漆
ウィーリアはちょっと、人前に出せないレベルでキレまくっている。怒りの表現なのか何なのか、さっきから激しく点滅していて目が痛い。
ほとんど引きずられるように北棟へ急いだ。
ユイグの影は、地下へ続く階段を半分ほど覆ってしまうほど広がっていた。肌がぴりぴりするのは、瘴気のせいだろうか。
『邪魔ね』
ウィーリアが腕を横に振る。たったそれだけで、あっという間に影が掻き消えた。心なしか、空気も澄んだような気がする。
すっげ……。こんなに頼りになるウィーリア初めて見たかも。
『行くわよ』
ウィーリアを先頭に階下へ向かう。
ユイグは、やはり半透明の姿で一人、地下の奥に立っていた。俺を見て一瞬、晴れやかに表情を緩めたけど、すぐにウィーリアに視線を向け途端に渋面になった。
『げ、……乙女、戻ったのか』
今、げ、って言った……?
『戻ったわよ。随分と元気そうじゃない』
ウィーリアの声は氷みたいに冷え切っている。
『ソフィアのおかげだよ。ああ、ソフィア。貴様のような精霊に騙されて、契約までさせられて、可哀想に』
憐れみを込めた口調にムッとする。確かに契約はほとんど騙されたようなもんだったけど、勝手に可哀想な奴にしてんじゃねえよ。同情されるほど悲惨なもんじゃねえ。
ウィーリアは気にした風でもなく、ユイグの目の前まで移動する。
『あんた、過去の愛はどうしたのよ』
『新しい愛を見つけたんだ。やり直せる。今度こそ幸せになれる』
『妻以外は要らないんじゃなかったっけ?』
『ソフィアは特別だよ。きっと彼女の生まれ変わりだ。見てごらんよ、あの髪。眸もそうだ。色は違うがあの形、彼女そっくりだ』
血を流すようなどろりとした視線が絡みつく。不快感が背筋を震わせた。下がりそうになった俺の体を、ヴァイオレットさまが支えてくれる。
それを見たユイグの視線が尖った。
『わたしのソフィアに触れるな!』
影が噴き出す。
『ぼくのヴァイオレットに触るな』
フィさんが前へ出る。炎が燃え立ち、迫る影が押し負け、焼き払われた。ユイグの表情が苦々しく歪む。
『欠片の分際で、』
『ぼくの炎は小さいけれど、ヴァイオレットとの相性は抜群なんだ。独りぼっちのお前じゃあ、どうやっても得られない力だね?』
フィさんってば滅茶苦茶に煽るな。ユイグが苦虫を噛み潰したような……飲んじゃったみたいな顔になった。それを見たフィさんが楽しそうにメラメラと音を立て、炎を揺らす。
『ムキになるなよ、水のドラゴン。おかしいよね。住処は水中で、洪水を起こせるほどの水を体内に溜め込んでるくせに、どうして火に勝てないんだろう?』
キッと顔を上げたユイグの気配が、膨らんだような気がした。圧迫感で息が詰まる。
「ソフィアさん、下がって」
「へ?」
「魔力の流れが変わった。何か来るわよ」
何かって、何?
――水よ。今の状態でも洪水くらい起こせるかもね。
ドラゴンってそんな規格外な生き物なの!?
