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呪いをかけられた王子はただ一人を希う

呪いをかけられた兄弟二人の真剣な悪巧み

作者: 碧野 悠希



「シェリール。どうしてイザベラとの婚約を解消したんだ」



 城から去っていくイザベラを窓から見送るシェリールを見つけたアパルは、自分より頭一つ半背の低い弟の隣に立って聞いてみた。

 

 気まぐれに図書室を覗いてみると、文字を追うイザベラを盗み見るシェリールを見掛ける事が多々あった。

 そんな様子で毎日彼女を見つめていたというのに、シェリールはイザベラを用済み扱いして城を追い出した。という噂がこうして身内の耳にも届いている.

 彼女自身は何も口にしてはいないというが、側仕えしていた侍女がそんな事を口にしていたらしい。



「僕だとイザベラの事、殺しちゃうから」



「……え?」

 物騒な単語をシェリールの口から聞いたアパルは言葉を失った。

 予想だにしない言葉にかけようとしていた慰めの言葉など頭から飛んでしまい、表情を消した人形の隣に立つだけしか出来ない。

「僕が側にいない方がいいんだ」

 そう言って誰にも見られぬ様、溢れる前に涙を拭う弟の言葉の意味が、その時には理解できなかった。


 とても好きあっている様に見えたのに。


 イザベラの力は知っている。

 かつてこの地を守っていた精霊王の力が強く残っていた過去には、その様な人間が溢れていたという。

 しかし、時の流れと共に精霊の見える目を持つ人間は少なくなり、ついにはいなくなったと言われている。

 精霊を見る目。

 アパル自身も体験した。

 日の光を受け、羽ばたく精霊たちの姿。

 あまり物語を読まないアパルでさえ、まるで童話の世界だと感じた。

 幾度か城へ呼ばれ、その力に害はないという見解ではあったが、厄災を招かぬよう手元に置いて監視をしておこうという大人たちの企みの末、シェリールの婚約者となった少女だ。

 そうでなくとも、彼女が登城する際、わざわざその姿を追いかけて言葉を交わそうとしていたシェリールにとって、この婚約は願ってもないことだと知っていた。


「兄上。僕、イザベラと結婚できるって」


 そうシェリールが息を切らせて部屋へ飛び込んで来たのは、いつの事だっただろう。


 交わす言葉の少ない二人ではあったが、互いに同じ気持ちを寄せているのだという事は見てとれた。


 側から見ると、自分たちも仲睦まじく見えているらしい。

 だがただ単にそういう風に見せるのが(自分で言ってしまうのもなんだが)得意で、カロスの気持ちも知っていたから、更にそれに応える様尽力しているだけのこと。


 嫌な事があっても身体を動かし、汗を流せばそれと一緒に流せてしまう兄と異なり、シェリールは物静かな性格で、イザベラと出会ってからは、知識を吸収する為に、図書室へ通う事が増えていたように思う。

 

 表情を殺し、元婚約者の馬車の後ろ姿が見えなくなっても尚、そこに立ち尽くすシェリール。


 血を分けた弟なのに、何故、せっかく好きになれた婚約者の手を自ら離してしまったのか、アパルには分からない。


 

 

 それから数ヶ月後。


 自らの呪われた血が婚約者であるカロスの命を奪ったのだと知らされた。




 カロスは常に寄り添い支えてくれた。


 毎日毎日、次期国王になる為、と、逆に心が砕けててしまいそうな程の期待。羨望。嫉妬。

 悲しみも、怒りも、喜びも、哀しみも、愛おしいという気持ちも。

 全てのものを表に出さず「アパル王太子」という周りが作り上げた仮面を被る。

 時折、姉の元を遊びに訪れるシャーロットは、アパルの地位も名誉も関係なしに無邪気に駆け寄ってきた。

 その時、自分はどんな表情をしていたのだろうか。

「大丈夫です。アパル様の気持ちが私に向いていない事くらい、分かっていますから。それでも側にいたいのです」

 シャーロットと他愛ないやり取りを見ていたカロスからそう言われた事がある。

 ドキリとした。

 核心を突かれた。

「安心して下さい。あなたの為に何かをしてあげたいとか。してもらいたいとか。そういうことでなく。ただ、側にいたいだけなのです」

 言葉の中に、彼女の本心が見え隠れしていると気付いたのは、その哀しそうな笑顔を見てしまったからだろうか。


 本当はこっちを向いてほしい。

 笑い掛けてほしい。

 弱音も吐いて。

 愛してほしい。


 カロスの見せる笑顔がもしかしたら、自分と同じ作っているものかもしれないと勘づいた時、アパルは本当の彼女を見てみたいと切望した。


 そこで今更ながらに辿り着いた答え。

 本心を探り合う者同士が分かり合える筈もない。と。

 

