プロローグ
夕暮れの校舎を、軽い足取りで進む。
今日は……今日も、放課後はヴァイオレットさまと過ごす約束をしている。最近、俺とヴァイオレットさまの間では恋バナが一大ブームを巻き起こしている。
寮のどちらかの部屋に集まって、お茶とお菓子を楽しみながらおしゃべりに花を咲かせているのだ。楽しくて、止め時を見失ってしまうこともしばしば。互いの侍女が決められた時間になったら迎えに来て、引きずってでも部屋に戻すと固い握手を交わした時は、さすがに二人で赤面した。
――胸焼けするから、お菓子はやめない?
やめない。
ヴァイオレットさまの侍女、アレキさんが焼くお菓子はどれも美味しくて、毎回ほっぺが落ちそうだと錯覚する。こないだアニーがレシピを聞いてたから、近いうちに作ってもらえるだろう。
――すっかりお嬢さま生活を楽しんでるじゃないの。
こうなったら楽しんだもん勝ちだろ。
ヒロインが攻略キャラ意外と結ばれたことで、シナリオは完全に崩壊した。神も諦めたのか、最近ではなぞの胸のざわめきもなくなった。俺の人生、順風満帆なんじゃね?
――す~ぐ調子に乗る。
今回はいいだろ。乗せてくれよ調子に。
――はいはい。あ、そうだ。わたし、
「ソフィアさ……さん!」
振り返る。なにやら怖い顔をして、ロータスさまが走って来た。敬称をなくしてほしい、というお願いは却下されたけど、ヴァイオレットさまの口添えもあって『さん』で落ち着いた。まだ慣れてはいないようだけど。
「こんにちは、ロータスさま」
「こんにちは。今日もヴァイオレットさまとお茶ですか?」
「はい、楽しみです」
「それは良かっ……いえ、良くないです」
「へ?」
微笑みかけたロータスさまはしかし、ムッとして口を引き結んで見せた。
「今日は、俺に譲ってください」
「は、い……?」
言葉がまったく理解できない。急に、どうした?
「ヴァイオレットさまでなく、今日は俺にあなたの時間を譲ってください」
じんわりと言葉が喉を通過して、すとん、と腹の奥に落ちた。熱が弾ける。
「俺だって一緒に過ごしたい」
そんな追い撃ちやめようよ! 何で急にそんな可愛いこと言うの!? 俺をどうしたいの!
熱くなった頬が溶けないように両手で挟んで支える。
「わ、わたし……ヴァイオレットさまにお願いしてみないと」
さすがにすっぽかせなくて、蚊の鳴くような声でそれだけ告げる。
「では、行きましょう」
「ふぇ……?」
頬を挟んでいた手の、右の方をさっと奪って、ロータスさまが歩き出した。引っ張られるまま俺も踏み出して、手を繋いで廊下を突き進む。
何、何だよ今日どうしたの!? いつもの謙虚さどこに置き忘れちゃったの!? そんな強引になるなんて初めてじゃない!?
――口で言いなさいよ。
ンな余裕ねえよ! 俺の茹った顔が見えねえのか!?
――見えてるわよ、うるさいわね。満更でもなさそうにニヤけてるのバレバレよ。
え、ニヤけてんの俺!?
――顔には出てないけど、声に出てるのよ。何、強引にされるのが好きなの? 強気に攻めてほしいタイプ?
いや、乱暴なのとか束縛が激しい感じはごめんだけど、こういう強引さは正直ぐっとくるものがある。俺やっぱ姉さんの弟だわ。ギャップ萌えに弱い。
胸がきゅんきゅん鳴りっぱなしだ。
――あっそ。もうお腹いっぱいよ、わたし。ところで、騎士はどこに向かってんの?
あれ、そういえばどこだろう。
「あ、あのロータスさま、どこへ――」
「どうせ図書館にいらっしゃるんでしょう? 今日という今日は俺がもらいますよ」
え、嘘。俺の彼氏、超かっけー。
――違う、違う。婚約者。結婚の約束をした人でしょ。
え、嘘。俺あんな男前と結婚の約束してんの? やばくね?
――やばいのはあんたの頭よ。花でも咲いてんじゃないの?
