第八幕 身支度
椿が英語が苦手なのは、別に英語が書けないからではない。
根本的にこの先生の授業スタイルが肌に合わなかっただけなんだと思う。
あと、興味ない勉強嫌い。
そんな、ただひたすら板書を書き写す授業をぼーっとしながら、受けていた。
分からないところは玲奈にでも聞けばいい。
そんなふうに考えながら、椿は今朝の蒼人の話を思い出した。
『───品川歩美は魔法つかえないはずなんすよ』
蒼人に調べてもらった結果、品川歩美の友達や親しい人間からは品川歩美が魔法が使えないという裏が取れた。
本人が隠しているという可能性も考えたが、だったら昨日のような申し出をしてくることがあるだろうか。
昨日、品川歩美は俺に剣術を教えてくれと言ってきた。俺の剣に惚れたからと言っていたが、それは十中八九建前で、本音は生徒会に入った後、白瀬さやと一緒にいたいからだろう。
これは推測だが、生徒会に入りたいと言い出したのは恐らく白瀬さやだ。
理由は単純に自己承認欲求の充足。
自分の気持ちを拒絶され、それを受け入れられず、あろう事か自分の思い描く品川歩美を投影した生霊型の怪異を生み出すそのエゴの強さ。
そしてそのエゴにさえ、自分のしたかった事を強要し、従えさせるほどの業の深さ。
あの怪異はあのまま俺達が介入しなければ、半ば実体を得た状態で投身自殺をし、白瀬さや諸共消え失せていたはずだ。
聞けば白瀬さやは周囲と自分の価値観の違いに悩んでいたらしい。その究極が”この腐った世界”という台詞だそうだ。
要するに自分を誰かに認めてもらいたかったんだ。そしてそれを心中という形で体現しようとして品川歩美に拒絶された。
そこで止まれば良かったものを、白瀬さやは己が願いを受け入れてくれる存在を求め、自ら生霊を生み出した。
そんな奴が魔法という力を手にして、
”怪異を追い詰めた”
という周囲から賞賛されるわかりやすい実績を得た。
あとは簡単だ。
深いことも考えず、生徒会に入り、除霊をしまくればもっとみんなに認めてもらえる。
平たく言えば、調子に乗った。
だから、生徒会に入ろうなどと言い出したのだ。とは言え、魔法が使えるなら除霊の現場に赴かせることもある。
けれど、それが出来ない生徒は余程降霊術の分野が得意でない限りは事務だ。
これは危険を考慮しての学園側の方針。
そして、品川歩美は絶望的に魔術のセンスも魔法の才能もない。
となれば必然的に品川歩美と白瀬さやは同じ組織に所属しながらすれ違う、言わば織姫と彦星状態になる。
品川歩美はそれに危機感を覚えたのだろう。
だから、俺が”剣で怪異を倒した”という光景を見て、家のことも思い出し、あんなことを頼んだのだ。
そう考えなければ、昨日わざわざ剣を教えてくれなどと頼んできた理由が分からない。
どうもあの言い方は嘘くさかったからだ。
それに、昨日の品川歩美(偽)の使った魔法はどう考えても、焦って別の力を手に入れなければならないという思考になるような火力ではなかった。
つまり、あれは白瀬さやが深層心理で抱いていた品川歩美という人物のイメージを怪異が手っ取り早く魔法に変えてしまった形態。
だからこそ、これは頭を悩ませる。
──今までこんなこと無かったぞ……
ぽっと出の怪異になど、そうそう魔法は使えない。
それこそ”西麗の君”のように年数を重ねた怪異でなければ、それに準ずる魔術ならまだしも、魔法なんて使えるわけがない。
けれど、白瀬さやに憑いた生霊は魔法を手にしたどころか、白瀬さやの記憶までいじっていた。白瀬さやが品川歩美が魔法を使っていたことに動じていなかったのがその証拠。
まるで誰かが既にモデリングされた怪異を意図的に憑けたみたいに。
「わっけわかんね……」
「そうかそうか、そんなに先生の授業は分かりにくいか」
と、正面から声がする。
椿の席は窓から横二列目、縦列最奥。なのに先生の声は正面から、いや、目の前から聞こえてくる。
あ、やべ………
ふと、前を見ると眼鏡をかけた中年オヤジが立っている。先生だ。
「分かんないんだったら、ちゃんと授業聞いてろ!」
目の前から発せられるうるさい怒声に椿は耳を塞ぐ。
どうやら、何度か名前を呼ばれていたらしい。
別のことに集中しすぎていて全く気が付かなかった。
「ここを答えろ」
先生が教壇に戻り、黒板を指指す。
Hi Jenifer.Why are you running off ?
Hi,Em.Sorry.( )I'm already late my promise!
