アリスキャロル・ワンダータワー
“それ”はまるで大地に根を張り天空を裂くように聳え立つ。それは魔物を孕みし理外の存在であると同時に、自然と常識を尽く破壊する畏るべき魔境。
人々はそれを恐れながらも其処から得られる力と宝に魅せられ囚われる。無謀にも挑んで積み上げられた骸は夥しく、だが確かにそれから力と宝を得て帰還した勇敢なる者も僅かに居た。そんな一握りの栄冠を手にしようと今も人々はそれへ挑む。
世界に点在するは天地を繋ぐ“十の塔”。血に染まりし黄金を目指して彼女達は“想いも言葉も届かぬ塔”へ挑んでいく。
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剣閃が魔物の頭部を刎ね飛ばす。鼠面をした人型のモンスターは首から鮮血の如く真っ黒な魔素を吹き上げて生命活動を終える。その周囲には同じように絶命したモンスターの骸が多く転がっていた。
「―――キャロル。私が言ったこと覚えてる?」
首無しになったモンスターの死体を踏み倒しながら学生服姿で黒髪の少女は剣にべったりと付いた魔素を振り払い仲間に問い掛ける。
直後、炎上。
眩しい炎光を前に黒髪の少女は目を細める。正面に居たモンスターの群れを呑み込んだ炎は荒れ狂う蛇のように薄暗い洞窟内を焼き焦がす。それは自然の炎では無く魔力によって引き起こされし超常現象。悲鳴さえ灰にする地獄のような光景、それを為したとは思えない美しい金髪の少女は不思議そうな顔で仲間を見る。
「んー? 何だっけ?」
「……デカイ炎使ったら後が面倒だって話し」
「おー、忘れてた」
「この娘本当に……」
黒髪の少女は疲れたように息を吐くもそれ以上文句を言うことを止める。
「説教はあれを仕留めてからにするわ」
「え~? 説教やだー。アリスってば細かいこと気にするよねー」
軽口を叩く2人。しかしその目に油断は無く、炎の壁の先で咆吼を上げる強大な気配に意識を集中させていた。
「向こう見えないし熱いしで最悪」
黒髪の少女アリス……百鬼有栖は赤い右目を炎の照り返しで紅玉のように輝かせながら剣を構える。右目を縦断する古傷が熱波で疼いて機嫌はすこぶる悪い。
「ごめんってばー。“塔”から下りたら甘い物買ったげるから、ね?」
金髪の少女キャロル……キャロル・グースはにこにことした笑顔で青い目を細めながら指揮棒のような杖を構える。羽織るローブが内から湧き上がる魔力によりはためき輝く。
そう、本当の戦いはこれからだった。
洞窟に咆吼が響く……洞窟のように見える塔の内部は外界の常識が通用しない異世界。燃え上がる紅蓮を突き破るのは其処に棲まうモンスター。錆臭い鼠共の王。
「ジュララララァアア!!」
“錆鼠”の王は炎を物ともせずアリスとキャロルに向かって駆けてくる。人並みかそれ以下しかないラストの体躯だがそれを束ねる王は見上げる程に巨大。錆色の体毛を逆立て、太い両腕に岩を切り出して作った大剣を一本ずつ持ち、地鳴りを起こしながら同胞を全滅させた憎き相手へ突進する。
「そっちから来るなんて」
アリスは己より倍も大きな相手に向かって踏み込む。
「……! ジャアアアアア!!」
ラストの王は懐に飛び込んできたアリスに一瞬虚を突かれるも直ぐに腕で薙ぐように大剣を振るう。少女の胴と比べても尚太い腕は振るだけで凶器、当たれば肉は潰れ骨は砕けるだろう。
しかしアリスは臆さない。
「手間が省けるわ」
口角を上げて犬歯を剥き出しにしたアリスは背を逸らす。唸る剛腕が自らの顔面すれすれを通過していくのを見送りながらアリスはそのまま地面を滑ってラストの王の股座を潜り抜ける。
「ギャッ!?」
ラストの王は痛みを感じて声を上げる。足下を見れば脹ら脛に裂傷、アリスの斬撃によって作られた傷が有った。
革鎧よりも頑強な毛皮を斬られて傷を負わされた。有り得ない、あんな細腕で振るわれた剣で自慢の皮膚が裂かれたなんて。その事実にラストの王は怒りを覚えた。
