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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第一章 Vの愛
3/37

02


 遠くで声がする。どこか咎めるような、棘のある声が降ってくる。

 ふわふわと覚束ない頭をどうにか働かせて、声を聞き取ろうと意識を研ぎ澄ます。


「お嬢さま、お目覚めのお時間です」


 ……そっと、そっと毛布を引き上げ耳まで隠す。辛うじてまだそばにある夢の扉に意識を潜り込ませ、外の音を追い払う。再び遠のいた声が輪郭を朧げにし、毛布が吸収し弱まった胴に響く揺れが心地良い。

 ごめんなさい、まだ眠いの。

 溶けだす意識の端で謝る私の耳元で、氷のように冷めた声がぽつりと響いた。


「本を焼きます」


 すぐさま毛布から顔を出す。瞼の重さなど忘れ、さっと上体を起こしてベッドの傍らで本の背表紙を撫でる人物に声をかける。


「おはよう、アレキ」

「……おはようございます、お嬢さま」


 アレキ・サンドール。

 燃え立つような赤髪を高い位置できっちりまとめ、深い緑の双眸でじっとこちらを睨めつける彼女は、私の生活を支えてくれている侍女だ。均整の取れた肉体と、この国では珍しい褐色の肌すら魅力にしてしまうはっきりとした顔立ちで人の視線を独占できてしまいそうなのに、殺意すら感じさせる鋭利な視線が全てを台無しにする。


「読書で夜更かしも結構ですが、起こすわたしの苦労も想像していただきたいものですね」


 アレキは言葉も視線も声も厳しい。引きつる口元を結びつつ、チョーカーを着ける。


「さあ、支度いたしますのでさっさとこちらへ」


 おまけに容赦もない。


「アレキ、私がいけなかったのは認めるから、脅し文句を変更してもらえない?」


 本を焼く。それは私にとって心に根を張る深い傷だ。

 ベルシュタイン家は邸の隣に図書館を併設している。広く一般にも公開しているそこは幼少期、私がほとんどの時間を過ごした場所でもある。そこである日、来館者である男の子が本を粗末に扱う姿を目撃して、怒りを抑えられなかった私は無意識に魔法を発動した。私が高い適性を示すのは火の魔法。その時も周囲に火の粉を舞い散らせ、一冊の本に引火したのである。すぐに消し止められ火事には発展しなかったものの、被害にあった一冊は半分ほど燃え落ちてしまった。思えば、家族以外の前で声をあげて泣いたのは、あの時が初めてだったかもしれない。以来、感情の抑制と魔法の制御は私の最重要課題となった。結果は痛し痒しといったところで、素直に自分を褒めてはあげられない。


「なぜ? お嬢さまが最速でお目覚めになる魔法の言葉です」

「……頑張るから」


 魔法とは一般に、精霊の力を借りて発現させる奇跡のことをいう。人々は精霊に祈りを捧げることで世界の理に干渉し、火を起こしたり光を灯したりといった奇跡を起こす。

 ただ、現代で精霊と言葉を交わせる者は少ない。精霊を見ることができない一般人は姿が見えないなりに、時には聖職者の力も借りつつ祈りを捧げることで精霊の力を借り魔法を行使するのだ。

 一方で、単独で魔法を行使する存在もいる。神話の時代に地上の覇者として君臨したドラゴンである。しかしこちらも時代が進むにつれその数を減らし、現在では時折トワイライトドラゴンの姿が確認されている程度である。


 そしてヴァルツァー王国において、王族や上位貴族は竜の血族と呼ばれている。長く古い歴史のどこかで、ドラゴンと交わった人間の王がいた。それ以来、王族とそれに連なる貴族には脈々とドラゴンの血が受け継がれている。ドラゴンの血が内包する強大な魔力は、精霊に頼らない単独の魔法行使を可能にするのだ。その力は時に大洪水を引き起こし、時に町一つを毒で汚染し、時に数万に及ぶ他国の軍勢の精神に干渉し退けたという。

