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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第三章 愛だの恋だのやかましい
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 ウィーリアが帰ってきた。

 慌てて窓に駆け寄ったセシルさまが、光を遮っていたシーツを引き剥がす。高く昇った太陽が、晴れやかに世界を照らしていた。ヴァイオレットさまが口をぽかんと開けている。


「ゆ、ユーリ殿下に報告してくる!」


 駆け出したセシルさまに声をかける余裕がある人間は、一人もいない。


『ねえ、このひどい臭い誰よくっさい!』


 ぎゃあぎゃあ、と一人で騒いでいるウィーリアが、眠っているロータスさまを見て悲鳴をあげる。


『こいつね! 何でこんな……ん? 騎士じゃない。誰よ、騎士を呪った馬鹿野郎は!』


 くっさいのよ、とまた繰り返して、ウィーリアがロータスさまの頭に手を翳す。閃光。ロータスさまの体から例の影が逃げ出すようにあふれて、光に溶けるように消滅した。


『はい、浄化しといたから。で、誰が呪ったのよ?』


 あっけらかんと言い放ったウィーリアに、眼球が落っこちそうなくらい目を丸くする。

 え、そんな一瞬で……?


 ――わたしを誰だと思ってんのよ。浄化は得意なのよ。わたし、神聖、だから。


 胸を張るウィーリアに手を伸ばす。迷わず首を鷲掴んだ。振る。


「バカバカ、ウィーリアのバカァ! 何してんのよ返事もしないで! どれだけ呼んだと思ってんのよバカァ! 外はずっと暗いし、変なドラゴンが出てくるし! 死ぬかと思ったじゃない!」

『な、何よ! 女神のとこにいたのよ! 返事なんてできるわけないでしょ! わたしがどんだけ頑張って女神をしばいたと思ってんのあんた! わたしの完全勝利なんだからね!? ……あ? ドラゴン?』


 この野郎、ちっともダメージが入らない。嘘でも、ぐえぇ、とか言えよ。


『待って、ドラゴンって何? ユイグの奴がどうしたのよ』


 部屋の空気が凍りついた。そんな当たり前みたいに出てくる名前なのか。


「し、知ってるの……?」

『わたしが浄化してるんだから知ってるわよ』


 きっぱりした言葉に、ヴァイオレットさまが殺気立つ。


「殺せますか?」


 問いは短いものだった。そのせいで、含ませた殺気が色濃く伝わる。


『物騒なこと言うのね。何、殺したいの?』

「はい。公的な理由もあるけれど、個人的には一刻も早く」

『あんたはどう?』


 振り返ったウィーリアの声は思いの外、真剣だ。


「殺せるのなら、すぐにでも」

『ふーん』


 ウィーリアが俺の頭に触れる。

 何してんの。


 ――記憶を読んでる。


 プライバシーって言葉、知ってる?


 ――今更でしょ。


 そんなことを言いながら俺の頭を撫で回していたウィーリアの手が、ややあってぴたりと止まった。何か気になることでもあったのか、光が強弱を変えて揺れている。そして、


『はぁんっ!? ユイグがソフィアに惚れてるぅ!?』


 絶叫した。鼓膜が破れるかと思うほどの声量だった。


『ちょっとどういうことよ! あいつ、妻が忘れられないってべそかいてるんじゃないの!?』

「知らないわよ……」

『ていうか、あんたは何であいつを回復させてんのよ! わたしに喧嘩売ってんの!?』

「だから、知らなかったんだってば! そんなつもりなかったし!」


 ウィーリアこそ、自分の自慢の神聖な魔力を掠め取られてんじゃねえか。俺に説教できねえだろ。


 ――あんたとの繋がりを継続させるのに割いた魔力でしょ。そんな微々たるものにまで構ってられないわよ。


『あいつ……ソフィアと接触したことで、わたしがいないって気づいたのね。ずぅっと邪魔だと思ってた相手が時々いなくなるんだもの。その隙は見逃さないわよね。でも、それが何でソフィアを迎えに来ることになるのよ?』

