05
薄暗い部屋は、目を慣らすまでもなくひどい有様だった。扉が開いた分だけ差し込んだ光が照らすわずかな場所だけでも、原型を留めている家具はない。
壁際の本棚は袈裟懸けに斬られサイズが半分になっている。剣はゼルさまが没収したはずだけれど、やはり自前の物がまだあったらしい。チェストは引き出しごと引き抜かれ、中身をぶちまけ本体も折り畳むようにひしゃげている。
目も当てられない。
先に入り、ソフィアさんをそっと中へ引きいれる。
ぐるり、と一周見渡して、溜め息を細く吐き出す。ロータスさまはすぐ見つかった。
ベッドのすぐ隣、なぜかマットレスごとずらして毛布にくるまって寝息を立てている。よく見れば、ベッドの脚が折れて傾いており、頭の方は割れていた。
壊したはいいけれど、眠る段になって苦労したらしい。
カーテンは無事かと思っていたけれど、窓を隠しているのは折り畳まれたシーツで、端を何かの破片で突き刺すことで留めていた。
これは、よろしくない状態だ。
「……」
ユイグの見せる夢には、明確な悪意があった。眠ることが嫌になってもおかしくないだけの悪夢を見ているでしょうに、どうしてかロータスさまは眠ろうとしている。壊した部屋の中で、窓から差し込む陽光を遮り、横になれる場所を確保していた。
夢を見ないためには、眠らないよう働きかけるものだと思うのだけれど。
「ロータスさま……」
そっとそばへ寄りしゃがみ込んだソフィアさんが、溜め息のように声をかける。触れようと伸ばされた腕は、すんでのところで制止した。何が刺激になってしまうかわからない。
「ロータスさま、起きてください」
ソフィアです、と発声した瞬間、空気が震えた。
とっさにソフィアさんの前に体をねじ込んだけれど、しなるように動いた手に肩が捕まった。反射的に尖りそうになった気を、抑えつける。
第一声、第二声と反応がなかったことで油断した。しゃがんだ状態では大した抵抗もできず、やむなく膝をつく。
「ヴァイオレットさまっ……!」
「だ、いじょうぶ」
掴んだ肩を砕かんばかりに込められる力で、骨が軋む。声に滲む痛みは隠せなかった。
「ロータスさま駄目!」
ソフィアさんの悲鳴で、わずかに力が抜けた腕を振り払う。立ち上がり様にソフィアさんの手を引き、部屋の外へ放り出す。
ロータスさまが体を起こした。
「ヴァイオレットさま!?」
「そこから動いては駄目よ、ソフィアさん」
殺気が背中に突き刺さる。
「で、でもヴァイオレットさま……」
「大丈夫、少しお話するだけですわ」
無理でしょう、と顔に書いてあるが、笑顔で押し切る。
指の腹を噛み切って、魔力を練る。殺すだけなら簡単なのだけれど、できないことは考えない。
一瞬でも、ロータスさまの肌に触れれば、私の勝ち。
――ぼくが脅かしてやるよ。
余計に興奮させないでね。
暗がりに慣れた目が、廊下の灯りがぼんやり照らすロータスさまの双眸に宿る異常を捉えている。睡眠不足で、おまけに悪夢に苛まれているという現状は、相当な負荷をかけているらしい。さすがの騎士さまも、夢が相手では斬れないものね。
走る。幸いロータスさま今、剣を持っていない。今が好機。
懐に飛び込むつもりだったけれど、これはあっさり避けられてしまう。触れようと伸ばした指先も、かすめもしなかった。寝惚けてはっきりしない意識であっても、殺気を放つ相手には体がしっかり反応する。やはり、テオドールさまは良い騎士をそばに置いている。私が欲しいくらいだわ。
「ソフィアさんが会いに来ていますわよ」
声で気を逸らす。効果はてきめんに出た。
