漆
快、不快がはっきりしていて、好き不好きがわかりにくくて、言葉が素直。ゼル・クリストファーさまという方は、心に大きな柱が立っている。他人には見えないそれはまっすぐで、理解するには時間がかかる。
どうりで俺に冷たくて、わかりやすく嫌うわけだよ。随分と野暮なことをしたもんだ。
「わたしは、ヴァイオレットさまと敵対するつもりはございません」
「そう願うよ。ぼくは精霊の殺し方を知らないんだ」
迷いがない。必要なら俺の首くらい簡単に落とすつもりなのだろう。
「自分の命ばっかりで、周囲が見えていませんでした」
「そのようだね」
対話も会話も足りなかった。もっと慎重になるべきだった。
目に見えないシナリオに振り回されるばっかりじゃなくて、もっとちゃんと、各攻略キャラの設定とか選択肢で変わるルートとか。もっとたくさん、色々、考えるべきだった。
俺以上に全く知識を持っていないクリストファーさまが、自分の命を差し出す覚悟を決めている最中、俺は何をしていた。
不用意に動き回って、強引な手段で相関図に線を引こうとした。好感度を上げて、イベントに繋げて、一つずつこなせば大丈夫、なんて。浅い考えで暴走しただけ。巻き込んだ殿下とヴァイオレットさまに迷惑ばかり振りまいて、引っ張り込んだクリストファーさまとユーリ殿下とセシルさまに不快感ばかり押し付けて。何が、みんなが幸せになる道を探す、だ。スタート地点にも立てていないのは、自業自得。
「ウィーリアには、わたしから話をします。あの子は自己愛の塊ですが悪ではありません。きっと助けてくれます」
「ウィーリアって誰?」
「光の精霊の名前です」
そういえば人前で呼んだことはなかった。
ぱちぱちと瞬きをして、クリストファーさまは声を出して笑った。
「精霊学の授業は真面目に受けた方がいい」
首を傾げる俺の耳元で、突然、怒ったような声がつんざいた。
――精霊にとって、真名は命と同義なのよ!
ウィーリアだ。意味はないとわかっていても、堪らず耳を塞ぐ。
――契約主にしか教えない大切なもので、知られると契約しなくても多少の強制力が生じるの! よりにもよってこんな男に教えるなんてひどいじゃない!
知らなかったんだよ、ごめん。
急に耳を塞いだ俺をどう思ったのか、クリストファーさまは首を傾げて目を細めた。ウィーリアのことを説明したいけど、耳元で声がキンキンして、口を開く余裕がない。
――あんた貴族の娘のくせに、そんなことも知らないでわたしと契約したの!?
精霊学の授業をサボったのは一度だけ。ウィーリアと契約した、まさにその日だ。なんていうか、運命の悪戯、とかそんな言葉じゃ済まないよな。
――わたしは神々と親交深い分ドラゴンとは相性が悪いの! あいつら精霊とは共生できるくせに神々とは戦争すんのよ!
神と精霊と人間とドラゴンと。世界には色んな種族がひしめき合って生きていて、相関図は複雑怪奇に入り組んでいる。敵も味方もあっちこっちでお隣さん。
そうでなくても、ウィーリアの性格じゃそこら中に敵がいそうだ。
――嫌よ! 嫌いな奴に命令なんてされたくない!
気に入ってる俺のお願いも聞いてくれないくせに、命令されたって文句ばっかり言って騒いでお終いだろ。
ウィーリアの怒号にも慣れてきた。耳を塞いでいた手を退ける。
――うるっさい!
不意にクリストファーさまが満面の笑みで立ち上がった。つられて顔を上げた俺の視界に飛び込んできたのは、連れだって戻って来た殿下とヴァイオレットさまだった。
ひゅ、と呼吸に失敗した。
「も、申し訳ございませんでしたっ!」
ソファーから立ち上がり前へ転がり出ようと踏み出して、うっかり躓いた。とっさに両手を床につくも体を支えられず、土下座のような姿勢になった。床にぶつかった額から鈍い音がして痛い。
ゼルさまの笑声が弾けた。
都合がいいので、そのまま謝罪を続ける。
「わたしの迂闊な発言で大変なご迷惑を! わたしにできるお詫びであれば何でもいたします!」
言ってから、さっきも同じセリフでヴァイオレットさまを怒らせたことを思い出す。もう遅い。
重たい溜め息はおそらく、ヴァイオレットさまのものだろう。
「ソフィア嬢、」
「どうか命だけはお助けください!」
やけくそで命乞いする。
「私はまだ死にたくない!」
「ソフィア嬢、」
「乙女のことはどうぞ、煮るなり焼くなり燻製にするなりお好きになさってください!」
――は?