「わたしが聞きたい」

「ゼルさまの言では、奥さまによく似ているとか」


 ヴァイオレットさまの言葉に、ウィーリアは、はぁ? と不満顔だ。次いで呆れた、と言わんばかりに溜め息を吐き出し、額を押さえた。


『人間に惚れ込むドラゴンはこれだから……。器なんて飾りじゃない』

「どういう意味?」

『わたし達は人間を魂で見る。魂の器でしかない肉体の美醜には興味ないってことよ。旧き良きドラゴンもそうだったのに、あのバカ、人間に寄り過ぎたのね』


 ソフィア、といつになく強い声で呼ばれた。


『あいつの愛は独特なの。徹底的に尽くしてくれるし、間違いなく世界で一番、愛してくれる。でも、愛を貫く障害になるなら世界だって要らないの。自分と自分が愛する相手しか世界にいないし、必要ないって、考えるだけじゃなくて実行するわよ』


 何それ、こっわ。


 ――あんたの言うプライバシーなんて消し飛ぶからね。あいつ、あんたが今日したくしゃみの回数まで把握するわよ。


 悪寒で全身の毛が逆立つ思いだ。すっかり鳥肌だし、蕁麻疹が出そう。


「そこまで危険だと把握しておきながら、なぜ生かしていたのでしょう」


 ヴァイオレットさまの声が尖る。俺も賛成。普段は誰かに軽々しく死ねとか言わねえけど、

今回ばかりは思う。何で生かしてた。せめて魔素を吸収できないくらい弱体化させるとか、何かあっただろ。


『最初に理不尽を押し付けたのが人間だからよ』


 ドラゴンと親交を深め、愛し合うまでになった奥さんの死後、女神はその魂を拒絶したという。自分の元へ招くことをせず、転生も認めなかったそうだ。ユイグはそれに怒ってるけど、ドラゴンと交わった奥さんを人間も許さず、女神はユイグを滅ぼすと人間に約束したらしい。


『ユイグの本体は女神が滅したけど、奥さんに贈った鱗が残った。女神がそのことに気づいたのは、人間がここに鱗を保管した後よ』


 人間が浄化を繰り返し、ウィーリアも例の聖職者との約束通り浄化を繰り返していた。そこへ女神がやって来て、鱗を消滅させるという約束まで押しつけていったという。


『わたしが交わした約束は、祝福を土地へわけてあげること。それから、ユイグを殺さないこと』

「殺さない……?」

『奥さんはユイグをきちんと制御してた。あいつの愛で世界に害が及ばないよう、うまく分散させてた。そんなことできる人間、彼女だけよ。でも人間は、ドラゴンと人間という組み合わせだけで悪と断じ、女神もそれを是とした。あいつは、それを憐れんだから』


 あいつ、と言う時だけ、ウィーリアの声が小さくなった。


『奥さんのおかげで、これまで感情をうまく調整できてた。やり方はもう知ってる。ただ寂しくて泣いてるだけのたった鱗一枚だから、悪者のまま殺してしまわないでほしい、って』


 ウィーリアはそれを受け入れた。神々と親交の深い、光の精霊が。人間の言葉に頷いて、ドラゴンを見逃した。


『どちらの意見も否定しない。あいつの愛が危険であることは本当、でも泣いてるのも本当。だから、生きてると言えないまでも殺すこともしなかった。力を増したら浄化して、未練が枯れ果てて、自然と消滅するのを待ってた』


 でも、とここで初めてウィーリアの声に殺気が混じった。


『ぶっ殺してやる』


 殺害宣言だった。

 いいのかよ、約束は。


 ――うるさい。このわたしを馬鹿にして、ただじゃ済まさないから。


 怒っている。でもそれ以上に、傷ついているような気がした。

 けれど俺が何か言う前に、ウィーリアはそっぽを向いてしまう。


『ちょっと、あんたも手伝いなさいよ。蝋燭みたいな火でも、死にかけのドラゴンくらい殺せるでしょ』


 ウィーリアの視線の先で、不機嫌そうに火の粉が舞う。


『ぼくはヴァイオレットのために行動する。都合よく巻き込めると思わないでよね』

『ついてくるんなら一緒よ。殺せるの? 殺せないの?』

『見くびるなよ。ぼくの炎で丸焼きにしてやる』


 口調は喧嘩腰だけど、喧嘩する気はなさそうだ。協力しよう、って言うだけでそんなギスギスするって、仲が悪いにも程がある。


 ――協力しようって姿勢を見せてるだけでも褒めなさいよ!