 ヴァルツァー王国が他国を寄せ付けず、長く大陸の覇権を握ってきた所以である。


「本が関係しなければ発動されない頑張りは信用いたしかねます」


ドラゴンの血には強大な力があるけれど、使い方次第で毒にも薬にもなる。その力を正しく理解し行使するための知識と力を育むことも、貴族には不可欠なことである。


「本ばかりが私の全てではないわ」

「そうですか? その割に、テオドール王太子殿下との対話からは逃げ回っておいでのご様子ですが」

「そんな、ことは……」


 ない、と断言できない己が恨めしい。


「虎、と畏怖されるベルシュタイン家も、恋の前では猫同然ですか」


 お可愛いことですね、と私の髪を梳かしながらアレキは鼻で笑った。


「ご存じですか? 最近の噂では『テオドール殿下が真実の愛を見つけた』と囁かれているそうですよ。まったく……敵の姿を視界に収めておきながら放置されるとは、殿下も罪深いことをなさいましたね」

「アレキ、」

「お嬢さまも、容易く牙をもがれてしまうなんて……旦那さまに何とご報告申し上げればよろしいのか」

「アレキ、そこまで」


 ぴく、とアレキの指が跳ねた。膝を折り、頭を垂れる彼女の肩は震えている。


「失礼いたしました」

「殿下とはきちんと話をします。あなたは私が号を出すまで、良い子にしていらっしゃい」

「御意」


 顔を上げたアレキの頬はわずかに上気し、声には甘い吐息が混じる。潤んだ双眸がうっとりと私の輪郭をなぞっていく。

 彼女が饒舌になる時はいつもこうだ。どこで躾を間違えたのでしょう。


「も、もう行くわね」

「はい、いってらっしゃいませ」


 そそくさと扉に近づく私の背に、アレキの蜜のような声が絡みつく。

 振り返り、立ち上がり改めてお辞儀するアレキに声をかける。


「お利口にしていなさいね」

「もちろんです、お嬢さま」


 ぱっと顔を上げたアレキは表情を引き締め畏まって見せるも長くは保たず、あっという間に頬が緩んだ。

 気を静めるべく吐き出した溜め息は思いの外、重くなってしまった。それがまたアレキを悦ばせる。

 いってきます、と呟いて扉を開け、返事を待たず外に出る。少しだけ大きな音を立てて、アレキの声を掻き消すつもりで扉を閉めた。

 朝からどっと疲れた。


 ベルシュタイン家に仕える者は皆、例外なく影として諜報や暗殺の訓練を受ける。アレキは厳しい訓練に耐えうるために、叱責や苦痛に悦びを見出すようになったという。きっかけは、足音を忍ばせる訓練の際、頭の上に乗せた本を落としたところを咎めた私の視線に背筋が痺れたことらしいのだけれど、告げられた際はあまりの衝撃で眩暈がした。

 大変に優秀な影として、お父さまより私の侍女を仰せつかるまでに至ったと本人は大喜びだけれど、私はどうしても呑み込めない。定期的に蜜を欲しがって粗相をしようとする彼女を躾けるだけでも骨が折れたのに、そのせいでますます懐かれてしまったのだから頭痛がする。事実、申し分ない優秀さで私のそばに控えてくれているだけに、致命的なたった一点が悪目立ちしてしまう。どうしてこうなってしまったのでしょう。


 どんよりとした気持ちのまま、表情ばかりは取り繕って寮を出る。登校の際は、他の生徒と時間を合わせてしまえば歩いて五分とかからない距離だ。人の波に乗るだけなら、さすがの私でも迷わない。

 問題は、校門を抜けた先。カリキュラムに沿った教室への移動だ。今日は講堂で、神父さまによる精霊に関する講義がある。

 講堂は確か、こっち……あっち?