冷え込むヴァイオレットさまの声が恐ろしくて、ウィーリアを巻き込むことにした。こうなったら運命共同体だ。どこまでも巻き込んでやる。死ぬ時だって離すもんか。
――嫌よ! 何を勝手なことばっか言ってんのよ!
うるさいうるさい。お前の『嫌』『嫌い』は聞き飽きたから、仲良く一緒に命乞いしような。
――あんたも嫌いよ!
「全部この光の……ウィーリアが悪いんです!」
噛みつかれた。頭を噛まれた。
怒りだかショックだか知らねえけど、爆発した感情に任せてウィーリアが俺の頭に噛みついた。
この我儘な精霊には枷が多いに越したことはない。俺の言うことも聞かないんだから、大勢で囲んで言うこと聞かせるしかないだろ。せめて、『嫌』と『嫌い』以外の言葉を発することくらいは強制できるかもしれない。
「ソフィア嬢、落ち着きなさい」
「お願いしますヴァイオレットさま! わたしはウィーリアの我儘に巻き込まれただけなんです!」
お慈悲を、と叫んだ俺の言葉に、殿下が小さく笑声を漏らした。空気が弛緩した気がする。ヴァイオレットさまの溜め息に含まれる空気が変わった。
上体を起こして祈るように手を組む。
「生きていたいのなら黙りなさい」
鋭い声が脳天に突き刺さった。頬が引きつる。
「まずはお話を聞かせてくださる?」
「ひ、ひゃい……」
「光の精霊が私を嫌っているという件について」
「あの子は、自分以外は人でも精霊でもその辺の草でも丸ごと全部、嫌っています」
「……」
殿下が口を覆って、笑みを抑えようと肩を震わせている。ヴァイオレットさまの声ばかりが研ぎ澄まされる。
「最近はヴァイオレットさまの銀の髪は美しいから嫌い、火の精霊は一番嫌い、と言って嫌がるわたしを無視して暴れるんです」
同情を誘うように眸を潤ませる。ソフィアは涙腺が緩いから、俺みたいな性格の悪い奴が自我を持つと、嘘泣きなんかに利用される。でも命乞いをやめるつもりはない。わざとらしい仕草が緊張感をうやむやにしてくれたのか、殿下もクリストファーさまもすっかり気が抜けてしまっている。
「それでは、あなたには私を害する気がないと判断してよろしいのね」
「もちろんです! わたしはヴァイオレットさまの忠実な奴隷です」
「やめなさい」
殿下が吹き出した。クリストファーさまは笑い過ぎて立っていられず、床に座り込んでしまった。
頭痛でもするのか、ヴァイオレットさまは深々と溜め息を吐き出している。
「はぁ……。光の精霊を制御することはできないの?」
「自我の塊のような精霊です。人の言うことを聞いたら負けだと思ってます」
「……」
俺のことだって、助けてくれない。
――助けるってば。
だんまり決め込んで、どこに行ってたかもわからないのに? どうやって?
「上位貴族の方々なら何か対処法をご存じかと思って無茶をしたんですけど……申し訳ございませんでした」
「続けて」
「夢で、このまま学園生活を送っていると姿の見えない強大な何かに、その……わたしだけでなく殿下もヴァイオレットさまも、みんなが破滅する光景を見ました」
予知夢。一度は巻き込んだ。この嘘は撤回できない。
「恐ろしくて、救いを求めて教会へ行ったんです。ウィーリアとはそこで出会いました」
ヴァイオレットさまがわずかに瞠目した。これも初耳だったらしい。本当に、殿下は一体、何をやってんだよ。婚約者を助けるために婚約者を放置して、話もしてないなんて有り得ないだろ。これ絶対、俺が馬鹿だったばっかりが悪いわけじゃねえよな。みんながみんな、責任を折半するべきだ。
「わたしのことが気に入ったとかで、強引に押し切られて契約することに……」
あの時のことを思い出し、後悔がぶり返す。声も震えた。
「助けてくれるというから合意したのに、まったく、これっぽっちも言うこと聞いてくれなくて……」
とっさに口元を覆ったが間に合わなかった。目端からこぼれた涙が頬を伝い、手を濡らした。今度は嘘泣きじゃない。
「死にたくないから、失礼を承知で殿下にまで助けを求めたのに……うぅ、ウィーリアはあれも嫌いこれも嫌いと我儘ばかり! 挙句、ヴァイオレットさまのことまで……火の精霊と一緒に焼けてしまえばいいなんて言うからわたし、わたし……」
――だって、嫌いなんだもん。嫌いなものは嫌いなのよ。あんただって嫌いな人のために何かするの嫌でしょ?
