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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第三章 愛だの恋だのやかましい
36/37

エピローグ-side V-


 ちりん、ちりんと首元で鈴が鳴っている。

 視線の先にあるのは、午後の暖かな日差しに照らされた王宮庭園。まだまだ咲き誇る薔薇が美しい、穏やかな午後である。


「何で今日なんだ?」


 隣でお茶を飲むテオドールさまは、さっきからずっとこの調子で、不満を隠そうともしない。


「ご褒美ですもの。与える側が我儘を言うものではありませんわ」

「愚痴くらい許してくれ」

「あらあら、私もいただく側ですのに」

「……」


 ユイグが引き起こした事態の収束後、ユーリ殿下からテオドールさまへおねだりがあった。


『頑張った可愛い弟には、ご褒美があるべきじゃないか?』


 これに飛びついたのがゼルさまとセシル、それから私だ。


「助けてもらってばっかりじゃ情けないだろ。褒美くらい大盤振る舞いしてやるさ」


 でも、とやはりテオドールさまは不満顔で口を尖らせる。


「今日でなくても良かっただろ」


 今日は私がテオドールさまにご褒美をいただく日だ。内容は、二人きりの時間を作ってほしい、というもの。

 フィリートもロータスさまもなし。本当に二人きり、という状況で一緒に過ごしたいというのが私のおねだり。……お姫さまのキスでは目覚めてくださらなかった王子さまに、再挑戦の申し込みという本心は内緒だ。

 しかし、ご褒美を要求されたのはテオドールさまだけではない。もちろん、私もユーリ殿下とゼルさまにご褒美をねだられている。当然セシルも飛びついた。


『テオドールの名代を一人で務め上げた、未来の義弟へのご褒美を要求する』

『あなたが殿下と過ごす時間を捻出するために買い取った苦労は高かったなあ。あなたのために折った骨のお礼を請求することにしたよ』

『俺は命の恩人だよね、義姉さん?』


 うっかり口を滑らせたロータスさまによって、私がご褒美をいただく日がバレた。三人が見逃してくれるはずもなく、しっかり日付を指定しておねだりされてしまった。

 内容は、私の時間をください、というもの。結果として、テオドールさまと過ごす週末はみんなで過ごす週末になり、テオドールさまは私の隣を独占しつつも不満を隠せずにいる。私と二人きりで過ごす週末を、私と同じように楽しみにしていてくれた。それだけで私は十分なのだけれど、テオドールさまは足りないらしい。そんなところも、とっても嬉しい。


「結局ロータスもいるじゃないか」

「仲間外れはいけませんわ」


 こうなったら、とソフィアさんもお誘いしてしまった。ロータスさまには休暇と伝えてあるので、騎士ではなくソフィアさんの婚約者としてここにいる。


「前日の夜になって急に連絡しなくてもよかっただろ。誰の案だ……って、ゼルだよな」

「ふふ、不正解。セシルですわ」

「……君の義弟も大概だな。底意地の悪さならゼルとどっこいだ」


 苦虫を噛み潰したような顔で、テオドールさまが苦々しく呻る。


「獲物を狩るのに手加減なんてしませんわ」

「いつから君の弟の獲物になったんだ、俺は」

「さあ、いつからでしょう」

「まったく……」


 深々と溜め息を吐き出したテオドールさまの元へ、ユーリ殿下がやって来た。


「おい、予行練習だ。行くぞ」


 先日の薔薇の迷路での失敗を取り返すため、ユーリ殿下は事前にテオドールさまとルートの確認をするという。あくまで自力でゴールするという姿勢なので、テオドールさまも正解の道は知らない。どれだけ時間がかかるかわからないこの作業が、ユーリ殿下へのご褒美だそうで、なんとも可愛らしい。兄弟水入らず、ゆっくりお話ができるとよろしいのだけれど。

 早く、と急かすユーリ殿下に、テオドールさまはなおも渋面のまま動かない。


「嫌だよ」

「可愛い弟のおねだりだぞ。聞けよ、兄さん」

「自分で可愛いって言う奴は信用できねえよ。こんな時ばっかり兄さん、なんて媚を売るな」


 ユーリ殿下がムッとする。


「弟としての俺は可愛いだろうが。な? ヴァイオレットもそう思うだろ?」

「はい、殿下」

「ほら見ろ! ヴァイオレットの言うことが信じられないのか?」

「ユーリ、お前ほんっとうに卑怯だぞ。覚えてろよ」


 言いつつテオドールさまは重い腰を上げる。


「すぐ戻る」

「はい、テオドールさみゃあっ!」


 不意打ちで降ってきた頬へのキスに、変な声が出た。たちまち顔に熱が集中する。文句を言おうと顔を上げた私の視線の先で、テオドールさまはユーリ殿下の手を引いて逃げ去ってしまった。なんて方でしょう。