 アパルは時折、自身が冷ややかな目で弟を見ている事を知っていた。

 それは、シェリールを羨ましいという気持ちからであったのだが、絶対に認めたくなかった。

 自らの感情を律する事が正義だと。

 身体を鍛えれば自ずと心も強くなると信じて、剣を握ってきた。

 だが、自分でも知らぬ内に相手の事を考えてしまうような。相手の好きな物を同じ様に好きになりたいという衝動を感じてみたいと、本心はそれを願っていた。


 もしかしたら、今がそのチャンスなのかもしれない。

 カロスの言葉をきっかけに、アパルはその妹を頻繁に城へ招く様になった。

 何故ならカロスを知りたいと思いながらも、実際、二人きりになってしまったら何を話せばいいのか、何をすればいのかが全く分からなかったからだ。

 弟を参考にしようにも、彼らは常に図書室にいて本を読むか、庭でお茶を楽しんでいるくらいなので、参考にもならない。

 乗馬するにしても、カロスが馬が得意がどうかもわからない。

 街歩きに誘ってみようにも、カロスが何に興味をそそられるか分からない。

 観劇を嗜もうにも、カロスが自分に付き合ってくれるかも、分からない。

 いざ、歩み寄ってみようとしても、全てを上部だけで交わしてきたので、彼女の事を知りたいと口にしたとて、従者たちから今更何を言っているのか、と笑われるに違いない。

 言い方はかなり悪いが、シェリールを口実に婚約者との距離を詰めていけたらいいと考えてだったが、結果的にその思惑は大成功だった。

 何故なら、何を聞かなくてもシェリールが姉のプライベートを次々に話してくれたからだ。

 音楽を嗜んでおり、自分でヴァイオリンを奏でたり、教会へコンサートを聴きに行ったりもしているらしいこと。

 実はアパルの知らぬ所で庭いじりをしていて、自分の好きな花を集めた温室で、音楽を聴かせたりしていること。

 身体を動かす事が好きで、厩舎(きゅうしゃ)へ出入りしては、こっそり馬に乗らせてもらっていること。

 秘密を身内によって暴露されたカロスは顔を真っ赤にして妹を責めていたが、そんな一面を見ることの出来たアパルは、婚約者の事が少しだけ好きになれた。

 時折遠くから聴こえてきた音色は、彼女の奏でたものかもしれない。

 城に飾られた花は彼女が自ら選んだものかもしれない。

 今度、乗馬に誘ったら喜んでくれるだろうか。


 いろいろな事を想像するのが楽しくなり、カロスは毎日が楽しくなった。


 今までは義務であった婚約者との逢瀬。

 それが今では、カロスは何をしたら喜んでくれるだろうかと、考えるのが楽しくなっていた。

 ダリアの苗をプレゼントしたら、お気に入りに加えてくれるだろうか。

 今度、軍楽隊を見せてあげたら、喜んでくれるだろうか。

 カロスの演奏するヴァイオリンを、聴きたいと言ったらどんな反応が返ってくるのだろうか。


 これまでは、少し邪魔だと思っていた婚約者の存在が、とてもくすぐったいものに変わる。

 シェリールは、毎日こんな幸せな気持ちで過ごしていたのか、と。そしてそれを、知ろうとしなかった過去の自分を、お前は勿体ない事をしているぞ、と責めたくなる。


「……」


 と。

 幸せな時間を過ごす時間が長くなったからこそ、疑問に思う事がある。



 何故、弟はイザベラと婚約解消をしたのか。



 シェリールに聞いても、国王である父に聞いても口を噤むばかりで、教えてなどくれない。

 イザベラが城から去ってしまった後のシェリールは、抜け殻だった。

 婚約関係が解消された事が知れると、色んな権力者から、「自分の娘をお側に」などといった内容の手紙が届く様になったが、いつも弟の目に触れる前に処分されていた。

 国王にしても珍しく、早く相手を決めろとは言わず、息子の動向を常に伺っていた。