「よお、ヴァイオレット」


 ぽん、と肩を叩かれ振り返る。


「おはようございます、ユーリ殿下」


 向き直り、カーテシーをとる。

 ヴァルツァー王国の第二王子であるユーリ殿下は、テオドール殿下とは正反対の性格をしている。やんちゃ、というのは失礼かもしれないけれど、まさにそんな感じだ。匂い立つような上品さを備えた顔立ちであるのに、中身は粗削りで、王族には珍しい快活な親しみやすさがある。跳梁跋扈する宮廷を渡り歩いてきた人生で、それでも失われなかった素直さや無邪気さを眩しく思う。……ちょっと乱暴なところがあって、繊細な年頃の令嬢方を泣かせたり、粗野な言動で年嵩なご婦人方を脅かしたり、ハラハラしてしまうことも多かった幼少期ではあったけれど、今では素敵な王子さまだ。

絹のような灰色の髪と、宝石と見紛うアメジストの眸はテオドール殿下とお揃いだ。違いといえば、ユーリ殿下は髪を後ろへ撫でつけ額を出している。前髪が煩わしい、といつか言っていた。


「どこに行き損なってるんだ? 連れて行ってやる」

「……講堂までお願いしてもよろしいでしょうか」

「ああ、行こう」


 ユーリ殿下の言葉は私が迷うことが前提で、というよりも既に迷っていることが確定していて、否定できないことが恥ずかしくてうつむく。


「どうした?」

「何でもありません」


 ずい、と差し出された手のひらに自分のものを重ねる。


「そうだ、聞きたいことがあったんだ。今週末は暇か? 王宮庭園の薔薇が見頃なんだ」


 殿下が表情をほころばせた。

 王宮が誇る庭園の一角には、薔薇が咲き誇る巨大な迷路がある。香りの強い品種が集められており、薔薇の匂いに満たされた中での散策は心まで満たしてくれる。しかし迷路の難易度は高く、正解は王宮庭師しか知らない。ユーリ殿下によると、王妃さまも迷子になったことがあるという。絶対に一人で入らないように、とテオドール殿下には再三に渡って言い聞かされている。


「見に来いよ。今年の迷路は力作らしいぞ」

「まあ、素敵ですわね」

「迷路からの脱出は俺が頑張るから、ヴァイオレットは品種の解説をしてくれ」


 お願い、と重ねた手に少しだけ力を込める殿下の笑みは柔らかい。軽く首を傾げてまっすぐ視線を交える、甘えるようなこの仕草はいつも私の胸の奥をきゅんとさせる。つい、どんなおねだりでも叶えて差し上げたくなる。

 一人で何でもこなしてしまって全く手のかからなかったテオドール殿下と違って、ユーリ殿下は周囲を巻き込んでたくさん構われて育った。そのせいか、おねだりの仕方や甘え方がとてもお上手で困ってしまう。


「私でよろしければ、喜んで」


 初めてのおねだりは、私がテオドール殿下と婚約して間もない頃だった。

 王宮で催されたお茶会の席で、ユーリ殿下が参加していたご令嬢を泣かせてしまった。女の子という未知の存在の扱いを、当時の殿下はまだ心得ていなかった。大粒の涙をこぼして泣く令嬢の傍らで凍りついたように呆然とする殿下のそばへ寄って、そっと耳打ちしたのが始まり。


『殿下の言葉に驚いてしまわれたのですわ。びっくりさせてしまったことを、どうか謝罪なさいませ』


 それできっと泣き止みます、と添える私の顔を、殿下はしばらくじぃっと観察して。それから泣き止まないご令嬢に向き直り小さく、ごめん、と謝った。

 本当にぴたりと泣き止んだ令嬢を見て、すぐにそばを離れた私を殿下が追いかけてきた。なぜ泣いた理由がわかったのか。どうして謝罪で泣き止むと知っていたのか。矢継ぎ早に投げられる疑問に一つずつ答えているうちに時間が過ぎ、迎えの連絡が来ても殿下はなかなか私を帰してくれなかった。

 次がある、というテオドール殿下の説得でようやく納得してくれたユーリ殿下は、今と同じ仕草で私の手を握った。


『また色々なことを教えてくれ、義姉さん。お願い』


 私はあの時、ユーリ殿下に胸を射抜かれたのだ。義姉と呼んでくれる殿下の言葉に、この婚約が滞りなく結婚まで至ると言われたようで。もう一人、弟ができたようで。それがとても、嬉しくて。以来、私は殿下のおねだり通りに様々な疑問を紐解いてきた。自分の心を満たすだけだった読書が、どなたかの知識欲を満たすためのものへ変わったことも新鮮で楽しかった。