ラストの王は背後に回り込んだアリスに向き直って大剣で叩き潰そうと―――
「【燃えよ焦がせ】」
詠唱が鼓膜を打った。それは力在る詞。歌うような導は魔力を己が望む形へと作り上げる。
キャロルは杖の先端に魔力を灯し曳光させながら踊るように振る。
「【ファイヤーボール】」
唱えられた魔術【ファイヤーボール】。その魔術は一つの火球を生み出して射出し標的を焼き焦がす。習得は比較的容易な初級魔術。
初歩の……初級魔術と侮るなかれ。魔術は使い手の練度により精度、魔力により威力が変わる。故に見習いから熟練者に至るまで幅広く使われるのが初級魔術。高位の魔術師が放つ初級魔術は下位の魔術師が放つ上級魔術を貫いた事例も少なくない。これが意味する所は下位の魔術師が上位の魔術師に真正面から打ち勝つのは不可能に近いと云うこと。
「【わたしの遊び場】」
―――ただし例外もまた存在する。
「ギッ!?」
ラストの王が目にしたのは火球……30に上る火球の群れ。それは一度の詠唱につき一つの火球である【ファイヤーボール】の原則を覆す現象。
「行っけー!!」
火球の群れを生み出したキャロルはそれを射出、この世界に存在しない回転式機関銃の如くラストの王に向かって火を吹いた。
「ッ!? ガァアアアア!?」
火球の衝突による衝撃がモンスターの巨躯を揺らし、弾ける炎がその皮膚を焼き焦がしていく。
これこそ例外の一つでありキャロルの異能……【わたしの遊び場】。その効果は己の魔力が許す限り唱えた魔術を重複させると云う物。自分より高位の者が相手でも物量で食い破るまさに狂った力。
「やった!?」
爆風、火球30発が着弾し周囲に煙が充満する。それは塔が有する自浄作用によりまるで平野での空気循環の如く徐々に吹き散らされていく。
煙の晴れた向こうには……影。未だ健在な怪物が立っていた。
「あ、あれー? これでも倒れないの? すっごい丈夫だねー」
「グゥウウ……ゴァアアアアアア!!!!」
全身を焦がしたラストの王は怒りで目を真っ赤に輝かせて咆吼を上げる。大きな損傷を負ってはいるがその脅威に陰りは無い。
「わわわ、どうしよ! 魔力もうそんなに残ってないよ!?」
キャロルは慌てる。【わたしの遊び場】は強力な異能だがそれ自体に魔術の威力を底上げする力も無ければ燃費も良くならない。つまりキャロルは一度に魔術30発分の魔力を消耗したことになり魔力切れ寸前になっていた。
「ジュララララァアアア!!!!」
「きゃああああ!? 助けてアリスちゃーん!?」
片脚を引き摺りながら駆け出す怪物。
「―――まったく。だからいつも言ってるのよ」
「ッ!?」
そう、怪物は忘れていた。意識を逸らしてしまった。片脚を引き摺り思い出した。
「後先考えずに撃つなって」
背後に立つ黒髪の少女。炎を背に顔に影が掛かるもその瞳の黒と赤だけが煌々と光を放つ。
「【眠る夢の花、抱く夢の箱、起きぬ夢の跡】」
怪物の背が粟立った。アリスが“詞”を呟き始めると同時に、熱気を含んだ洞窟内は熱く息苦しい程なのにまるで腹の底が凍り付いたような寒気が体に広がっていく。
「ガァア!!!!」
それは反射的な行動。ラストの王は標的をキャロルからアリスに変えて反転しながら大剣を振るう。放った一撃はこれまでの生涯で最も重く速い一撃だったと感じた。人間がこれを食らえば一瞬で肉塊に化す威力。
唸りを上げて迫る剛剣を前に……アリスは剣を静かに向けた。
「ッ!?」
剣と大剣が接触する。普通なら剣は砕けるだろうが結果は違う。
アリスが構えた剣を道にして大剣の軌道がズレる。そのズレはアリスの位置に到達する時には彼女の頭上を越えていく程の大きなズレになった。
怪物の剛剣を受け流した。言ってしまえばそれだけの話だが、それを行うには技量だけでは説明が付かない。それだけ武器の耐久性と両者の膂力は戦闘において何よりも重要になるからだ。ならばその差を埋めた要因は何か?
