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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第一章 Vの愛
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04


 朝になっても、アレキは大変に機嫌が良かった。久しく見ない満面の笑みではつらつと私の支度を整え、やたらと私の右手を撫でる。鈴が鳴るたびにうっとりと溜め息をこぼす様子は、見ていてげんなりしてしまった。


 私が登校するギリギリまでそうしていたのに、いざ扉を開けると真面目な顔をして、やけに冷たい水を飲むよう勧めたりもした。渋々受け取り飲んだけれど、冷たさで頭痛がした。


『どうぞ冷静に。お嬢さまなら大丈夫です』


 なんて言われても、直前までの行動のせいで台無しだ。振り幅で眩暈を起こしながらやっとの思いで寮を出たのだけれど……。


 ――また、どうして私は毎度こうなのでしょう……。


 石畳の続く廊下は水を打ったように静かだ。冷えた空気が、生徒が活発に行き来する場所ではないことを訴えかけてくる。おそらくは北棟、普段あまり使用されない旧校舎だろうことは辛うじてわかるものの、北棟のどこなのかはわからない。

 あらあら、まあまあ。知らない場所に出てしまったわ、なんてのん気に困りながらも歩みを止めなかった少し前の己が憎らしい。


 ここはどこなの、どうして教室がここにないの。私ちゃんと歩いてきたじゃない。私の頭の中ではこちらの道が正しかったのに。教室といい殿下といい、みんなして私を避けているかのように出会えない。

 周囲に人の気配がないのをいいことに、地団駄を踏む。ヒールが床を叩き、高い音が廊下に反響した。


「……ふぅ、」


 ともかく人のいるところへ行かなければ、と苛立ちを吐息で追い払う。

 静寂に耳を澄まし、音を探る。ややあって、風の音に混じる人の声を拾った。胸を撫で下ろし、音のする方へ向かう。


「子爵家の令嬢が、身の程をわきまえなさい!」


 ひと気のない廊下に、鋭い声が反響する。突然の大声に驚いて息を呑んだ。とんでもない人達のところへ来てしまったらしい。


「婚約者のいらっしゃる男性に……なんてはしたない」

「相手は王太子殿下なのよ」

「ヴァイオレットさまのお気持ちを考えなさい!」


 聞き捨てならない言葉を拾ってしまった。……どうしましょう、聞かなかったことにしてしまいたい。けれどこの機を逃したら、別のどなたかと出会える可能性は低いでしょう。

 呑み込めなかった溜め息が深々とこぼれ落ちる。

 声を頼りに近づいて、廊下の角を曲がると果たして、なぜか床に座り込んでいるソフィア嬢と、彼女を取り囲むように四人の令嬢達が立っていた。どうやら言葉だけでなく手も出したらしい。もう一つ溜め息が滑り落ちる。


「一体、何をしているの?」


 ゆっくりと前に踏み出て、できる限り静かに声をかける。頬に指を添えた拍子に、りん、と鈴の音が響いた。

 弾かれたようにこちらを振り返った令嬢達には見覚えがある。いずれも伯爵家のご令嬢で、どなたのご両親もベルシュタイン家を慕ってくださっている。けれど確か、彼女達はどちらかと言えば私を快く思っていなかったはず。テオドール殿下が野良猫を拾った、と囁いているところを見たことがある。

 何かと黙っておけない性格のようで、事あるごとに大騒ぎしていたけれどまさかここまでとは思わない。好きも嫌いも、地位のある人間が言葉にすればそれは、たちまち善と悪へと姿を変える。そんなことも理解できずにいるなんて。……面倒なことをしてくれた。


