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あらあら、まあまあ。  作者: かたつむり3号
第二章 Sの恋
25/37

07


 免除されている授業がある、と言えば聞こえはよろしいでしょうけれど、実際は教えることがない、というやんわりとした拒絶だ。参加してもらっても差し出せるものがないから、時間を浪費させるくらいなら自由にしててもらった方が気も楽だ、という。

 読書に割く時間が増える、と素直に喜びを見出して図書館に籠ってはいるけれど、学園に籍を置くことの意味は希薄だと感じてしまう。不足はないけれど、不満は積もる。


「お邪魔してもいいかな?」


 ノックの代わりにかけられた声に顔を上げる。


「あら、セシル。授業はどうしたの?」

「サボっちゃった」

「いけない子ね。いらっしゃい、お茶にしましょう」


 最近どうしてかお客さんが多くて、こそこそと棚に並べるお茶を増やしていたりする。


「俺がやるよ。ケーキもあるよ」

「いただくわ」


 しばらく黙って準備を整え、向かい合って座る。


「今日はどうしたの?」

「最近、義姉さんとあんまりおしゃべりできてないな、と思って」


 確かに、放課後はソフィアさんと古代バメル語の勉強が続いていたし、お昼はゼルさまやユーリ殿下と過ごすことが多かった。他の時間はテオドールさまの独占だ。


「私とおしゃべりするために授業をサボったの? 本当にいけない子ね」

「可愛い義弟が甘えてるんだから、素直に可愛がってほしいな」

「ふふ、はいはい」


 セシルが持ってきてくれたケーキは思ったより数があって、どれから食べるか悩んでしまう。


「どうして全部、違う種類を持ってくるの? 決められないわ」

「義姉さん、ここには俺達しかいない。そして俺達は姉弟だ。つまり、ズルができるでしょ?」


 言うなりセシルがフルーツタルトを二つに割った。


「全部食べたかったから、被らないよう選んだんだ」

「あらあら、まあまあ」


 厳しい冬を耐えるインヴェルン辺境領の人間は、お酒と甘味をこよなく愛する。それは私達とて例外ではなく、特にセシルは男の子特有の食欲で、飲み物のように甘味を胃に収めてしまう。食の細い私が多種をいただくには、なるほどこのズルは魅力的だ。


「私達だけの秘密よ。お行儀が悪いって、叱られてしまうわ」

「秘密大好き」


 ぱくっ、と半月になったタルトは一口で姿を消してしまった。


「ところで、ソフィア嬢とは話をした?」

「今日はまだ。どうして?」

「何だか様子が変だったから」

「変、というと?」


 昨日のことで、何かあったのかしら。傷になってしまう前に話をしようとは思っているけれど、間に合わなかったとしたらどうしましょう。


「随分とぼんやりしてたよ。あの様子だと、授業に出ても大した意味はないね」

「あらあら、どうしたのかしら」

「あれぇ? 義姉さんが知らないの?」


 にやり、と口角をあげたセシルが意地悪く言う。


「乙女の秘め事を暴こうだなんて、紳士的ではないわよ、セシル」

「義弟のおねだりでも?」

「ダメよ」

「残念。ロータス卿が関係していると、俺は予想してるんだけど」


 誘うような言葉にも、私は笑むだけで反応しない。一体どこから情報を拾い上げてしまうのか、セシルに隠し事をするのは骨が折れる。


「義姉さんの隠し事を暴くのは骨が折れるな。降参」


 手の平を見せた、と思いきやあっという間に振り下ろされた手が、タルトタタンを攫ってしまった。ぱく、ぱく、と瞬きをしている内に吸い込まれ、セシルのお腹の中へ行ってしまう。