「【断ちて絶てよ】」
「ジャアア!!!!」
アリスが握る剣に光が灯る、魔力の光が。
怪物は二本の大剣を振り回してアリスを襲う、しかしその攻撃の全てが彼女の握る輝く剣によって防がれ流される。金属の擦れる甲高くもどこか涼やかな音が洞窟内を木霊し消えていく。
詠唱により生まれる力はアリスが……百鬼有栖が天災に遭遇するような不幸により異世界転移したことで得た異能。
「【首落とし】」
発動するアリスの異能、その効果は大きく二つ。
一つはこの世界で戦う者なら誰もが使う身体能力の魔力強化、その強化率を大幅に引き上げるという単純明快な物。これは詠唱を必要とせず任意で扱えアリスは普段から活用している。しかし厳密に言えばこれは異能とは言い難く“副産物”に近い。何故ならこの力は次の異能に大きく関わる物であるから。
そうして二つ目。魔術名を唱えることで発動するのは―――
「夢見る時間は終わり」
大剣が断たれた。
「……ッ!」
刀身の半ばから断たれた二本の大剣を見てラストの王は息を吞む。抵抗感は一切無く滑り落ちるように失われた刃の先、それを為したのは無論アリス。
「塔の頂上に行く、その為に」
赤い瞳が燃えるように輝く。
「その夢、私の踏み台にしろ!!!!」
「――――――」
両断。怪物の肉体は頭と胴に斬り離された。
異能【首落とし】。その力とはアリスがこれまで“止めを刺した命の数”に応じて身体能力と所持する武器の威力を上昇させる。詠唱により真価を発揮したこの力は自分よりも高位の者であろうと斬り刻む。
「…………」
死したラストの王、その首から吹き上がる血のような魔素を雨のように浴びながらアリスは剣を構えて残心する。例え首を断とうと完全に肉体が動きを止めるまで彼女の警戒が解かれることは無い。
ゆっくり、ゆっくりと頭を失った体は崩れ落ちる。
「…………」
それを見届けてアリスは―――
「ふぅ~、終わったね~」
張り詰めた空気がキャロルの声で霧散したの感じた。
「……キャロル」
「え~? どうしたのアリス? そんな怖い目で見て」
「気を抜くのが早……まあ良いか」
アリスは渋い顔でキャロルに注意しようとして……だがそれも彼女なりに判断した上での切り替えなのだと考え、残心を完全に解くと剣の汚れを布切れで拭い鞘へと納めた。キャロルはアリスの内心を知ってか知らずかニコニコと人好きのする笑みを浮かべて近寄る。
「楽勝だったね。どう? 上に行く?」
「……そうね。想定より余裕だったし階層を上げよう」
「うんうん。でもその前に~」
「ん? わぷ」
アリスの顔に手拭いが押し当てられた。それをしたキャロルはそのままアリスの顔に付着した汚れを落としていく。
「ほら~。折角可愛い顔してるんだから綺麗にしなくちゃ」
「ちょ、や……やめ……やめてって……ねぇ……てオイ!? やめろって言ったらやめろ!?」
「あ、まだ途中なのに」
「顔ぐらい自分で拭ける!」
キャロルの手から手拭いを引ったくったアリスはごしごしと顔を拭う。その乱雑さにキャロルは「あ~玉の肌が~」と悲鳴を、緊迫感の欠片も無い気の抜ける悲鳴を上げてアリスへと不満そうな目を向けた。
「アリスはもう少し自分が女の子だって自覚を持った方が良いと思うよ」
「貴女はもう少し塔に挑む意味を考えたら? キャロル」
苦言を呈する両者だがその間に在る空気は緩い。発言自体は本心だが別に何が何でも押し通したい主張でも無いからだ。現に2人はそのまま流れるように協力して戦闘の後始末を始める。
「魔石取りにくい~。魔術でお腹吹っ飛ばそうかな?」
「魔力の無駄。頑張ってナイフで取り出して」
「うえ~……は~い、わかりました~」
アリスは手早く、キャロルはそれよりも遅いが慣れた動きで死んだラストの錆臭い胸を裂いて肉と骨を掻き分ける。そうして心臓へと刃先を突き立てると梃でも動かすように中身を抉り出す。
「一つ取った!」
「えらいえらい」
得意気にラストから獲った小指の先程の大きさをした魔石を見せびらかすキャロルにアリスは適当な返事をしながら3つ目の魔石に取り掛かる。
紫紺の結晶、その中心に灯る光は魔力による輝き。アリスはラストから取り出した魔石を掌の上で転がしながら独り言ちる。
「ふぅ……帰るのはいつになるやら」
見上げれば視界に映る洞窟の天井。だがアリスが見るのは更に先、指先で右目を縦断する傷跡をなぞりながら彼女は瞳の赤をより濃く深くしながら睨む。
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この世界に存在する罪の名を冠せし十の塔。その全てを踏破した者にはどんな願いも叶える力が与えられる。
少女は望む、世界を隔てた故郷への帰還を。
少女は望む、争い無き永久なる世界平和を。
尋常な方法では為し得ない望み。その願いを叶える為に彼女達は命を懸けて塔へと挑む。
挑み続ける。夢に届くその時まで。