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ORGANO CITY 第一部  邂逅と祝杯  作者: 五十五 望・いそい ぼう
3/5

003 彼の眠る地で





 ゼィロビークには広大な墓所が多い。

中でも最大のものがパレヴェール霊園である。

約2500エーカーにわたる敷地の周囲には、景観を妨げるような建物がほとんどない。

その壮大な眺望……南から北東にかけて連なる幾つもの丘が特に絶景で、2111年には世界遺産に指定された。


その丘のひとつで、男が包みを開いている。


ジョシュア・カベーネだ。

傍らにはエドワード・カオル・カガの姿がある。


包みの正体は、こぼれ咲く白いカトレア。巨大な花束だった。エドワードが用意した花束の3倍はある。


 「……見事ですね」

 「君のお母さんは、この花がとりわけお好きでね」


 「毎年、よく……」


それはエドワードの独り言だったのだが、カベーネは顔を上げた。


 「……何?」


 「あ、いえ。よく手配できるものだなぁ、と。こんな盛夏に」

 「妻の伝手(つて)があるんだよ。生花業をやってる友達がいてね」

 「予約咲き(フロレゾン・プレパレ)というやつですか?」

 「ああ。10月に予約しておくと、そんなに価格も高くならないんだ」


エドワードは頭を掻いた。


 「すみません、いつも」


さすがに気が咎める。

母の記憶がないとはいえ、子である自分がほとんどロクな準備をしていないというのは。


 「いいんだよ。私にとっては大事な友達だったんだからね」


カベーネが花を供えた時、数羽の鳥が羽ばたくのが見えた。

なんという鳥だろうか。

姿は瞬時に消え、その色の軌跡と囀りだけが残った。


それで、気づいた。“静か” だということに。

辺りを包んでいるのは、不思議なまでの静寂だ。


今年は人がいない。

いつもの墓参時には、あちこちに観光客がうろついていて落ち着かないのだが。


 ―――ほら、まただ。

鳥の囀り……


丘の向こう側には大勢の人々が集まっているはずだが、その喧騒は届かない。



 「ところで、エドワード……」



 ―――来た!



エドワードは、ギュッと目を(つぶ)った。


 ―――今年は、こちらに背中を向けたままか!


 「……まだ、“モ・クレ(キーワード)” を思い出せないのかね?」


カベーネの声が、墓碑に跳ね返る。


面と向かって話すのも好きではないが、こういうのはとりわけ苦手だ。

なんだか “演出” じみていて、滑稽だ。


エドワードの中で、突然、爆発する。苛立ちが。

抑えていたのに……


 「そのことですけど……」

 「ん?」

 「ムシュー・カベーネ、時間の無駄だと思うんです」

 「……無駄?」

 「もう、やめにしませんか? こういうの」


カベーネの頸が捩じれるのが解った。

エドワードが顔を伏せる暇もなく、その横顔と目が合う。

額に、縦皺が寄っている。

初めて見る、険しい表情だ。


 「エドワード!」

 「は、はい」

 「年に一度、墓参の時にって言い出したのは、君だよ?」

 「そ、それは……そうですけど……」

 「うんざり(・・・・)なのは解る。だが、だからと言って―――」


そこで言葉が切れた。

弁護士(カベーネ)の詰問を止め、エドワードを救ってくれたのは、銃声の轟きだった。

5砲。規則正しい。葬儀の礼砲だ。


カベーネは肩を落とす。


 「その様子じゃ……やっぱり駄目なのか、今年も」


エドワードの答えは、黙って首を振ることだった。

それしかできない。


 「火事についても?」

 「ええ」


カベーネは立ち上がり、膝を(はら)った。


 「不思議だな。言葉も、学校で学んだことも、すぐに思い出したのに……」


カベーネはポケットから古風なムショワー(ハンカチ)を取り出し、額から耳まで往復させ始めた。

ダークスーツに冷却機能がないのだろう。滝のような汗だ。

衿の中にまで突っ込んだ手を動かしながら、エドワードの顔に視線を走らせる。


 「君は、汗もかかないのか……」

 「制服のおかげです。もちろん暑いですよ、それなりに」

 「軍服ってやつは相当、高機能なんだな……で? 医者には行ってるのか?」


 ―――まだ、続くのか!?