 はいはい、ウィーリアは偉いねえ。


 ――それでいいのよ。


 これでいいんだ。


「では、行きましょうか。テオドールさまにも、早く起きていただきたいですもの」

『ユイグが消滅すれば呪いも散るわ。すぐよ』


 じゃあ早速、とみんなが立ち上がったその時、ロータスさまの瞼がとろとろと持ち上がった。


「ロータスさま!」


 すぐさま頭のそばに顔を寄せて声をかける。


 ――どうせ寝惚けてるわ。まともに話なんてできないわよ。


 黙ってろ。言いたいことがあるんだよ。


 ――ねえ、感動の復活なら後でゆっくり、


 一言、文句言ってやらなきゃ気が治まらねえ。


 ――……は?


 ゆっくり繰り返される瞬きが回数を減らし、瞼が重みに耐えきれなくなっていく。おい、待てこら。


「起きてください!」


 がばっ、と体を起こしたロータスさまが視線を泳がせながら、低く呻った。


「はい……起きました」


 目の下には濃い隈がべったりくっついて、全身からげっそりと疲労を漂わせている。眠気を振り払うように頭を振った拍子に、泳いでいた視線が俺にぶつかった。

 ぎょっとして体ごと下がったロータスさまが、息を吸うのに失敗して咳き込んだ。背を撫でようと伸ばした腕が、避けられる。涙が滲んだ。

 何だ、何だよその反応。ふざけんな。


「あ……すみません」


 また謝る。すぐ謝る。


「でも、多分、傷つけてしまうので……今は、」


 かちーん、ときた。

 傷つける、なるほど俺を傷つけないように避けてたんだもんな。部屋にも入れてくれずに、食事を運んでも声をかけても無視して。悪夢に魘されて、自分の部屋をこんなに壊しまくるくらいおかしくなってたなら、そういう思考回路になるのも頷ける。そこのベッドみたいに頭を割られちゃ堪んねえもん。強度で言えば、俺はきっとベッドにも劣るよ。だって斧も持ち上げられなかった。

 でも、でもさ、そんなことは、


「やってみないとわからないでしょう」


 あんた、俺の強度実験したことあんのかよ。確かにソフィアはすぐ泣くよ。涙腺ガバガバだし、どこにでもいる普通のひ弱な令嬢だよ。でもだからって、簡単に傷つくような女だと思われちゃ癪だ。


「わたしにとって何が傷になるのか、全部ちゃんと知ってますか? ロータスさまはわたしのことなら何でもお見通しですか?」

「そ、ソフィアさ、ん……?」


 怯んだその姿すら癪に障った。


「ヴァイオレットさまがわたしの名前を出した時、ロータスさまは止まってくれたじゃないですか。わたしのことをちゃんと認識できてた人が、どうわたしを傷つけるんですか」


 止まったから、ヴァイオレットさまに毒を盛られたんだろ。


「暴力でなくたって、どんな言葉で傷つけるって言うんですか。可能性のあった暴言の一つでも例に出してくださいよ」


 ロータスさまの何が俺を傷つけるのか。全部、理解したうえで俺を遠ざけてたならいいよ。気を遣ってくれてありがとう。でも、そんなことできねえだろ。

 俺の喜ばせ方だっていまいちピンと来てねえくせに。

 最近はもうずっと、悲しい、より、ムカつく、の方が勝ってたんだ。俺のこと散々、避けやがって。バッドでユイグの頭をフルスイングする前に、ロータスさまの頭かち割ってやろうと思って持ち出した斧だ。重くて持ち上げられなかったけど。


「傷つけたらごめんなさいでいいじゃないですか。普段から無駄に謝るくせに、こんな時ばっかり何ですか! 一回でも相手を傷つけたらそれで関係が終わるんですか! わたし、そんなに薄情な女だと思われてるんですか!」


 ぼろぼろ落ちる涙が邪魔で、ロータスさまがどんな顔してるのか見えない。


「傷つけるかもしれない、なんて言って避けてたらいつまで経ってもお互いを知れないでしょ! 大体、拒絶された今日まででわたしたくさん傷ついたので、今更そんな綺麗ごと言ったって遅いです!」


 傷つけてもいいから、なんてそれこそ綺麗ごとだ。傷つかないに越したことはない。俺だって痛いのは嫌だ。だからそんなこと言わない。でも、理不尽に傷つけようと思ってるわけじゃねえんだから、そんなに怯えんなよ。

 ドラゴンに呪いをかけられた状況で、自分が一番、大変なこの状況で、それでも俺を傷つけまいと拒絶するくらい空回りしてまで守ろうとしてる男だぞ。どうやって嫌いになれってんだよ。好きだよ。どんなひどいこと言われたって、どんなひどいことされたって、ユイグの責任にして許してやるに決まってんだろうが!