 図書室に籠っていたかと思えば、騎士隊に入れてくれと請われ、身体を共に鍛える時間も増えた。

 気付けばあまり社交性の見られなかった弟が、自ら人と話していた場面を見た。かと思えば、目を疑ってしまう程、饒舌でお調子者に変わってしまった。

 今ならもう一度聞けるかもしれないと、イザベラとの事を聞いてみると、「話せない」と拒絶の空気を纏い「兄上は幸せになって」と哀しそうにその場から消えてしまった。


 アパルはそれ以上シェリールの背中を追う事が出来ず、それでもやはり弟がイザベラを手離したことは間違いだと、強く思っていた。


 自らの目の前でカロスが倒れ、その命を落としてしまうまでは。




 その日は何をしようとしていただろう。

 記憶は全てが曖昧で。

 綺麗に咲いたダリアを一緒に見る予定だった気もする。

 練習していた曲を聴かせてと頼んでいた気もする。

 一緒に馬に乗って遠乗りする予定だった気もする。


 ただ、そのどれも出来なかった事だけは確かで。


 カロスの姿を見つけ、駆け寄って、声を掛けて、振り向いた彼女の笑顔を見た瞬間。


 視線の先には足元から崩れ落ちる婚約者の姿。


 何が起きたかなんて考えるより、身体が動いた。

 受け止められず、そのまま地に叩きつけられたその身体は力無く横たわったまま。

 

 アパルは受け止めるのが遅くなった婚約者の身体を抱き、幾ら呼んでも自分に微笑みかけてくれない彼女の名を呼び続ける。

 呼んでも。

 叫んでも。

 触れてみても。

 彼女からの「アパル様」と呼ぶ声と笑顔は返ってこない。


 様子を見ていた衛兵たちの行動は素早く、カロスの状態を認めると、微動だにしないアパルから彼女の身体を抱き上げ、城まで運んだ。

 一方、心身共に鍛えていると自負していたアパルは身動きが取れず、足の上に乗った彼女の重みの消えた両腕は、地面に落ちる。

 何度呼ばれたか分からない自分の名前に反応した頃には、婚約者の姿は既になく、側近に喝を入れられてようやく身体を動かす事が出来た。

 カロスの部屋には入らぬ様言われた。

 既に医師が待機していたその部屋で、処置をしている最中だからと、アパルは部屋の外で待つことになった。

 

 廊下で医師の診断が出るのを待つ間。


 ヴァイオリンの練習のしすぎからくる疲労でしょう。

 花壇のお手入れをしていたので、強い日差しにやられてしまったのでしょう。

 大事をとって数日休めば良くなります。


 そんな言葉が医師の口から聞けると思っていた。

 

 しかし、彼女の口から告げられた一言。

「精霊となり旅立たれました」


 精霊?

 旅立たれた?


 言葉の意味が分からず立ち尽くす。


 温もりは確かにここにあったのに。

 名前を呼んで振り向いた時の笑顔がまだ脳裏に残っている。

 今までは哀しげな笑顔を見せていたカロスが、花が綻ぶ様な、感情が零れ落ちる笑顔へ変わったのはいつだったか。



「アパル様。国王陛下がお呼びです」

 事情も分からぬまま執務室に呼ばれ、何があったかと問われる。


 自分は何もしていない。

 何もしていない。

 ただ、名前を呼んだだけ。


「まさかお前もか」

 告げた呟きに返ってきた答えの意味が分からず、そこで初めて、その場に弟も呼ばれていた事を知る。


「呪いが……シェリールだけでなくアパルまでも」


 感情を押し殺したその声が、何を言いたいのか聞き返すこともしない。

 カロスが倒れてから思考を停止していたアパルは、黙り込んだままの父と弟をその場に残し、部屋を後にした。

 何も考えずに向かった先は婚約者の部屋で、近付くに連れ、忙しなく動き回る人が多くなる。

 一体彼らは何をしているのか。

 周りは目的に向けて動いているというのに、アパルの時間はゆっくり。むしろ、止まったまま。


「アパル様っっ」

 