――伊達に地上の覇者として君臨してないわよ。
ユイグがこちらへ腕を伸ばす。
『させないわよ』
閃光。
……ウィーリアのやることなすこと、とにかく眩しいせいで何してるのかまったくわからん。
とっさに瞑った目をそっと開く。視線の先で、ユイグが怯んだように蹲っていた。さっきより体が薄くなっている。
『乙女、もう燃やすよ』
フィさんが苛立ったように火花を散らす。
『まだ文句言い終わってないわ』
『……』
普段の自分勝手とは違う。平坦な声にフィさんが黙った。
『ソフィアはあんたを愛してくれた女とは違うわ』
蹲ったままユイグが呻る。
『違う、彼女だ。きっとそうだ。わたしの愛しい彼女が戻って来た』
『言ったでしょ、彼女の魂は転生しない。天上の神々はまだドラゴンを許してない。冥府の王が許しても、女神が許さないわ』
女神、の部分でユイグが激高した。
『許さないだと? それはこちらの言葉だ! 拒絶したのはあちらが先だろう!』
『そうよ。女神も人間もあんたを許さなかったし、あんたの奥さんは許されなかった』
『彼女が何をした! 何が人間を愛している、だ。わたしの妻は人間だっただろう!』
悲痛な叫びを、ウィーリアは気にも留めない。
『女神の愛に期待でもしてたの? だとしたら、あんたが馬鹿なのよ』
突き放すような物言いで、肩を竦めた。
同感だね、とフィさんも同じように肩を竦める。思わずヴァイオレットさまと顔を見合わせた。
女神は正義を司る。愛情表現が自己中心的だって話は聞いたけど、今のウィーリアの言い方だと正義の基準もそうなのだろうか。人間側が不利過ぎだろ、さすがに。
『人間を基準にするなら、そこらの野花くらいにしか思ってないわよ。気が向けば愛でるけど、そうでない時はただの草。ケチがつけば雑草よ』
『わたしの妻はただ、わたしを愛してくれただけだ!』
『あいつが一度、嫌った人間はね、あいつの中ではもう人間じゃないのよ』
ユイグが動揺で輪郭を揺らした。
『自分勝手で気まぐれな女神を恨むだけ時間の無駄よ。あんたを殺さずにいたのは、きっと反省してくれるだろう、って信じた男と約束したから』
『反省だと? なぜわたしが反省するんだ!』
『カッカしてんじゃないわよ。自分達の愛を世界規模で語るなって、奥さんに怒られたの忘れたの?』
透ける双眸に、濁流のような怒りが宿る。
『貴様がわたしの妻を語るな!』
『じゃあ自分で考えなさいよ。そのためにあげた猶予であって、未練たらしく泣き続けるためでも、ましてや世界を脅かすための準備期間でもないのよ』
『偉そうに、貴様も所詮は神々の手先だろうが!』
ウィーリアがユイグの胸倉を掴んで引きずり起こした。鼻が触れるほどの距離で、ウィーリアが低く告げる。
『わたしが神々の手先なら、あんたはとっくに消滅してるわ。覚えとくのね、あんたの命はわたしが握ってるのよ』
ユイグは鼻で笑っただけだった。片方の口端を持ち上げる、意地の悪い笑みを浮かべる。
『貴様はドラゴンと相性が悪い。己の弱さを知られるのを恐れているだけだろう』
自己愛の塊が、と吐き捨てる。
『たかが鱗一枚分の未練が偉そうに。相性が悪くたって、あんたみたいな死に損ないを殺し損ねたりしないわ』
恋愛脳が、と今度はウィーリアが吐き捨てる。
『このわたしが浄化してるのよ。今の状況じゃ、あんたの悪食は自殺にしかならない。見てご覧なさいよ、こっちの面子を。勝ち目があると思うの?』
大気中の魔素を吸収して自分の力へと変換するドラゴンの、悪食と呼ばれる能力。瘴気を溜め込んでいるのなら、ウィーリアの浄化は天敵だ。どうやら火にも弱いらしい。となれば、フィさんとヴァイオレットさまのコンビは大敵だ。
『今日はあんたを消滅させに来たのよ。殺して冥府へ送ったりしない。ここで消えて、あんたは地へも還れないまま滅ぶのよ』
初めて、俺達が地下へ降りて初めて、ユイグの表情に怯えが見えた。ウィーリアが声をあげて嗤う。
『あんたの擦り切れた魂も、鱗一枚分しかない肉体も、わたしが丁寧に浄化してあげる。清潔になったら、あの子たちに火葬してもらう。あんたの奥さんと一緒、あんたも転生はできない。思い出の中の奥さんに会うことも、もうできないわね』
ウィーリアがパッと手を離した。ユイグの体がくずおれ、尻もちをつく。嫌だ、と呟いているのは空耳じゃない。
『次こそ幸せになれる。ソフィアを害する全てから今度こそ、わたしが守ってみせる。大丈夫、ちゃんとできる。愛してるんだ、二度と同じ失敗はしない。貴様も、そこの娘も、邪魔するなら殺す。わたしは、妻さえいればそれだけでいい。ささやかな望みだ。わたしの願いはこれ一つ。今度こそ、』
ヴァイオレットさまが俺の肩から手を離した。どうしたのかと目で追うと、まっすぐユイグの方へ向かっていく。
「え、ヴァイオレットさまっ!」
周囲に視線を走らせ、何かないか探す。
ウィーリア、ヴァイオレットさま止めろ。……何で突き進んでんのあの人!?