 入れ替わりで、腹を抱えて笑っているセシルがやってきた。


「まるで子猫のようだったよ、義姉さん」


 熱が増す。


「テオドールさまったら、意地悪だわ」

「そう言わないで、わかってあげなよ。今日は俺達が揃ってるんだ。殿下も牽制したくなるよ」


 首を傾げて見上げる。セシルは眉を下げながらも笑んだままだ。


「俺と、ゼルさまと、ユーリ殿下の三馬鹿が揃い踏みで義姉さんの時間をもらったんだよ。わかるでしょ?」

「……」

「言わせる義姉さんも意地悪だ」


 そんなつもりはなかったのだけれど。


「ユーリ殿下、いよいよ婚約がまとまるらしいよ」

「それは、おめでたいことだわ」


 難航していた婚約者選びは、ユーリ殿下のやんちゃなところだけが原因ではない。私が口出しすることではないので、それ以上は口を噤む。


「子兎みたいなご令嬢だって。泣かさないか今から心配してたよ」

「ふふ、ユーリ殿下なら大丈夫よ。優しい方だもの」

「困った時は義姉さんが助けてくれる、って助言しといたよ」

「……」

「そんな顔しないでよ。ユーリ殿下の先生役を誰かに譲る気ないんでしょ? 殿下だって存分に甘えさせてもらうって言ってたから、義姉さんが離れても追いかけてくるよ。なにせ、義弟の座を予約済みだ」


 ふふん、となぜか嬉しそうにセシルが笑声を漏らした。


「まあ、一番は俺がもらってるから、殿下にも譲らないけどね」

「……仲良くしてね」

「もちろん、義姉さんの義弟なら俺の方が長い。先輩として、迷子の義姉さんの見つけ方をしっかり教えて差し上げるつもりだよ」


 ぷふ、と堪らず口端から笑みがこぼれた。弾みで鈴が鳴る。しばらく止められなくて、口を押えて笑いを逃がすことに集中する。

 その隙に、私の苺タルトをセシルがつまみ食いしたけれど、ここは大目に見てあげる。半分は残してくれたので、見て見ぬフリをしましょう。


「ゼルさまも、ようやく重い腰を上げたって。宰相さまが安堵の息を吐いていたって、義兄さんが」

「そう」


 セシル以上に、ゼルさまはのらりくらりと縁談話を聞き流し、聞いても逃げ出し、話題に上りそうな気配を察知すると雲隠れしていたそうだ。宰相さまが頭を抱えて、このままでは禿げる、と嘆いていた、とエリックお兄さまが同情していたのを何度も聞いた。


「セシルはどう?」

「わかってるでしょ。エリック義兄さんに脳みそが溶けるほど説教されたよ」


 知ってる。だって私も叱られた。

 仲が良いのは結構だが、あまりに距離が近すぎる。いい加減、弟離れしなさい、と。脳みそが溶けるほどではなかったけれど。


「まったく悪い女だよね、義姉さん。歴史上の悪女にも劣らないって、さっきゼルさまと話してたんだよ」

「心外だわ」

「本当のところ、どうだったの? 俺ら三馬鹿のこと、気づいてたの?」

「さあ、どうかしら」

「そういうところが悪い女だって、言ってるんだよ義姉さん」


 笑って誤魔化す。

 私は本狂い。幼い頃から遊び場は図書館で、人より紙の本と一緒に過ごす時間の方がずっと多かった。幼い義弟の心など、それも隠すと決めた心の内など、そう簡単にわかるはずもない。

 友情も愛情も、本にはたくさん書いてあったし、読めば知った気にもなれたけれど。そのどれもが実体験には勝てず、私はいつも振り回されている。


 他の人に対する時とは違う気配を感じ取っても、その理由に思い至るだけの経験はない。だから、びっくりしたのだ。ユーリ殿下が私に触れた時の体温にも、ゼルさまのあんな表情にも。セシルなんて、三馬鹿、という言葉でようやく合点がいったと言っても過言ではない。