椿は黒板に書かれている問題文を読む。
ほぅ、ほほぅ。
内容はエマがジェニファーになんで急いでるの?
って聞いててそれにエマが答えてる感じの文だ。
んで、カッコを答えろという話だろうが。
もしもーし、こういう問題って選択肢があるもんじゃないんですかねぇ。問題文の下あたり、なんでうっすら消されてる①のあとがあるんでしょうか?なんですか、報復ですか?報復ですね。
先生もなかなか意地が悪い。
これを答えられなければ、何かしらペナルティがあるんだろう。だからそれを答えさせないために、わざわざ選択肢を消した。
自分で考える方が正答率が下がるからだ。
うわー、汚ねぇーー
だがその分これは答えに自由な範囲がある。
文脈に合う意味さえ取れればいいからだ。
問題文が、会話的でよかった。
文構造も難しくない。
「Sorry!I can't stop to chat!I'm already late my promise!!」
椿は超絶感情を込めて答えてやった。
ジェニファーの問題文の発言はごめん!( )もう約束の時間に遅れてるの!
だから、状況的に「話してる時間ないなの!!なのー!」的なこと言わせればいい。
これは完璧な回答だ。先生も文句は言えまい。
「ちっ……正解だ。」
ふはは、莫迦め!私に会話文を投入した貴様の采配ミスだ。
「だが授業聞いてなかった分、宿題追加な。」
「What a fuck!!?」
「汚い英語を使うな。今授業でやってたのはこっちな。」
先生が指さしたのは椿が読んだ答えた英文の一個上。
じゃあ、さっきの舌打ち何だよ!
うわー汚ねぇーー
指さしただけだからどうにでも言い訳できるってか。うわーないわー。
しかも上のやつ、めっさ簡単やん。
do me have a favor ?
超有名なイデオムじゃねぇか!
タチ悪いわぁ……
結局宿題は増やされ、解かされ損で授業は終わる。
チャイムがなると、もう昼休みだ。
「椿ー、一緒に飯食わね?」
「あー、パス。生徒会室行かないと」
「そっか、んじゃまた今度な」
「さんきゅ」
昼の誘いを断って、椿は生徒会室に向かう。
が、何かおかしい。
「あれ、めっちゃ人いんじゃん」
昼休みだと言うのに生徒会室の前には凄まじい人だかりができていて通路を塞いでいる。
「あ、姫が来たぞ!」
「姫ー!」
わー、と言うような感じで学年問わず人の波が押し寄せる。よく見ればうちの派閥の奴らだ。
ところどころ、玲奈の派閥の奴らと普通の生徒も混じっている。
「えー、何、みんな揃ってどうした」
そう聞くとその中の一人が話し始めた。
「聞きましたよ、今日着物の入ったパンパンのトートバックを持ってきたとか」
「ああ、午後に協会行くからね」
「ってことは女装しますよね!」
やけに興奮した声で言ってくる。
「あー、そういう事。つまり見たいのね。」
「「「はい!」」」
一致団結。派閥同士で仲がいいのはいい事だ。
「ただし、観覧料は安くないぞ。」
椿は指を銭の形にしてウインクする。
「え?」
「いや、昨日の一件で書類めっちゃ増えちゃってさ。料金は昼休みを書類作業に費やすこと。君たちの労働力を提供する代わりに、見せたげるよ。」
「「「え………ぇぇぇええ!!?」」」
一斉に声を上げる。
「タダで見せるわけないじゃん、莫迦が。」
「「「ぐぬぬ、」」」
「どうすんの?」
腕を組んで問いかける。
人手の徴収、徴収。
それしか今の椿の頭の中にはない。
「「「やります!」」」
「よろしい。んじゃ、道あけて。入れないから。」
「「「「はい!」」」」
ざっと一気に道が開く。
どこぞの軍隊かお前らは……
「ところで荷物持った和服の女の子が来なかった?」
誰にでもなく問いかける。
「あ、そう言えばさっき一人入って行きました!あと樒さんも!」
どうやら、関係者っぽい人達の邪魔にはならないように気は使っていたようだ。
ならばよし。
「ありがとう。」
椿はガチャりと生徒会室の扉を開ける。
「あ、会長〜やっと来たんで……すかっ!?」
ひょこりとこちらに顔を向けた沢城 穂乃果が、訝しげな目を向ける。
「どうした、穂乃果……あ、会長、」
ついでに出てきた蒼人も同じ目を向けてきた。
「かいちょ〜、その人達は……」
「お手伝いピーポー」
「「よぉおおおっしゃああああ!!!!!」」
数秒の間の後、二人は喚起乱舞する。
