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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第一章 Vの愛
6/37

05


 殿下の登場に呆然としてしまったけれど、我に返って一歩下がりカーテシーをとる。


「ごきげんよう、殿下。本日は一体ど――」


 息が詰まった。

 揺れた視界と崩れた姿勢、触れる体温から、抱きしめられたのだと気づいた。顔に熱が集中する。


「あ、あらあら、」

「捨てないでくれ!」


 ……はい?


「わたしが悪かった。ヴィの強さに甘えていた」


 謝罪を受けている。理解はできるが、受け止めるには至らない。


「殿下、」

「どんな罰でも受ける。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。だけど、どうか嫌うのは待ってくれ。……既に嫌ってしまったのなら少しの間でいい、保留にしてくれ」


 とめどない言葉の濁流に呑まれて、私は発言を封じられる。どうしましょう、と困っていると、置いて行かれたのでしょう、遅れてやってきたゼルさまが盛大に吹き出した。お腹を抱えて笑い転げている。


「あっはっはっは! 殿下、何だいその情けない姿は! まるで兎じゃないか! ふ、ふふ……あはは! これだから君の隣は離れがたい」


 目端に涙を浮かべるほど笑っているゼルさまを見ていたら、羞恥を忘れてしまったのか顔の熱が引いた。抱きしめる殿下の腕に力がこもった気がするのは気のせいでしょうか。


「ヴァイオレット嬢、あなたを抱きしめているのはこの国の王太子だよ」

「存じております」

「おや、ではこれはご存じかな? 彼はあなたの不実な婚約者ですよ」

「……存じております」


 びくり、と殿下の肩が大きく跳ねた。


「ゼル、お……わたしはヴィと話がある。後のことは任せるぞ」

「ふふ、仰せのままに。お……ぷふっ、王太子殿下」

「ちっ」


 殿下が舌打ちした。珍しい様子に目を丸くする。

 なんだかいつもの殿下らしくない。まるで別人のよう、と首を傾げていると不意に体が浮いた。顔を上げると、目の前に殿下の顔があって、息を呑む。横抱きにされたらしい。右手の鈴が乱暴な音で鳴り続ける。


「で、殿下……」

「ヴィ、生徒会室まで我慢しておくれ」


 言うなり殿下は歩き出してしまって、私は返事もできなかった。再び顔が燃えるような熱さに包まれる。

 まばらとはいえ無人ではない廊下をずんずん進む殿下に子猫のように抱かれたまま、赤いであろう顔を隠そうとうつむくことしかできない。手で隠す、という選択肢が浮かんだのは、殿下が生徒会室の中へ入って扉に鍵をかけてからだった。そっとソファーに下ろされる。


「さて、ヴィ」


 顔を上げられない。頬が熱い。


「すまない、強引だった。でもどうしても話がしたかったんだ」


 私だって、ずっと話がしたかった。


「ヴィ、話をしよう。わたしは今から君を説き伏せるから、君がまた鈴を受け取ってくれるまで話をしよう」


 ……ん?


「殿下、それは話し合いとは言いません」


 羞恥が裸足で逃げ出した。何でしょう。抱きかかえて運ぶなんて可愛いものだと思ってしまうくらい、強引な気配を感じた。


「話し合いだよ。わたしのことは煮るなり焼くなり好きにしてくれ。ただわたしは、君を諦めない。嫌われたままでは終わらせない」


 こめかみの辺りがぴりっとした。

 どういうつもりなのでしょう。私が鈴をお返ししたことの意味を、随分と安く考えていらっしゃるような気がしてならない。なぜ、殿下の方が怒っているような様子なのでしょう。

 置き去りになっていた怒りが再燃する。

 不実を働かれたのは私の方だったはずなのに。放っておかれ、会いにも来てもらえず、そのくせソフィア嬢とは逢瀬を重ねていたご様子。怒る権利は私に有って、殿下はまず、不実を詫びるべきではないでしょうか。

 捨てないで、と殿下は言ったが、その割に随分と強気な態度だ。


「私との婚約はこのまま継続されるのでしょうか」

「もちろんだ」

「殿下が真実の愛を見つけた、と噂になっているそうですが、そちらはよろしいのですか」

「わたし達の婚約とは無関係な話だろう」


 政略結婚なのだから、私達の感情は関係ない。好き不好きで左右されることではない。さりとて、私にだって感情はある。

 いくら表情が仕事をサボりがちとはいえど、心はあるのだから気持ちがある。思いがある。殿下に対する、想いがある。


「私は殿下を、図書館だとは思えませんわ」

「ヴィ?」

「嫌です」


 今のまま婚約を続けることも。殿下が他の女の子と笑い合うような現状のまま、殿下と結婚することも。良からぬ噂を流されて、それをくだらないと捨て置くばかりの殿下も。捨てないでとか、嫌われたままでは終わらせないとか、そんなことばかり言う殿下も。