そう思いつつ、エドワードは肩を竦めた。


 「ええ。行ってますよ。脳外科にも精神科にも、定期的に」

 「医者は何と?」

 「奇跡、だそうです。今さら記憶が戻ったら」

 「君がモ・クレを思い出さない限り、グリンフィール家の遺産は……」

 「13年も経つんです。医者が “奇跡” なんて言葉を使うようでは望み薄ですよ。いっそ寄付できればすっきりするのに」


エドワードが被せるように言うと、カベーネも被せて返す。


 「説明しただろう? 銀行の貸し金庫ごと寄付なんてできない。寄付するにしたって、モ・クレが要るんだ」


気まずい沈黙。

カベーネのポケットで、フォンが鳴った。


 「失礼」


カベーネの声―――この後の約束とやらについての、顧客とのやり取り―――を隅に追いやりながら、エドワードはぼんやりと眺めた。

父の肖像の前をふらふらと舞っていた蝶が、カトレアの花びらに止まるのを。





      *  *  *





 カガ家の墓から徒歩5分ほどの距離に、野外式典場がある。

そこを無数の人々が覆っている。

さながら “人間の絨毯” だ。

そのうちの半分以上が肩章と飾り紐をつけた夏用コート姿である。

トラウザーズには側章入り。手袋に、制帽。

つまり、軍の正装だ。

残る半数は、厳しい検問を承知で集まった民間人たち。



正午ちょうどに、礼砲が鳴った。



丘の東側から入って来たのは、列を成した、数台の黒いLIMO(リムジン)