「傷つけたから、わたしとはもうおしまいですか? わたしはロータスさまを嫌いになるんですか? それでいいんですか!」

「嫌です!」


 地鳴りのような大声が空気を揺らした。


「嫌です、嫌わないで……」


 弱々しく、縋るように手を引かれる。


「じゃあ、謝ってください。わたしを傷つけるのが怖いって、わたしに相談しなかったことを謝ってください」

「はい、すみませんでした」

「わたしはロータスさまのことが好きなんです。ひどいことされたら引っ叩いて、取っ組み合いの喧嘩をして、それから仲直りする。そんな面倒くさい工程を繰り返してでも、一緒にいたいんです」

「……できれば、取っ組み合いのくだりは省略でお願いします」


 む、反抗しやがった。ムカつく。素直に叱られてろ。


「ダメです。わたしのため、なんて言い訳してわたしのこと避けるような人の言葉なんて聞きません」

「すみませんでした、ごめんなさい……」

「ちゃんと言ってください。考えてくれてるだけじゃ、わたしにはロータスさまの優しさも知れない」


 言葉にしてくれないと、一緒に考えることもできない。


「はい、すみません」


 床に手をついたロータスさまが低く呻る。もう眠くて限界らしい。


「あの、ロータスさま」


 おやすみなさい、と言おうと口を開いた俺より早く、ヴァイオレットさまが声をあげた。


「一つだけ。どうして眠ろうと思えましたの?」


 悪夢に魘されて、部屋を破壊し尽くすほど追い詰められて。それでも眠ろうとしていた。

 ロータスさまはしばたく質問を噛み砕くようにぶつぶつ口の中で呟いて、ぽつりぽつりと話し始めた。


「何度、振り払っても、夢の中の俺はソフィアさんを殺すんです」


 だから、と続けるのに少し間があった。ゆっくり息を吸って、吐いたロータスさまが俺を見る。


「……ソフィアさんを傷つける自分をぶっ殺そうと思ったんですが、寝不足で体力が限界だったので」


 ぽかん、と。ヴァイオレットさまの口が開きっ放しになった。言葉が出ないらしい。


 ――脳みそまで筋肉なの?


 ふはっ、と堪らず吹き出した。

 セリフが端から端までおかしい。一度、笑い出したら止まらなくなった。ヴァイオレットさまも笑いだす。

 どうして笑われているのか心底わからない、という顔で眉を下げたその表情が愛おしくて、思わず抱き着いた。


「殺さずいてくれて嬉しいです」


 ウィーリアの視線が突き刺さる。ちょっと、極まっちゃった自覚はある。


「寝てください、もう大丈夫です」

「で、でも……ソフィアさん、」

「わたし、もう何も怒ってません。起きたらお部屋を片付けましょう。手伝います」


 ロータスさま大好き。言ってから、顔に熱が集中して逃げ出したくなる。

 ちょっと、誰か俺の頭かち割ってくれない?


 ――バカみたい。


 辛辣!

 ロータスさまの腕が背に回る。深い安堵の息を吐く音に混じって、良かった、と呟いている。


「おやすみなさい、ロータスさま」

「はい。俺も大好きです、ソフィアさん」


 心の中で絶叫する。今その返事は待って!

 脱力してしまったロータスさまの体をなんとか横たえ、立ち上がる。


「い、行きましょうか」


 声がひっくり返った。顔から火が出そう。


「あらあら、まあまあ。羨ましい」

「……勘弁してください」


 わかってる、恥ずかしいことした。わかってるから、お願いやめて。


『ほら、行くわよチョコレート娘! わたしが砂糖を吐く前に、さっさとユイグをぶっ殺してやるんだから!』


 ウィーリアは俺の手を掴み、半ば引きずるように部屋を出た。慌ててヴァイオレットさまの方を振り返ると、フィさんがその手を引いていたのでホッとする。


 ――いいのね、殺すからね。


 いいよ、殺そう。全員が死ぬバッドエンドだぞ。回避するだろ。


 ――わかった。


 掴んだウィーリアの手に、力がこもった気がした。

 

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