 現実に引き戻されたのは、自分を呼ぶ愛らしい声によって。


「お姉様がっっ」


 その言葉に続く言葉をアパルは知っていた。

 知っていたけれど認めたくない。

 まだベッドの上で動かない彼女の姿を見ていないから、現実に向き合わないで済むと思っていた。


「お姉様が永逝(えいせい)されたと」


 カロスの部屋には彼女の死を知らされた家族が集まり、その瞼と口を閉じたという。

 城に仕える女性陣が屋敷内を動き回り、彼女の身体を清め、間もなく教会へ運ぶのだと、部屋から出てきたカロスの父が話してくれた。

 義父に背中を押され、蝋燭の火が周りを囲むカロスのベッドに近付いていく。

 その足取りは重く、遠目から見た婚約者は、目と口は閉じているが、その顔はとても温かな表情を浮かべている。

 一歩。

 一歩。

 慎重に彼女に歩み寄る。

 娘の婚約者である第一王子の登場に、側で涙を流していた母親や、カロスの世話をしていた者たちが音もなくその場を退散する。


「……カロス」


 彼女にだけ聞こえる声で呼んでみた。

 

「……」


 蝋燭に灯された部屋は暖かく、まだ血色のよいその顔はただ眠りについているだけのよう。

 アパルはそっと頬に触れてみた。

 温もりの残るその熱は、確かに自分の体温より低いが、柔らかさは保たれたまま。


「カロス」


「……」


 寝息も聞こえず、息をする度に上下する胸の動きもない。

 唇に視線を落としても、それが開いて呼び返してもくれない。


「カロス」


 アパルはその少し血の気の失ったそこに静かに親指で触れた。

 口付けをすることはおろか、好きだと伝える事すらできなかった。

 何故今まで向き合おうとしなかったのか、と。

 早く想いを伝えていたら、彼女の色々な部分が見えていたのかもしれないと。


 隣で、目の前で一緒に笑ってくれたあの笑顔はもう見られない。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 カロスの部屋からの叫び声は、城全体に響き渡り、教会の人間が迎えに来るまで、誰もその空間に足を踏み入れる事は出来なかった。




 街中に鐘が鳴り響く中、教会へ運ばれたカロスの身体は、修道士たちにより祈りを捧げられ、埋葬の為に運ばれた。

 既に精霊となってしまったカロスの魂は、もう肉体にはないというのに、その身体を暗い闇へ埋めてしまう行為はとても辛く苦しかった。

 世界が闇で覆われると、カロスを知る人間が彼女を埋葬した場所で彼女についての話で盛り上がり、修道士は祈りを唱え続けた。

 カロス自身もその場に参加しなければならないと分かっていたが、足がそちらに向かわなかった。


「アパル様。国王陛下がお呼びです」


 滅多な事がない限り、日に二度も呼び出される事はない。

 だが、その場に居たくなかったアパルは父親の呼び出しに応えた。


「どういった用件でしょうか」

「アパル。お前にも伝えておかねばならぬ事がある」


 二度目に呼ばれた執務室には、今回もまた弟の姿があり、その表情は心なしか強張っているように感じた。

「カロスの埋葬は済んだか」

「はい。先程」

「そうか」

 まるで探る様な、どうやって本題に話を持って行くか考えているのだろうか。


「これからする話は、王家の血をひく者にだけ、口承で伝えられている」


 父が、ゆっくりと言葉を選びながら話しているのが分かる。

「かつてこの地は精霊が支配していたというのは知っているな」

「はい。史実で。後に人間がこの地を治める様になり、今でもここには精霊の加護があると」

「そうだな。だがその中には伝えられていない事もある」

「え?」

「……」

 驚きの声を上げるアパル。

 一方シェリールは動じる様子がない。

「それはどう言った……」

 アパルが王に視線をやると、父は言いにくそうに視線を逸らす。


「呪いだよ」


 横で静かにやり取りを見ていたシェリールが他人事の様に言う。

「呪い?」

「そう。呪い」

 にわかに信じられない単語に、アパルは再び父に答えを求めた。

「……」

 王はただ一つ大きく頷き、次男の言葉を肯定する。



「精霊王の逆鱗に触れた人間に」



 シェリールは兄に伝える、というよりも、自らに言い聞かせているかの様に声を出す。



永久(とこしえ)の呪いを

 