 私のことを好きだと、言ってくれない殿下なんて。……嫌いになってしまえたらいいのに。


「ただの飼い猫では嫌です。そばに置いて愛でていたいだけならどうぞ、ソフィア嬢でも他のどなたでも、王太子妃にお迎えください」


 燃える炎が胸を焼く。焦げつく想いが悲鳴をあげる。

 嫌だ。ソフィア嬢を選ばないで。私は殿下でないと嫌なのに、他の女の子と仲良くしないで。


「首輪に繋がれて膝の上で丸くなるだけの子猫なら、私でなくてもよろしいではありませんか。鈴は要りません。あったところで、殿下はもう私を見つけてはくださらない」


 私が殿下のところへたどり着けるわけがない。頭の中の地図には図書館しか記載されていないのに、歩いて三十歩のところだって迷うのに。一人ではどこへも行けない私が、殿下に愛していただきたい、などと。どうやって言えるというのでしょう。殿下が迎えに来てくれないと、案内をお願いした第三者がどうしたってそばにいるのに。


「わたしはヴィでなければ嫌だよ」

「私は、今の殿下では嫌です」


 ムッとして眼差しを厳しくする殿下を真正面から睨め据える。


「私のことを、(えさ)を与えておけば機嫌のいい猫だとでも思っておいでですか?」


 冗談じゃない。

 怒りが言葉に棘を生やす。


「ただの図書館ならインヴェルン辺境領にございます。私は、私と本の仲を裂いてでも、愛をくださる殿下でなければ嫌です!」


 言葉を重ねるほど、ますます腹が立ってきた。

 こんなに怒っているのに、どうしてかぽかんとするばかりの殿下の顔を見ていたら、かちーんときた。


「殿下との結婚などお断りです! 真実の愛でもなんでも、追いかければよろしいのですわ!」

「どうしてそうなる!」

「殿下が私のことを好いてくださらないからです!」

「好きだよ! そこから疑うのか!?」


 びっくりして、言葉に詰まった。


「これまでの努力は全て無駄だったのか!? こんなに愛してるのに!?」


 愕然とする殿下の言葉を聞きながら、私はぼんやりしてしまう。


「全くか!? これっぽっちも伝わってなかったか!?」

「……言われたことなんてありませんもの」

「嘘だろ……。わかりやすいと散々ゼルにバカにされながらも頑張ってきたのに」


 なぜわからないんだ、と声を沈ませた殿下に再びムッとする。


「言わずとも伝わる、なんてものは殿方の甘えですわ。言葉にしていただかなくてはわかりません」


 ぎょっとした殿下が声を張る。


「これまでの俺の行動からは何も感じなかったのか!?」

「殿下はどなたにでも優しいではありませんか!」


 誰もが認める王太子。慈悲の心で民を導いてくださる、と皆の期待を背負った殿下。私だけが特別だなんて、どうして思えましょう。

 鈴の音が鳴っても気づいてくれず、私でない子と声をあげて笑い合っていたくせに。


「最近の殿下は優しくなかったので、どちらにせよ私には伝わりません!」

「言い切ったな!? 俺がいつヴィに優しくしなかった!」

「今まさに優しくないです!」


 私がこんなに大きな声を出して怒っているのだから、殿下が優しくしてくれているわけがない。


「会いに来てもくださいませんでした!」

「ヴィだってゼルやユーリとばかり会っていただろう!」

「殿下が見つけてくださらないから、代わりに探してくださったのです!」


 会いに行こうとした。自分の足で、自力で、行けるのならとうに行っていた。どうしたってたどり着けなくて、歩けば歩くほど迷走して、殿下の影すら見えなかった。


「私の方向音痴は不治の病です! どなたかに連れて行ってもらわずに、どうやって殿下の元まで行けというのですか!」

「誰でも捉まえて案内させればよかっただろう!」

「殿下が噂を放置なさるから、いつ捨て猫になるとも知れない私と関わるリスクに怯えてみんな逃げ出しました!」


 殿下との婚約が解消されれば、ベルシュタイン家は王家との繋がりが薄れる。現実にそうはならずとも、印象とは負の面の方が目立つものだ。


「う、噂を放置したのはヴィも同じだろう!」

「ですから! どうにかしたくて殿下に会いに行こうと足掻いていたのです!」


 ソフィア嬢との関係を問い質そうと。彼女と仲良くするのは嫌だと文句を言ってしまおうと。

 殿下の気持ちを知れないままで、噂だけをどうこうすることなどできるものか。

 私達の婚約に感情が関係ないことはもちろんわかっているけれど、それでも感情が嫌だと訴えるものはしかたないでしょう。形だけの奥さんなんて嫌だと、頭ではなく心が叫んでいるのだから。


「……~~っヴィの方こそどうなんだ! 俺以外の誰かに心を移したんじゃないのか!」


 何を言い出すのかと思えば言うに事欠いて!