見つけた。何でゲームってこういう場所に必ず手頃な木の棒が置いてあったりするんだろうな。引っ掴んで追いかける。
「ヴァイオレットさま、ちょっ――」
――あ、
ばちんっ、と。
痛々しい音がした。ヴァイオレットさまが、ユイグの頬を引っ叩いた。
ユイグが床に倒れ伏す。目を丸くして、驚愕の表情でヴァイオレットさまを見上げている。口までぽっかり開いているところを見るに、よっぽど驚いたらしい。
「あなた、何をしていますの?」
ヴァイオレットさま、それ多分、ユイグの台詞です。言えるわけないので飲み込む。
「最愛の方を喪って、その魂を否定されたことに怒っているのなら、なぜまだここに留まっているのです?」
……ん?
「あなたは動けるまで回復した段階で、ここを出て行くべきでしょう? 人間ではあなたの影を浄化できなかったのだから、彼女が留守の内なら教会の人間も寄せ付けず外へ出られたはずです。外に出ればいくらだって回復できたでしょうに。あなた一体、何をしていますの?」
わかるのは、ヴァイオレットさまが怒っているらしい、ということだけだ。
「奥さまへの嘆きだけで今日まで生き延びたというのに、新たな愛だの恋だの、ふざけてます?」
冷たいヴァイオレットさまの言葉に、ユイグがハッとしたように上体を起こし吠える。
『妻を侮辱した人間がわたしに説教するつもりか!』
「そう聞こえませんか?」
ユイグが黙る。
まさか本気で説教されるとは思わなかったんだろう。俺だって思わなかったもん。ドラゴン相手に説教かます侯爵令嬢、強過ぎだろこの人。
「あなたの奥さまを拒絶した女神を嫌い、人間を嫌うのなら、こんなところで新しい恋なんてしていないで、さっさと逃げ出して殺しに行けばよかったでしょう」
ヴァイオレットさまの言うことは的を射てる。内容は物騒だけど。
ウィーリアのいない時を狙って俺に会いに来るんじゃなくて、学園から出て行けばよかったんだ。それとも、対ユイグ用の結界でも張ってたとか?
――ないわよそんなの。じわじわ弱らせて蓄えた魔力が枯渇して消滅するまで浄化を続ける、って、わたしが女神の約束を曲解して教会に伝えたんだもの。
『き、貴様に何がわかる!』
牙を剥くユイグにも、ヴァイオレットさまは動じない。
――女は度胸ってやつ?