先頭車両が式典場の入り口に着くと、隊列の中央に黒い男たちが群がる。

SPの “壁” だ。

助手席から、男がひとり。大佐だ。

その男が後部ドアを開ける。


現れた姿は、2メートル近い長身と、がっしりした体躯。

ゼィロビーク第二代大統領、ゴードン・アルード・ヴィクトワールだ。


輝くプラチナ色の髪と口髭。

明るい青灰色の瞳。

遠目にもはっきりと判る、彫りの深い、精悍な顔立ちだ。

黒いスーツの腕に、軍の上級大将の階級章を巻いている。


外周を埋める民間人たちの群に、(どよめ)きが広がる。


 「殿下ヴォートル・アルテッス!」


大統領が軽く手を挙げると、その歓声にいっそう熱がこもり始める。


 「ヴォートル・アルテッス! ヴォートル・アルテッス!」



なぜ “閣下ヴォートル・エクセランス” でも “大統領ムシュー・ル・プレジダン” でもないのか。

それは彼が実際にそう呼ばれていたからだ。かつて……殿下ヴォートル・アルテッスと。


その “殿下” ことゴードンが式典場に入ると、歓声はぴたり(・・・)と止んだ。

指揮者がいるのだ。目に見えぬ指揮棒を振る役目の人間が。


SPと側近を伴い、大統領はゆっくりと歩いて行く。

式典場の中央―――国旗と軍旗が掛けられた、2基の棺が並ぶ場所へ。


棺の傍らのイーゼルには、それぞれの2D写真が飾られている。


やがて大統領はイーゼルの間で止まった。

准尉が2人、速足で歩み寄る。

一方が花輪を、もう一方がマイクを手に。


だが大統領は准尉たちを制し、大佐を手招きした。

大佐が傍らに寄ると、大統領も首を寄せる。


 「閣下(エクセランス)、いかがなさいましたか」


ひそひそ声だ。


 「ステファン、西列の先頭に記者(ネズミ)が入り込んでいるぞ」

 「えッ! そんなはずは………」

 「私の陰から見ろ。前列左から3番目、4番目」

 「………あ! ルヴュ紙の………どうやって紛れ込んだのだか!」

 「あぁ、待て、ステファン」


大統領は小さく右手の人差し指を振り、ピシリと宙で止めた。

制止の意味だ。


 「今は構うな。後で釘を差せ」

 「はッ」


大佐が下がると同時に大統領は准尉に軽く頷いた。

マイクが取り付けられる。


再びの、空砲。

軍楽隊が葬送曲を奏で始める。


大統領は花輪のひとつを手に取り、進み出た。

大佐と准尉もそれに従う。


片方の棺の側に立ち、咳払いする。

メモの類いは一切見ない。

プロンプターも必要ない。

いつも自分の言葉で話す。

それがゴードン・アルード・ヴィクトワールの流儀なのだ。


弔辞を始める。

低い、しかしはっきりとした声で。


 「レナール・ダン大佐」


たちまち、あちこちでざわめきが起きた。

小さな感嘆の重なり合い。

それがこの窪地に音のうねりを引き起こす。


大きな額縁(カードル)の中で、男がその鬚面を皺くちゃにして笑っている。

男が着ている制服は、灰色。つまり少佐だ。

この瞬間に、二階級特進―――すなわち “殉職”―――が告知されたことになる。



人々の声がおさまるのを待ち、ゴードンは棺の上に花輪を置いた。


 「我が幼馴染(モナミ・ダンファンス)数多(あまた)の礼を言う。友であると同時に、大統領実務補佐官として、長年、陰日向なく支えてくれた君に」


語り掛ける。


 「君の功績は、私の心にはもちろん、この国の改革の歴史に永遠に刻まれる。いずれそちらで酒を酌み交わし苦労話を語り合うその日まで、我々を見守り続けて欲しい」


わっと、泣き崩れる気配があった。

最前列。喪服に身を包み、ヴェールで顔を覆った女だ。

3人の子供のうちのひとりが不安そうにその手を引っ張っている。


大統領は女のもとに歩み寄る。


 「マダム・ダン……」

 「ヴォートル・エクセランス……」

 「レナ―ルの……貴女方へ遺した思いは、いかばかりか……お察し申し上げる」


子供らの顔を見る。

その6つの黒い目は、不思議そうだ。

耳元が、熱くなった。

大統領には見えたのだ。

子らのその目が、“なぜあなた(・・・)じゃなかったの?” と訴えているように。


 「私が責任を持って、貴女とお子様への配慮の持続をお約束します」


夫人は一瞬、顔を歪ませたが、すぐに姿勢を正し、深々と頭を下げた。

幼児らの頭を撫でながら、大統領は隣の席に視線を走らせた。

ぽつんと空いている。

そこには、もう1基の棺の主、ルーアン・デュフィの母親が座っているはずだった。


 「エクセランス」


准尉が2つ目の花輪を差し出している。

大統領はダン夫人のもとを離れ、その花輪を手にした。


もうひとつの額縁……

はにかんだようにも、寂しげにも見える笑顔。

中尉の白い制服だ。


ゴードンの口元が、微かに歪む。

それは、ごく小さな変化だった。

誰にも……大佐にすら気づかれないほどの。


 ―――こみ上げて来る。

言いようのない悲しみが。

一旦は治まりかけていたはずの喪失感が。


 ―――デュフィ……


口数が少なく、万事に控えめ。

何を考えているのか読めないようなところもあった。

しかも、彼が最高秘書官であった期間は、僅か2年。

僅か2年でも、すでに手放せなくなっていた。実に優秀な秘書官だったから。

デュフィさえいれば、ゴードンは文字通り政務だけに没頭できた。

他の秘書官たちは不要と思えるほどに。



深呼吸し、ゴードンは棺の前に立った。


 「………ルーアン・デュフィ少佐」


前例があったからだろう、さほど大きな反応ではない。微かなざわめき。

秘書官達の中に、目もとを拭う者が数名。


ゴードンが花輪を置いたちょうどその時、風がなびき、国旗の端を捲った。


 「大統領秘書室最高秘書官として、日常のすべてが滞りなく運ぶよう高度なサポートをしてくれた。まだ多くの可能性があった若い命が、このような形で無残にも散ったことは……」


