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彼女との約束と契約

作者: 中谷キョウ

 雪が降る街並みは新鮮だ。

 街のあちこちでクリスマスソングが鳴り響く中、ボクはようやく彼女を見つけた。


 商店街にある大きなモミの木。この小さな名所は待ち合わせに便利だ。

 ボクらと同じように考える人は多く。彼女との待ち合わせ場所はたくさんの人でにぎわっていた。


 その多くがカップル。ボクと彼女のように若い男女ばかり。

 中には待ち合わせで片割れがいない人も多くいたが、カップルの比率はとても多いといえよう。

 それもそのはずだ。今日はクリスマスイブでこの街には珍しい雪も降っている。


「ごめん、待った?」


 ドラマや小説で良く見かけるセリフだが、彼女を待たせているボクにはピッタリのセリフだ。

 ここでのお決まり文句は「ううん、わたしもいま来たところ」だけど、彼女はボクに気付くと小さく笑った。


「うん、すごく待ったよ」

「ご、ごめん……そんなに待ってたならやっぱり連絡すればよかったかな?」

「いいよ、こういう日に人を待つってすっごく新鮮なの。楽しいから、不問よ不問。それに連絡なんかしたら台無しじゃない」


 どれくらい待ったのかはわからないけど、彼女の頬はいつも以上に赤かった。

 冬場で雪も降っている中、ここで待っていたのだろう。

 ボクは首に巻いていたマフラーを外すと彼女の首に巻いてあげた。


「ありがとう」


 彼女はそれだけを告げるとボクの手を握ってきた。

 あたたかい。首元は少し寒くなったけど、てぶくろ越しに伝わる彼女の温度はとてもあたたかい。

 だからボクは彼女の手を強く握った。

 離したくないという想いもあるけれど、それ以上に彼女の手のぬくもりを感じていたかったのだ。


 ボクらは予定通り、商店街を歩いた。近所だからいつも見慣れた商店街だけど、彼女と歩くと世界が変わる。


 いつもは素通りするお店も彼女が興味を持てば足を止めて立ち寄ったし、いつも見かける頑固な店主にも今日は優しく話せそうだ。


 少しだけデートを楽しんだ後、彼女はポツリと大事なコトを告げた。


「そういえばわたし……成功したよ」


 目的語の無い会話。それだけでもその言葉の意味をボクは強く感じた。


「うん、良かった……良かったよ!」


 ボクはそう答える。本当ならここで大げさに喜ぶのが普通だろう。でも、ボクの場合はその喜びを小さく噛みしめる。


 彼女もそんなボクに気付いているみたいで笑みを浮かべた。


 成功した。


 それは彼女がこの場所に来ていたことからもわかっていたことだ。


 ボクと彼女が数か月前に交わした約束。

 それは彼女の手術が成功したらクリスマスイブに会おうというモノだった。


 ほんの1年前。彼女は臓器の病気に罹った。治らない病気ではないけれど難度の高い手術をしなければならなかった。


 手術のために大きな病院に移ったのが半年前。そして、手術を受けたのは数か月前。


 ボクと彼女は彼女が手術を受ける前にこの約束をしたのだ。

 手術が成功したらクリスマスイブにデートをしよう。

 それまでボクに手術の成否は一切、連絡しないというものだ。


 当然、ボクは反対した。彼女が危険な手術を受けるということだけでも不安だったのにクリスマスイブまで成否はわからないなんてボクには耐えられなかった。


 でも、手術前に彼女が「もしも、手術が失敗したらわたしは――」なんて言うからボクは彼女の約束を聞くことにしたのだ。


 ちなみに会うのがクリスマスイブというのは単にロマンチックだからだけではなく手術に成功しても数か月は経過観察とリハビリをしなければならないからだ。


「これでまた一緒だね」


 彼女のその言葉を契機にボク達のデートは本格化した。


