしかったの!
うさぎさんのえがついていて、いちごのあじがしてあまかったの!」
アンナが嬉しそうに報告する。
「そう、よかったわね!」
「母上、アンナは眠そうです。
もう帰りましょう。」
セドリックがリリア夫人を促す。
夫人がアンナを抱いて馬車に乗り込んだ。
その後にセドリックが続く。
馬車の足台を上がって、セドリックが振り返った。
「イ・ルーエ・ロダン、大儀であった。」
大人びたセドリックの言葉にルーエは右手の拳を胸に当て、片膝をついてセドリックに頭を下げた。
(生まれながらの『貴族』…)
言葉ひとつで跪かせる迫力があった。
「またな、ルーエ。」
すぐに子供っぽい声でセドリックがそういうと扉が閉まり、馬車が走り出した。
立ち上がって馬車を見送るとルーエはエリーに向き直った。
「さて、センセイ、馬車を呼びましょうかね。
お屋敷までお送りいたしますよ。」
エリーがルーエを睨んでいた。
「センセイ?」
「…どうして、」
「はい?」
「どうして、見ず知らずの娘さんに『ふるふるプリン』を譲ったりしたんですか!」
「え…」
剣幕に押される。
「せっかく皆でいただくはずでしたのに!」
「あ、ああ、あれはすぐ後ろに並んでた娘さんでね、『ふるふるプリン』のために働いてお金貯めてきたって聞いて。
私たちで終わりだと聞いたら、とてもがっかりしていたものだから。」
「言ってくだされば、私がお譲り、」
エリーの言葉をルーエが遮る。
「センセイ、食べたかったでしょ。
口にされているお姿、アンナ様たちと同じようにキラキラしていましたよ。」
「…。」エリーが口を尖らせる。
「私はそれで十分、よかったと思ったのですが。」
「でも、ルーエさん、子供たちばっかり!」
エリーの声が大きくなる。
広場を歩く人々がその声に足をとめてしまう。
「どうして馭者台にいったのですか!」
エリーの非難が別の場所に行く。
(どういう意味?)ルーエがたじろぐ。
「私、子供たちを守らなくちゃって、いっぱいいっぱいなのに、貴方はさっさと馭者台に行っちゃって、私を一人にして!」
涙声に代わっていく。
ヘイゼルの瞳にたっぷりと涙がたまっていく。
(いつ、こぼれてもおかしくないなぁ。)
ルーエは何も言えず困ってしまう。
二人の横を通り過ぎる人々が目をみはったり、苦笑を浮かべたり。
「かあちゃん、おっさんがきれいなお姉さんをいぢめてる!」
子供にまで責められている。
(どうすりゃいいんだ!)
周りを見回して、ゾーイや隊士たちを探すが、皆、笑いを堪えて知らん顔を決め込んでいる。
(覚えてろ!)
ゆっくり息を吐いて、エリーに向き合った。
(この人がいちばん、面倒臭かった…)
「私のこと、面倒くさいって思われましたね!」
「うっ!」
(何で、わかるんだ!?)
「夜会だって、貴方がいるからって言われて、頑張って出席したのに!」
(あー!)
「…もしかして、かまってほしかったんですか!?
子供じゃあるまいし!」
エリーが俯いてしまった。
足元に雨が落ちる。
(誰よりも子供だった…)頭を抱えた。
ルーエは一歩、エリーに近づいた。
そして、腕を伸ばしてエリーを抱きかかえた。
ルーエの腕の中におさまったエリーが驚いて固まる。
その手から日傘が地面におちてしまう。
エリーは俯いたまま、ルーエの肩におでこをつけた。
「大丈夫ですか。」
ルーエの言葉にエリーが頷く。
「全く…。
アンナ様のように抱っこはできませんから、これで我慢してください。」
エリーが頷く。
「にいちゃん、うまくやったな!」
周りではやされるし、拍手までおきる。
ルーエが拍手に笑顔を返す。
「ルーエさん、離してください。
恥ずかしいです。」
腕の中でエリーが小さい声で言う。
「俺も恥ずかしいです。
でも、こうでもしないとセンセイ、もっとワンワン泣くでしょ。
うちのね、下から二番目の妹が泣くと大変でね。
こうすると早く泣きやんでくれるんで。
センセイにもしてみました。
効きましたね。」
そして、両手をゆるめて、ゆっくりエリーを離す。
エリーの顔が赤い。そっぽを向いている。
「…妹さん、ですか?」エリーが訊く。
ルーエが日傘を拾って、エリーに持たせる。
「言ったことなかったでしたか。
俺、下に弟が三人、妹が六人、いるんですよ。上には、姉ちゃんと兄貴が二人。」
エリーがびっくりしている。
「もちろん、母親は違いますよ。
俺の出身の南部では、一夫多妻ありなんで。
親父は五人、奥さんを持っています。」
「…。」ヘイゼルの瞳が大きくなる。
「ん? びっくりしました?」
「…下から二番目の妹さんって、おいくつなんですか?」
「んー、十三ぐらいだったかな。子供ですよ。」
「…十三。
私はその方と同じ子供扱いなんですね。」
エリーが力なく呟く。
「え、そういうわけじゃないですよ!
センセイは、それぐらい可愛いと思っただけで!」
「もう、いいです…。」
「センセイ…。」
「帰ります。
今日はありがとうございました。」
エリーがルーエを避けるように歩き出そうとする。
その前を遮るようにルーエが動く。
「センセイ、気分を害されたなら謝ります。」
「…。」
「すみませんでした、抱きしめたりして。
センセイに嫌な思い、させてしまいました。
どうしたら許してもらえますか。」
「…あなたは悪くないです。
私の勝手な…、ことです。」
エリーはルーエの顔を見てくれない。
(どうしよう…)
ルーエの顔が困ってうな垂れている。
エリーの表情も申し訳ないという感じだ。
そして、彼女が言った。
「では、もう少しだけ。
あの、一緒に歩いてください。」
「センセイ?」ルーエが顔を上げる。
「それだけ?」
エリーが少し微笑った。恥ずかしそうに。
「子供たちに、貴方をとられた気がしたんです。
馬鹿みたいですよね。」
(やきもち、焼かれてたのか!)
ルーエも笑みを返す。
「…仰せのままに、お姫様。」
ルーエが左ひじを少し曲げて、エリーに差し出した。
「どちらにお連れしましょうか?」
「…お任せしてよろしいですか。」
エリーが恐る恐るルーエの腕に手を添える。
「…お任せですか!
困ったな。」
ルーエが少し考え込む。
「じゃ、市場へ行きましょうか?」
「市場?」
「今日、『ふるふるプリン』の店の周りを警護をしてくれた連中にね、飲ませてやらなきゃいけないんですよ。
だから、つまみの一つも作らないと。」
「ルーエさんが作られるのですか?」
「ええ。
何にしましょうかねぇ。
腹が膨れるようなもの作らなきゃいけないな。
なんなら、センセイも食べていかれます?」
「いいんですか!」
エリーの瞳がキラキラする。
(機嫌、直ったのかな?
こういうのわかりやすいな。)
ふふと思わず笑ってしまう。
「ルーエさん?」
エリーが不思議そうに彼を見ている。
ルーエは、腕に添えられたエリーの手に自分の右手を重ねてみる。
エリーがびっくりして目をそらすが、少し嬉しそうな顔をしている。
(ま、こんなところか…)
エリーの頬を染めた横顔になんだかルーエの気持ちもほわっとなっていた。