「ヴァイオレットさま、……」


 声を発した令嬢にゆっくりと視線を向ける。意識して口角をあげれば、冷たい廊下が更に冷え込んだ気がした。令嬢達が一歩下がる。


「私はあなた方に、何をしているのかと問うているのですよ」

「ヴ、ヴァイオレットさま、これは違うのです。わたし達は――」


 弁明しようと顔を上げた令嬢はしかし、視線が交差した途端、ひゅっ、と喉を震わせて言葉を切った。なかなか答がもらえない。

 こういう場面で浮かべる笑顔は大抵、相手を支配するのに適しているのだけれど、少しばかり効果があり過ぎたらしい。下手に目を合わせたことで、彼女は恐怖に呑まれてしまったのでしょう。カタカタと肩を震わせるばかりで、指先一つ動かせずにいる。

 己の行動に問題があると理解しているからこその恐怖なのだけれど、彼女たちがそれに気づいているかは怪しい。

 沈黙ばかりが横たわる現状は、大変に不愉快で、気分が悪い。胸の奥がちりちりと焼ける。


「あなた方からは話を聞けそうにないかしら」


 付き合っていられない、と別の方に声をかけようとするけれど、それより先に令嬢達が声を発した。話してくれる気になったらしい。


「ヴァイオレットさま! わたし達は分不相応だと――」

「そ、そうですわ。殿下にはヴァイオレットさまいらっしゃるのに、この女……っ」


 縋るように声に再び視線を向ければ、やはり言葉は断たれる。焦燥ばかりが募る様子の令嬢達を前に、私は微笑んだまま口を開く。


「テオドール殿下と私の婚約に関して、何か心配事が有りまして?」

「ぁ……」


 私と殿下の婚約は家同士、つまりはベルシュタイン家と王家が決定したものだ。殿下が私に愛想を尽かし、ソフィア嬢に心を移したからといって、それが一体、彼女達に何の関係があるのでしょう。婚約が継続されている現状、外野が口出しできることなど一つだってありはしない。

 私が婚約破棄を言い渡されるか、正式な婚約解消の報を待って、改めて私を捨て猫とでも謗ればよろしい。殿下が真実の愛を見つけた、とそんな噂に乗っかって、虚構の正義を振り翳すことのなんと愚かなことでしょう。

 まるでお話にならない。政略結婚の何たるかも理解できないようなお嬢さん方が、私のため、などと。実家に泥を塗るような行為だと気づきもせずに。ありもしない大義の旗印にされたのでは堪らない。


「色々と噂が流れているようですけれど、心配には及びません」


 ゆっくりと、言い聞かせる私の声に、令嬢達は頭を垂れた。真っ青になって謝罪をしているが、震えが邪魔するのかほとんど声になっていない。

 価値のない謝罪は無視して、代わりに別のことを言う。


「何か意見がおありなら次からは私に直接、伝えにいらっしゃいね。子爵家のご令嬢にぶつけたところで、陛下の耳には届きませんもの」


 陛下の威を借る発言は褒められたものではないけれど、己の行いをきちんと反省してもらうためには止むを得ない。侯爵家すら軽んじる彼女達には、それ以上の存在を示し教えてあげなければきっと、理解できないでしょうから。


「も、申し訳ありません……!」


 謝罪はもう、ほとんど悲鳴に近かった。擦り切れるような声で涙を浮かべた令嬢達が一人、二人とその場にくずおれる。恐怖で足が竦み、体を支えていられなくなったらしい。


「では、話はこれまでということでよろしいわね」


 ごきげんよう、と笑みを深め辞去する。しかしふと思い出し、先程から沈黙を守ったままのソフィア嬢に視線を向ける。

 床に座り込んだままの彼女は、怯えるでも震えるでもなく、どこか冷めた様子でくずおれた令嬢達を眺めていた。複数人に囲まれて、おそらくは突き飛ばされたのでしょうに。随分と度胸のある女性らしい。