大佐の眉が上がった。

大統領が言葉を切ったからだ。スピーチの途中で。

珍しく、言い淀んでいる。

こんなことは、滅多にない。


 「実に……実に、悔やまれてならない……」


また、間が空いた。

大佐は大統領を見る。顔を動かさずに、瞳だけで。


 「君の……勤務盤の、君とダン大佐のプレートは……今後もそのままにする。ダン大佐と共に、我々を見守ってくれ」


大統領が元の位置まで下がったのを機に、軍楽隊がボリュームを上げた。

大佐の視線を感じても、大統領は顔を前に向けたままだ。


 「……大丈夫ですか」


大佐の声掛けに、大統領は無言で頷く。

大佐は気づいていた。

大統領が、切った言葉の先を言わなかった理由を。

見せはしないが、涙が出そうだったと。


知っているのだ。ゴードンは。

デュフィの母親がそこにいない理由を。


2基の棺には窓がない。

彼らの遺体が修復不可能、すなわちバラバラの状態だからだ。


爆死―――それも、デュフィの車に仕掛けられた爆弾による、非業の死だった。


デュフィの母親は、狙われたのは自分の息子だと思っているのだ。

ダンを巻き込んでしまったと。

だから弔慰金のすべてをダンの遺族に寄贈し、ここには姿を見せないのだ。



だが、ゴードンは首を振った。


 ―――自分の責任だ。彼らの死は。


側近だったから、ではない。

あの日、デュフィに所用を命じたのはゴードンだった。

ダンがデュフィの車に乗ったのもゴードンのためだった。


事件は未解決。

犯人は未だに不明だ。

にもかかわらず彼らを殉職扱いとしたのも、ほぼ軍葬並みの規模の葬儀にしたのも、いずれもゴードンの意志だった。


殉職扱いにすれば弔慰金と遺族年金の額が上がるから、というのが表向きの理由。

葬儀の形式と規模については、ゴードンの主義で押し通した。

年々、官民を問わず軍人の出向を受け入れるようになって来ているが、節目節目、そして葬儀に際しては、いつも議論になる。


“平時には仕事を分け合うのに、儀礼だけは特別扱いにするのか” と。


そういう時、ゴードンはいつもこう主張する。


“仕事については彼らの生き方を尊重したい。儀礼については軍規を優先する”


しかし……今回は、別だ。

この決定は、自分の罪悪感を拭いたいがゆえ。

いくら弔辞を読んでも、花を供えても、ゴードンの心が軽くなることはない。

式次第が進めば進むほど、むしろその重みはますます増して行くばかり。



軍楽隊の演奏が終わった。


 「捧げぇー(つつ)ーッ!」


銃隊長の掛け声と共に、最後の十連礼砲が鳴った。

100羽の白鳩が一斉に放たれる。


 「納棺ーッ!」


葬儀委員長の声を合図に、棺が静かに下降を始めた。

これから2時間を掛け、地下の炉で遺体を灰にするのだ。

ダン夫人の口から、微かな悲鳴が上がる。

立ち上がろうとして周囲に制止されている。


ゴードンは、空を仰いだ。


そしてその視線の先に、人影を認めた。

ふと見た丘の上に。


 

ここは公共墓地だ。

だからゴードンはこの葬儀に際しても規制は最低限にとどめ、封鎖はしなかった。

墓に用のある者は検問さえ通れば入ることができるはずだ。

ただ、その人影は民間人ではないように見えた。

はっきりとではないが、軍人だった。


 ―――では、なぜ参列しない?