「あ? おい、」


 不意に殿下が立ち止まった。間に合わず、背にぶつかる。

 謝罪を口にするより早く、殿下がぽつり、と声を漏らした。


「あれ、セシルじゃないか?」


 殿下の視線を追うと、確かに、セシルの姿があった。そして傍らにいるのは、ソフィア嬢だった。並んで歩きながら、楽しそうに微笑み合っている。

 息を呑む。喉の奥が締まった気がした。

 見たこともない華やかな笑みを浮かべるセシルは、私の知らない男の子のようだ。


「あいつ、あの令嬢と親しかったのか」

「……殿下は、セシルとソフィア嬢が不仲の方がよろしいのですか?」


 不満げな声に思わず言葉が口から飛び出した。なんとはしたない質問でしょう、と慌てて取り消そうと顔をあげるも、眉間に深くしわを刻んだ殿下の双眸に射抜かれ喉が凍りついたように動かない。


「嫉妬で言ってるわけじゃない。さては噂を聞いたな。俺が食事をしているところへ一方的に押し掛けてきたんだ。図々しくも隣に座られて、拒絶しようにも周囲の目がある。特定の令嬢と親しくするわけにはいかねえけど、特定の令嬢を邪険にするわけにもいかねえだろ」


 途中、声を潜めながら殿下が吐き捨てる。辟易している、と言わんばかりに溜め息が重い。


「失礼なことを申しました。申し訳ございません」

「あの令嬢と食事しても楽しくなかったんだ。二度と言うな」

「はい、殿下」


 頭を下げる私の旋毛に深い息を吐く音が降ってきた。


「そんなに畏まるなよ。ヴァイオレットが好きそうなデザートのある日だったのに、邪魔されて機嫌が悪かったの思い出したんだ。八つ当たりだから、……ごめん」

「っ……、次回は是非、ご一緒させてください」


 もう一度、殿下の謝罪を否定して重ねようと口を開いて、しかし別のことを言った。下がった眉が切なくて、必要なのは謝罪ではないと思った。

 ユーリ殿下には笑顔でいてもらいたい。晴れやかな笑みを向けてもらえると、私の心も晴れるような気がする。


「今度は迎えに行く」

「はい、よろしくお願いします」


 殿下の表情が晴れ、つられた私の口角もあがる。

 その時、セシルの弾けるような笑い声が響いた。ぎょっとして声の方を振り返る。ソフィア嬢はこちらに背を向けていたけれど、セシルの顔はよく見えた。


「ヴァイオレット、行こう」


 呆然とする私を慮ってか、殿下が強く手を引いた。踏み出す一歩が大きくて、私も慌てて歩き出す。

 手を引かれるまま歩く。握られた手から体温が移って、いつの間にか指先が冷えていたのだと気づいた。

 あまり目立たない位置にあるベンチへ案内され、腰を落ち着ける。殿下も隣へ座った。


「医務室に行くか? それともサボって図書館に行くか?」


 付き合うぞ、と言う殿下の声につられて顔を上げると、真面目な顔をした殿下の宝石のような双眸に射抜かれた。


「心が弱ってる時は何でもかんでも悪い方に考えるもんだ。しっかりしろ」


 強く手を握られ、痛みでハッとする。

 深く息を吸って、ゆっくり吐き出す。早鐘を打っていた心臓が落ち着きを取り戻したら、少しだけ冷静になれた。


「セシルは大丈夫だ。お前を傷つける奴のことを好きになったりしない」

「え……」

「心配するな。あいつは裏切ったりしない」


 慰めてくれている、とわかって、同時に勘違いがあることもわかった。何と伝えたものでしょうと思案し、やはり素直に伝えることにした。


「心配してくださってありがとうございます。ただ、私の不安は別のところにあるのです」

「は……?」


 瞠目した殿下は、口までぱっくり開けてしまった。

 セシルは、噂にあるような事実はないと言った。ならばあれは、今の光景は違うのだ。親しみ深い優しい笑みは、内に秘める感情とはまるで違う。


「あの笑顔はただの仮面ですわ、殿下」


 ベルシュタイン家が誇る大嘘吐きは、あらゆる感情を笑顔の下に隠してしまう。内包する心を察するのは困難で、また暴くのは容易でなく、気づいた時にはもう、セシルの牙は喉元を噛み千切っている。