 とんだ悪女もいたものだ。


「ユーリ殿下もゼルさまもセシルも、私は大好きなの」

「……知ってる」


 セシルがテーブルに突っ伏して、腕の中に顔を隠してしまう。


「義姉さん、」

「なあに?」

「ユーリ殿下に一番、譲らないでね。俺だけの義姉さんじゃなくなること、我慢するから」


 うなじで跳ねる尻尾の毛先を引っ張る。


「セシルのおかげで、今の私があるのよ。一番でなくて、何だというの?」

「俺のおかげで、義姉さんは他の男のお嫁さんになるんでしょ。嬉しくない」


 立派な紳士になっても、まだまだ甘えたがり。私の可愛い義弟。こんなに愛しているのに、それで許してくれないなんて、意地悪だわ。


「一緒に甘味を食べるのに、セシル以上に楽しい相手はいないのよ」


 テーブルいっぱいに広げた多種多様な甘味を分け合って食べられる相手なんて、他にいない。テオドールさまも、ユーリ殿下も、ゼルさまも、甘味はあまり得意ではないから。私のために色々な甘味を用意してはくれるけれど、食べる私を愛でるばっかり。美味しいね、って言い合える相手ならソフィアさんでもいいけれど、食べ過ぎて食事が入らなくなって一緒に叱られてくれる相手はセシルだけ。


「また、アレキに内緒でお茶会しましょう。お願い」


 セシルがこっちを向く。いじけた子どもみたいな顔をしている。


「二人で?」

「二人で。テオドールさまにも内緒」

「……いいよ」

「ありがとう、セシル」


 耳まで真っ赤になったセシルが、再び腕の中に顔を隠した。


「おや、お邪魔だったかな?」


 ひょっこり顔をのぞかせたゼルさまが、セシルの赤くなった耳を指さして笑んだ。


「邪魔ですよ、せっかく義姉さんと二人で話してたのに」


 恨みがましいくぐもった声がセシルの腕の中から流れてくる。顔を上げる気はないらしい。ゼルさまは愉快そうに口角を上げ、セシルの肩をつつきながら私の向かいに腰を落ち着けた。