大佐と短い言葉を交わし、ゴードンが視線を戻した時、その人影はもう消えていた。





      *  *  *





 親族以外は火葬中に散開する。

それがこの国の葬儀だ。

ゴードンは黙祷後、炉の扉が完全に閉まった時点で遺族に目礼し、炉の前を離れた。


車に向かうため踵を返すと、大佐が記者たちを押し留めているのが見えた。


さっきゴードンが見つけた “ネズミ”―――ルビュ紙の記者たち。


以前から政府機関への軍属出向者の軍葬に懐疑的なメディアで、何かとケチをつけて来る。

だが、今回はそうはさせたくない。


彼らが大佐に食い下がろうとしている様子を見て、ゴードンは、ふと、気まぐれを起こした。


 「やぁ君たち」


必死に追い返そうとしているのに、肩越しにちょっかいを出されたものだから、大佐は驚きと同時に困惑を隠さなかった。

“ネズミ” たちは、その一瞬の隙を逃さない。

ふたり同時に畳み掛ける。


 「ムシュー・ル・プレジダン! 二階級特進ということは殉職扱いですね! やはり暗殺未遂だと?」

 「出向者でも軍葬と決めた理由は、いつもの “主義” ですか?」


ゴードンは嫣然(えんぜん)と微笑み、記者達の顔を交互に見た。

長身を少し屈めるようにして。


 「ひとつ聞きたいのだが、君達の記者としての信条は、まごうかたなき真実の追究か?」


ひとりは訝しげに目を細めたが、もう一方は目を輝かせて即答した。


 「もちろん、真実です!」


ゴードンは、頬笑みを破顔へと広げる。

 

 「そうか、それは良かった!」


内ポケットから取った紙片を差し出す。

即答した記者に。


 「では、“真実” とやらを掴んだら、ぜひ、私にも教えてくれたまえ」




 「……バカ! 腑抜け! そんなの、ただの紙屑だ! からかわれたんだ!」


紙片を見つめる男に、もう一方が怒鳴る。


 “ゴードン・アルード・ヴィクトワール、第二代ゼィロビーク大統領”

その下に、大統領官邸の大代表電話番号。

URLすらない。


確かに……何の価値もない。そんなものに。


記者が名刺から目を上げた時、大統領はすでに車中の人となっていた。

相棒は、広場の階段を蹴っている。


 「クソッ(メールド)! なんで切り崩せないんだ!」




 「お人が悪い」


 ステファン・シュルツは、“やれやれ” という表情を隠さない。

ゴードンより10歳年長のこの男は、側近として支えると同時に、諫める役割も担っている。

ともすると暴れたがる “お騒がせ王子(プランス・エトナン)” の行動を。


 「つい、からかってやりたくなった」

 「逆効果では?」

 「どうだろう」

 「まぁ……前の誤報で相当手痛い思いをしたはずですからね……」

 「いずれにしても書きたいことは書くだろうが、間違っていれば “真実ではない” と言うだけだ」

 「それはそうですが」

 「もちろん、チェックしろよ」

 「了解(ダッコール)。では、官邸へ?」

 「うむ」


車がゆっくりと動き始め、ゴードンは窓の外に目を遣った。

止まった風景が少しずつ流れ始める。

墓地のゲートを出るまでは歩行者なみのノロノロ走行だ。


 「……お疲れに?」


ゴードンは、ぼんやりと丘を眺めている。


 「……いや……数えていたんだ。これで何人がここの住人になったかと……」



丘のふもとの合流点に差し掛かった時、ゴードンの視界に、軍服姿の人影が入った。

灰水色の、少尉の略装。

金髪? いや、赤みがかった、明るめのブルネットだ。

すらりと伸びた肢体。

太陽を背に、歩道に向かって丘陵を降りて来る。


ゴードンの勘が、さきほど丘の上に居た人物だと知らせる。


車が少尉に追い付き、追い越した時、ゴードンは振り返り、顔を見た。

その瞬間だった。

電流のようなものがゴードンの体内に走ったのは。



挿絵(By みてみん)