限界だった。顔を覆う。
「殿下には睨まれるし、クリストファーさまにはいじめられるし、ユーリ殿下には嫌われるし、セシルさまには遠回しに死刑宣告されるし! ヴァイオレットさまのことまで傷つけてしまって、わたしはどうしたらいいんですか!」
蓄積されたストレスが爆発している。
ウィーリアと契約したことでシナリオが始まったと思って焦った。焦り過ぎて、攻略キャラに片っ端から特攻かけて粉砕。イベントに繋がるわけもなく、無駄に挙動不審っぷりを周囲にさらして、他人まで不幸にする噂を生んだ。
今日までずっと、死に対する恐怖でがんじがらめにされてた。言葉も涙も、止まらない。
「出会い頭に、死にたくないから助けてください、なんて言い出したら病気です! でも死を前にした人間は脆いんです弱いんです! 冷静に手順を踏むなんて余裕あるわけないじゃないですか! わかってます、わたしがマナー違反をしているんです! でも、じゃあどうすればよかったんですか!」
尾ひれどころか背びれまでついたらしい噂はソフィアのことを勝手に尻軽女にしちゃって、心当たりのない男にまで声をかけたことになってる。殿下は知らない間に真実の愛を見つけたことになってるし、ヴァイオレットさまはいつの間にか失恋だ。
「こっちは命懸けだっていうのに変な噂を流されるし、ウィーリアは耳元でずっと文句を言い続けるし、状況は悪くなる一方で少しも良くならないし……」
ぶつぶつぶつ、と言葉は次第に声にならなくなる。
「私を盾に、姿も見せずに文句ばっかり言って、卑怯者。自分が一番だって言うなら、責任取りなさいよ」
ウィーリア、と。棘のある声で毒を吐いたソフィア嬢に応えるように、
『黙って聞いてれば、いい加減にしなさいよ!』
カッ――と、閃光が瞬いた。目は眩まない。姿を見せたウィーリアを、真っ向から睨みつける。
『あんた、わたしのこと売るつもり!? 誰のおかげで平和に生きていられてると思ってんのよ!』
「平和!? あなたのせいでわたしの人生めちゃくちゃよ! 責任取って反省しなさい!」
『何ですって!?』
「何よ!」
文句があるなら自分で言えばいい。俺は姿を消せないのに。
もう色んな感情がぐちゃぐちゃで、わけもわからなくて、八つ当たりも含めて全部ウィーリアにぶつけた。
「世界に自分しかいないなら一人で生きればいいでしょ! わたしもみんなも巻き込んでおいて、偉そうに踏ん反り返らないでよ!」
『な、何で……~~っっっっわたしに意地悪なこと言わないでよ! 優しくしなさい!』
「自分にしか優しくしない奴が何を言ってんのよ!」
ウィーリアが俺の肩を掴む。負けじと掴み返して口論を続ける。二人きりじゃないことだけ気をつけて、誰がいるのかは半分くらい頭から抜け落ちた。
『何で名前のことまた教えたのよ! 公爵家と王太子、そのうえ火の精霊の契約者! 何させられるかわかったもんじゃないわ!』
「どうせ誰の言うことも聞かないんでしょ! だったら何人が知ってても同じよ!」
助けるって、口ばっかり。
『口ばっかりじゃない! あんたのことは助ける!』
「具体策を教えなさいよ! どうやって助けるのよ、誰も傷つけずみんなを幸せにできるならやってみなさいよ、この……なんちゃって精霊が!」
『なん~~っっっっ正真正銘、光の精霊よわたしは!』
遂に髪まで引っ張り始めた。ウィーリアに殴られても噛まれても、どうしてか痛くはない。でも、髪は引っ張られるとさすがに痛む。
まさか引っ叩くわけにもいかずどうしようかと思っていると、視界の隅で火がちらついた。
『久し振りだね、乙女。どうしたの? また嫌われたの?』
『あぁん!?』