限度があるだろ。肝が据わってるなんてレベルじゃねえぞ。ユイグの奴、圧倒されちゃってんじゃん。
――あいつの意気地なしは昔からよ。
「わかりません。世界を巻き込むことも厭わないあなたの度が過ぎた愛情も、そこまで執着していたはずの奥さまへの愛をあっさり切り捨てられる性根も、わかりたくありません」
『切り捨てる、だと……?』
「ソフィアさんはあなたの奥さまではなく、私のお友達です。違うと聞いてなお愛だと言い張っているのです。切り捨てたと思われてもしかたないのでは?」
そりゃそうだ。ソフィアの魂ならともかく、今あるのは俺の魂だ。神とドラゴンの確執はしつこく残ってるみたいだし、転生してないってことなら俺はユイグの奥さんじゃない。そうでなくても、奥さんじゃねえけどな。
『せ、精霊の言うことなど信じられるか! 神も人間も、誰一人として信用できない!』
――もう言ってること滅茶苦茶ね。
いっぱいいっぱいになってんだろ、寄って集って追い詰めたから。ビンタまでされて……弱い者いじめしてるみたいだ。
――自業自得でしょ。
そうだけど、既視感があるんだよなあ。ついこないだ、こんな光景を見た気がするよ、俺は。そん時も自業自得ってことで片がついた。
『わたしは愛する者を愛しているだけだ! 自分勝手に理不尽を押し付ける神も人間も大嫌いだ! 貴様らまとめて呪われろ!』
ほらもう、子どもの駄々みたいになってきた。
『わたしは妻がいればそれでいいんだ! 他の誰が傷つこうが死のうが知ったことか! 何百年もここで孤独に苛まれながら妻を待っていたわたしのたった一つの願いを叶えて何が悪い!』
かちーんときた。
――あんたがキレるポイントわかりにくい。
一歩ユイグの方へ大きく踏み出し、踏ん張る。握りしめていた木の棒を構え、フルスイングでユイグの横っ面をぶっ叩いた。ごっ、と鈍い音がして、ユイグが床に倒れ伏す。
「さっきから聞いてればうじうじと、ナメクジですかあなたは!」
口を開けば女神が悪い、人間は勝手だなんだと文句ばっかりぐちぐちグチグチ愚痴愚痴、喧しい!
さっきと同じように口をぽかん、と開けたユイグが俺を見る。何が起きたのか理解できない、と言わんばかりの表情だ。
「あなただって、自分の勝手でわたしの婚約者を呪ったでしょう! ヴァイオレットさまの婚約者も、ていうかヴァイオレットさまのことも呪ったでしょ!?」
そのせいで俺がどんだけ傷ついたか、想像もしなかったんだろ。何が愛する者を愛してるだけ、だ。ふざけんな!
もし俺が本当にユイグの奥さんの転生した魂で、ユイグが本気で俺のことを愛してるって言うなら、俺の愛する人のことも大事にしろってんだよ。世界に自分と相手だけ、なんてことがあるわけねえだろ。俺には友達もいれば婚約者もいるんだ。横恋慕して略奪するにしたって、俺が大事にしてる人を全員ぶっ殺したんじゃ好かれるわけもねえだろうが!
