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ORGANO CITY 第一部  邂逅と祝杯  作者: 五十五 望・いそい ぼう
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004 鏡の向こう側




 年が明け、2日目の朝。

大統領実務補佐官ステファン・シュルツは自分の耳を疑った。



 「なんだと!?」



信じられなかったのだ。クリブラン准尉の言葉が。


 「執務室に……?」

 「ええ。在室表示がグリーンになっていたので、最初は何かのトラブルで開錠になっているのかと。でも、内線にお出になられたのですよ? 驚きました」


朝当番のクリブランの勤務開始は午前7時だ。

当然、その30分以上前にクリブランは登庁していた。


と、言うことは……



 ―――ゆうべも寝てないのか!



大晦日は仕方がなかった。

あれだけのことがあった後だ。眠れなくても当然だろう。

シュルツも目を(つぶ)った。


事実、昨日……大統領は上の空だったのだ。元日の行事の間じゅう。


狙撃騒ぎの翌日だったから、年頭挨拶は例年のテラスではなくスタジオからの中継に切り替え済み。

無事な姿さえ国民に見せれば、それで十分だったから。


しかし、やはり “ご挨拶だけでも” という者はいる。

多忙の中、都合をつけ、はるばる遠路をやって来た地方の知事などだ。

意向を無視はできないので、1人ずつ案内した。

ドアを開ける前に、こう耳打ちするのを忘れずに。


 『エクセランスは少々寝不足でいらっしゃいます』と。


せめてその夜は眠って欲しいと思い、祝賀会も中止したのに……


 「まったく……!!」


長く傍に居るが、こんなことはそうそうない。


 「で? 今はどこだ」

 「内線をお掛けして10分ぐらいしてからこちらにお顔を出され、PVルームで少し休むとおっしゃいました」


シュルツはクリブランをルーティンに戻し、執務室に入った。


PVルーム―――厳重なセキュリティに守られた、完全防音の隔離空間だ。

ゴードン専用の調整部屋である。

スケジュール変更時や体調不良時の休憩に使う。


実はその奥に私邸(ゾーン・プリヴェ)に抜けられる緊急通路―――たとえ大統領本人でも平時の使用はできない―――がある。

このため、特別に生体登録をした者しか入室できない。


ダンもデュフィも亡き今、その登録者は実務補佐官のシュルツ、元最高秘書官で現在は大統領特命責任者のリー・エリヴァン大尉、ゴードンの主治医のドクトゥル・アントワーヌ・トレガ、そしてゴードン本人。

その4名だけだ。


つまりシュルツにはPVルームに入る資格があるのだが、今はできない。勝手にドアを開けるわけには。

大統領は自らの意志でそこに入ったのだから。





      *  *  *





 『エクセランス! エクセランス!』


 繰り返し、自分を呼ぶ声。

ゴードンは跳ね起きた。

9時ちょっと前……約束の時間だ。旧友との。


 『エクセランス!?』


苛立った声。


 「ステファン……」


インタフォン越しに伝わって来る。

相手の気配―――胸を撫でおろしている様子が。


 「ディケンズ中将殿がお見えです。カガ少尉を伴って」


 ―――眠ってしまったのか……


ゴードンは頭を振った。

ほんの少しだけ、体を休めるつもりだったのに。

上着も脱がなかったから、皺ができている。


 ―――目立たないだろうか?


姿見で皺を見る己の姿に、ふと可笑しくなる。


 ―――服の皺を気にするとは! 