手厳しい。
そう、俺は先日、無事にロータスさまとの婚約が成立した。いざとなったら、と言ってくれたウィーリアには悪いけど、話をまとめたのはアニーだ。
それはもう凄まじかった。お父さまとお母さまは、俺に恋人ができたって報告に頬を緩め、しかし口を開く間もなくアニーの演説に飲み込まれた。俺でさえ口を挟めなかった。
ルーナ家の詳細から、ロータスさまのこと。我が家と縁を繋ぐことでこんなに素敵な生活が、こんな利点が、なによりお嬢さまがこんなにハッピー云々。帰省した初日は、午後から日が完全に沈むまでの時間を全てアニーが独占した。
『――と、いうわけで旦那さま、奥さま。お嬢さまとロータス卿の婚約、是が非でも結んでくださいね』
晴れやかな笑顔で言い切ったアニーとは違い、お茶を飲む暇もなかった俺達はぐったりして、頷くだけでやっとだった。
『アニーって、あんな感じだったっけ? パパ知らなかったんだけど』
『お、恐ろしかった……夢に出るわ、あの笑顔』
『すみません。アニーはちょっと、わたしへの愛情がはみ出してるものですから……』
挨拶を除いて、その日の親子、最初の会話はこんな感じ。
お母さまは翌日、本当に夢に出てきたと怯えて朝食を食べられなかった。圧力でもかけるように、アニーがその時の笑顔のまま邸内を移動するものだから、俺でさえ遭遇した時は悲鳴をあげた。お父さまは一日保たず、いそいそとルーナ家に連絡を取った、という次第だ。
俺の侍女が強過ぎるし、それで婚約を成立させちゃうお父さまも強い。どうやって縁談をまとめたんだろう。ルーナ家にどう思われたのか、俺は不安でヒヤヒヤしてる。
アニーはあの後、我が家の家政婦長でもある母親に厳しく叱られたらしい。
『お母さまだって、旦那さまと奥さまの縁談の際には無茶したくせにぃ』
と、恨みがましく俺の膝に顔を埋めてしくしく泣いていた。詳細は、勇気がなくて聞けなかった。アニーの家系、こわいよ。愛してくれてるのは嬉しんだけど、愛情が激しいんだよなあ……。
――変な奴の周りには変な奴が集まるのね。
じゃあ、お前も変な奴だな。
――……ムカつく。
「ヴァイオレットさま!」
ノックの代わりに靴を打ち鳴らし、挨拶の代わりに声を張ったロータスさまが図書館の奥、いつもの部屋へ乗り込んだ。
「だからな、ヴィ……あ、ロータス」
部屋の中では、テオドール殿下が何事かをヴァイオレットさまに詰め寄っていた。
「あらあら、こんにちは」
「こんにちは、ヴァイオレットさま」
「こ、こんにちは」
殿下がいるとは思わなかったのか、ロータスさまはすっかり勢いを削がれた。
「ソフィアさん、ごめんなさい。少し待ってもらえるかしら」
「あ、はい。もちろん。どうぞごゆっくり」
何してるんだろう、とぼんやり考えていたせいで返事までぼんやりした。
ごゆっくり、の部分でハッとしたロータスさまが勢いを取り戻す。俺の手を離し、一歩、大きくヴァイオレットさまの方へ踏み込んだ。
「ヴァイオレットさま、お願いがあります」
「あらあら、少しお待ちになって。今テオドールさまが――」
「待てません!」
あ、あらあら……。ヴァイオレットさまの困惑したような声すら遮って、ロータスさまがずい、と身を乗り出した。
「ソフィアさ……んを譲ってください」
ぽかん、とヴァイオレットさまの口が小さく開いた。
「ズルいですよ! 寮の部屋では邪魔もできない! 別れ際に次の約束まで取り付けて、俺の入る隙が無い!」
何だろう、これは。嫉妬? ロータスさまってばヴァイオレットさまに嫉妬してんの?
~~っっもう、だからギャップ見せちゃダメだって! 可愛いと思ったらときめいちゃうだろ!
――誰か、苦いコーヒー淹れてくれない? 砂糖、吐きそうだわ。
「俺の婚約者ですよ!」
「もちろん、私はソフィアさんのお友達ですもの」
「友達なら恋敵になるのはやめていただきたい! 勝ち目がない!」
ちょ、もうその辺で……勘弁して。
「あらあら、負けてしまうの?」
ヴァイオレットさまはどうして俺の婚約者を煽ってんの?
