Another side 10
レンは帆布を張ったビーチチェアに寝転がり、海を眺めてボーっとしていた。
その隣には同じくチェアに寝そべった、銀髪隻腕で日本人の魔術師、サラがいる。
太陽は高く、昼に近いことがわかる。
傍らに置かれたサイドテーブルには、空のジョッキと皿に、ポテトチップスの空き袋があった。
先ほどまで二人は、薄切りチャーシューとキュウリを辛味ダレで合えた『雲白肉』に、カニカマと卵の『なんちゃってカニタマ』。そして、ポテチのノリ塩味でビールを飲んでいたのである。
ちっこい木ベラを咥えたサラに、レンが言う。
「アイスクリーム、溶けてなかったか? 冷蔵庫のバッテリーが切れちまったから、残った氷に入れといたんだけどよ」
「ん、大丈夫。ちょっと柔らかくなってるけど……いやぁー、ごめんなさいね! 食後にひと眠りと思ったら、つい3時間も爆睡しちゃって」
レンは笑って言った。
「気にすんなよ。真夏に冷房ガンガンかけて、毛布被って昼寝するのは気持ちいいよなぁ!」
つられて、サラも笑う。
「うふふ。で、起き抜けに海を眺めてビール飲んで、おつまみ食べて……デザートにアイスクリームまで。ああ、極楽だわ! やっぱりバニラと言えば、この青くて丸い紙の容器よね」
アイスクリームを食べ終えたサラは、空っぽの紙容器に木ベラを放り込む。
しばらくしてから、静かな声で言った。
「ねえ……聞いて、レン。私ね、今まで向こうの世界のことは、もう自分とは関係ないって思ってた。だから『迷い人』を見つけた時や、あちらに返してあげる時も、できるだけ言葉を交わさないようにしてたのよ」
「……ああ。そういや初めて会った時、『ちゃんと日本語を話すのは数十年ぶり』なんて言ってたな」
サラは自嘲気味に言う。
「ええ。顔を見て『帰りたい?』って聞いて、頷いたら無言で帰れる場所まで連れて行って、話しかけられても無視をして……帰す直前に所持品を指さして、『これ、くれる?』って。その、2つだけ。ずっと平気だった。そう思ってた……でも、違ったみたい」
サラは身を起こし、大きくため息を吐く。
「本当は私、自分の心に蓋をして、寂しくないって強がってただけなのね……あなたと過ごしてみて、それがわかった。迷い人を向こうに帰してたのだって、日本との繋がりを途切れさせたくなかったからだし、市場に出回るあっちの小銭をなんとなく買い集めてたのも、きっと同じ理由だったんだわ」
「それで救われた奴もいるだろう? だったら、悪いことじゃねえよ」
レンの言葉に、サラはコクリと頷く。
「そうね。……そう思いたい」
だがしばらくしてから、絞り出すような声で言った。
「……だけど。い、いいなぁ。あの人たち、帰れていいな……やっぱり私も、日本に帰りたいなぁ!」
サラは顔を伏せて、グスグスと鼻を鳴らして身体を震わせる。
レンは立ち上がり、その背中にそっと触れて慰めるように言った。
「なあ、サラ。元気出せよ。また、いつでもこうして日本の食べ物を差し入れるから。連絡取りたい人がいたら、手紙を書きな。俺が渡してやる。そうだ、ドラえもんの単行本、持って来てやろうか?」
泣いていたサラは、最後の一言に爆笑する。
「ぷっ、あっははは! ド、ドラえもんって……このシチュエーションで、それ言う!? 確かに私、ドラえもん大好きだったけどさぁ! あーははっ!」
ひとしきり笑った後で、滲む涙の雫を拭って、海を見て眩し気に目を細める。
「あっはは……あーあ。あなたと一緒だと、私どんどん甘えちゃう。ねえ……私、あなたのことを友達だと思っていいのかな?」
レンは親指を立てて、白い歯を覗かせ笑った。