 愛する者を失う恐怖

 己の手で その命を絶つ苦しみを

 噛み締めるがいい

 その命 続く限り」

 


「……」

 憎しみの込められた物言いにアパルは口が継げなかった。


 愛する者を失う恐怖。


 カロスが死んだのはそれが理由だというのか。

「それはどういう」

 あまりに抽象的すぎて説明が欲しい。

 同じ空間を共にする父親は既に説明責任を放棄し、何故か事情を良く知っているらしいシェリールが代わりに答えた。

「王家の人間が代々引き継ぐ呪い。それは王族のみならず、血族であれば性別、爵位など関係なく平等に。精霊王の番を奪った人間に対する呪詛の言葉。呪われた人間の愛する気持ちが相手の命を終わらせる」

 淡々と繋がれる言葉を理解しようと頭を働かせる。


「それは」


 頭の中で辿り着いた答えを口に出していいのだろうか。

 元気で病など抱えていなかった彼女が何故何の前触れもなく亡くなってしまったのか。

 弟の口から語られた伝承を己の頭の中で必死に噛み砕く。

 代々続く精霊王の呪い。


「俺が」


 王家の血を継ぐ人間にかけられた呪い。


「俺が」


 気持ちだけで殺してしまう呪い。


「俺が」


 認めなくない。

 



「俺がカロスを殺した?」



 

 父に視線をやり、弟に視線を映す。

 無言の室内に、導かれた答えがそれを肯定だと判断した。

「診断した医師によると、特に異常は見られなかったという。ただ心臓が鼓動を止めた、と」

 彼女はもう深い土の中で眠っている。

 そんなの嘘だと。

 掘り起こしてもう一度確認してくれなど。

 死者を……愛した人を冒涜する事など出来やしない。

 宮廷医の診断は恐らく正しい。

 内臓に病などなかった。

 外傷も倒れた時に打ち付けたものだけ。

「シェリールは」

 全身の力が抜けていても尚、立ち続けるアパルの目の前は、フラフラと景色が歪む。

 突き付けられた現実は、あまりに浮世離れしていて、まだ受け止めきれない。

「シェリールはこれを知って」

「だから離れた」

「でもイザベラは生きてる」

「三日の間。目覚めずにいた」 

 今までシェリールのかつての婚約者について何度か聞いてみた。

 だが、弟はその話題がのぼると、外部の人間に対しては笑顔で交わし、身内には冷たい笑みでそれ以上踏み込むなと牽制してきた。

「彼女も元気だった。けれど、カロスと同じように倒れたんだ。自分に向けて笑ってくれる顔が可愛くて、手を伸ばしてその口に触れようとした。自分の中で膨らむ彼女のへの想いが、その時大きく膨らみすぎて、彼女を壊した」

「シェリールはこの……呪い……、については、初めから知っていたのか?」

「まさか。こうして呼び出されて初めて知ったよ。だから離れたんだ。イザベラから。呪われるのはかつての王の血だ。必ずしも王族とは限らないが、()()それが現れた。父上や、叔母さまなどにも現れていなかったらしい。なのに、まさか兄上まで」

 まさかこれから国を支えていく王子二人が、そんなものを抱えて生きていくとは、父親も思ってもみなかっただろう。

 シェリールの次の婚約者選びに慎重になっていたのは、この為か、と、今さらながらに納得する。

「このことは他言無用」

 父である国王がは、そうしていないのに、まるで頭を抱えているかの様な声で話す。

「ひとまずアパルも気持ちを落ち着かせるがいい。呼び出してすまなかった」

 