わあわあ、と白熱し始めたヴァイオレットさまとロータスさまによって、すっかり蚊帳の外に追いやられた殿下が、ちょっと寂しそうにこっちへきた。
俺が話してたのに、と顔にデカデカ書いてある。
「こんにちは、殿下」
カーテシーをとる俺をじっと見て、一拍。ムッと口をへの字に曲げた。
「ソフィア嬢、俺からも言いたい。俺の婚約者を俺より独占するのはやめてくれ」
挨拶しろよ、先に。思い切り八つ当たりするじゃん、この王子さま。
「わたし、ヴァイオレットさまのこと好きなんです」
「俺だって好きだよ! そこで競おうとするな決着がつかん!」
殿下も必死だ。
「ただの友情です。お構いなく」
「構うから言ってるんだ。そちらがその気なら、こちらは権力を振り翳す準備があるぞ」
「お、脅しじゃないですか……」
「構うものか」
構ってください。
形振り構えよもう少し。子どもっぽいというか何というか、ヴァイオレットさまのおかげで随分と素直に生きられるようになったらしい。
「とにかく、俺の婚約者なんだからもう少し遠慮してくれ」
「むぅ……」
「可愛い子ぶっても俺には通じないぞ」
本格的にムッとする。ロータスさまが可愛いって言ってくれてる俺だぞ、可愛がれよ。
「殿下がその気なら、こちらはウィーリアを振り回す準備がありますから!」
「振り回す!?」
――振り回す!?
殿下の声とウィーリアの声が重なった。
――わたしを振り回すって、どういう意味よ!
掴みかかろうと伸ばされた光の腕を逆に掴んで取っ組み合う。
『この細腕で何ができんのよ!』
「喧嘩できる!」
実体化したウィーリアは剛腕でもアピールしたいのか、やたらと大きく発光している。負けるかちくしょう。
「お、おい……そこで喧嘩をするな。ソフィア嬢、ちょっ……俺また放置、」
ぷふ、と口から息が漏れた。殿下、その呟きは笑っちゃう。
『とりゃっ!』
ぐい、と引っ張られ堪らずバランスを崩した。ズルい!
――ズルくない!
倒れる、ととっさに目を瞑って、しかしいつまで経っても衝撃は来ず。そろそろと目を開けて、目の前にあったロータスさまの顔に、ぎゃっ、と可愛くない悲鳴が漏れた。今のは本当に不細工な声だった。
「大丈夫ですよ、ちゃんと支えてますから」
ふわぁ……漫画みたい。でも、大丈夫ですか、って聞かないんだ。
――自信家ね、ムカつく。
頼もしいって言うんだよ、この場合。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ、怪我がなくて何よりです」
ねえ、さっきまでヴァイオレットさまと喧嘩したよね? いつの間にこっち来たの?
――だから、聞きなさいよ、気になるなら。
無理。見惚れるのに忙しい。
――ムカつく! あんた最近ほんっとムカつく! そんなに騎士と一緒がいいなら結婚でもなんでもすればいいじゃない!
な、何で怒ってんだよ。あと、結婚はするよ婚約者だし。
――ああああムカつくぅ。
ウィーリアの様子がおかしい。やっぱこいつも変な奴にカウントしていいだろ、これ。
「殿下、女性なんですから優しくしてください。俺の婚約者です」
「俺がいじめたわけじゃないだろ」
「転びそうになってるのに、ボケッと見てる人がありますか!」
「お前、王太子を相手にボケって言ったか? 言ったよな? ヴィ! 俺の騎士が可愛くなくなったぞ!」
「あらあら、テオドールさまったら。婚約者がいるんですもの、敏感にもなります。それより、私のお友達でもあります。優しくしてください」
「寄ってたかって! どいつもこいつも!」
頭を抱えた殿下を見て、ウィーリアがけらけら笑う。
殿下が立派な人だってわかってるんだけど、どうにもこの面子に囲まれると不利だな。子どもっぽいところがどうしたって足を引っ張る。すごい人のはずなのに。やっぱ、ちょっとは完璧王子の仮面を被ってた方がよかったんじゃねえかな。
「ソフィアさん、今日は互いに譲りましょうか」
「そうですね、ヴァイオレットさま」
俺の返事に微笑んだヴァイオレットさまは、なんだかとっても嬉しそうだ。嫉妬する婚約者が可愛くてしかたないのは、どうやら俺だけではないらしい。
「ロータスさま、わたし達はこれで失礼しましょう。わたし、ケーキが食べたいです」
「さ、テオドールさま、こちらへいらして。お茶にしましょう」
俺達の誘いに、男性二人はちょっと顔を見合わせて、それからなぜか勝ち誇った顔をして頷いた。どうやら自分達の勝利だと言いたいらしい。どちらかと言えば、俺達が負けてあげた気分なんだけど、可愛らしいから黙っておく。ヴァイオレットさまも微苦笑して口を噤んでいる。
「では、行きましょう。どうぞ」
さっさと挨拶を済ませて、ロータスさまに手を差し出される。……慣れない。
顔に熱が集中するのを感じながら、手を繋ぐ。指が震えた。ロータスさまは気にした風でもなく、さっさと歩きだしてしまう。
――あんた、そのうち本当に火が出るんじゃない?