殺気を垂れ流す私と、ソフィアさんの名前の板挟みにあい、処理が間に合わず硬直したロータスさまのすぐそばを駆け抜け、手の甲に触れる。赤い線が走った――途端、ロータスさまの体が糸の切れた人形のように崩れ、倒れた。
意識を混濁させ、筋肉を弛緩させる。効果は大したものではないけれど、今の彼には十分でしょう。
――ぼくの出番もおくれよ。
ないに越したことはなくってよ。
「ヴァイオレットさま……? 何を、」
「ちょっと、お話しただけよ」
肉体言語、と呟く声が聞こえた気がするけれど、きっと気のせいでしょう。
ロータスさまはさすがと言うか、衝撃はうまく逃がしてしまったらしい。動けないながらも、獣のように呻っている。
「水でもかけてシャキッとさせましょうか」
「ヴァイオレットさま……大雑把です」
「あらあら、そんなつもりはないのだけれど」
ロータスさまの脈拍や呼吸に異変がないことを確認して背を向ける。ソフィアさんの方へ踏み出し――死角から腕が伸びてきた。避けることは、できない。
なんて方でしょう、とぼんやり思う。立ち上がっただけでも驚異だというのに。……毒は、加減しなくても良かったわね。
フィリートが発火するより早く、外から差し込む光を遮る影が増えた。
「前にもいるぞ!」
ぴく、と反応したロータスさまの眸が一瞬、声の方へ向く。とっさに、視界を塞がないようその場にしゃがんだ。
「さすが俺の義姉さん」
すぐそばに迫った声は案の定、セシルのものだった。くずおれたロータスさまの体をなんとか抱き留めたセシルが、ホッと安堵の息を吐く。
「うわ、この人おっもいな」
「それでも体重は減っているのよ。最近は、あまり召し上がっていないから」
「義姉さん、よくこんな筋肉の塊とやり合おうと思ったね」
ロータスさまの体をそっと床に寝かせるセシルを手伝う。
「ソフィアさんが泣くんですもの。助けてあげたくなってしまうでしょう?」
「無茶だよ……」
「あら、セシルが助けてくれたもの。平気よ」
「たまたま居合わせなきゃ無茶だったでしょ!」
背中に衝撃がきて、踏ん張れずに床に手をつく。首だけ背後に向けると、ソフィアさんがしがみついていた。
「じ、じんばいじまじだ……」
涙で声がしわがれてしまっている。
「ご、ごわがっだあ……」
「ごめんなさい、ソフィアさん」
私の謝罪も届いていないようで、ソフィアさんは子どものようにわんわん泣いた。
「ごめんなさい、ソフィアさん。でも、怪我はしていないわ」
「あだりまえでず! げがじでだらゆるじまぜん!」
どうしましょう、すっかり怒らせてしまった。
「ぜじるざま、なにをなざっだんでずが」
「あー……魔法だよ。便利だよね」
「ぐす、……ぞうでずねっ!」
ゼルさまと同じ拒絶をされて、ソフィアさんの怒りには火がついてしまったらしい。返事はほとんど怒鳴っていた。
「参ったなあ……」
魅了の魔眼。セシルが宿した特殊な眸。
幼い頃は調整ができず、誰彼構わず魔力を放出しては、視線の交錯した相手を虜にしてしまっていた。強制的に愛を植えつけてしまうセシルの眸は、周囲の人間関係を引っ掻き回した。望まぬ愛で壊れていく人、関係を壊された人、多くの人から石を投げられて、遂には実の母親からも拒絶された。
我が家に引き取られたばかりのセシルは、愛情に飢えていながら愛を信じていなかった。
「セシルの眸は特別なの。ロータスさまは眠らせただけだから、大丈夫よ」
ぐすん、と鼻をすすったソフィアさんの胡乱な視線が突き刺さる。
「私で練習したんだもの。魔法の効果は保証するわ」
「義姉さん!」
「あらあら、本当のことでしょう?」
「勘弁してよ……。読書より心を動かされるのはおかしい、なんて理由で看破したくせに」