 「待て! 止めろ!」



車を停止させる。


シュルツが留める暇もなかった。

ゴードンは、ブレーキよりも(さき)に飛び出していた。


前後の車からSPが制止にかかったが、そのSP達をも振り切り、ゴードンは大股で足を進める。



 「―――エリオット?」



青年の足が、止まる。

そしてその上半身を捩じり、ゴードンの方に顔を向けた。



 「まさか………」


 ―――(エリオット)だ!



そこには、十数年も前に鬼籍に入ったはずの友人の姿があった。



ゼィロビーク軍属高位士官学校に入った、あの日。

一目で恋に落ちた。

迫るたびにきっぱりと拒絶され続けた、あの、つれない(・・・・)エリオット。


 ―――彼が、そこに!?

しかも、一段と、美しさを増して!?




 「ムシュー・ル・プレジダン?」


エドワードは、すぐに気付いた。

今、一直線に自分に向かって来ようとしている人物が、誰かということに。



 ―――なぜ、ヴィクトワール大統領が?


 ―――いま、父の名で呼ばれたのか? 僕を?


 ―――どうして、自分(こちら)に向かって来るんだ?



体が、動かない。


金縛り? 畏怖? それとも単純な驚き?

まっすぐにこちらへ近づく、青灰色の瞳。


 ―――強く、命じられているようだ。

“動くな” と。



 「エリオット……」


 ―――また、父の名……



その時だった。

何かが(かす)めた。エドワードの耳元を。



無音。

草むらに立つ煙―――


一つしかない。その光景が意味することは。


 ―――考えるな! そこから先は……!


視界がフリーズする。

体を衝き動かす。

問答無用だ。

繰り返しの訓練。

体の芯に叩き込んだ、反射だ。



 「―――あぶない!」



叫び、ただ、体当たりを食らわせる。

腕を突き出し、捻じ伏せる。目の前の男を。



 「―――(アイ)ッ!」



大統領はバランスを崩し、右斜め後ろに倒れこんだ。

エドワードと共に。



挿絵(By みてみん)



鈍い衝撃と、熱。

エドワードの右肩が蠢く。

痛みが、脳天まで響く。



 ―――やられた……!



だが、エドワードに確かめる時間は与えられなかった。


バラバラという、幾つもの靴音。

体の上に()し掛かって来る、重み。

何体もの……人間の体の重みだ!