 昔から何度も巡った商店街を二人で楽しむ。今時、こんな寂れた商店街でデートなんて流行らないと思いながらも楽しんだ。


 途中ボクがレストランを予約していることを告げると少し驚いたあと、怒られた。

 来れないかもしれないのに予約なんてしたらダメと彼女は言ったがその彼女の顔は優しく微笑んでいた。


 レストランでささやかなディナーを楽しみ、めぼしいデートスポットを回り終えたボクらは小さな三角形型の公園へと来ていた。


 ここはボクたちが中学生だった頃何度も来た公園だ。

 彼女はブランコに乗ると隣のブランコをボクに勧めてきた。

 この年になってブランコに乗るなんて恥ずかしいと思いつつも素直に隣のブランコを陣取った。


 辺りは暗く。白い雪は既に止んでいた。

 電灯に照らされた彼女の息は白い。きっとボクの息も白いだろう。


 遠くからは車が通う音に住宅から聞こえる生活音。この公園にはボクと彼女、二人しかいなかった。

 静寂、静謐せいひつな空間が広がっていた。

 わずかに漏れ出る彼女の音を聴きながらボクは小さく、涙をこぼした。


「どうしたの?」


 ボクの様子に気付いた。彼女がそう言った。本当に彼女は聡い。ボクには勿体無いくらいだ。

でも、それも今日で終わり。


 今日の23時44分。ボクは死ぬ。


 それはもう決まったことなのだ。


 後悔……いや、後悔なんてしたくない。

 これはボクのエゴだ。ボクのエゴで彼女を悲しませてしまう。

 でも、それでも、ボクは彼女の笑顔を見たかった。


 だから、あの日――ボクは悪魔と契約し、彼女の代わりに死ぬことを決心した。


 彼女と約束をした後、ボクの前に悪魔が現れて契約したのだ。

 彼女の手術が成功する代わりにクリスマスイブの23時44分にボクの命を悪魔に捧げなければならない。


 だから、これからボクが告げることは本心ではない。

 ただ、彼女のために告げる言葉だ。


「ねぇ、ボクたち別れよう」


 本当は告げたくなかった。

 けれども、告げてしまった。

 ボクがその言葉を告げた瞬間、彼女の時が止まった。

 表情から笑みが失せ、瞳からはポロリと涙がこぼれた。


 彼女は理由を聞かなかった。ただただ涙をこぼしていただけだ。

 でも、ソレはボクも同じなのだろう。何故か、ボクの頬には温かくも冷たい何かがこぼれていた。


 どれくらいボク達は見つめ合っていたのであろうか。

 ボクが別れを切り出してから彼女は何も話さない。ボクも何も告げない。

 ただただ無言の時間が過ぎていく。

 時刻は既に22時を回っている。世間ではクリスマスイブの幸せがあふれている中。

 ボクらの間には幸せなんて何もなかった。


 ボクはこれから死ぬことに後悔はない。

 だって、彼女を救うことが出来て、彼女の笑顔を再び見ることができたのだから。


 でも、それは自分のエゴ。何度も言うようだが、ボクが彼女の笑顔を見たいがために彼女をどん底へと突き落とそうとしている。


 そんなことはわかってはいても、ボクはボク自身を諌めることができない。


 だから、せめて、最後にはボクとのつながりを絶とうと考えた。

 今日の約束をすっぽかすことも考えたし、彼女がいない時に浮気をしたことにしてもよかった。


 しかし、ボクはそこまでボク自身に非情になれなかった。

 約束をすっぽかせば彼女はそれで傷つくだろうがきっぱりとボクを諦められるであろう。それは浮気をするプランでも同じだ。


 ようは彼女にボクをあきらめさせればよかったのだ。

 でも、ボクにはそれができなかった。しかもそれは彼女のためを思ってしたわけではない。ボクのためにやったのだ。


 ボクが彼女を捨てられないからボクが彼女に最悪の別れを作ってしまうのだ。


 しばらくして、ボクは立ち上がった。