人の形をした火だ。ウィーリアよりよっぽど精霊らしい見た目をしている。これが、ヴァイオレットさまと契約しているという火の精霊だろうか。
ウィーリアがあからさまに不機嫌になった。たった一回、やりとりを聞いただけでお互いに嫌い合ってるのがひしひしと伝わってくる。
ヴァイオレットさまが俺に向かって手招きした。反射的に泣きそうになったけど、ぐっと堪えてそばへ寄る。
特に言葉はかけられず、俺も何も言わず、殿下と三人で並んで精霊達の口喧嘩を眺める。
『自分至上主義の寂しがり屋が、また自業自得で孤立したんだろ。ざまあないね』
『うるさいわよ! あんたこそ、その姿は何? ちっちゃい火の玉になっちゃって。契約主がよっぽど貧弱だったのかしら』
殿下の纏う雰囲気が豹変した。見上げれば、その表情は殺意一色に染まっている。恐怖で歪みそうになる顔を隠そうと深呼吸して、失敗した。息を呑む。
ウィーリア、ウィーリア頼むから、やめて。火の精霊と喧嘩するなら、その精霊さんのこと悪く言って。契約主は関係ないから、ヴァイオレットさまのことバカにする発言はすぐ取り消して。俺の寿命が縮んじゃうよ!
『ぼくはお前と違って契約主を思いやれるからね。彼女を傷つけない姿でお利口にしてるのさ』
『ふん! 媚びへつらうなんて情けない。蝋燭の火くらいにしか燃えてないんじゃない? 吹き消してあげましょうか?』
『やれるもんならやってみなよ! 眩しいって以外、何もできないくせに!』
ウィーリアの輪郭がぼやけた。なんてわかりやすくて嘘の吐けない奴。こいつこんなんで、どうやってこれまで原初の精霊だなんだと威張っていられたんだ。見てる俺の方が恥ずかしい。
『~~~~っっ言っていいことと悪いことがあるわよ火の玉が!』
『見下してた影の王にまで嫌われて、拗ねた結果が神との協定なんてね! みみっちいんだよやることが! そのうえ今度は何? 人間の女の子にまで嫌われてさ。情けないのはどっちだろうね?』
『わ、わたしは神と仲良しなのよ! あんたに天罰を落とすくらい簡単なんだから!』
子どもだってもうちょっとマシな反撃するよ。
『はっ! やってみなよ! ぼくら精霊はいつだって準備万端だよ。神と君と、嫌いなものをまとめて処分できて万々歳さ!』
ほら、あっさりやり返された。
ヴァイオレットさまが鋭い音で手を叩いて割り込んだ。まあ、キリがなかったし、頃合いだろう。
「そこまで。フィリート、弱い者いじめは駄目よ」
ひくっ、とウィーリアの頬が引きつった。多分、俺も同じ顔をしてる。
『弱い者いじめ? 弱い者って言った!? わたしのことを弱いって言った!?』
「強者でありたいのなら、饒舌は控えるべきね」
弱い犬ほどよく吠える。負け犬の遠吠え。
なるほど、弱者や敗者ほど声がでかいしよくしゃべる。
ウィーリアは俺に触れるし、俺はウィーリアに触れる。でもウィーリアの攻撃はまったく痛くない。圧し掛かられても重くない。どうりで、やたらめったら発光して目を眩ませてくるはずだ。それしか、相手に影響できないんだから。ウィーリアはまさに光。目立つし眩しいけど、それだけなんだ。
『わたしは原初の精霊よ!? 女神を信仰してるなら、同じようにわたしも信仰すべきでしょ!? なんて生意気なの!』
こちらへ踏み出したウィーリアと同じように、ヴァイオレットさまが一歩、大きく前へ踏み出した。殿下はもう何も言わず、俺を連れて距離をとった。俺はもう、抵抗もしない。
ウィーリアが伸ばした腕を躱し、ヴァイオレットさまがその頬をそっと撫でた。赤い線が走った。何だろう、あの赤い線。血?
「~~っっっっ!?」
肌が粟立った。すごく嫌な感じがする。体の内側で、拒絶感が膨れ上がっていく。何だ、何だこれ!?