続いて地面から引き剥がされ、羽交い絞めにされ、両腕を捩じ上げられた。


息が止まる。気が遠くなる……




 「ご無事ですか!? エクセランス!」


SPたちの体が作った、黒い山。

シュルツはその中からゴードンの腕を見つけ、引っ張り出した。


 「なんともない……」


数人のSPに囲まれ、ゴードンの体はあえなく公用車の中に押し込まれる。



 「エクセランス、一体、何が……?」



ゴードンには、ない。

質問に答える余裕は。

背後を振り返る。体を捩じ切る勢いで。


複数のSPが少尉の両腕を捻り上げ、こめかみに銃口をつきつけている。

今にも首を()し折りそうだ。

少尉の右腕に見える、夥しい血―――


ゴードンは自分の体を見た。

左袖に血がついているが、自身に傷は無い。


顔を振り上げた。


 「デイトン! 勘違いだ! 彼は私を助けたんだ!」





      *  *  *





 救急の備えは万全。

公式行事だったから。

だが、用意されていた救急車に乗せられたのはゴードンだけだ。


左手首がほんのわずかに痛む。

それだけだ。

倒れる時、地面に衝いたからだろう。

他に異常はない。

なのにこのまま官邸内の医局まで運ぶと言う。


 「………彼は?」


乗り込んで来たシュルツに尋ねる。

だが、大佐は肩を竦め、首を横に振った。


 「よくわかりませんが、軍警察病院へ運ぶそうですよ」

 「軍警察? 何故だ?」

 「事情聴取をするそうです」

 「事情聴取だと? 犯人扱いか!?」


ゴードンは跳ね起きようとしたが、看護士よりも前にシュルツに押し留められた。


 「シーッ! お静かに!」

 「だが彼は私を助けたんだぞ。放せと言った時、デイトンはアンタンデュ(イエス)と言った」


ゴードンが少尉の釈放を命じた時、主任SPのデイトンは確かに承知(アンタンデュ)と言った。

だがシュルツは頭を左右に振る。


 「エクセランス……状況が状況です。捜査が軍警察の指揮下に移った以上、SPにも手は出せません。静観するしかありません」


無理もない。大統領が狙撃されたのだ。

そして大統領が車外へ飛び出したのは、明らかに少尉を見たからなのだ。

狙撃との関連性を疑われたとしても不思議はない。


 「彼の怪我の状態は?」

 「それも不明です。それより、残ってましたよ。例の記者達が」

 「ルヴュ紙か」


シュルツの耳打ちに、ゴードンは苦笑した。


余計な雑音を立てられるのが嫌で、葬儀の日程をわざわざ年末に設定したというのに。

こんな騒ぎになってしまったのでは、書くなというのはさすがに無理だ。

むろん、元日のトップニュースはこれに決まりだろう。


 「ステファン、編集長に掛け合って、一日……いや、せめて半日でも、少尉の名を伏せるように頼んでくれ」


それぐらいの時間があれば、なんとか、少尉が犯人側でないことをはっきりさせられるだろう。

せめて、名誉ぐらいは守ってやらねば。


 「解りましたから……狙撃されたんですよ。少しは被害者らしくしていらしてください」


ゴードンは、目を閉じた。


その時……消毒液の(にお)いに混じって、ふと、微かな……えもいわれぬ薫りが漂ってきた。


何の香りだろう?

花と言えば花……いや。もっと別の香りだ。

何が、どこから香っているのだろう?


 「あ……」


ゴードンは、さっきの事を思い返した。


一瞬だった。


エリオット・カガに酷似した青年。

それが、胸元に飛び込んで来た。突然に。

瞼に蘇って来るのは、その一瞬のありさまだ。



最初は、虚をつかれたようにこちらを見ていた。


次に……表情が切り替わった。

突如、険しくなったのだ。

そして飛び掛って来た。

“あぶない!” と叫びながら。


右肩に、残っている。彼の手に掴まれた感覚が。

胸の上に感じた重みも、首元に触れた髪も……



 ―――そうだ……これは、彼の香りだ。



彼の体が触れた瞬間に、鼻の奥に届いた香り。

記者に名を出さぬよう交渉しろと言いながら、その名前を知らない。



 「聞いたか?」

 「もちろん」


シュルツには通じた。


 「エリオット、ではあるまいな?」

 「違います。しかし……」


ゴードンは、目を開けた。

EBLO(P D A)を覗く大佐の顔が、心なしか笑っている。


 「エドワード・カオル・カガ少尉。情報将校ですな。現職は空軍情報局第一部、コーデル准将の秘書官です」

 「……カガ、だと?」


シュルツの目が留める。

再び跳ね起きようとする、“お騒がせ王子” を。


 「エクセランス……おとなしく横になっていらして下さい。お話は横になったままでもできます」

 「だが、まさか……」

 「簡易検索で読む限りですが、まず間違いなくエクセランスのご学友の忘れ形見ですな」


 「……息子か! エリオットの!?」


 ―――どうりで、似ているはずだ。


 「まさか、ゼィロビーク空軍に居たとは……」

 「身元引受人は……これも、エクセランスのご友人ですよ」

 「誰だ?」

 「オウェン・ディケンズ中将です」

 「な……なんだと……!?」


それはゴードンにとって、あまりにも意外な名前だった。


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