 彼女の何か言いたげな瞳が追従する。

 彼女の涙はもう枯れていた。その表情には何も残っていない。


 ボクを責めるわけでも悲しみを告げるわけでもない。感情だけが先走り、何が起きたのか理解が追い付いていないような顔だ。


 ボクは「ごめんね、さようなら」と言ってから公園を後にした。

 そして、死に場所を求める。


 どこにしよう。


 ボクのような最低の人間が死ぬ場所などない。


 だから、どこか適当なところで死のう。

 頭の中で悪魔がわらっているような気がした。悪魔はずっとボクをみている。ボクが死ぬ瞬間を今か今かと待っている。


 時刻については多少の誤差は問題ないが念には念を入れてボクは時刻ピッタリに死に場所へと赴いた。


 そこはこの小さな街が見下ろせる高いビル。誰でも入れるビルだったが屋上へは簡単には入り込めない。


 ボクは持ってきていた石をガラス張りの扉に投げつけて割り屋上へと侵入した。

 このビルの屋上への扉にガラスが張りになっていることは知っていた。だから、事前に入れるよう準備をしていたのだ。


 冬独特の乾いた空気が肌に突き刺さる。夜空はあいにくと曇っており、月は少しかげっていた。あれほど、ふっていた雪は既になく寒さだけが残っていた。


 ボクはこの場所で死ぬ。


 眼下にはたくさんの明かり。誰かが生活する光。街を照らすイルミネーション。遠くからはクリスマスソングが小さく聞こえる。


 風はさほど吹いていない。これならサンタさんも安全飛行できるかなと場違いなことを思ってしまう。


 これまでのことを思い出しながらボクは何故か笑ってしまった。


 それは2年前のクリスマス。ボクと彼女が彼氏と彼女になった時、彼女が言ったのだ。


 あの日も今日のように雪が降っていたけど、夜には止んでいた。風もあんまり強くなく彼女は小さく呟いた「これならサンタさんも安全飛行できるかな」って。


 ボクはその時、彼女が好きなのだと気づいてしまったのだ。


「あれ……」


 ボクは彼女が好きなのだ。だから、彼女が生きるためにボクは彼女との関係を捨て、この命も捨てる。


 後悔しないと思っていた。

 でも、後悔しないなんてできなかった。

 枯れたと思っていた涙が何故か頬を伝う。


 眼下に広がるこの街を見ながらボクは彼女との思い出を思い出した。


 彼女のために死ねるなら本望である。

 優しい彼女。面白い彼女。騒がしいくてお転婆な彼女。時々天然な彼女。ボクの知る彼女は全て大好きな彼女だ。


 その彼女を守るためなら、ボクは躊躇ちゅうちょなく死ねるだろう。


 何故か、ひどく後悔した。

 何が悪いのだろう。何を後悔しているのだろう。

 でも、もう遅い。悪魔は嗤っている。なんでそんなに愉快に嗤うのであろう。


 気がつけばボクは既に屋上の端へといた。

 時刻は23時43分。


 あと1分でボクは死ぬ。

 多少の誤差は問題ないのならもう飛んでしまおう。

 そうすれば後悔することなんてなくなる。


 飛ぼうとした瞬間。


 屋上へ誰か入ってきた。


 誰か……いや、彼女だ。


 どうやってここを知ったのかわからないけど、最期に彼女をみれてボクは少しだけうれしかった。


「――よっ」


 彼女が何か叫んだ。

 手術明けでリハビリしたらしいがまだ体力は戻っていないらしくその声はほとんど耳には届かなかった。


 でも、ボクの心には響いていた。


「わたしは君が大好きだよっ」


 飛んだ瞬間、目が合った。だから、ボクもお返しの言葉を告げた。それは決して言葉にならなかったけど、彼女には伝わったかもしれない。


『ボクも大好きだよ』


 その言葉はウソでも告げてはならないと思っていた。

 でも、いざ彼女を目の前にするとせき止めていた感情があふれ出すかのようにその言葉が思い浮かんだ。