「私には縁遠いお話だわ」
ヴァイオレットさまの声が遠くで聞こえる。膜でも通してるみたい。
おすわり、と言い聞かせるようなゆっくりとした声が聞こえた。ウィーリアが、その場にくずおれた。
『は……?』
何が起きたかわからないようで、ウィーリアがぽかんとする。俺も同じようにぽかんとした。
「己の弱さを僻んでいるばかりでは、いつか本当に孤立してしまうわよ」
思い出す。精霊学の授業で、ドラゴンの話も聞いた。
精霊にとって、ドラゴンの血は猛毒と同じだという。ドラゴンの魔力を帯びた血が流れる竜の血族の血もまた、精霊にとって毒だ。ウィーリアは原初の精霊だから、相性は最悪。でも同時に、原初の精霊だから床にへたり込む程度で済んでるともいえる。でなきゃ俺は、今頃きっと吐いてる。
「しばらく良い子にしていらっしゃい」
ウィーリアを見る。視線が交錯した。相変わらず輪郭はぼんやりしてるし発光してるから、表情なんてわからない。でも一個だけわかった。泣き出す前の子どもみたいにしょんぼりしてる。
――助けようとしたのよ。わたしだってバカじゃない。考える頭がついてるもの。
反省した?
――考えたの。仲直りしたいと思っちゃいけないの?
わかった。ちょっと待ってろ。
ヴァイオレットさまと殿下に向かって頭を下げる。
「ヴァイオレットさま、ありがとうございました。何をなさったのかはわかりませんでしたが、ウィーリアが大人しくなったのはヴァイオレットさまのおかげです」
「きちんと話し合うことだわ。口論ではなく、冷静にね」
「はい。……それで、あの……わたしの処分はどうなるのでしょうか」
返事は殿下が早かった。
「レディとして節度のある行動を心掛けろ。反省はしたようだから何も言わない。ただし、予知夢の件ではまた話を聞かせてもらう」
「よ、よろしいんですか? わたしは皆さまに大変なご迷惑をおかけしたのに」
今度はヴァイオレットさまが先に返事をした。
「婚約に影響を与えるほどのことは何もなかったでしょう? それとも、やはり命乞いが必要な何かをしたのかしら?」
首が飛びそうなほど、激しく横に振る。
俺がいくら馬鹿野郎だからって、王太子妃の席を狙うような大それた大馬鹿しない。
「では、今後は不要な噂が生じるような行動は慎むように。あふれている根も葉もない噂についてはきっと、ゼルさまが対処してくださいますわ」
「おや、ぼくかい?」
ソファーの背もたれから身を乗り出して、クリストファーさまがわざとらしい声をあげる。あんまり静かだから、もう飽きて、いなくなったのかと思ってた。
「得をなさったでしょう? お願いします、ゼルさま」
首を傾げて見せるヴァイオレットさまに、クリストファーさまは肩を竦めて返事の代わりにした。
「……ズルいなあ。断れないじゃないか」
「頼りにしていますわ、ゼルさま」
「わかったよ、任された」
立ち上がったクリストファーさまが部屋を出る。直前、やれやれ、と吐き出された溜め息は軽く、愉快だ、と語っていた。
「さて、と」
扉が閉まり、たっぷり深呼吸三回分の時間を待って、殿下が口を開いた。
「ソフィア嬢には罰を受けてもらう」
その表情が憤怒に染まっているとわかって、顔から血の気が引いた。
「え、でも……」
「殿下ったら……」
ヴァイオレットさまの声は思ったより重くない。
「そこの精霊に、ヴィへの発言を取り消し謝罪させろ。できなければ、レディとして不適切だった数々の行動を問題にする。俺が噂を放置していた件を棚上げしてでも、全ての責を負ってもらう」
ほとんど八つ当たりだ。信じられない。天下の王太子が子どもみたいなことしやがる。
目に浮かぶ涙を抑えるだけで手一杯だ。力み過ぎて体が震える。あ、ダメだ。頷いた拍子に一粒あふれて、そしたらもう止められない。
「あの精霊のせいで大変な目に遭った。身の破滅だ。ヴィに一度、嫌われた! 必死で取り繕った猫の皮もズタズタだ」
涙が止まった。今、破滅って言った?