 執務室は重い空気だった。

 廊下へ出たアパルは新鮮な空気を吸おうと、扉が閉じた事を確認して立ち止まった。

 口を少し開き、身体中に行き渡る様に胸に空気を取り込む。

 そしてゆっくり全てを吐き出すと、ようやく一歩を踏み出した。

 窓の遠い向こうに揺らめく火が見える気がして立ち止まる。夜も深いというのに、遠くにある教会は明るく、きっと賑やかだろう。

 彼女を慕う者は多かった。

「……」

 城に仕える人間は誰も何も口にはしない。

 だというのに。

 すれ違う度カロスに頭を下げ、その伏せられる瞬間の目から「お前がカロスを殺したのだ」と言っている様に思ってしまうのは、やましいものを抱えているからだろうか。

 後ろめたい気持ちが、アパルが再び婚約者の墓場へ行こうとする足を止める。

 呪いをかけられているなど、俄かに信じる事はできない。

 今だってそうだ。

 カロスが亡くなってまだ半日しか経っていない。

 笑っていたのに。

 話していたのに。

 触れていたのに。

 もう隣にいないだなんて誰が信じる。

 呪われた血のせいで彼女が犠牲になっただなんて誰が信じる。

 



 人を愛してはいけない人間がいると。




 誰が信じる。




 ***


 アパルは彼女のお墓に一度も花を添えに行ったことはない。

 何故なら()()に彼女はいないから。

 きっとそれはこれからも変わらない。



 感情を揺さぶられずに生活する事は思ったよりも簡単だった。

 物心ついた頃には既に両親や教師陣たちから、自分を表に出してはいけないと言われ続けてきた。

 朝起きて剣を払い、勉強し、再び剣を握り、くたびれたら眠る。

 食事は、側近が痺れを切らし声を掛けてくる時に腹に溜めた。

 その行為は生きろと言われているようで、好きではなかった。

 口へ運び、咀嚼し、嚥下する。

 その繰り返し。

 料理長には申し訳ないと思いつつ、並べられるどの料理も味などしない。

 何を食べても同じ味。

「美味しかった」

 しかしアパルは笑顔で彼に告げる。

 食事を作ってくれた事に対しての礼を。


 彼女が居なくなってから、全てが平坦に流れ落ち、全てがどうでもよくなった。


 弟の方はというと人当たりが良くなって、付き合いやすくなったと評判がいい。

 そろそろ次の婚約者を選んではどうだと打診はあるが、呪いを知る国王と弟が首を縦に振らなければ動こうにも動けない。


「アパル様」


 何も考えたくない。と、身体を鍛える為と城内を走り回っていた頃だった。

 防備が最小限な彼を警護する為の衛兵が、時期国王を守る為に取り囲む。

 過剰な保護。

 しかし、そういう事にわざわざ口を挟むのも面倒くさかった。


「アパル様」


 自身の呼吸と足音と鼓動しかなかった世界に、懐かしい音が届く。


「アパル様」


 足を止め、辺りを見回しても誰の姿も見えず、幻聴だったかと再び足を進める。


「アパルさまぁ」


 しかし、声は遠くの方から再び聞こえ、名前の持ち主は速度を落とした。


 優しくて懐かしい声。

 遠くない昔に、彼女の声と重なって聞こえた笑い声。


「シャーロット?」


 姿は見えないのに声だけがする。

 それが何故かと理解できたのは、自分の周りを取り囲む衛兵の姿に気付いたからだ。

 声の先に立つ衛兵の方へ向き直ったアパルは、そのままその方向へと歩き出す。

 自分を守る為とはいえ、その狭く囲まれていた空間に、光が差したかのように思えた。


「アパル様。早いんですもの」

 肩で息をし、息も途切れ途切れに話す姿は、多少成長しているが、愛らしい姿は保たれたままだった。

 必死に呼吸を整えようとするシャーロットは、声を掛けたまではいいが、次の言葉が出せない程息切れしてしまっているので、互いに固まってしまう。

 アパルを取り囲んでいた衛兵たちは、カロスの妹の姿を確認し少し遠巻きに退散していった。

 