 ぶちぃ、と頭の奥で何かが千切れる音が響いた。


「私がどなたに心を移したとおっしゃるのです!」

「その鈴は何だよ! 俺に鈴を返した途端にそれか!」

「これはアレキがくれたお呪いです! 浮気者の殿下と一緒にしないでくださいまし!」

「浮気してない!」

「浮気した殿方はみんなそう言うのです!」


 ロマンス小説に幾度も登場した場面だ。浮気した殿方は婚約者なり恋人なり奥方なりにバレた際、必ず一度は否定する。そのせいで余計に話がこじれるのだ。


「今度はどんな本を読んだんだ!? 手当たり次第にも程がある! 胡散臭い本を読むのはやめろ!」

「私が何を読もうと私の勝手です! 私は図書館の壁の染みになるのですから、胡散臭い本でも破廉恥な本でも関係ありません!」

「何だ壁の染みって!? 何の宣言だ!?」


 喧嘩してるのに集中できない、と殿下が叫ぶ。


「ヴィ頼むから! もっとわかるように怒ってくれ!」

「浮気する殿下なんて嫌いです!」

「待て! それはやめろ! 嫌うのは駄目だ待ってくれ!」

「我儘をおっしゃらないでください!」


 なんて方でしょう。ちっとも優しくない。

 本を読むなとかわかりにくいとか、どうしてひどいことばかりおっしゃるのでしょう。


「殿下なんて、もう好きにしたらよろしいのですわ! どうせ私は本狂いの迷い猫ですもの。どこにも行けず誰にも見つけてもらえず、朽ち果てるのが目に見えてますわ」


 なんだか悲しくなってきた。

 そうよ、王太子妃になったからといって、私の方向音痴が治るわけではない。迷子の果てに、どことも知れぬ場所で朽ちるくらいなら――


「わたしのことは、図書館とでも思ってくれていい」


 幼い殿下の声が重なった。


「ヴィのためならわたしは男でなく、図書館でいい。好きになってもらえるなら、何でもいい」

「……殿下の婚約者であることを、後悔したことはありません」

「今も?」

「これまで一度だって、後悔したことはありません」


 そしてきっと、これからも。


「ねえ、ヴィ。借金はわたしがするから、どうか我儘を聞いておくれ」


 わたしのことを好きかどうか教えてほしい。

 言葉を理解するのに、随分と時間がかかってしまった。じんわりと頭の中に言葉が染みて――茹で上がる。


「聞けません!」


 何も考えず叫んだ。


「お、俺だってヴィに好きだと言われたい!」

「やっと言ってもらえて私はいっぱいいっぱいなので言えません! 大体、私が読書の時間を削って殿下を探していたことが何よりの証明だとは思ってくださらないのですか!」


 放課後の時間をほとんど全て使って殿下を探していた。夜更かしして読書の時間を捻出しなければならないほど、後回しにして校内を歩き回っていた。殿下に会いたい、その一心で。


「行動でなく言葉で示せという話じゃなかったのか!?」

「喧嘩の最中に理を詰めようとなさらないでくださいまし!」

「ヴィ!? 言ってることめちゃくちゃだぞ」

「私は怒っているのです! 怒っているから自分で言ったことなんて覚えていません!」


 殿下は、ぐぅ、と呻って、それからふっと肩の力を抜いた。


「……うん、わかった。わたしの負けだ」


 ヴィ、と呼ぶ声があまりに優しくて、私はうっかり素直に返事をしてしまった。


「愛しているよ、ヴィ。お願いだから、わたしの婚約者をやめないでくれ」

「……全部、説明してください」

「もちろん」


 拗ねたような声になったけれど、殿下は何も言わなかった。


「ヴィが納得するまで説明する。わたしのことは煮るなり焼くなり好きにしてくれ。でもヴィ、わたしが君を好きでいることだけは信じて?」


 殿下が立ち上がり、膝の上で握りしめていた私の手をとった。

 お願い、という声は甘えるような気配をして、首を傾げる仕草はユーリ殿下にそっくりだった。わけもなく悔しくて、けれど笑ってしまったので私の負け。


「はい、……ふふ、信じます」

「ありがとう、ヴィ」


 安堵の息を吐いた殿下の唇が弧を描き、指先にそっと触れた。

 

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