「他人からの理不尽を責めるくせに自分の都合は押し付けるなんて、そんな勝手が許されるはずないでしょう! わたし自分勝手な方もジメジメうじうじしてる方も嫌いです! 湿度が高いの気持ち悪いんです!」
『き、気持ち悪い……』
さすがにショックだったのか、ユイグは肩を震わせた。
「あなたが傷つけたのはみんな、わたしの大事な方々です。わたしの大好きな方々を傷つけたあなたのことは嫌いだし、わたしはロータスさまのお嫁さんになりたいし、あなたの亡くなった奥さんと重ねられながら一生を添い遂げるなんて死んだ方がマシです!」
嘘です、死ぬのは嫌です。でもそれくらい嫌だ。ふざけんな。
わたしには妻だけだって、お前、俺が奥さんじゃねえって実はちゃんとわかってんだろ。そのうえで強引にでも俺を奥さんに見立てて世界中を呪って生きて行くなんてそんなこと、誰も幸せにならねえだろうが。いつか絶対、俺が奥さんじゃないって思い知る時がくるぞ。そうなったらお前、どうせ絶望したとか言って自殺にまで俺を巻き込むんだろ。勘弁しろ、マジで。
「奥さんのことが好きなら貫きなさいよカッコ悪い! 寂しさの埋め合わせで一体、何人に迷惑かけるつもり!? 付き合わされるこっちの身にもなりなさいよ、こンの駄目ドラゴンが! 恋だの愛だの言い訳してないで、寂しいなら寂しいってちゃんと言いなさい!」
――言葉遣いギリギリよ。
無理だった。キモ過ぎて感情が漏れる。
『そ、ソフィア……』
「気安くファーストネームで呼ばないで! 悪いけど好きな人にしか名前で呼ばれたくないの!」
これはクリストファーさまの真似だ。こうでもして、俺に嫌われてるって自覚させないとこいつ、どこまでも恋は盲目状態で暴走するぞ。
『わ、わたしはただ……妻に会いたくて、』
「だから! 自分が寂しかったら他の誰にどんな迷惑かけてもいいのかって言ってるの! ウィーリアだってそこまでひどい拗らせ方してなかったのに」
――ちょっと、何でそこでわたしが出てくるのよ。
「自分がされて嫌なことは他人にしない! 子どもだって知ってることなのに、何百年も生きててどうして知らないのよ! 奥さん教えてくれなかったの? そんなんだからいつまでも嫌われるし、誰からも好かれず寂しいのよ!」
自分の寂しさを埋めるためなら、世界がどうなったって構わない。俺の魂に勝手に干渉してシナリオに沿った状況を作り出そうとした神とどう違うんだ。
「女神のやり方を理不尽だって罵ったあなただって、奥さんへの愛を言い訳に孤独を埋めようとわたしを利用したじゃない。卑怯だし、失礼だわ。わたしの大事な人みんなを傷つけて、あんなの脅しと同じよ。まずは挨拶、それからおしゃべり。誰かと仲良くなるのに呪いも脅しも要らないのよ。お友達になってくださいってお誘いもできない男性を好きになる女の子なんていないわ。馬鹿にしないで!」
寂しくて暴走したのは、ウィーリアと同じ。二人とも何百年も独りぼっちだったのは変わらない。女神を嫌ってるのも同じ。
――一緒にしないで。
自己愛ばっかりじゃなく、他者へ向ける愛情をちゃんと持ってるのに。視野も狭けりゃ器も小さい。
「病的な愛情を押し付けて他を排さなくても、奥さんはちゃんとあなたのことを愛してくれたんでしょ? 奥さんだけが特別なら、何でそれだけで満足しないんですか。何が不満だって言うんですか?」
はくはく、と口を開閉するばっかりで、ユイグは声を出さない。
ふわり、とフィさんが舞い上がった。
『命を惜しんだんだろ? お前、臆病だから』
「フィリートったら……」
ヴァイオレットさまがそっと両手でフィさんを包み、自分の方へ引き寄せる。ユイグは反論する様子もなく、ぐっと奥歯を噛みしめた。……図星?