「かいちょ〜オメガGJ!!!」
「会長!朝死んで下さいとか言ってすんませんした!!!」
余程しんどかったらしい。
既に生徒会室にいた見習い、非常勤、諸々も同じように歓喜していた。
「穂乃果、空き教室借りてきて。雑事は昼休み終わるまでこいつらがやってくれるから」
「わっかりやしたー!!」
トテトテと穂乃果はご機嫌気分で職員室まで駆けていく。
「え、姫……そんなしんどいんですか?」
思ってもみなかったであろう、生徒会室の書類の山と歓喜する生徒会メンバーを見て彼らは震え始める。
え?事前告知?知りませんとも。
椿はニッコリと笑って
「ふぁいと」
と一言だけ言ってやった。
そのまま生徒会室に入り、奥で片付けをする凛を見る。
「隣の座敷部屋に樒と玲奈とお人形さんいるから。」
「おけ、ありがとな」
生徒会室は座敷部屋と隣接している。会長席の横にある扉の向こうがその部屋だ。
「姫、お待ちしておりました」
「さっさとやるわよ」
雰囲気だけなら似ている二人が畳の上に広げられた幾つかのトートバックからそれぞれの使うものを手に取っている。
玲奈ともう一人。
リアルでは滅多に見ないリアル縦ロール。俺に合わせて染め直したとかいう薄紫色のシルバーブロンド。よく肥えた胸に細い腰。凛にも劣らぬ細く長い脚。
二年A組 一ノ瀬 樒
挨拶は”ごきげんよう”笑い方は口元を手で隠して”ふふふ”のガチお嬢様だ。
なんか出来てしまった派閥の管理をほぼ丸投げさせてもらっている相手。
そしてさらにもう一人。
既に着付けも終わり、綺麗に着飾られた薄紅色の着物を着る黒髪に小柄な侍女。
「お待ちしておりました。」
紅い唐傘を携えたそれが一言述べた。
「そっちの用意はもう終わったかい?」
「はい、いつでも行ける状態にございます。」
「よろしい。じゃあちょっと外で邪魔にならないように見張りしてて貰えないかな。覗き対策で」
「かしこまりました。」
そう言うと着物の少女は部屋を出ていった。
「ほんと、あれが人形とかいつ聞いても信じらんないわぁ」
「今度は何の花の人形なのですか?」
「今回は梅。土間に咲いてるから。」
あまりにテキトーな理由。
面倒だったので婆さまの調度品の紅梅の枝を一つ手折って人形にした。
近さで言えば楓でも良かったが、渡り廊下を下りて足を汚すのが面倒だったので紅梅にした。
これといって特に意味は無い。
「それじゃ、やろっか。」
パンと、手を叩いて樒と玲奈は椿の着付けに取り掛かった。
その頃、生徒会室では……
「可愛いー!何この子!?」
椿の人形が、休憩に入った取り巻きと生徒会メンバー、その他生徒に囲まれていた。
「姫乃 椿様の花人形にございます。」
「えっ、人形!!!?」
「やっぱ姫すげぇ!これで人形かよ!」
頬を引っ張ったり、腕を触ったり、人だかりは次第に増えていく。
「ちょっとそこ!邪魔だからどっか行って!」
作業中の生徒会が怒った。
「……じゃあ、あっち行こうか!……えーと、なんて名前?」
「私は人形ですので名前はございません。」
「えー!名前ないの!?」
と、やいのやいの言っていると、ついにしびれを切らした会員が椿の花人形を連れて外にほっぽり出した。
「作業しないなら外に出ててください!」
ガチャん!と。
「じゃあお人形さん、私たちのところ行こ!」
「いえ、私は見張りをしなければ……」
「大丈夫だよ。誰も覗きなんかしに行かんて」
「いえ、そういう問題ではございませんので。」
「えー、硬いなぁ……」
人形を囲む男女達は仕方ないので、仕事中の人の邪魔にならないよう、生徒会室の前で人形と話し始めた。
そして昼休みも終わりに近付き、椿の準備が全て終わる頃。
「上出来ねぇ」
「姫……お美しいです……」
「ありがとう、玲奈、樒」
椿が二人に礼を言うと。
コンコン……
ドアがノックされた。
「何かしらぁ?」
それに玲奈が応える。
「あの、かいちょ〜、かいちょ〜と玲奈さんの取り巻きの方。お人形さんに名前つけたみたいなんですけど……」
「───は!?」
大丈夫でしょうか。と、穂乃果はドア越しに聞いてきた。
別に名前をつけること自体はなんの意味もないし、問題ないが……
「仕事してんのかアイツら……」
「あ、それは大丈夫だと思います。見る度人が変わっているので。」
それなら別にいい。