「ソフィア嬢、いらっしゃい」

「え……」


 突然、声をかけられて驚いたのか、ソフィア嬢の顔から血の気が引く。噛みついたりしないのに。


「手をついた時に擦りむいたでしょう? 医務室へ行きましょう」


 いらっしゃい、と繰り返すと、彼女は小さな声で、申し訳ございません、と返事をして私に並んだ。

 前を向いたままそっと小声で耳打ちする。


「そのまま聞いて。図書館へ向かってちょうだい」


 ソフィア嬢はぎょっと肩を震わせたけれど立ち止まることはなく、小さく頷いて歩みを進めた。離れないよう慎重について行く。

 曲がり角で幾度かもたついたものの、問題なく図書館へたどり着いた。奥へ案内する。

 図書館の奥にある小さな個室は、元は王族専用の読書スペースだったらしい。現在は名残でそのままにされているが王族専用ということはなく、どちらかといえば私が独占しているような形になっている。王族のためにと用意されたソファーの座り心地は大変に良くて、長時間の読書でもお尻が痛くならない。免除された授業も多く、一日の大半を図書館で過ごす私は自然とこの部屋を利用し、それもあってか他の生徒はあまり寄り付かない。


「座って」


 普段は開けっ放しになっている扉を閉める。鍵は、少し迷ったけれどかけてしまう。人に聞かせたいほど愉快な話ではない。都合よくもこの部屋は防音に優れている。噂好きのどなたかに聞かれることはない。

 さて、まずは噂について話を聞きましょう。彼女が近づいたのは殿下だけではないのだ。殿下だけでなく、多くの殿方に心を割いているようなら黙っておけない。噂には私の義弟も含まれている。事実であるかどうかはこの際、二の次だ。セシルを害するような噂に発展するようなことがあれば、問答無用で敵として処理する。


「ソフィア嬢、」


 声をかけ、振り返り――損ねた。


「申し訳ございません!」


 その体のどこから出したのか疑いたくなるほどの大声をぶつけられ、堪らずよろめいた。急に何でしょう、と振り返って、しかしソフィア嬢の姿を捉えることはできなかった。


「え……――~~っっっっ!?」


 彼女は床に跪いていた。正確には、床に座り込んで頭を下げていた。額はおそらく床に触れている。一体、何をしているの……?


「申し訳ございません! わたしはただ、自分の命が惜しいだけの矮小な存在です! 決して、断じて! ヴァイオレットさまとテオドール殿下の仲を引き裂こうなどとは思っておりません!」


 まくし立てる言葉一つひとつが鈍器のように鼓膜を殴りつけてくる。

 一体、何がどうなっているのでしょう。


「どうか命だけは……わたしにできるお詫びであれば何でもいたします!」


 こんなに大きな声を出されては、間諜を差し向けるまでもなく外に漏れてしまいそうだ。強固な防音が施されているとはいえ、限度はある。


「ソフィア嬢、」

「お願いします! どうか命だけはお助けください!」

「ソフィア嬢、」

「わたしはまだ死にたくない!」

「お黙りなさい!」


 ひゅ、と呼吸に失敗した音がして、ソフィア嬢がようやく口を結んだ。なんだか頭痛がしてきた気がする。


「落ち着きなさい」

「も、申し訳……ございません」


 ソフィア嬢の目に涙が浮かぶ。泣きたいのは私の方なのだけれど。

 今の声が外に漏れ、どなたかに聞かれてしまったら、まるで私が個室でソフィア嬢を脅しているよう。私刑に処す、などと勘違いされては堪らない。


「立って、ソファーに座りなさい」

「はい……」


 ふらふらと立ち上がったソフィア嬢は、ソファーの端にちょこんと座った。

 こぼれそうになった溜め息を喉の奥で噛み潰す。何が刺激となってさっきのような状態になるのかわからない以上、下手な行動はとれない。どっと疲れた。


「それで? 先ほどの大声は何?」

「え? 命乞いです」

「……」


 絶句してしまった。きょとん、と目を瞬かせるソフィア嬢は、なぜ当然のことを、と言い出さんばかりだ。

 命乞い? 命乞いと言った?

 つまり彼女は、私に殺されると思ったということ。命を脅かされるほどの危機感を覚えたというのでしょうか。なぜ……?