ウィーリアが代わりに返事をする。
『小心者で頼りない自分を隠すのに必死なのよ。自分が小さい男だって知ってるから、大きなことを言ってカッコつけたり、自分の愛情を余さず注ぎ込んで一番だって示さないと不安なの。みみっちいのよ、根本的に』
顔を上げてウィーリアを睨みつけるユイグは涙目になっていた。本当に図星を突かれたらしい。思わず漏れた溜め息が深くなる。
「死を恐れる気持ちを否定はしません。でも、そのために他の人を犠牲に差し出さないでください」
ウィーリアと違って、与えた愛に返事があったんだろ。世界規模で語るなって説教するような奥さんなら、ユイグの間違いをちゃんと正してくれたんじゃねえのか。
――一人になって忘れたんでしょ。
「ちゃんと考えてください。寂しくて可哀想な自分を憐れむのは、後回しにして。あなたそんなんで、奥さんに顔向けできるんですか? 再会した時のこととか、考えました?」
俺ならキレる。数百年振りだろうが数千年振りだろうが、自分の惚れた男が人様に迷惑かけまくって寂しさを埋めてたなんて知ったら、まず間違いなく殴り飛ばす。それから縄で縛って引きずってでも、迷惑かけた人のところを巡る謝罪行脚の旅に出る。感動の再開なんて後回しだ。
俺の言葉に、ユイグは思い切り動揺した。目が引っくり返りそうなほど泳ぎまくって、どっと汗が噴き出した顔は真っ青だ。肩どころか全身が震えている。
――あいつの奥さん、キレると怖いの。
うつむいて何事かをぶつぶつ呟いていたユイグは、ややあってぽつりぽつりと語り始める。
『も、もう会えない……。彼女は生まれ変わることもできず、魂はどこかへ行ってしまった。泣いていたら、会いに行く勇気まで涙と一緒に流れてしまった……』
真っ赤な眸から大粒の涙があふれ頬を伝う。いよいよ大勢で囲んでいじめてるみたいになってきた。
同じ気持ちなのか、ヴァイオレットさまが小さく息を吐いた。
「殺意も鈍ってしまいましたわね。どうします、ソフィアさん」
「どうしましょう……」
よくも俺の大事な人達を呪いやがったなこの野郎、ぶっ殺してやる! くらいの怒りで突撃したけど、こうなると話が変わってくる。いじめはよくない。
――自業自得なんでしょ。
お前だって俺のこと振り回したけど、仲直りしただろ。お前ができたのにこいつにはできないって、そりゃ考え方が乱暴だろ。
――一緒にしないで!
似たようなもんだよ。寂しがり屋で、好きな人と別れた経験がある。ウィーリアは俺と会って反省しただろ。ユイグにも、機会くらいはあげねえと。
――あげたじゃない。何百年も、反省するためにあげた猶予よ。
でも、こんな風に説教してやったことなんてないだろ、どうせ。お前が仲直りのしかた知らなかったのと同じ、ユイグも知らないんだよ。反省もさ、奥さんがいなくなって、寂しいばっかりで忘れたんだ。暴走のしかたが最悪だし、キモいし、最低だけど、寂しかったって気持ちはわかるだろ。死にたくないって気持ちなら俺もわかるし。
「みんながみんな、自分の都合を押しつけようとしたんですよね」
女神とかつての人間は、ユイグの奥さんに自分たちの怨嗟と事情をおしつけて拒絶した。ユイグは当時の恨みをロータスさま達に八つ当たりして、俺を利用しようと自分の都合を押しつけた。そして俺達は、怒りで殺意を押しつけた。
「誰も正しくなかったのなら、誰のことも裁けませんよね」
「……そうね」
被害に遭っただけの殿下達だって、ユイグのことを正しく伝達し継承する役目を放棄していた責任がある。教会も同じ。ウィーリアに任せて形骸化させた。かつての怠惰のツケが回ってきたんだと思えばお相子だろ。ユイグがやり過ぎだったとしても、根本の問題が女神にあるとしても。清廉潔白な奴は一人もいないだろう。
王族や貴族である以上、過去のことで忘れてました、じゃ済まないんだ。面倒だし厄介だけど、こればっかりはしょうがない。それが特権階級だ。
――わたしは?
説明責任を放棄したろ。ユイグのことを人間が忘れないようちゃんと説明しないといけなかったのに。狂信者を嫌うのと、別にして考えなきゃダメだろ。
――……。
仲直りしろとは言ってない。それとも、やっぱ自分の好きだった男を裏切るようなことしたユイグは、許せない? だったら考えよう。ちょうどいいところを見つけようぜ。ヴァイオレットさまは俺より頭がいいから、いいアイデアがあるかも。
――……ムカつく。
ウィーリアが淡く発光し輪郭をおぼろげにする。ユイグの名を呼ぶ声は、嘘のように穏やかなものだった。
『消滅させてやろうと思ってたけど、いいわ』
ヴァイオレットさまも同意するように頷いて、一歩、下がった。
いいのか? 約束した相手のために怒ってたんだろ。俺、いくらでも一緒に考えるぞ?
