焦げた三日月
ザーン……ザザーン……。
寄せては返す波の音。
ギラギラと照り付ける眩い太陽の下では、ヤシの木が深緑の葉を蓄えて風に揺れている。
見渡せば、コバルトブルーの海面と白く輝く美しい砂浜がどこまでも広がって……レンが振り返り、私たちに言う。
「さあ、ついたぜ。今日は、ここでラーメンを食おう!」
開いた口が塞がらない、とはまさにこの事である。
私たちは先ほどまで、暗くて寒い『真冬の路地裏』にいたはずだった。それが、レンの先導で角をひとつ曲がった途端、いつの間にか光あふれる『常夏のビーチ』に立っていたのだから!
固まる私たちを見て、レンが不思議そうに言う。
「おい……みんな、どうしたんだ?」
私は、ハッと気づいて叫ぶ。
「ど、どうしたもこうしたもなーいっ! 移動する際に、わずかに魔力を感じたな……ということは、ワープ魔法か!? 失われし古代の『ワンダーマジック』のひとつじゃないか! レン、君のいる世界ではワープなど珍しくもないのかもしれんが、我々の世界では瞬間移動は神話の世界の魔術なのだよ!」
レンは戸惑ったような顔をする。
「ええ……っ? い、いや。俺らの世界でも、ワープなんてできないよ。ただ、こっちは剣と魔法の世界だからさ。ほら、ルーラとかテレポとかマロールとかトラポートとか、そういう感じのが『有り』かと思ったんだ……『旅の扉』的な奴って言うの?」
私はレンの肩に手を置き、問いかける。
「なぁ、レン。少しは考えてみたまえ。こんな便利な技があるなら、エルフの里からアイバルバトに乗って、わざわざ一昼夜かけて王都まで帰る必要なかっただろう?」
レンは、ポンと手を打った。
「あー、なるほど。それもそうだな。言われてみれば、その通りだ……まあでも俺にしてみれば、幼女がデカい鳥に変身すんのも、その背に乗って成層圏まで行っちまうのも、言葉ひとつでボウルに小さな竜巻作り出すのも、全部同じくらいに常識外れになっちまうんだ」
お気楽な彼の言葉に、私はため息交じりで言う。
「……ふぅ。つまり、『これ』を成した人物は、君とは別にいるという事だね……会わせてくれるか?」
私の言葉に、レンはあっさりと頷いて指をさす。
「いいぜ。さっき、その人にラーメン食わせたばっかでよ。あそこの小屋にいるはずだから、みんなで挨拶に行こう!」
それは簡素で開放的な造りの、木造の小屋であった。近くにはヤタイが留めてある。
壁は一部が取り払われて椅子とテーブルが並べてあり、何のつもりなのか屋根には看板が貼ってあって、そこにはニホン語らしき字で『海の家』と書かれている……なんだこりゃ。
こんなヘンテコな小屋を建てるのは、どんな人物なのだろう?
一般には知られていない、技術や魔術を持っている輩……可能性として考えられるのは、人付き合いが苦手な賢者や研究者、あるいは戦争や暗殺を生業とする裏世界の者、または魔王軍の生き残りである。
レンのラメンは魅力的だ。食べれば誰でも心を奪われるし、どのような可能性も考えられる。
後者二つならば、レンに危害が及ぶかもしれない!
私は全身に緊張感をみなぎらせた。隣にいるオーリも、生唾をゴクリと飲み込む。はたして小屋から出てくるのは、どのような奴か……?
だがレンは小屋に入ると、手にメモらしき紙を持ってすぐに出てきた。
「悪い。どうも彼女、今は昼寝中らしい」
マリアが声を出す。
「……彼女? その人って、女性なの?」
「ああ、そうだよ。ここに俺らを招待するため、色々と苦労したみたいでな。疲れてるみたいだし、寝かせてやってくれないか?」
薄暗い小屋の奥には氷の精霊石が置いてあり、すぐそばで誰かが薄手の毛布をかぶって寝ているのが見えた。
……ふむ。もしも危険な人物だったらどうしようかと、つい身構えてしまったが。
こんなに大人数でドヤドヤ来てるにも関わらず、グースカ寝てるなどずいぶん呑気な御仁である!