 アパルは、他人の瞳に自分が映っている光景を久しぶりに感じている気がした。

 彼女を失ってからの彼は、笑顔を貼り付けた状態を続け、人の目を見ないようにしていた。

 誰とどんな話をしていても「お前がカロスを殺した」と責められている気がして、吐き気がする為だ。

 だが、不思議と今は落ち着いている。

 彼女と似た瞳を持っているのに。


「お久しぶりです。アパル様」

 ようやく息の整ったシェリールはそう挨拶をしながらカーツィを披露した。

 見比べてはいけないが、やはりカロスの所作はとても優雅で流れるようだったのだ。と、今はもういない婚約者に想いを馳せる。

「先程は大変お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

 その謝罪は、薄ピンク色のドレスの裾を大胆に持ち上げ、踵の高い靴でアパルを追いかけていた事についてだろうか。

 レディがそんな事をしていて、よく咎められなかったものだ。と、アパルは思案する。

「……ふ」

 アパルはシャーロットのその姿を思い出し、心の中で笑った。

「まぁ」

「?どうしましたか?」

「いえ」

 ふふふ。と、楽しそうに笑う彼女にアパルは首を傾げる。

「久しぶりに笑った顔を見た気がしました」

「……私が?」

「ええ。遠くからしか拝見していませんでしたが、いつも暗い顔をされていたので」

 シャーロットは、カロスが亡くなってからも城に来ていたというが、彼はやる事があるからと、彼女たちと関わるのを避けていた。

 呪いの存在は父と弟と自分しか知らないとはいえ、もしかしたら死因を追求され、身内だからと口を割ってしまっているかもしれない。

 そうしたら、責められるのは自分だ。と、思うと、顔を合わせるのが怖かったのだ。

「笑っていた?」

「はい」

 はっきりとそう断言するシャーロットの顔も嬉しそうだ。

「そう」

 心の中の声が漏れてしまっていたのなら、仕方がない。

 久しぶりに楽しいと思えたのであれば、久しぶりに素直に己の感情に従おうと思った。

「シャーロットが凄い勢いで走ってる姿を見て、おかしかったから」

「まあっっ」

 先程と同じような感嘆詞なのに、先程の驚きとは違い、今は恥ずかしそうで、耳まで赤くなっている。

「忘れてください」

「忘れられないよ」

 顔を隠す姿はまだ幼く、あんな風に無邪気に走れるのは今のうちだけかな、と、スカートを持ち上げる姿が頭をよぎる。

 ずっとこのままでいてもらいたい気もするが、何処かで変わってしまう事も分かっている。

 不変を望んでも叶わない事は、痛いくらい知っている。

「……アパル様?」

 覗き込んだシャーロットの顔に焦点が合い、彼は我に返った。

「シャーロットは追いかけてくる位必死に走って、俺に何を伝えに来たの?」

 暗い感情を誤魔化す為に、努めて明るく振る舞う。

「あっ。そうでした」

 ずっと気になっていた。

 その手に握られた丸くて黄色い球のような花。

 本当に花なのか、もしかしたら蕾なのか。

 カロスの事を知るようになって多少詳しくはなったと自負はしていたが、所詮上辺だけの知識にすぎない。

 覚えなければいけない事が多すぎて。

 けれど、人との会話の幅を広げる為には無駄にはならない分野だと知った。

 花は人を笑顔にさせるいいツールだ。

 何より、土いじりをしている彼女は、城の中から見てもいい顔をしていた。


「お姉様に頼まれていた物をお持ちしましたの」


 不意打ちで告げられた単語にアパルは声を失い、同時に差し出されたその花束に意識が奪われる。

「これは?」

 控えめに言っても華のない花束。

「クラスペディアのドライフラワーです」

「クラ……?」

「クラスペディア。です。部屋に置いておくとアパル様に見つかってしまう。と、わたしが預かっていたんです。花に興味を持ってくれたアパル様にリースのプレゼントをしたいって、実家でドライフラワーを作っていました」

 受け取って欲しいのに受け取ってもらえず、シャーロットは一度腕を胸元へ引き寄せた。

 よく見ると小さい花がたくさん集まっている可愛い花なのだ。

「最近、アパル様が部屋によくいらっしゃるとのことで、隠して作業するのが難しいと。それなら、わたしが預かって乾燥させておくので、出来上がったら一緒に作りましょうって……」