よろしくね、と手を伸ばした私に、一切の迷いなく魅了の魔法をぶつける程度には、セシルは愛に飢えていた。愛されたい、けれどこの眸がある内は愛など望めない。矛盾を抱えたセシルは、傷つく前に魔眼で愛されることを選んだ。
「読書中の私を連れ出すからよ。敵の情報収集は大切って、いい教訓になったでしょう?」
「エリック義兄さんに目ん玉が溶けるほど泣かされた」
「おかげで眸に振り回されることがなくなったのだから、得をしたでしょう?」
「義父さんに脳みそ溶けるほどしごかれたおかげでね」
四六時中、泣き叫ぶほど厳しい訓練になったけれど、結果としてセシルは魔眼を自在に操れるようになった。魔力を帯びたセシルと視線が交わってしまえば、抗えるのはテオドールさまくらいのものでしょう。
「あの……ロータスさまは、悪夢を見ていますか……?」
少し落ち着いたらしいソフィアさんの言葉を否定する。セシルも重ねる。
「夢を見ないほど深く眠らせたから、大丈夫だよ。……少しだけど、俺は神聖属性魔法の心得もあるから、しばらくは効果が続くと思う」
「え……じゃあ、浄化ができるんですか?」
「真似事だよ。大したものじゃない」
孤独を埋めるために縋った女神は、結局、母親に拒絶される段に至ってもセシルを救ってはくれなかった。絶望の果てに信仰を捨てたセシルは同時に、神聖属性魔法への適性を枯渇させた。それがどうしてか、自然と笑えるようになった頃からほんの少しだけ、浄化に近い魔法を扱えるようになった。セシル自身は思い当たる節があるようだけれど、何度ねだっても、私には頑として教えてくれない。
仰向けで眠るロータスさまの頭の下に丸めた毛布を敷き枕の代わりにしたソフィアさんが、そのすぐそばへ座った。手を握ろうと腕を伸ばして、しかし躊躇うように指が泳ぎ、結局は引っ込めてしまう。
「あの、ロータスさま……一体どうしたんでしょうか……? あんな姿、見たことなくて……」
剣を抜いた際の姿を、戦場に立つ彼を、見ずに済むならそれがいいと思う。
さっきのはあくまでも、鬼神も斯くやと畏れられるロータスさまの、ほんの一端。素手であったが故の、あの程度。それでも、初めて見るソフィアさんが驚くには十分だったでしょう。
「フィリート、どんな夢を見ていたかわからないかしら?」
『無理だよ。今は見てないし、ロータスとは繋がりがない。どうせろくな夢じゃないよ』
目を覚ますたびに部屋を破壊していたとすると、確かに只事ではないでしょう。一体どんな夢を見れば、ああも攻撃的になってしまうのか。……悪夢の原因とはいえ、泣きじゃくる幼いセシルを問答無用で焼いた私が言えたことではないわね。
「だ、大丈夫でしょうか。このまま、……」
ソフィアさんの声に涙が混じる。
「陛下からは私達へ一任するとのお返事をいただいたし、ユーリ殿下からもユイグは殲滅して構わないと許可が出たわ。光の精霊が戻り次第、すぐにでも地下へ行きましょう」
「あ、神父さまの伝言……それを伝えに来たんだった。教会側も王太子へ危害を加えた以上、生かしておくことは難しいだろうって。滅ぼせるのなら早急に、って結論が出た」
「そもそも、光の精霊が浄化を任されていながら、どうしてこれまで生き延びていたのかしら」
「さあね。神父さまは光の精霊と言葉を交わせないし、彼女の事情までは知らないよ」
意見を求めようとソフィアさんの方を向いた、まさにその時、
『たっだいま~。ねえ、何で男子寮にいるの? ……ってくっさ! あんた臭いわよ!』
騒がしい声と共に、眩しいほどの光が部屋を満たした。
『鼻が曲がるわもう、……何で泣いてんの?』
まるで見計らっていたかのよう。
光の精霊の帰還だった。