「セシルの怒りは沼のように相手を深みに沈めます。子爵家の令嬢とはいえど、学内で行方不明者が出るようなことは避けなければと、私とても心配で……」


 殿下の表情がどんどん渋くなる。思わず私の言葉もぎこちなくなり、尻すぼみに途切れた。私、何かいけないことを言ってしまったでしょうか。


「あー……、」


 言葉を探す殿下の視線が泳ぐ。

 自惚れと言われてしまえばそれまでだけれど、私はセシルに愛されていると思う。少なくとも私は、セシルを愛している。血の繋がりなど些末なことだと、断言できる程に。

 大切で、大事にしたい、私の弟。

 セシルが私と同じように私を思ってくれているのなら、私を悩ませるソフィア嬢を敵と認識しても不思議ではない。そしてベルシュタイン家の人間は、敵と認識した相手にかける情を持たない。骨まで残さず喰い尽くす。


「ヴァイオレット、」


 迷うような殿下の声に呼ばれる。殿下の視線が私の首元で固定され、声から迷いが抜け出した。


「……テオドールと話はできたか?」


 それは、明確な話題の転換だった。何かを誤魔化す、はぐらかす意図を感じた。


「いいえ、なかなかお会いできなくて」


 ユーリ殿下がわざわざそんなことをするのなら、必要なことなのでしょう。私は素直に話に乗っかる。小さく吐き出された息には安堵の気配があったけれど、気づかないフリをした。


「ついて行ってやるぞ。代わりに殴ってやる」


 ぐっと握った拳を前に突き出す殿下の眸は笑っていない。本気だ。


「あらあら、殿下ったら」

「くだらない噂を流されておきながら放置している腑抜けだ。一発きついの叩き込んでやればいい」

「……何か、お考えがおありなのですわ」


 きっと、と。そんなものは私の願望でしかないのだけれど、言ってしまった。そんな私を見る殿下の眸は、どこか咎めるような色をしている。わずかに声が尖った。


「ヴァイオレット、嫌なことをされたら怒っていいんだぞ」


 嫌なこと。怒る。新鮮な言葉だった。動揺が伝わったように、鈴が音を立てる。

 テオドール殿下が私以外の女性と親しくしていることを。私を見つけてくださらないことを。


「で、ですが……私が至らないのですから、それは」

「ヴァイオレットに駄目なところがあったら、テオドールはヴァイオレットを蔑ろにしていいのか?」


 瞠目する。

 殿下が悪戯っ子のような笑みで私の鼻を指で弾いた。

 

「ヴァイオレットは俺の義姉さんだからな。いじめる奴は誰でもぶっ飛ばしてやる」


 返事のできない私に、笑みを深くした殿下が声を落として続ける。


「それでもし、テオドールのこと嫌になったら言えよ。義弟をやめて俺がもらってやるからさ。俺は王位とか要らねえから、王妃やるより読書の時間が増えるぜ」

「あ、あらあら、魅力的なお誘いで困ってしまいますわ」


 ようやくできた返事は少しだけ震えた。けれど笑うことには成功し、気持ちが軽くなったのがわかる。


「ありがとうございます、殿下」

「どういたしまして」


 差し出された手を取り立ち上がる。


「セシルには昼食の時にでも教えてやれよ。乙女との付き合い方を教えるのは得意だろ?」

「……まあ、殿下ったら」


 ずんずん歩き出した殿下に置いて行かれないよう、小走りで進む。

 講堂に着くまでの間、私は殿下の言葉を噛みしめながら思考を巡らせる。私が嫌だと思っていること。私が怒っていること。

 ――そして私が今、何を知らないのか。

 

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