「セシルったら! 半分こではなかったの!」


 タルトタタンは私のお気に入りだと、知らないはずがないのに。


「あはは! ごめん、ごめん」


 ちっとも反省していない。ムッとする。

 対して、セシルはなぜか嬉しそうに表情をほころばせた。


「義姉をいじめて、愉快なのかしら」

「義姉さんの表情を崩すことに関しては、まだまだ俺が一番だな、と思ったらつい」


 ムッとしていたことは隅に置いて、首を傾げる。疑問を訴えるように、首元の鈴が、ちりん、と鳴った。


「多少は柔らかくなったけどさ。頑固な義姉さんの表情筋に仕事をさせるのに、難しいことなんてないのに、って悦に入ってるんだよ。俺にとっては朝飯前だ」


 得意げに笑むセシルを見ていたら、ムッとするのもバカらしくなってしまった。隅に置いていたそれを、ごみ箱へ放る。


「そういう場合、まずは笑顔を引き出そうとするのではなくて?」

「色んな顔が見たいでしょ」

「あらあら、困った義弟ね」


 どんな表情を引き出すにせよ、最後には笑顔になってしまうのだから、順番なんて関係のないのかもしれない。セシルとの会話で、締めが笑顔でなかったことはないと思い出す。


「はい、じゃあ林檎のお詫びに苺をあげる。クリームもピンクなんだよ」


 ずい、と差し出されたのは、苺のロールケーキ。ありがたく受け取って、けれど半分に割って返す。


「半分こしましょう。お義姉ちゃんですもの。可愛い義弟に譲るわ」

「さすが俺の義姉さん。弟想いで感動しちゃうな」


 セシルは苺が一番のお気に入りだ。嬉しそうに食べる姿を見られるなら、いくらでも譲る。

 好きなものは大事にし過ぎる嫌いのあるセシルは、これまでとは打って変わって、小さく切り分けて口に運んでいる。そんな姿も可愛らしくて、頬が緩む。

 カップケーキの上に乗っている苺はセシルが、ブラウニーの上に刺さっているチョコレートは私が、それぞれもらうことで手を打って半分こ。あっという間にお腹がいっぱいになってしまって、お昼ご飯は食べられそうにない。午後のダンスのレッスンは久し振りに参加しようか、とテオドールさまに誘われていたのに、踊れるか不安になってきた。


「次は何を食べる?」

「私はもうお腹がいっぱいよ。残りはどうぞ」

「じゃあ、遠慮なく」


 カヌレを二つ、続けて口に放り込んだセシルは、リスのように頬がぱんぱんに膨れてしまった。

 不意に、部屋の扉を控えめに叩く音がした。扉の陰から顔を出したのは、なぜかしょんぼり肩を落としたロータスさまだった。


「ヴァイオレットさま、……」


 あらあら、今日はお客さんが次々とやってくる。


「こんにちは、ロータスさま。どうぞ」

「失礼します」


 ロータスさまはセシルにも頭を下げるけれど、口の中いっぱいにカヌレを頬張っているセシルは返事の代わりに会釈だけした。大きく揺れるとこぼれてしまうのでしょう。


「ご歓談中に、すみません」

「気になさらないで」


 ロータスさまの分のお茶を用意して渡す。


「義姉ひゃ、……ん、義姉さん、じゃあ俺はそろそろ」


 ようやくカヌレを飲み込んだセシルが腰を浮かせる。


「ええ、次の授業はきちんと出席するのよ」

「う~ん、お腹いっぱいで眠くなったから、約束はできないな」

「あらあら……」


 じゃあね、と軽く手を振ったセシルは、背を向ける瞬間、私の方へ向けてウインクして見せた。

 乙女の秘め事、ロータスさまの関与を確信したらしい。


「さて、と。今日はどうされましたの?」

「失態です」


 私の問いに、ロータスさまは真っ青になって顔を覆った。


「ゼルさまに、ソフィアさまと何かあったと知られてしまいました……」


 それが一体、どうしたというのでしょう。セシルでさえ感づいている。ゼルさまであればなおさら、察していても不思議ではない。


「きっと、四六時中お構いなしに揶揄われます」


 声が絶望に沈んだ。私はどうも、ピンとこない。


「殿下でさえ、ヴァイオレットさまとのことを手当たり次第に揶揄われて四苦八苦しているんです。わたしなんて、曲芸のように転がされるに決まってます」


 まあまあ、ゼルさまったらそんなことをしていらっしゃるなんて。どうりで最近、テオドールさまがゼルさまから逃げ回っているはずだわ。生徒会の仕事も結構な量を押し付けているようで、『参ってしまうよ』とゼルさまが苦笑していたことを思い出す。まさか原因がゼルさま本人にあるとは、さすがに予想していなかったけれど。


「泣かせてしまったことは辛うじて、か、辛うじて……隠せている、はずですが……バレたらと思うと不安で不安で」


 辛うじて、さえ自信がないとは。正直者はこういう時、大損する。

 しくしくと泣き出さんばかりのロータスさまには一体、ゼルさまがどんな風に映っているのでしょう。おとぎ話に出てくる魔王にでも見えているのでしょうか。


「ヴァイオレットさま、お願いします。ゼルさまの気を逸らす良い手立てを、教えてください。あるいは、彼の口を縫い付けてください」

「あらあら、まあまあ……」


 相当、参っているらしい。


「いっそ、ゼルさまに恋の指南をお願いしてみてはいかが?」

「ヴァイオレットさま!?」


 くわっ、と目を瞠ったロータスさまは私に掴みかからん勢いで腰を浮かせた。


「ヴァイオレットさまはご存じないからそのように楽観できるのです! あの方は、悪魔ですよ!」


 魔王ではなかった。


「この世に快か不快かしかないのです! 快であれば迷いなく突き進んで、心に引っかかったものは決して手放さず平気で巻き込みます! わたしという玩具は壊れるまで引きずり回されるに決まっています!」