「命乞いが必要なほどのことをしたの?」

「……う、噂が、」

「テオドール殿下が真実の愛を見つけた、という噂のことかしら?」


 ソフィア嬢が青褪めた。

 腹の底が熱くなる。私と殿下の仲を引き裂くつもりはないと叫んだ、舌の根も乾かぬうちによくもまあ……。

 駄目だと思うのに、尖る声を抑えられない。


「あなたがその、真実の愛のお相手だと? 婚約者を奪われた私が、嫉妬であなたを殺すと? つまりはそういうことかしら?」


 ソフィア嬢は返事をしない。唇が震えて声が出ないのでしょう。知ったことではないので言葉を続ける。


「それは随分と、不愉快な自惚れもあったものね」


 腹立たしい。


「殿下との婚約は解消されていない。今あなたを殺せば、私にとって不利益しかないわ。もちろん、婚約が解消された時は言うまでもない」


 殺さないわ、と言い聞かせるつもりでゆっくり告げる。

 殿下との噂が流れている現状、ソフィア嬢が死ねば真っ先に私が疑われる。婚約が白紙に戻るどころではない、とんでもない醜聞だ。大義もなく嫉妬で人を殺したなどと、ベルシュタイン家の恥さらしもいいところだ。

 婚約が解消された場合はもっとひどい。新たな婚約者に彼女が据えられると考えれば、未来の王太子妃を殺した罪は私の首一つでは済まない事態だ。


「理解できたかしら?」

「も、申し訳ございません……」


 度し難い。どうしたらいいのでしょう。

 黙り込む私をどう思ったのか、ソフィア嬢がぽつりと言葉を吐く。


「決して、ヴァイオレットさまが嫉妬したなどとは考えておりません。わたしはただ、怖くて……」


 先程までとは違う、落ち着いた口調だった。しかし最後まで続かない。

 嫉妬、という認識が誤りだとしても、私を恐れ、殺されるほどの何かをした自覚はあるのでしょう。容赦する必要性は感じない。


「殿下には、わたしの見る予知夢のことで相談に乗っていただいていただけなのです」


 途切れた言葉の続きの代わりに、ソフィア嬢は新たな話題を用意した。突飛な話だ。しかたなく応じる。


「予知夢というのは?」

「え……殿下から聞いていらっしゃいませんか?」


 こめかみがピリッと痺れるような感覚があった。深く息を吸う。


「殿下とは最近、あまり会えていないの」

「そ、そうでしたか。では、その……光の精霊のことについては……?」

「知識としてはあるけれど、予知夢と何か関係があるの?」


 おろおろするソフィア嬢を眺めながら考える。

 光の精霊の話は最近、聞いたばかりだ。発端はゼルさまにお貸しした本。あの方は手当たり次第で本の好みもない。ただの興味本位かと思っていたけれど。ふと思い至る。


『乙女との付き合い方を教えるのは得意だろ?』


 ユーリ殿下の選ぶ言葉にしては珍しい、と引っかかっていたことだった。それどころではなかったせいで後回しにして、そのままになっていた。


「あ、あの……わたし――」

「光の乙女……」


 遮って呟いた自分の言葉で、脳裏に閃光が走った。

 テオドール殿下が探していたドラゴンに関する本。ゼルさまが求めた事実に基づく光の精霊に関する本。ユーリ殿下の乙女という言葉。


「あなた、光の精霊と契約したのね?」


 ソフィア嬢がわかりやすく動揺した。

 精霊を目視でき、なおかつ契約までしたとあれば、なるほど殿下が放っておけないのも頷ける。


「あの、ヴァイオレットさま……わたし――」



「ヴァイオレット!」



 ばあん! と、こじ開けられた扉が悲鳴をあげる。耐えかねた蝶番が千切れ、床に転がった。


「殿下……?」


 見たこともないような険しい形相で駆けこんできたのは、今まさに話題の中心にいた、テオドール王太子殿下その人だった。

 

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