「ぼくもヴァイオレット嬢の時間をもらったんだから、独り占めは駄目だよ」

「どうせ後でユーリ殿下に独占されるんです。今だけ譲ってください」

「嫌だよ。ぼくだけ特別をもらってないんだ。譲れないよ」

「……」


 琥珀色の双眸に射抜かれる。これは多分、ねだられている。どうしましょう。


「……ゼルさまとのおしゃべりは特別ですわ。びっくり箱みたいで、とても他の方とは経験できない時間ですもの」


 顔を上げたセシルのじっとりした視線をものともせず、ゼルさまは嬉しそうに目を細めた。


「ぼくとのおしゃべりを好いてくれたのはあなたが初めてだよ。嬉しいなあ」

「それは、よろしゅうございました」


 嘘は一つも吐いていないけれど、言わされた感は否めない。ゼルさまが嬉しそうなので、良しとする。


「義姉さんはゼルさまに甘過ぎる」

「おや、甘やかされているのは君の方だと思ってたよ」


 二人の視線が交差する。火花が散っているような熱量のある視線だった。


「お二人とも私の特別ですもの。特別に甘やかすのは当然ですわ」


 しれっと言ってお茶を飲む。


「そういうところだよ、義姉さん」

「あなたといると得ばっかりだなあ」


 二方向からの言葉は、無視した。せいぜい悪女を演じましょう。

 不意に、バタバタとこちらへ駆ける足音が聞こえた。ティーカップをソーサーに置くのと、駆け寄ってきたユーリ殿下がテーブルに手をつくのは同時だった。


「ヴァイオレット、行こう!」


 息を切らした殿下は、どうしてか髪にいくつも葉をくっつけている。


「あ、あらあら……テオドールさまはどうされましたの?」

「置いてきた」


 ゼルさまの笑声が弾けた。セシルも肩を震わせている。


「今の内に迷路に逃げ込んでしまおう」


 手を差し出されても、困ってしまう。どうしましょう、びっくりして動けない。瞬きばかりが増える。


「言っとくが、先に置いて行こうとしたのはテオドールだ。あいつ、俺達を追い払うことで頭がいっぱいだぞ」

「おや、愉快じゃないね」

「ご褒美だったはずですよね、この時間」


 三人が殺気立つ。けれど、それらよりずっと濃度の高い殺気が、ユーリ殿下の背後から迫る。


「お前らいい加減にしろ! 俺の婚約者だぞ!?」


 テオドールさまの襲来である。


「まあまあ、テオドールさま。落ち着いて――」

「そうやってヴィが甘やかすから、どいつもこいつも未練たらしく甘えるんだ!」

「あら、甘やかすのは好きですわ」

「ヴィ!」


 悲痛な声で叫んだテオドールさまが頭を抱える。


「まあまあ、殿下。そんな子どもっぽくちゃ義姉さんに嫌われますよ」

「おやおや、器が小さいね、殿下」

「やれやれ、だらしねえなあ、テオドール」


 ぶちぃ、と音がした気がした。テオドールさまの顔から表情が抜け落ちた。


「あらあら、まあまあ」


 うつむいて笑みを噛み殺し、腰を浮かしかけた私に影が覆い被さる。顔を上げるより先に、伸びてきた指が顎を攫った。仰ぎ見た視界の端を灰色がかすめて、呼吸に失敗した。自分の瞬きがやけにゆっくり感じる。瞬き三回分、永遠のような時間のあと、舌を噛むなよ、と唇の上で囁かれた。反射的に口を引き結んだ瞬間、襲いかかる浮遊感に堪らず手近なものに縋りつく。

 高くなった視点、開けた視界。抱き上げられた、と理解するまで随分な時間を要した。

 眩暈がする、というのは錯覚だ。遅れてやってきた熱が全身を焼いて、頭が機能不全を起こしているせい。

 額を押さえて溜め息を吐き出すユーリ殿下、笑顔のまま青筋を立てるゼルさま、肩を竦めるセシルの姿が通り過ぎていく。


「て、ておどーるしゃま……」


 なんてことでしょう。呂律まで回らなくなってしまった。


「喋ってると舌を噛むぞ」


 ぴしゃり、と叱りつけるような声に思わず口を噤む。

 ぐるぐると回っている気がする視界に、ソフィアさんのエメラルドの眸が飛び込んできた。とっさに手を伸ばし、ソフィアさんが掴んだ。テオドールさまが停止する。


「そ、そふぃあさん、わ、わわたくし……」

「ヴァイオレットさま、助けてほしいですか?」


 ど、どうしてそんな意地悪な質問をするのかしら。なんだか声が弾んでいる。


「た、たす……、たす」

「テオドールさまと二人きりですけど、割って入ってほしいですか?」


 ソフィアさんは、二人きり、の部分を妙にゆっくり発音した。そんなことをされたら、その部分しか残らない。二人きり、ふたりきり、テオドールさまと二人きり……。


「だ、だめ……」


 割って入ってしまわないで。

 ぱっと手を離したソフィアさんの言葉を聞く余裕はなかった。テオドールさまがずんずん歩を進めてしまって、風の音が耳を塞いだ。


「ヴィ、下ろすぞ」


 薔薇の迷路のどこか。テオドールさまが止まったのは、私では絶対に逃げ出せない場所だった。

 支えられながら地に足をついて、けれど腰が抜けてしまった私は自立できずにへたり込む。テオドールさまも動きを合わせて座り込んだ。


「ははっ、林檎みたいだな」


 熱の残る頬を両手で挟む。どなたか、私に水をかけてください。


 ――テオドールは水魔法が得意だろ。頼んでみたら?