「ちなみになんて名前をつけましたの?」
「えーと、なんか梅から作られた人形という話を聞いたせいか、小梅と命名したみたいです……」
「あえて、『こうめ』じゃなく『シャオメイ』と付けるところが、誰が犯人か物語ってるわねぇ……」
玲奈には心当たりがあるらしい。
つまり命名したのは玲奈の派閥の奴ということか。
「良いのですか?姫」
「あえて中国語で攻めてくるなんて、やるやん」
「いいのね……」
若干、協会で問題があるかもしれないといえばあるかもしれないが、まぁ、どんな名前かなど些事だろう。
「それじゃあ、お披露目しますかね。」
椿は、ドアを開き、生徒会室へと出る。
カラン、コロンと下駄を鳴らし華やかな姿をお披露目した。
両のこめかみに一筋流れるようにセットされた髪に椿の花簪と他にもいくつもの豪奢な簪を挿し、紅い着物と黒い帯が毛皮付きの外套から覗く。
豪奢な着物と白い肌に紅が映え、尚も残された泣きぼくろと口元のホクロは留まるところを知らない妖艶さを垂れ流していた。
「「「「………………」」」」
しばらくの間、全員の作業の手が止まり、全ての視線が椿に集まって、長い沈黙が流れる。
その姿はさながら大輪の薔薇、いや大輪の椿。立っているだけで花が舞いそうなほど。
端的に言うならばエロかった。
「桜花咲生徒会長、姫乃 椿。支度、終わりました。」
麗しく甘い女性の声が、 生徒会室に艶めかしく、しかし決していやらしくなく上品に充満する。
「やべぇ、めっちゃタイプ……」
どっかで男子生徒がぽつりと呟いた。
「「「う……う……美しい!!!!」」」
「眩しい!眩しすぎて前が見えない!!」
「おい、しっかりしろ!誰か、保健室の先生を!こいつ出血多量でぶっ倒れてる!!」
お前らはマッチョコンテストの観客か。
慣れているとはいえ、女装と知られた上でその姿を見られるのはやはり少し気恥しい。
それを紛らわすように、椿は人形を手招いた。
紅い唐傘を携えてこちらに歩いてくる。
「ほら、見たいものは見たでしょう?
さっさ、仕事戻った戻った」
「「「えー、」」」
「えー、じゃない。」
腰に手を当て、呆れた椿は言い捨てた。
それをフォローするように座敷部屋から出てきた玲奈が煽りを入れる。
「あなた達、早く持ち場に戻らないと仕事量三倍増しにするわよぉ?」
酷く嫌味ったらしい笑みに、相手を嘲笑うかのようなその眼差しに、生徒会員及び取り巻き一同その言葉が本気であることを一瞬にして察した。
そして、全員がそれだけはさせまい、やるまいとさっきまでの駄々は嘘のように退散していく。
「相変わらず性格悪いねぇ、れーな」
一人黙々と書類を片付ける凛がメガネ越しにちらりと見た。
「そりゃあ、れーなですから。」
「ブラック上司、玲奈様には誰も逆らえないということですわね。」
樒がそれを茶化す。
「へぇ、二人とも三倍増しの刑がお好きかしらぁ?」
「ふふふ」
「あはは」
「うふふ」
「くくく」
四人の女生徒(一人女装)はクスクスと笑いを上げた。
「姫、そろそろ……」
そんなことをしていると、後ろで舞踊傘をさした小梅が耳打ちする。
「あら、ごめんなさい。それじゃあ、れーな、凛、樒、何かあったらスマホに連絡して。
皆も、悪いけど仕事よろしくね。」
椿は三人と、会員、取り巻きに挨拶をして魔術を発動する。
「すぐに帰ってくるのよぉ」
「お土産よろしくねー!」
「姫、お気をつけを」
「会長、こっちの仕事は任せてください!」
玲奈、凛、樒、会員が返事をしてそれに椿はふっ、と笑みを向けた。
「跳ばせ、アゲハ」
椿がそう一言言うと、椿と小梅は黒いアゲハを散らしながら一瞬にして消え失せた。
ひらひらと舞った蝶の一羽が穂乃果の鼻先に止まり、ふわっと消える。
「ほんと、会長って妖精みたいですよね。」
ふと、穂乃果が言った。
「どういう意味?」
と、凛が尋ねる。
「だって会長って魔術使う時、一切マナの気配を感じさせないじゃないですか。まるで、私たちとは別の次元に住んでるみたいに。
それにテレポートする時なんて蝶々飛ばしてますし。」
「ふふふ、確かにそうねぇ。
椿はああ見えて、最高位の魔法使いの曾孫。
伊達に”東洋の妖精女王”なんて呼ばれてないわぁ。」
「そうですわね。姫は良くも悪くも世界中で有名ですから。」
そう言いながら、樒は椿の消えた虚空をふと眺めた。