落ち着け、アルード。

ただ会うだけだ。命の恩人と、旧友に。


 『エクセランス?』


スピーカーから、みたび、声が響く。

いま出ないと駆け込んで来そうな勢いだ。


 「……今、行く」



ゴードンがPVルームのドアを開けると、シュルツの姿は目の前だった。

表情は静かだが、明らかに怒っている。


 「クリブランに聞きましたが、随分早くからここに?」

 「む……どうも眠りが浅くて……ここで仮眠を、な」

 「早めのお休みを、と、昨夜、あれほど申し上げましたのに」


ゴードンは苦笑する。

こんな時のシュルツは、まるで執事のようだ。


 「そんなことより、様子はどうだ? その……」

 「それは、ご自身でお確かめを」


シュルツは、やれやれ、と、眉を顰める。


ゴードンがこの世に生を受けた時、シュルツはすでに傍らに居た。

シュルツの母がゴードンの母の部屋係をしていた縁だった。

つまり、生まれた時からの側近なのだ。


共に過ごした時がただ長いというだけではない。

うま(・・)が合うのだ。

互いを誰よりも信頼しているし、私的な問題も把握している。


 「……で、どこだ?」

 「第2応接です」


応接エリアは通路を挟み、執務室の反対側だ。

そこに向かいかけて、ゴードンはすぐに足を止めた。


 「―――第2応接だと?」

 「ええ」

 「なぜ、第1応接を使わない?」

 「中将殿の強いご希望でして」


ゴードンの眉が上がる。


第2応接は、通称 “尋問室”。

正確に言うと、そう呼ばれているのは隣接する待合室のほうなのだが。

第2応接の待合室には大きな鏡がある。

実はそれはミラーガラスなのである。


大統領との面会者が初対面で、紹介者がいない場合は、ここに案内することが多い。

待合室での様子をシュルツが見て、本当にゴードンに会わせるかどうか、最終的に判断するのだ。

むろん、相手を中に通す際には、ミラーガラスは鏡にチェンジする。


だが、今日の面談者は……


 「どういうことだ……」

 「理由は、いらっしゃればお分かりになると」

 「まぁいい。で、どっちから入ればいいんだ?」


入り口は執務室側と待合室側の2箇所ある。

シュルツは黙ってゴードンを先導し、執務室側のドアを開けた。



ガラス窓の向こうに青年の姿が見えた。



 ―――彼だ!



 「ボナネ(新年おめでとう)!」



背後の大声が、ゴードンをガラスから引き剥がした。


中将、オウェン・ディケンズ。

軍の情報局のトップにして、人事委員会のメンバーだ。


シュルツとは異なり士官学校からの縁だが、数少ない旧友である。


 「オウェン!」

 「アル、久しぶりだな」


“アル” というのは学生時代のゴードンの呼び名だ。

仲間内では、今も使われている。

それがミドルネームの “アルード” の略ではなく、まさか殿下(アルテッス)の略だとは―――それは非常に礼を欠く呼び方なのだが―――シュルツでさえ知らない話だ。

むろんゴードン本人は意味を承知しているが。


ふたりはハグし、互いの頬をピタピタと叩き合った。


 「さすがに年を食ったなぁ、アル!」

 「お前こそ、何だその腹は!」

 「うるさいなぁ、筋トレオタクのお前とは違うんだ。こっちは年相応の脂肪をくっつけただけさ」


笑いながら、座る。


シュルツがふたりの前にコーヒーカップを置く。

希少なナチュラルコーヒーの香り。

絶妙のタイミングだ。


芳香が漂う中、しばしの間、ブルボンアマレロを味わう。

やがてオウェンはカップを置き、口を開いた。


 「アル、あれがエリオットの忘れ形見だ」


ゴードンは、わざとオウェンから視線を外さなかった。

ゴードンの方が窓に近いが、見れば目を奪われてしまうと解っている。

気が散る。


 「一昨日(おととい)、初めて知った」

 「だろうな」


ゴードンは喉まで出掛かった言葉を呑み込む。

“水臭い”、の、一言を。


 「聞かせてもらおうじゃないか、オウェン。今まで彼を “隠していた” 理由を」


オウェンは片方の眉を意味ありげに動かすと、身振りでゴードンに立つように促した。

従うと、ガラスの方に押しやられる。

そうされては、ゴードンも見ないわけにはいかない。


 

待合い室に置かれた椅子―――ジャカランダ製の―――に座っているのは、紛れもなく “彼” だ。


あの時の略装ではない。

さすがにコートはなしだが、制帽と手袋まで持った準正装だ。

被弾した側のシャツの袖を外し、上着を肩に羽織っている。制帽は、膝の上だ。


ひとりで待たされているためか、やや所在無げに見える。


つい2日前……自分は命を救われたのだ。この青年に。



挿絵(By みてみん)



