揺れゆくバスで
『次は××、××でございます。△△△には、こちらが便利です』
「××前です。気をつけてお降り下さい」
幾人かが降りていく。時間が遅いからか、あるいは駅から向かうバスだからか、降りる人はいれど乗る人は少ない。
月や星でも見ようかとでも考え、窓の外を見る。
いつも見ている商店街を横目に、空を見上げるが、生憎にも街灯が明るすぎるからか、星は見ることが出来なかった。じゃあ月をと思うが、こちらも僕のいる側からでは角度的に見えなかった。
外を見るまで気づかなかったが、雨まで降っていた。傘など持ってきていなかった。
バス停から家まで近いと言っても、2分はかかる。鞄や服が多少濡れるのは覚悟しなければいけない。
『天気予報見とけばよかった…』
そんな風に考えても、もう遅いが。
バスが少し揺れた。
僕の気分なんて気にもせず、また次のバス停へと出発したようだ。
僕の気分も、置いていけたらいいのだけど。
こういうとき、小説やドラマの主人公なら、窓から視線を外してため息をついているのが映えるのかもしれない。とはいえ、現実でそんなことしたって少し悪目立ちするだけだ。
特に、今のようにあまりスペースに余裕がない位人が多いときはやめた方がいいだろう。いつかやってみたいと思う。
といっても、行きと帰り以外では中々使わないし、ため息つきたい気分というのは大体帰りのこのときだけだから、一生することはないかもしれない。
まぁ、似合わないからいいと吐き捨てる。
しかし、改めてバスの中を見るとやはり人が多い。もう慣れてしまったが、最初は人の多さに戸惑った。
席に座れてよかった。それも、隣が存在しない1人席だ。隣に人がいるからといって、デメリットがあるかと問われればそんなことはないが、やはり隣はいない方が安心する。
そんなことを考えていると、ふと来週のテストのことを思い出す。
膝の上に置いてある鞄から、英単語帳を取り出す。あまりしたくないが、勉強をしよう。
余裕ぶって外なんて見ていたが、これでもテストまで2週間をきっているのだ、頑張らなければいけない。
しかし、世の中の学生はどうやってやる気を出しているのだろうか。将来のため?親のため?世界のため?頑張る理由などよく聞くが、僕には到底理解でぎないものばかりだ。
学力が伸びないのは、自分が何故頑張っているのかわからないからだろうか?
そんなの、言われてなくてもわかってんだよ。
…1回落ち着こう
なんとなくで高校決めるなとか、大学決めるなとか言うけれど、将来のイメージも出来てない生徒に、学力だけで決めるなとはなんとも無理な願いだろうと僕は思う。
僕は進路希望調査の将来したいことの欄に、今まで「ないです」以外を書いたことがない。
それって、悪いことなんだろうか?
いつか就職して、働かなきゃいけない。
その職に就く理由が、人のため、興味があったから、結構だと思う。なんだっていいと思う。しかし、僕はそれさえ思い浮かばない。
将来、自分がしていることが全く想像できない。
それって、ある意味詰んでいる受験生だよなと思う。将来したいことがないから、いい学校にいく意味が分からないし、連鎖的に勉強にもやる気がなくなる。
自分はニヒリズム掲げてます〜って程人生捨ててないし、ましてや厨二病なんかじゃないけれど、何のために生きてるんだろなぁとふと考えてしまう。
生きてる意味なんて、考えても仕方ないと分かっているけれど。
なんだかなぁ。仕方の無いことなんだけれども。考えをやめるというのは難しい。
『ボツ…ボツ…』
窓に大粒の雫ができて、それが下へ下へとたれていく。
…雨がつよくなってきた。まるで自分の気分に合わせたかのように。
ほんと、勘弁してほしい。ただでさえ気分は下がってるっていうのに。
別に、雨が嫌いというわけじゃない。むしろ天気の中じゃ好きな部類だ。
ただただ、今は嫌というだけだ。傘ないから鞄濡れるし。風邪になるなら大歓迎なんだけれど。
風邪を引けば、学校に行かなくてよくなるし。それはそれで、後々面倒なのは承知で。
僕は学校というものが嫌いだ。自分でも、具体的な理由は分からない。友達か、先生か、あるいは授業か勉強。全て嫌いかもしれないし、一つだけかもしれない。
気がつけば、行きたくなくなっていた。確かに楽しみにして通っていた時期もあったんはずだが。
まぁ、そんなもんだろうと割り切っている。みんな、行かなくていいなら、行きたくないと思っているだろうし。
僕の人生の中で1人だけ、学校ほんとに楽しんで通ってるなって思う人がいる。
その人は学級代表やったり、最近じゃ合唱の最初の紹介の部分担当したり、積極的な人だ。
本当にすごいと思うし、尊敬できる人だと思う。
…けれど、不思議とそんな人になりたいとは思わない。なんでだろうね。きっと、僕よりその人の方が幸せだろうに。
こんな年齢で、しかも受験生ときたら多感な時期の真っ最中だ。それなのにこんなんでいいのかと思う。いや、多感だからこそこうなのかもしれない。
自分の在り方など、自分が決めるのだから大して気にしなくてもいいかもしれない。
いつもこの帰りの夜のバスだと、こんなネガティブな考えになってしまう。疑問が尽きない。
けれど、どうせバスを降りて、家に着いたらここで考えたこのなんて大して覚えていないし、覚える必要も無い。僕にはまだ覚え、考えなきゃいけないことが沢山ある。
こんなバスでのことなんて忘れてしまった方がいいのだ。
『次は××、××でございます』
「××前です。気をつけてお降り下さい」
雨は強く降り始めている、気分も最悪のままだ。
それでも何百回と聞いたアナウンスを聞き、バスを降りた。
揺れゆくバスで考えたこと全てを、そこに置いて。