「……ロータスさまは、頑丈ですものね」


 あまりの気迫に押され、的外れな返事になってしまった。


「ゼルさまもそう思っていらっしゃるから困っているのです! 丈夫で長持ちする愉快な玩具ですよ俺は!」


 ああどうしよう、と頭を抱えてロータスさまがくずおれる。濡れた子犬だってもう少ししゃんとしている、というほどの悲観振りだ。


「ロータスさま、落ち着いて。大丈夫よ」

「助けてください」

「ゼルさまだって真に悪魔ではないのだから、話せばわかってくれるわ」


 嫌がっている、とはっきり言語化すれば伝わる。そしてゼルさまは、他人に不快を与えてまで己の快を得ようとはしない。そんな意地悪な方ではない。ただちょっと、人の心の機微に疎くて、自分の心に正直なだけ。


「硝子細工の宝物だと思われているヴァイオレットさまにはわからないのです」


 ぽつり、とロータスさまが言う。拗ねた子どものような声だった。ともすれば、八つ当たりにも似た音をしている。


「あの方は、わたしが嫌がっているとわかっても、強度実験でもしているつもりで止まりません。断言します」


 断言されてしまった。余程、強欲な悪魔に見えているのでしょう。延々と沈んでしまいそうで、私は話題をすり替えることにした。ゼルさまには今度、優しくして差し上げるようお願いしてみましょう。


「でしたら、ソフィアさんのことは諦めたらいかが? 関係があるから揶揄われるのでしょう?」


 サーッと顔から血の気が引いた。


「ゼルさまを変えることができないのなら、状況を変えるしかありませんわ」

「あ、諦めません」

「だって、揶揄われるのはお嫌なのでしょう?」

「諦めません」


 何だか可笑しくなってしまう。揺るぎない声はまっすぐ一本、芯が通っている。貫き通す鋼の意志があるのに、どうして弱腰なのでしょう。矛盾の塊だわ。人間らしくて、とても好ましい。


「では、まずはソフィアさんとお話しなくてはね」

「はい」


 素直に頷いたロータスさまが背筋を伸ばす。


「泣かせてしまった手前、合わせる顔がありません」


 きっぱりした物言いに、堪らず笑声が漏れてしまった。


「ロータスさまったら……ふふ、」


 話をすると頷いた舌の根も乾かぬうちに、なんて後ろ向きなのでしょう。


「あなたに非はないのだから、挨拶から始めればよろしいのよ。謝罪はきっとソフィアさんからありますから」

「謝られるのは苦手で……」

「受けて差し上げて。気にしていたから」


 勝手に泣いただけ、と彼女は言った。少なくとも、ロータスさまに責がないことを訴える程度には、気にしている。謝罪を受け取ってもらわないと、胸に刺さった棘は抜けないままになってしまう。


「ま、また泣かせてしまったら……」

「まだ会話のとっかかりのお話しかしていませんわ」


 そんなに後ろを振り返ってばかりだと、いつか首がねじ切れてしまう。


「びっくりした、と言っていたから、驚かさないようにね」

「わたしの何がそうさせたのでしょうか……?」

「さあ、どうかしら」


 びっくりした、と泣いた彼女の顔は真っ赤になっていた。涙だけが理由ではない赤面。恋を知らない彼女の、赤の理由。


「ロータスさまの何かが、普段のあなたと遠過ぎたのではなくて?」


 下がり眉の騎士。纏う空気は穏やかで、庇護欲をくすぐる子犬のような気配がある。そんな方が、爪も牙もある狼だと知ったら、どなたもきっと目を丸くする。

 恋する乙女の心は意外と狭い。何でもかんでも勝手に拾い上げてはときめいてしまうから、余裕がないのだ。そこへきて相手から急な供給があると、破裂すると錯覚してしまうもの。内に抱える熱も、秘める想いも、あっさりあふれ出す。恋ではない、と怯えるようにそう言ったソフィアさんなら余計に。心の余裕などあってないようなものでしょう。


「脅かすようなことを言ったつもりは、ないのですが」

「違うわ、ロータスさま。びっくりしたの。ソフィアさんはただ、驚いたのよ」

「どう違うのでしょうか?」

「彼女はあなたに怯えたり、怖がったりしていない、という意味よ」


 それはとても、大切なことだ。


「だからどうか、少しだけ前を見て行動なさってね。そこまでいくと、卑屈だわ」


 恋の障害になりこそすれ、助けてはくれない。

 ティーカップに手を伸ばして、空だと気づく。うっかりするほど夢中になってしまっていたらしい。


「ロータスさま、おかわりはいかが?」

「あ、わたしが!」


 言うなり腰を浮かせてしまったので、お任せする。

 待っている間に、テーブルの上を少し片づける。ロータスさまは、お茶の用意をしながら何やらぶつぶつ呟いている。卑屈、とか前向きに、とか聞こえるから、色々と整理しているのでしょう。邪魔しないよう、息を潜める。


 ややあって、部屋の外が騒がしくなる。どなたかの足音。走ってこちらへ向かっているらしい。

 あらあら、今度はどなたかしら。



「ヴァイオレットさま!」



 のんきに構えていたせいで、その大声に驚いて肩が跳ねた。

 ノックもなく、挨拶も省略して、鬼気迫る表情で飛び込んできたのは、今まさに話題の中心にいた、ソフィアさんその人だった。

 

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