 テオドールさまのせいで燃えてしまいそうなのに、そんなお願いできないわ。


 ――じゃあ、ヴァイオレットが自分でどうにかするしかないよ。


 熱は増すことはあっても引く様子はない。どうしましょう、恥ずかしいわ。


 ――すごく可愛いから、そのままでいいと思うよ。


 フィリートったら、


「ヴィ」

「ひっ、はい……」


 口を尖らせたテオドールさまが、私の手の上から自身のそれを重ねる。ぎゅう、と力を込めるせいで、頬が寄って口が尖る。しゃべれない。


「二人きりがご褒美になるんだろ。フィリートはなしだ」


 火の粉が舞う。


『ぼくはほら、ヴァイオレットと一心同体だからさ。二人で一人だよ』

「気を遣えよ。今日ばかりは譲らねえぞ」

『ヴァイオレットはどう? ぼくがいた方が落ち着くでしょ?』


 その問いに私は、答えない。フィリートの言う通りだけれど、でも、と浮かぶ気持ちが言葉を奪う。


『むぅ……今日だけだぞ!』


 一瞬、火花が散るほど激しく燃えて、フィリートはどこかへ舞い上がった。


「さて、と」


 テオドールさまの手が離れる。


「ヴィは欲張りだな」


 突拍子もない言葉に首を傾げる。私を見て、テオドールさまは眉を下げた。立てた右膝に腕を乗せ、折り曲げた手の甲に顎を乗せる。


「図書館でゆっくり過ごしてもらおうと思ってたんだ。俺に付き添ってばかりで、読書なんてほとんどできてなかっただろ」


 吐息に後悔が滲んだ。


「ヴィはやっぱり、読書をしている時が一番、幸せそうに見える」


 すまない、と。どうしてテオドールさまが謝罪するのかわからない私は、瞬きするばかりで言葉が出て来ない。


「読書の時間に勝るご褒美なんてなんてないだろ。俺からの、心ばかりのお礼のつもりだったのに。ヴィはみんなに優しくして甘やかして、俺の気持ちは後回しにするんだものな」


 困ってしまう。テオドールさまったら、なんて困った方でしょう。


「だって、」


 困惑は、声にも乗った。


「だって私は、テオドールさまと一緒ならどこだって嬉しいんですもの」


 読書が好きだ。テオドールさまと隣り合って過ごす読書の時間が大好きだ。けれどそれ以上に、なにより、テオドールさまと過ごす時間を愛している。どこで何をするか。そんなことは選ばない。


「私の愛する読書は、テオドールさまがいてくださることでより素敵なものになるのです。気づいていませんでしたのね」


 ぽかん、と口まで開けて呆けてしまったテオドールさまの手を握る。少しだけ恥ずかしいので、指を見つめながら言葉を紡ぐ。


「私が読書よりテオドールさまを優先していたというのなら、それは愛の証明なのですから、自惚れてくださってよろしいのですわ」


 返事はない。

 握った手から、体温がわずかに上がったことはわかったけれど、いつまで待ってもテオドールさまは何も言わなかった。おそるおそる、顔を上げる。

 ……林檎みたい。

 頬も首も耳まで焼けたテオドールさまはまるで、林檎のように真っ赤になっていた。睨めつけるように鋭利な視線が突き刺さる。


「どこで覚えてくるんだ、……心臓がいくつあっても足りん」


 力の抜けた私の手を抜け出して、テオドールさまの両手が両頬を包んだ。寄せられた顔に、ぎゅう、と反射的に目を瞑って、しかし何もこない。

 うっすら瞼を持ち上げると、意地の悪い表情で口端を持ち上げたテオドールさまと視線がぶつかる。


「なっ……!」


 なんて意地悪な方なんでしょう!


「すまない、そんなに怒らないでくれ。この距離感は最近も経験したなって、にやけてただけだ」

「最近って、さっきのもテオドールさまが――」

「いや、夢で」


 ……は?


「ヴィからキスをしてもえる、なんて良い夢だろうと思って。起きるのをやめたんだ。もっとしてくれるかもしれないと思っ――痛いっ!?」


 すぐそばにあったテオドールさまの鼻に噛みついた。

 なんて方でしょう、まったく、信じられない!

 どんな思いでキスしたと、私がどんな思いで……もう!


「痛い、ヴィ本当に痛い!」

「痛くしているのです! 反省してください!」

「なぜ急に怒った!? ろ、ロータス! ロータス助けて鼻が千切れる!」


 引き剥がされてなお、歯を噛み鳴らし威嚇する。頬を包んで離さないテオドールさまの手の甲を引っ掻く。ビクともしない。


「ああ、もう!」


 怒ったような溜め息に怯んだほんの一瞬、隙をつかれ口を塞がれた。声にならない悲鳴が漏れる。目が回って、くらくらする。


「落ち着いたか?」

「に、にゃに、みゃあ……」

「……」


 えい、と。

 実に軽い掛け声で再び、今度は深く口づけられ、私はもう息もできない。



「殿下! どうされ――あーあ、」



 ロータスさまの呆れを含んだ溜め息に続くように迫る複数人の足音を聞きながら、頭の中で何かが弾けた私は、咥内に侵入した不届き者へ思いきり噛みついたのだった。

 

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[一言] ふふふ、これは怒るなぁ……(笑)!
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