ウィーリアは俺の顔をじっと見て、それからふいっとそっぽを向いた。
『わたしのソフィアが言うんだもの。一回くらい、言うこと聞いてやるわよ』
ひゅー、とフィさんが口笛を吹いた。うん、わかる。俺もそうしたい。それくらいびっくりだ。
ウィーリアが俺のために、我慢してる。ぶっ殺してやりたいくらい怒ってるのに。ユイグを信じた男を信じて、女神との約束を反故にしてまで生かしてた。それを裏切られて、ほんの少し前まで容赦してやる気なんてなかったのに。
「ありがとう、ウィーリア」
――お礼しなさいよね。……わ、わたしが世界を暗くしたこと、一緒に謝んなさいよ。
もちろん、付き合うよ。いくらでも一緒にごめんなさいしてやる。
『いらっしゃい、冥府の王のところへ連れて行ってあげる。女神は経由しない。彼は天上の神々と違って話が通じる。あんたが地獄の片隅で反省するくらい、許してくれるでしょ』
つっけんどんな言い方は、自分は許さない、という意思表示みたいなもんだろう。
死んだら女神のところに行くんじゃねえの?
――地獄は全て、冥府の王の領域よ。女神は勝手に自分が愛した魂を自分のところに招いてるだけ。一通り愛でたら王に返してるわ。王は嫌がってるけど、女神の背後には例の厄介な神がいる。受け入れるしかないのよ。
また例の神か。俺の魂に干渉しやがったくそ野郎。
『未練は抱えてていいから、大人しく死を受け入れるのね』
ユイグは目端からぼろぼろ涙をこぼしながらウィーリアを見て、それから俺を見て、繰り返す。
『こ、殺さないのか……?』
『もう死んでる奴を殺し直したりしないわ』
どうせ肉体はもう死んでる。鱗一枚分の未練を断ち切るだけだ。
ヴァイオレットさまの手の中から、火の粉を舞い上がらせながらフィさんが顔を出す。
『女神のことは乙女に締め上げさせればいい。人間側はぼくらが反省させるさ。全員が痛み分け。だからお前も反省しろよ。ぼくのヴァイオレットを傷つけたこと、ぼくは許してない。ヴァイオレットがいい、って言うから火葬にしないだけだ』
「お友達になりたいとは言いませんが、人間の怠惰については謝罪します」
頭を下げたヴァイオレットさまを見て、ユイグは涙を止めた。俺もヴァイオレットさまと同じように頭を下げる。
うつむいて口をもごもごさせていたユイグだが、結局は何も言わなかった。
長い沈黙を、みんなじっと待った。しばらくして、
『乙女、頼む……』
ユイグは小さく頭を下げた。
ウィーリアは返事をせず、ユイグの頭上に手を翳す。指の先から垂れた光の雫がユイグに当たり全身を包んだ。それは次第に広がり、地下を満たしていく。
眩しさで目を開けていられなくなる直前、ウィーリアが呟いた。
『奥さんの魂、王が管理してるかもよ』
驚いたのはユイグだけじゃない。フィさんまでもが動揺したように輪郭を乱した。
『あ、……乙女、』
『冥土の土産にでもするといいわ』
お礼を言ったら殺す、という意思は多分、俺とユイグにしか伝わってない。照れ隠しにも似た感情からくるものだって、気づいたのは多分、俺だけ。
眩むような白が地下を満たして、次に開けた時にはもう、ユイグの姿はなかった。
『終わった』
お疲れさま、ウィーリア。ありがとう。
拗ねたように口を尖らせたウィーリアは、ふんっ、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。