「俺はとっくに、そのつもりだぜ!」
「ふふふ。ありがとね、レン!」
サラも満足そうに笑った。
レンは風景を眺めながら、しみじみと言う。
「いいってことよ。しっかし、本当に綺麗な海だなあ」
元気を取り戻したサラが言う。
「そりゃあ、まあね。だってここ、人気のリゾート地だもん」
サラの言葉に、レンはキョロキョロと辺りを見回す。
「人気って……? えっ。俺たち以外に誰かいるのか?」
「いないわよ。だって、こっちの世界の話じゃなくって、あっちの世界での話だし」
「……どういう意味だ?」
「ここ、グアムよ」
「はぁ?」
首を傾げる彼に、サラは言う。
「だから。ここは、グアムなの。一年を通して温暖な気候で常夏のリゾート地として知られている、太平洋マリアナ諸島、南端の島よ」
レンは、ポカンと口を開けて固まった。
サラは少し考える顔を見せ、それから真剣な声で言う。
「そうね……。ちゃんと知っておいた方がいいかもね。ここ、『地球』なのだわ」
「……ちきゅう」
単語を繰り返すレンに、サラは頷く。
「そう、地球。ラテン語でテラ、英語でアース。太陽系第三惑星、地球よ」
ザザーン……ザーン……。
寄せては返す、波の音。
レンは突然、ガバリを立ち上がると、雄たけびを上げながらビーチを駆けていく。
「うっおおおおおおーっ!」
サラは目を丸くして、それを見る。
二十分ほどしてから、レンは息を切らせて戻ってきた。
「はぁ……はぁっ。な、なかった……」
唐突な一言に、サラはキョトンとする
「なかったって……なにが?」
「す、砂浜に自由の女神像。いや、自由の女神じゃなくてもいいんだけど……こ、壊れたプラスチックのオモチャとか、コーラの瓶とか、化石になったスマホとか、そういうの……」
サラはポンと手を打つ。
「ああ、文明崩壊後の新世界って奴? そんなのあるわけないわ」
レンは、ぜいぜいと荒い息を吐きながら言う。
「だ、だってよ。はぁ、はぁ……ここ、地球なんだろ……? ふぅ、ふぅ……。お、俺の知ってる地球には、ふひぃ、エルフもドワーフも魔法も存在してねえぞっ!」
サラはレンの息が整うのを待ってから、話を始める。
「……いい? かつて、『地球』には神話の時代があった。今の我々のような、人の姿の神々が支配した世界がね。その神が操る秘術のひとつに、『次元魔法』というのがあったのよ」
レンは、ビーチチェアに横たわりながら言う。
「か、神が使う秘術だとう……? 確か、この島にワープした時に、リンスィールさんもそんなような事を言ってたな」
サラは頷いた。
「そう、私が使ってるのも次元魔法。この世界で『神』と呼ばれる者たちが、残した術式を基にした魔法よ。伝承によると、神々は次元魔法を使って、『古き地球』とほとんど同じ『新しい地球』を産みだした。そしてこの世界を捨てて、そちらに移住したんだそうよ」
レンが、ハッとした顔で言う。
「え。ま、まさか……その移住先って、『俺たちの地球』か! つまり、俺たちの地球は『コピー』なのかよ!?」
だが、サラは首を傾げる。
「さて、それはどうかしら? 神話や伝承は、時に都合よく捻じ曲げられて伝えられるものだからね」
「ふうん。……でも、仮にその話が本当だとしたら、俺たちの先祖は神様なのかな?」
サラは上目遣いで言う。
「それについては、私なりの考察があるんだけど。……聞きたい?」
レンは頷く。
「ああ。聞かせてくれるか?」
そう言った、次の瞬間。
サラは目をキラキラさせながら、前のめりでレンにまくしたてる。
