『ラメン』の呼び名
レンが腕組みをして、ブツブツと呟く。
「カンクォリ……コーヒー……カンコー……あっ、『缶コーヒー』か!?」
ポンと手を打ち言ってから、レンは大笑いを始めた。
「ふっ、くっくっく……あはは、あーっはっはっはぁ!」
いきなり笑い出す彼に、私たちが目を丸くしているとレンが言う。
「ぷくくく……いや。今の話を聞いて、親父の喋り方を思い出しちまったんだよ。親父は巻き舌で、長音を省略するクセがあったからさ……『はいよ、お客さん。ラァメンいっちょう!』、『レン、カンコォヒ買ってきてくれや!』ってな」
レンは楽しそうに、ラァメンの『ァ』の部分を、一瞬だけ発音する響きでそう言った。
……ああ、そうだ。これは、タイショの喋り方だ!
私も笑った。
「ふふっ、懐かしいね! まだニホン語に不慣れだった私たちには、『ラァメン』の『ァ』が聞き取れなかった。それで、タイショの料理は『ラメン』と呼ばれるようになったんだ……しばらくしてから微妙なニュアンスがわかるようになったけれど、その頃には『ラメン』と言う名が定着した後でね……」
オーリが目を細めて言う。
「俺らのことも、リンシル、オォリって呼んでたなぁ!」
レンが言った。
「なあ。親父が持ち込んだ商品って、他にもなにかあるんじゃないか? ナンシーさんは、どんな物を売ってたよ?」
聞かれて、私は思いを巡らす。
「ふむ。今思えば、ナンシーの売り出す新商品は、どれも不思議なアイテムだった……きっと、タイショにもらったアイデアで作っていたに違いない! 売れた物もあれば、まったく売れなかった物もある。タイショが消えてから商品化された物も……我々の技術では再現が難しく、数年のラグが生じたのだろうな」
ブラドが、いい具合に冷めたコーヒーのグラスを、マリアに渡しながら言う。
「あれは、けっこう売れましたよね? パンの中に甘く煮つけた豆のペーストを入れた、『アンパン』!」
マリアがコーヒーを飲みながら、嬉しそうに言った。
「あった、あった! お義父ちゃんが、よく買ってきてくれたわね……牛乳と一緒に食べると美味しいんだ。このインスタントコーヒーとも、合いそうな味なの!」
オーリが頷く。
「アンパンは、手ごろな価格だったからな。おめえらのオヤツにちょうどよかった。それと、貴族向けの高い酒を、庶民にも手が届くよう蓋つきのコップに入れて売る、『ワンカップ』も人気あるよな? 今でも祭りの時とか、よく売れてるぜ」
私も声を出した。
「ああ、ワンカップ! なにか良い事があった日や、賭け事で勝った日、給料日などに買う客が多いね。もちろん、トータルで見れば一瓶で買う方が安いのだが、ちょっと背伸びすれば買えるというのは、とても大きい」
ブラドが、にこやかに笑って言う。
「だけど一番売れたのは、やっぱり『ウノ』でしょうね」
レンが驚いた声を出した。
「ウ、ウノ……? それってもしかして、カードゲームか!?」
私は頷く。
「そうだよ。非常にシンプルなルールなのだが、戦略性が高くてね。ナンシー商会が付き合いのある行商人や、キャラバンを中心に広めたのもあって、今では世界中どこの酒場でも、ギャンブラーたちはこぞって『賭けウノ』をやってるよ」
レンは引きつった顔で言う。
「そういや家族で熱海に行った時、旅館でウノをやったっけ……お、おおう。中世ファンタジーな酒場のテーブルで、『ウノ!』とか『ドロフォー!』とかやってんの……? すげえ世界観だなっ!? にしても、アンパンにワンカップにウノって……親父、くっだらねえもんばっか異世界に持ちこんだなぁ!」
それから、苦笑しながら呟いた。
「ま、親父らしいと言えば、親父らしいぜ……蒸気機関、金属工学、電子通信、兵器、航空機、ダイナマイト。俺らの世界には、世界そのものを変えちまうような技術も多い。でも、こっちの世界の連中には、俺らの歴史と同じ失敗して欲しくねえし、俺や親父みたいな『ラーメン馬鹿』が持ち込む物なんて、それくらいがちょうどいいのかもな」
と、マリアが遠い目をして、ポツリと言う。
「ナンシーさんかぁ……あの人、タイショさんのことが『好き』だったのよね」
それを聞いて、私はすかさず声を上げる。
「タイショのことは、みんな好きだった。私もオーリも大好きだったぞ!」
するとマリアは、呆れたような顔で言う。
「んもう……そういうんじゃなくって、恋愛感情の『好き』ってこと。リンスィールさん、恋愛に関してはほんとダメダメねえ!」
彼女はニマっと笑うと、オーリに視線を向ける。
「そんで、お義父ちゃんはナンシーさんのこと、ちょっと気になってたでしょ?」
私は驚いて声を出した。
「えっ!? そうなのか、オーリ……全然、気づかなかった!」
オーリは、うろたえながら言い返す。
「バ、バカ言ってんじゃねえや、リンスィールっ。誰が好きなもんかよ、あんなババア!」
ブラドが、首を振って言った。
「義父さん、それは墓穴です……マリアは『気になってた』と言っただけで、『好き』とまでは言ってませんよ」
オーリの顔が、真っ赤に染まる。
マリアは悪戯っぽく笑って言った。
「うふふ。あたしたち子供は、みーんな知ってたもんねー? 夜はベッドの中で、誰と誰がくっつくかって、ずーっと話し合ってたもん! ……でも、タイショさんは異世界の人だし、奥さんも子供もいるでしょ。だから、ナンシーさんは自分の心を打ち明けられなかったんだと思うの……それがまた、切なくてねえ!」
オーリがマリアの手からグラスを奪い取り、ゴクゴクと飲み干すと顔をしかめて言った。
「……けっ。お前ら、マセガキだったんだなぁ!」
「お義父ちゃん、よくナンシーさんをご飯に誘ってたわよね。『よう、ナンシー。晩メシ作りすぎちまったから、食ってけよ!』って……」
オーリは、空になったグラスを見つめて言う。
「昔はナンシー、貧乏だったからな。結婚の約束した男に騙されて、借金まで抱えてよ……冷たい雨の降る夜に、びしょ濡れになりながら屋台の前をトボトボ歩いててなぁ。俺っちとタイショが呼び止めて、ラメンを食わせたのが出会いだった」
「で、今度はあたしたちが貧乏になって。反対にナンシーさんに、いっぱい助けてもらったわ」
ブラドも頷く。
「うん。新商品の試作だから遠慮しないでいいのよって、食べ物や遊び道具を沢山くれたね! 『黄金のメンマ亭』をオープンさせる時も、仕入れでずいぶん世話になったよ」
マリアが頬杖をついて言った。
「タイショさんがいなくなってから、ナンシーさんは商売で大成功して裕福になった。でも、いっつも寂しそうにしていたわ! お義父ちゃんはチャンスなのに、そんな傷心のナンシーさんに告白するのは卑怯だって思ったみたいで、結局想いを伝えないまま二十年も経っちゃって……もう、もどかしいったらないわよ!」
レンが、感慨深げに言った。
「……親父の日記には書いてない事が、色々とあったんだな。知られざるロマンスってやつか」
なお、タイショが持ち込んでナンシーが商品化した現代アイテムは、あと7品ある模様。




