溶けてゆく『ラメン』
すっかり変わってしまったスープの味に、私は戸惑いながらもメンを持ち上げて……ん?
なんだかアンカケの絡み方が、最初よりずいぶん緩くなってるような。
……! そ、そうか!? この『アンカケ』のせいだなっ!?
つまり、食べてるうちにアンカケが溶け出し、野菜と豚肉のエキスがスープに混ざり、自然に『アジヘン』が起こったのである。
なんと奇抜な仕掛けだろうっ!?
今やアンカケはすっかりバラけ、スープの中には野菜や豚肉がまばらにプカプカと浮かぶばかりである。すくうようにメンを持ち上げても、最初のようにベットリまとわりつくことはない。
ドンブリの縁に口を付けてゴクゴク飲むと、溶け残ったアンカケがツルンと口に入るのが面白い!
野菜の旨味と豚の脂がプラスされたとろとろスープには、濃厚な味わいとドッシリした食べ心地があって、優しい甘みが溶け込んだショーユ味が、喉を滑らかに広げて胃に落ちる……。
タイショのラメンはサッパリしつつもコクがある、澄んだショーユ味のスープである。後味は軽く、誰でもスルスルと流れるようにメンを食べきり、スープを飲み干すことができる。
万人受けする素晴らしいラメンであるのだが、反面ジロウケイやベジポタケイ、あるいはイエケイラメンなどと比べて、ややボリューム不足なのも否めない。
オーリなどは、いつもタイショのラメンを食べた後に「ああ、美味かった! もう一杯食いたいけどよ……他の奴の分も残してやらなきゃだし、我慢だよな」と、口癖のように言っていたものな。
しかしこのラメンならば、彼も一杯で満足できるにちがいない。
私はドンブリを持ち上げて、残ったアンカケ・スープを残らず飲み込む。
今は亡き親友のラメンに、新たな要素アンカケが加わった、サンマーメン。
安心と驚きの融合した、美味なるラメンであったぞ!
我々が食べ終わると、レンはいつものように感想を聞いてきた。
「みんな。サンマーメン、どうだったよ?」
「たっぷりの野菜と豚肉が、素朴で優しい味を形作っていた。アンカケが溶けだして、途中でスープの味が変わったのにはビックリしたよ……変化がゆっくりだったので最初は気づかず、なにが起こったのかと混乱してしてしまったぞ!」
「サンマーメンはタイショのラメンの魅力を損なう事なく、新しい味になってたぜ! 懐かしくって、美味くってよぉ。こいつは、大したラメンだな!」
「アンカケがメンにまとわりつく様子が、まるでスライムみたいで不思議だったわ……。見た目は変だけど喉越しが良くてトロトロの食感で、野菜の甘さが一杯で、すっごく美味しかった」
「僕は今までラメンのトッピングと言えば、メンマやチャーシュ、アジタマのように、『独立した何かをドンブリ上にまとめる』と言うイメージを持っていました……しかし、全ての具材をまとめて料理して乗せるなんて、こんな発想もあったのですね!」
レンは頷くと、腕組み顎上げポーズで言う。
「サンマーメンの具材については、明確なルールがあるわけじゃねえ。ただ、『かながわサンマー麺の会』によると、『最低でも五種類の具を使うこと』となっている。他によく採用されてるのは、タケノコ、シイタケ、青菜、キヌサヤ、ピーマン、カマボコと言ったところか」
私は尋ねる。
「ふうん……このようなドロドロで奇妙な料理、どうして生まれたのだろう?」
「あんかけは、中国料理では『溜菜』と言ってな。その昔、中国の商人は船を使って長江って大きな川を通り、何日もかけて港町の上海へと行き来してたんだよ。船の上はグラグラ揺れるだろ? そこで急に揺れても汁っ気が零れないように、とろみをつけて料理を作ったのが始まりらしいぜ」
「なんとっ!? アンカケは、利便性の問題で生まれた料理なのか!」
「いわゆる、中華丼……あんかけを掛けたどんぶり飯を、中国では燴飯って呼ぶんだが、これは手早く済ませたい労働者が好む食事なんだ。ちなみにサンマーメンも、中国料理屋で余った食材を使った『賄い飯』から生まれたラーメンでな。最初はあんかけ状じゃなかったんだが、戦後の食糧難で少しでも腹持ちを良くしようとデンプンを入れて、今の姿になったんだってよ」
「へええ。こちらも美味を追求してというより、乏しい環境によって生まれたラメンであるわけか」
レンは頷く。
「ああ。モヤシがたくさん入っているのは、当時の横浜にモヤシ工場があって安価に手に入りやすかったからと言われてる。安くて美味しい栄養たっぷりのサンマーメンは、商人や船乗りの日常飯と料理人の賄い飯が合体した、まさに『労働者のラーメン』ってことだな」
オーリが笑顔で言った。
「労働者のラメンっ! ガハハ、いいじゃねえか、その響き。サンマーメンは、働き者のためのラメンなんだな。俺っち、気に入ったよ!」
なるほど。サンマーメンを食べた時、その見た目や味わいに『気取らない日常感』を感じたが、そういう経緯で生まれたラメンならば、納得である。