「そうね。まず、移住ってくらいだから、より良い環境を求めてやるものよね? 私たちの世界の人口や科学の発展度を見るに、明らかにこちらの地球を凌駕してる……だけど、地球環境という尺度で見た場合、こちらの方が生物の多様性に富んでいて、エルフやドワーフみたいな特異な人種もいる。物理法則を無視して空を飛ぶドラゴンや、人に姿を変える幻獣に、風より速い報せ鳥。エレメンタルを扱う力の源である『エーテル』も、向こうの地球には存在しないし……それと、魔族の存在も気になるのよね。人類に敵対し、戦争をしかけてくる魂だけの『不滅の種族』。あまりにも人工的で、不自然な性質を持ってると思わない!? あんな種族が自然に発生するかしら? 第一、こちらとあちらを繋ぐ次元の通路『ゲート』がおかしいわよ。こちら側の出入り口は世界各地に点在してるのに、向こうは日本ばかりに集中しているの。これは、『こっちの地球からあっちの地球』に移動する際に、移民のため世界中に入り口を作り、逆に出口を集中させたと考えれば、伝承を裏付ける有力な証拠になるかもしれない……まあ、逆もまた然りだけどね! それにコピーと言っても、完全に同一とも言い難いのは、『時差がある』ことからもわかるのよ。ファーレンハイトは、あちらの地図的にはヨーロッパに位置しているんだけど、日本とヨーロッパの時差はおよそ7時間なのに、あなたがこちらを訪れる時は、ほぼ同じ時間帯だったでしょ? それに――」
マシンガントークに、レンは目を白黒させ慌てた。
「お、おい。ちょっと待て!? 情報過多だ! ついてけねえよっ!」
サラは頬を染めて、レンに謝る。
「あ……。ご、ごめんなさい」
レンはあきれ顔で言う。
「すっごい早口だったな! いやぁ、サラさんの意外な一面を見たぜ」
「自分の研究を聞いてもらえるのが嬉しくって、つい……」
照れ臭そうに言った後で、遠い目をする。
「昔、私のこういう話を聞いてくれる人が『ヴァナロ』にいたんだ。無口な男でね。一緒にお酒を飲みながら、私が喋るのを嫌な顔せずに、ずーっと聞いてくれたの。あの頃は、本当に楽しかったなぁ」
「ヴァナロ! 味噌やとろろ汁の日本文化が受け継がれてる、極東の島国だったな。その人とは、今も会ってるのか?」
サラは残念そうに首を振る。
「ううん。多分もう、二度と会う事もないでしょうね」
「そっか、残念だな」
サラは咳払いしてから言う。
「ま、さっきの話を短くまとめると……必ずしも私たちの地球が、神々の移住先だったとは限らないのよ。実際は逆かもしれないし、『第三の可能性』も考えられる」
「第三の可能性。それは?」
「私たちの地球が、神にとっての『最初の地球』だったのかもしれないわ。そしてここが、『第二の地球』。さらにどこかの次元に、『第三の地球』が存在している……神は、最初の地球を捨て、第二の地球でも失敗し、第三の地球に移り住んだってこと」
レンは、パチンと指を鳴らす。
「なるほどな。理屈としては、それもありか」
サラはグーっと伸びをして、またビーチチェアに寝転がると気だるげに言った。
「向こうの世界で魔法を使えず、ひたすら科学を発展させる私たちは、果たして『神々の末裔』なのか……はたまた『神に見限られた残滓』なのか? いずれにしても、ここにも向こうにも神はいない。神は、死んだ……今いるのは、次元の狭間のプログラム。命を持たぬ『機械仕掛けの神』のみだわ」
美しい海を眺めながら、レンもあくび交じりで呟く。
「にしても、その神様も見る目ねえなぁ。こんなに綺麗で楽しい世界、なーんで捨てちまったんだろ?」
……二人だけのビーチには、静かな時間だけが流れていた。
ブクマ、評価で大喜び!
次回は……華麗なる『ラメン』