そうなったら、火属性魔法が使えるようになったってことで、お祝いしようぜ。お前ミラーボールな。
――ミラーボールって何よ。
眩しくてギラギラしてる奴。
――ふふん、任せなさい。得意よ。
で、でしょう……ふふ、でしょうね。
――何を笑ってんのよ。……あんた、またわたしをバカにしたわね!
滅相もない。素晴らしい輝きを見せてくれると確信してますとも。
――急に嘘がド下手なのよ! あんた覚えてなさいよ! いつか眼球を焼くくらい照らしてやるから!
こっわ! そんな仕返しどうやったら思いつくんだよ!?
「今日のお目当ては何ですか?」
「ひゃっ、……え、あ……こ、紅茶のシフォンケーキ、です」
しまった。ウィーリアの会話に集中し過ぎた。
ロータスさまの機嫌がわかりやすく降下する。
「光の精霊まで俺の恋敵に立候補ですか。わかりました」
「あ、あのロータスさま、ごめ――」
「精霊は女性に分類しなくてよろしいですよね? 斬ります」
こっちもこっわ!
ウィーリア、謝って! デートの最中に楽しくおしゃべりしちゃってごめんなさいって、俺と一緒にほら早く謝って!
――わ、わたし光だし、き、きき斬れないわよ。
滅茶苦茶にブルッてんじゃねえか!
「ソフィアさん」
「ひゃい!」
立ち止まったロータスさまが振り返り様、強く俺の手を引いた。――息がかかる距離に顔が迫る。い、息って、どうやって吸うんだっけ?
――吸うのよ。
「集中してください。今は、俺の時間です」
「ひ、ふぁ……ひゃい、ごめんにゃしゃい」
目が回る。
よろしい、と満足気に頷いてロータスさまは歩き出したけど、俺はもう立っているのがやっとで。どれが下で前を右で左は後ろに上なのかもわからなくなってしまった。
――落ち着きなさいよ、バカ。
◇
熱に浮かされたままデートを終え、帰る頃にはフラフラになっていた。アニーは心配するどころか楽しそうにニヤニヤして、心配性はどこ行ったんだよ、と文句を言いたい気分だ。
寝る準備を整えて、早々にベッドに沈み込む。
目を閉じる瞬間、そういえば、と思い出しウィーリアを呼び出す。
『何よ。わたしを振り回すって言ったことなら根に持ってるわよ』
「何か言いかけてなかった? ロータスさまに声をかけられる前」
ああ、そうだったわね、とウィーリアはどうでも良さそうだ。大したことじゃなかったのかな、と安心しかけた矢先、
『あんたも落ち着いたし、ちょっと女神を締め上げてくるわ』
とんでもなく物騒なことを言い出した。
「め、女神って、あの女神……?」
『そうよ。締め上げて文句言って、あんたの魂を玩具みたいに弄んでる神に文句を伝言させるのよ』
なんだか、俺のために怒ってくれてるみたいだ。だとしたら、怒ってくれてるとこ悪いけど、俺は喜んでしまう。それだけ大事に想ってくれているのだと、思ってしまうから。
『何ニヤけてんのよ。とにかく、そういうことだから。変なことに巻き込まれないでよ、あんたバカなんだから』
聞いてるの、と俺の頬を引っ張りながら、ウィーリアはぼそりと呟く。
『守ってくれる男がいるし、ちょっとわたしがいなくたって平気でしょ』
そんな風に、寂しいけど、と語尾につきそうな、そんな声を出されたらますますニヤけてしまう。
「ウィーリアったら、可愛い」
『う、うるさい! もう行くからね!』
照れているのか点滅しながら、ウィーリアは舞い上がって、どこかへ行ってしまった。
「せっかちめ」
いってらっしゃい、くらい言わせてくれてもいいのに。
帰ってきた時に、おかえりと一緒に言ってやろう。胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら目を閉じる。今日はいい夢が見られそうだ。