マリアが言う。
「アンカケって、面白いわねえ! 最初のうちはモッチモチのデロンデロンだったのに、最後はすっかりサラサラになっちゃって……なんだか、可愛い!」
レンが、ニヤリと笑った。
「人の唾液には、でんぷん質を壊す酵素が含まれているからな。割り箸に着いた唾液が反応して、あんかけを溶かしちまったのさ」
マリアが驚いた顔をした。
「えええっ!? 食器についたほんのちょっぴりの唾液で、そんな事になっちゃうの?」
「なっちまうんだなぁ、これが。だから、あんかけ料理が早く溶けちまう奴は、酵素の働きが強いって事になる」
ブラドが言う。
「アンカケを使ったアジヘンならば、お客が卓上調味料を入れすぎて味を壊す心配はありません。組み合わせで次第で色々と面白いことができそうです」
と、オーリが首を傾げた。
「あのよう、レン。ちょっと聞いて良いか……サンマーメンの土台は、タイショのラメンだったよな。お前さん、『タイショのラメンを作るのは、特別な日だけにしたい』って言ってなかったか?」
確かにレンは、『イエケイラメン』の時にそう言っていた。メンの太さや具が違うから、サンマーメンは別物と言えなくもない……しかし、スープはタイショのものである。
レンは複雑な顔で言う。
「うん。少し前に、サラとテンザンさんが大喧嘩したろ? 俺、ひょっとするとどっちかが死んじまうんじゃねえかって、すげえ心配してたんだよ……けど、誰も死なずに終わってくれた。それが、嬉しくってさ!」
その言葉に、私は大きく頷く。
「うむ。テンザンもサラ殿も、どちらも生きてて本当によかった! 最後は、しっかりと仲直りできたようだしな」
レンは、鼻の頭を掻きながら言う。
「で、ホッとしたら、みんなに親父のラーメンを作って食べさせたくなってな……でも、そのまま出したんじゃ芸がない。それでサンマーメンを作ろうと決めたんだ。なんつーかまぁ、今回は『誰も死ななくてよかった記念』だよ」
ああ、そうだ。誰も死なないで、本当によかった。
人は笑って、泣いて、怒って、寂しがって、色々な事があって日々を過ごす。
その中でも人の死は、もっとも悲しくて取り返しがつかない事だ。
……『誰も死ななくてよかった記念』か。
平和な日常、平和な世界。それが、戻ってきてくれた。
まさしく、祝うに値する出来事じゃないかっ!
レンは照れくさそうな表情で、白い歯を見せて親指を立て、ニカっと笑った。
「と言うわけで、今夜はここまで! 次のラーメンも、楽しみにしててくれよな」
オーリ、ブラド、マリアが帰った後で、私はカバンを取り出しながらレンに言う。
「レン。テンザンの荷物から、めぼしい物を持ってきた。好きな物を持って行ってくれ」
「えっ。俺が貰っちまっていいのか?」
「うむ。テンザンの望みだからね」
言いながら私は、ヤタイのカウンターに物品を広げた。
宝石や金貨、短剣や魔術書などの高価な品々が並ぶ……コンパクトで持ち運べる宝物は、旅をする上で欠かせない財産である。
レンは私の横に座り、それらをしばらく手に取ったり、眺めたりしてから言った。
「……お。これ、いいな」
レンが選んだのは、白くて小さな虎の彫刻だった。手のひらサイズで丸っこく滑らかで、上部に紫色の紐が付いており、目には青緑の宝石が埋め込んである。
それを見て、私は言う。
「ああ、それか。初めて出会った時、私を助けるためにテンザンが虎を殺してな……その牙を切り落として素材にし、彼が彫った彫刻だ。素人仕事なので美術品としての価値はないが、目の部分に火刑石という鉱石が嵌っている」
「そりゃ、どういう石なんだ?」
「光によって色が変わる、珍しい宝石だよ。太陽の下では緑色なのに、火に照らすとルビーのように輝くのだ。デ・フィラメ・イルゾ・メライズ!」
私は魔法で指先に、小さな火を灯した。
すると虎の目は、青みがかった緑の輝きから、鮮やかな赤へと変化する。
ゆらゆらと揺れる炎の中で、レンは美しく輝くミニサイズの虎の瞳を、しばし見つめた後で言う。
「……うん。いいじゃねえか。よし、決めた。こいつにするぜッ!」
「ひとつでいいのかい?」
「十分だよ。色が変わる所が面白いし、テンザンさんのお手製ってとこも気に入った」
言いつつレンは、ポケットから『ツイッター』とかいう薄い板を取り出して、その角に彫刻の紐を結んだ。
「へへっ、新しいストラップだ! ありがとな、リンスィールさん」
「ああ、なかなか良い品を選んだね。きっと、テンザンも喜ぶよ」
レンの掲げた小さな白虎を前に、私たちは笑いあった。
風邪ひいて更新が遅れました……。
ぼーっとしながら描いたので、後日に大幅な書き足しあるかもです。
面白かったら、ブクマ、ポイントお願いします。
次回、Another sideであの二人がファーレンハイトにやってくる……?