 姉の事を思い出してしまったのか、彼女の声は次第に涙混じりになり、最後は聞こえぬ程までに小さくなって消えてしまった。

「カロスお姉様はアパル様の事、大好きでしたよ」

 目尻を濡らし、真っ直ぐ彼を捕らえる。

 姉との突然の別れは、家族だけでなく彼も苦しめたに違いない。

 けれど城で見掛ける彼は、こちらに意識を向けないように徹底し、気持ち悪い笑顔を貼り付けて動き回っていた。

 しっかり泣けただろうか。

 こうして久しぶりに対面した姉の婚約者の身体は見るからにやつれ、細くなっているというのに、追い討ちをかけるかのように、身体を痛めつける運動を続けている。

「悲しむことは悪い事ではありませんよ。アパル様」

 シェリールは満面の笑みを浮かべた。

 別れは誰にも訪れる。

 それを受け止めるまでに時間が掛かるのも分かる。

 だから、今、渡さなければいけないのだ。

「受け取ってください。お姉様の気持ちです」

 再び彼の目の前に突き出したクラスペディアのドライフラワー。

「永遠の幸福」

「え?」

「花言葉。永遠の幸福って言うんですよ」

「永遠の……幸福」

 アパルは言葉を噛み締め、シェリールの手からそれを受け取る。

「お姉様は同じ時間を過ごして永遠の幸福を感じていたんです。アパル様に愛されて幸せな気持ちを抱えたまま旅立って行ったと思います」

 アパルの頬を伝う一雫にシェリールが本人よりも先に気付いた。

「悲しい時は泣いていいんです。だって、それだけ大好きだったという証拠だから。無理して忘れなくていいんです。カロスお姉様のこと。今はたくさん泣いて、泣いて泣いて、天にいるカロスお姉様に、まだこんなに大好きだよって伝えてあげてください。もし、アパル様が泣けないと言うのであれば、わたしが代わりに泣いてあげます。アパル様の分まで。だってわたしもお姉様の事、ずっとずっと大好きですから」

 自分よりも小さなシャーロットが何故かとても大きく見えた。

 アパルは一歩彼女に踏み寄り、その華奢な身体をそっと抱き締める。

「少しだけ」

「はい」

「少しだけ……泣かせて」

「はい」

 小さな肩にもたれかかり、アパルは声を殺して泣いた。

 その嗚咽する声が聞こえていたのはシャーロットだけだった。


 ***


「シェリール」

 図書室で本を読んでいた彼を見つけたアパルは、司書たちに人払を頼み、弟に近付いた。

「なに。こんな所にまで」

 家庭教師について教わる事も終え、今は父や側近達に教えられたり着いて回りながら、公務を少しずつこなすアパルの自由時間は限られている。

「お前。誰とも結婚する気、ないのか」

「は?」

 名前を呼ばれても活字に意識を向けていたシェリールは、その一言に怒りを露に反応する。

「なんで兄上がそんなこと言うの。分かってるでしょ」

「だからこそ。だ」

「なに?」

 不快感を隠そうともしない弟の姿にアパルは続ける。

「誰とも結婚する気がないなら、シャーロットはどうだ?」

「は?俺、兄上より先に結婚する気ないよ。いろいろ面倒だし」 

 表紙を閉じて乱暴に机に投げ置いた本は、少しその上を滑って止まる。

 婚約、結婚、跡継ぎ問題。

 面倒臭い事には極力関わりたくない。

「だから、婚約という形で」

「……。何が言いたいの」

「お前の相手なら俺が好きになっても手立てがない。……とでも言えば伝わる?」

「なに?俺をストッパー代わりに利用するの?ろくでもな」

 鼻で笑うシェリールはアパルの話を真剣に聞こうとしない。

「まぁ、互いに呪い(あんなもの)に支配される運命らしいからな」

 あの日から、呪いの存在が自分たちを歪めているのは分かっている。

「どうだ。いい子だぞ。カロスのように惹きつけられる美しさではなく、愛らしい令嬢だ。しっかり作法を身につけさせてやりたい。これがせめてもの恩返しになるのなら」

「何?好きになりそう?」

「……」

 シェリールが揶揄う様に放つ。

「そうなる前に……だ」

「ふーん」

 シェリールは最初の婚約者を手放し、もうどれ程の時間が過ぎただろう。彼女が離れても、図書室に通う習慣は残っているらしい。

「だから、俺の婚約者もお前が決めていい」

 アパルは真剣に弟に頼み込む。

「分かった。考えとくよ」

 兄の気持ちは弟が誰よりも分かる。

 そして、弟の気持ちも兄が誰よりも知っている。



 こうして、シェリールはシャーロットを受け入れた。



 そしてそれからしばらくの後。

 

 今度はアパルがイザベラを城へ招き入れた事により、物語は再び動き始める。






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