「しっかり反省させろ。二度と、ヴィを脅かさないよう。それから君が、奇怪な言動で周囲を混乱させずに済むように。光の精霊はこの国では崇高な存在ってことになってるんだ。契約すると身を滅ぼすなんて、事実にするな! 他の全ては俺たちがどうとでもしてやるから、あの困った奴だけは君が躾けろ、いいな!」
頭の中で堅結びになってた毛玉が解けていくイメージ。
殿下に対して大きく一度、頷く。
ヴァイオレットさまも何かに気づいたのか、殿下に声をかけている。
「殿下、」
疑心が少しずつ晴れていく。
「殿下、終わったかもしれませんわよ」
「終わった!? 俺と君の関係は永遠だろ!?」
悲鳴のような大声で殿下が取り乱す。この王太子、大丈夫だろうか。この国の行く末が心配だ。とんだポンコツじゃねえか。
「落ち着いてください。ソフィア嬢の予知夢です」
「え、は? 予知夢?」
「破滅はおそらく、回避できたと思われます」
そう、そうだ。多分、回避できてる。
殿下とヴァイオレットさまは俺が巻き込んだから破滅とは関係ないけど、俺は違う。製作者の怒りなんて曖昧なものがもたらす強制バッドエンド。正体不明な死。
回避しようと足掻いてジタバタして大騒ぎした結果、大失敗してここにいる。殿下はヴァイオレットさまとのことで怒り狂ってて、あとちょっと何かあったら俺を殺しかねない剣幕だ。
「ソフィア嬢の夢にあった全員が破滅する瀬戸際に追い詰められました。光の精霊に反省させる、という結論に至った現在、彼女がもたらす可能性のあった破滅は、もうないのではありませんか?」
ヴァイオレットさまを凝視しながら深く、何度も頷く。ウィーリアの視線が突き刺さるが、構ってられない。
この世界は『ジッタードールの箱庭』が基準だと思う。同じ要素が多いから、今更、疑ったりしない。でも、登場人物はみんなゲームのNPCじゃない。だってゲームじゃ名前すらない殿下の騎士と、ロータスさまと俺は会話をした。生きてる。俺だってそう、ソフィアとして存在してる。プレイヤーの判断で操作されてるわけじゃない。
現実世界に製作者なんていない。いるのは神様とか精霊とかドラゴンとか、前世じゃ空想の中にいる存在だ。シナリオ通りに強制バッドエンドをもたらすなら、くそったれ女神が最有力候補だろう。その次は精霊、つまりウィーリアだ。
契約したことで始まったシナリオをどうにかするために騒ぐ中で、ウィーリアが最大の障害になったのは本当だ。
――わたし、あんたを殺そうなんて思ってないわ。
そうでなきゃ困る。
意図していなくても、結果さえ伴えばいいんだ。高慢ちきなウィーリアの厄介な性格は、放っておいても勝手にバッドエンドに誘導してくれる。協力者が現れたと思った矢先に、そいつが場を乱すような発言を連発すれば、俺はパニック起こして暴走する。最終的に死刑にでもなれば、お見事、俺が死ぬバッドエンドの完成。俺はバッドエンドの過程も、どんな死を迎えるのかも知らねえし。
ヴァイオレットさまが素っ頓狂な声をあげたので意識を戻す。
「ではこれで問題解決だな!」
「け、警戒はしておくべきかと」
「もちろんだ。ソフィア嬢には今後も予知夢を見たら報告してもらうとして、今は安心していいだろ?」
思わずげんなりしたら、ヴァイオレットさまに見られた。急いでポーカーフェイスを取り繕ったけど、遅かったな。
「事後処理はすべきかと」
「ゼルにやらせればいい。今後しばらくはあいつに揶揄われて過ごすんだ。暇を奪ってやる」
「殿下ったら……」
いちゃつく二人を見ているとげんなりする。
「で、ではわたしはそろそろ失礼いたします。あの、ウィーリアを、……反省させてきます」
返事は待たず、床に座り込んだままのウィーリアの手を引く。
――もっと優しく、抱き上げるとかできないの?
うるさい。俺もう気分悪くないから、お前も平気なはずなんだけど?
返事はなかった。発光を強めて、顔を見られないようにしているらしい。そんなことしなくても、誤魔化してることバレバレだから。
返事はなかったけど、ウィーリアは拗ねたように俺の手のひらに爪を立てた。やっぱり、ちっとも痛くない。