 「………美しいだろう?」



旧友の声が、遠くに響く。

同意を求められるまでもない。とっくに感じている。


 ―――幻だろうか? その姿は。


長い間、ゴードンが奥底に封じ込めていたもの。

この手で掴み損ね、永遠に失ってしまった姿。

その死と同時に凍結された、若かりし頃の、狂おしい想い……


いや、違う。

彼は別人なのだ。

死んだ友とは。



 「―――合格か?」


引き戻された。


 「合格? 何の話だ?」


オウェンは顔を顰める。


 「おいおい、アル、忘れたのか? 人事委員会に申請しただろう? 亡くなったデュフィ中尉、いや、少佐の後任を」


ゴードンの喉から、微かな呻きが漏れた。


 「君の要望は、広い範囲に人材を求めたいと」


ゴードンは振り返り、シュルツを見た。

だが大佐は目を伏せ、黙っている。

意見を求めないでくれ、と、言っているのだ。

ゴードンは再びガラス窓の向こうを見遣った。


 「アル。私の提案が、あそこに座っている男だよ」





      *  *  *





 デュフィが亡くなった後、ゴードンが委員会に依頼を出したのは事実だ。

デュフィほどの逸材がそうそう見つかるはずはないと思いながらも。


現在の秘書室は軍属出向者と官僚系の割合がほぼ半々である。

頭数だけは揃っている。

だが、その面々とデュフィの間には、段違いの格差があった。

今の秘書室に、彼の後任に推せる者はいない。


 「実は早々に受けてはいたんだ、デュフィの後任探しの担当をな。その時すぐに思ったよ。彼が適任だと」

 「なに……初耳だぞ? そんな話は」

 「そりゃ、俺が……放置していたからさ」

 「放置だと? なぜだ?」

 「いや、その……実は懸念が2つ、あってな。ずっと迷っていたんだ。推薦すべきかどうか」

 「懸念? どういう懸念だ?」

 「まぁ、まずは彼のC V(履歴)を見ろ」


オウェンからゴードンの手にEBLO(P D A)が渡された。


エドワード・カガ。

現在はコーデル准将の秘書官だ。

その前の2年半は空軍の航空プログラミングSEだった。

その職歴からして当然と言えば当然なのだが、ITスキル、整理能力、アシスタント能力に優れ、経理、法律にも明るい。

語学の能力はデュフィ以上だった。

官公庁の|ギアンヌ・フランセーズ《公 用 語》1級は当然としても、ゼィロビーク統一前の旧SACN (南米共同体)諸各国言語、仏国フランス語、英語は1級。

ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、アラブ語、難度の高い韓国語、日本語まで準1級資格を持っている。


 「これは……通訳いらずだな……」

 「QI(I Q)も高いぞ。俺たちの母校も飛び級で入って速攻で卒業している」


ゴードンが高位士官学校を21歳で卒業した時、周囲から “優秀だ” とベタ褒めされたものだ。

だが、少尉は14歳で入学し18歳で卒業しているのだ。


 「驚いたな……こんな優秀な人材が、なぜ、今まで一度も俎上(そじょう)に昇って来なかった?」


特技は、射撃と合気道。

SPも感づかなかった着弾に気づき、あの斜面でゴードンにほとんど怪我らしい怪我を負わせずに護ったのは、この特技のおかげだろう。


 「エリヴァン並みだろう?」


ゴードンはオウェンの言葉に頷いた。画面に目を奪われたまま。


確かに……匹敵するかもしれない。ゴードンが最大の信頼を置くエリヴァン大尉―――今は別の任務についているが―――を採用した時の驚きに。

 

 「訊きたいよ。一体、どんな懸念で隠してたのか」


オウェンは、禿げ頭をカリカリと掻くだけで、答えない。

ゴードンは畳み掛けた。


 「今までリストアップされたことすらないだろう? 違うか?」


もしもこれまでにゴードンがこのCVを目にさえしていれば、エリオットに瓜二つの容貌に気づかぬはずがない。たとえ旧友の推薦がなくても、だ。


 「それはだな……病歴欄を見れば、解る」

 「病歴?」


画面をスクロールしたゴードンの動きが、一点で、止まった。


 「|アムネジ・ディソシアチブ《解離性健忘》だと……?」


精神疾患の欄に、チェックがついている。


「なるほど……」


これでは自動検索の時点で撥ねられてしまう。


 「治療は?」


オウェンは言葉では答えず、肩を聳やかすだけ。


 「快癒の見込みが低くてな。但し、悪化するおそれもない。日常生活を送る上では、ほとんど問題はないんだ」

 「これは……ひょっとして?」


頭を上げると、オウェンの目と視線が合った。


 「そうだ、あの火事の時だよ、アル」


あの火事とは、エリオットとミレイユの命を奪った火災のことだ。


 「そうか……どれぐらいの期間の記憶を?」

 「生後10年丸々の、人間関係の記憶だ」

 「人間関係?」

 「ああ。言葉や知識はすぐに思い出したのに、ありとあらゆる人間関係を覚えていないんだ。両親のことも友人や教師のことも」

 「むぅ……」


低い呻き声。



―――|アムネジ・ディソシアチブ《解離性健忘》。


普通なら、病名も初耳だろう。

だがゴードンは知っているのだ。名前だけではない。それがどういう疾病なのかも。


長く入院している妻のオルロア……彼女が今のように悪化する直前にも、解離性健忘と診断されていたから。


だからこそ、にわかには信じられなかった。

目の前のカガ少尉は、ごく普通に見えるではないか。

ちゃんと社会生活を送っている。

一方のオルロアは、今や専門の病院で厳重に管理されなければ生きられない状態だ。



ゴードンの様子に、オウェンは肩を落とした。



 「やはり、駄目か……」



その時、大統領の目を見たステファン・シュルツは、ああ、と、小さく呻いた。


 ―――駄目だ……

もう(・・)止められない(・・・・・・)


 「早まるな。まだ教えてもらっていないぞ。さっき “懸念” は2つだと言っただろう? 今のが1つ目だとしたら、何なんだ? もうひとつは」

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