 本当は彼女を突き離さなければならないのに、ボクはまたしてもボクのエゴのために本当の言葉を告げてしまったのだ。


 空を飛びながらボクはそう後悔する。

 ボクがサンタさんなら空を翔けて彼女の下に戻るのにな。


 笑った瞬間、ボクは地面と激突した。


 この日、ボクは死んだ。




「えっ……」


 気が付くとボクの意識は覚醒していた。

 周りには見慣れぬ景色が広がっている。


 濃い緑の匂いと上から降り注ぐ太陽の光。そして、なにより暑い。夏のように暑い。


 ここはどこなんだ。

 たしかボクはビルの上から飛び降りたはずだ。あの高さから落ちたら普通の人間なら死んでいるはずなのに。


『よぉ、もう起きたのか相棒』


 頭に誰かの声が鳴り響いた。

 この声の主は知っている。あの悪魔だ。ボクと契約したあの悪魔だ。


『どうやら、お前さんは俺との契約を全うしたみたいだな』


 契約を全うした? つまり、ボクは悪魔に命をささげることができたってこと?


『そうだ、お前さんと俺の契約でな』


 ちょっと待って、じゃあ、なんでボクはここにいるんだよ


『はぁ? なに言ってんだ。お前、悪魔になったんだぜ』


え? 悪魔になった? ボクが?


『ああ、そうだ。悪魔に自ら命を捧げた者も悪魔になる。お前さんは俺と同じ悪魔だ』


 そういえば、身体に痛みはまったくない。たしか、頭から地面に激突したはずなのに。


『悪魔は死なない。そして、不思議なチカラを使うことができる。でも、それには命が必要だ』

『お前さんは自分の人間としての命を代償にあの女を助けたんだろ』


 悪魔にそう言われてボクは思い出した。

 ああ、そうだ。ボクはボクを殺すことで彼女を助けたのだ。


 それはわかった。

 だけど、だったらなんでこんな場所にボクがいるんだ?


『ここは悪魔の世界だ。お前さんは悪魔だからな。悪魔は悪魔の世界で住むんだ』


 ちょっと、待ってよ!

 元の世界に帰れないってこと?


『まぁ、普通の悪魔ならそうだな』


 普通の悪魔なら?

 ってことは普通じゃない悪魔なら元の世界へ行けるの?


『そうだ。俺みたいな高位な悪魔なら自由に行き来できるぜぇ』


 その高位な悪魔ってどうやったらなれるんだ。


『……お前、俺の話を聞いていたのか?』


 どういう意味だ?


『悪魔としての力を行使するには命が必要だ。人間でなくとも良い。命を無理やり奪って、自分の力にして、そして、至るんだ。高位の悪魔に。お前に命を奪う覚悟があるのか』


 ある。

 ボクはどうしても元の世界に戻りたいんだ。


『ほぉ、あの女とヤるためか?』


 いや、一言だけ伝えたいんだ。

 あの時伝わったかわからないから言いたいんだ彼女に。


 急に分かれてゴメン。

 ボクも好きだよって。


『おいおい、お前いなくなったんだから、あの女も新しい彼氏くらい作るだろう』


 それでもいいさ。

 もしもそうならそれはボクの罰なんだ。


『そんなもののためにお前は命を奪うのか?』


 ああ、悪いか?

 ボクは悪魔になったんだろ?


『くひっ……お前、見込んだとおり面白い奴だな』


 ……?


『ホントは悪魔になったばかりのお前の命を奪ってやるつもりだったんだが、いいだろう。見逃してやる』


 お前……。


『せいぜい、この世界で足掻くんだな。わが同胞よ』


 こうして、ボクは元の世界に戻るために足を踏み出した。


 悪魔になったボクを見て、彼女は笑うかもしれない。

 呆れるかもしれない。

 

 それでもボクは自分のエゴのために彼女に会いたい。

 会って言葉を伝えたいんだ。


Fin

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