どうやら、放っておいても問題あるまい。
私は頷きながら言う。
「そうか、残念だ。失われたはずの古代魔術を使える人物に、ぜひ会ってみたかったのだが……」
と、レンが笑って明るい調子で言う。
「また、紹介する機会はあるさ。いつもは彼女、ファーレンハイトにいるみたいだしな。それよりせっかく海に来てるんだからよ、バカンスとしゃれこもうぜ!」
マリアがはしゃいで言う。
「それもそうね! わぁ……海に遊びにくるなんて、何年振りかしら? 水着を持ってくれば良かったわ」
私たちは着込んでいた外套を脱いで薄着になると、キラキラと光る海へと駆けだした!
波打ち際でパチャパチャと水を掛け合ったり、砂像を作ったり、寝転がって日光浴したりと、思い思いに海を楽しむ。
特に、レンに教えてもらった『ビーチフラッグ』なる遊びは盛り上がった!
これは棒が一本あればできる、とても愉快なゲームである。
まず、棒を砂浜に突き立てる。プレイヤーはエルフの歩幅で25ほど離れた場所で棒と反対側を向き、うつぶせに寝る。合図係がスタートを切ったら棒に向かって走り出し、先に掴んだ者が勝ちとなる。
地面が砂浜なので思いっきりダイブしても痛くないし、ルールがシンプルで短い時間で全力を出せるのが気持ちいい……エルフは敏捷性に優れているため、トータルでは私が勝ち越した。
ちなみに最下位はオーリである。彼は脚が短いので、走るのはどうしても不利になるのだ。
暑い日差しの中、たっぷり遊んで喉もカラカラになった頃、レンがヤタイから奇妙な形の緑色の瓶を五つ、持ってくる。
「みんな、お疲れ! ラムネでも飲んでくれよ」
ひんやりと良く冷えた瓶を受け取り、飲み口を見て首を捻る。
「……おや? ガラス玉が嵌ってる。レン、これはどうやって開ければいいんだ?」
レンは手に凸型の小さな器具を持つと、自分の瓶を私たちの前で開けて見せる。
「いいか? これをこう持って……こうだッ!」
手の平を押し付けると、ポン! プシュー……シュワシュワシュワー。
レンは白い泡が零れ落ちる前に、瓶を持ち上げてゴクゴクと飲む。
「ぷはーっ。……な? やってみなよ!」
「ほほう、これは面白い!」
私は凸型を受け取り、早速自分の瓶へと押し込んでみた。
っポン! プシュ……シュワワー。
口をつけて飲んでみると……おおおっ!?
甘酸っぱくて香り高い液体が、喉をバチバチと弾けながら通り過ぎる!
なんとも爽やかで、胸がすくような快感だ。
柑橘類のフレーバーとクリアな酸味を感じる。
どうやら『ラムネ』は炭酸水を、レモンと砂糖で味付けした物らしい。
我々の世界でも夏場になると、レモン果汁とハチミツを溶かした飲料水が店先で売られるが、アレに炭酸が加わったと考えればわかりやすい。
ふむ……? しかし、中に入ってるガラス玉が邪魔だな。
瓶を傾けて飲もうとすると、転がって来て飲み口をふさいでしまう。おそらく、炭酸が強すぎて通常のコルク栓では噴き飛んでしまうため、中から抑える工夫をしているのだろう。
だが、喉が渇いてて一気に飲みたいのに、この仕掛けのおかげでちょっとずつしか飲めないぞ……。
ふと、隣のオーリを見てギョッとする。
なんと彼は瓶を垂直に近い角度まで持ち上げて、ゴクゴクと飲んでいたのである。
「おい、オーリ。そんなことをして、中の玉が邪魔にならないか?」
「ぐはーっ、うめえっ! ……ああん? リンスィール、瓶の形をよく見ろよ。ここんとこ、窪みがあって中が膨らんでるだろう? そこに玉を引っかけりゃ、いいんだよ」
ラムネを飲み干したオーリは、内部を指さして説明する。
「な、なるほど。流石はドワーフ、こういう仕組みには目ざといなぁ」
感心しつつ真似して飲んでみると、今度はしっかり飲み干せた。
マリアとブラドも私たちの真似をして、ラムネを飲み干す。
一息ついた我々に、レンは言った。
「じゃ、ラーメンを食べる前に、まずは一品。みんな、席についてくれ!」
テーブルと椅子は、申しわけ程度の日陰にあった。
ジリジリと照り付ける日差しは避けられるが、砂浜から押し寄せてくる熱波は避けられず、蒸し暑い。
そこに我々が座ると、レンはガラス製のジョッキに、以前飲ませてもらった『金色に透き通ったエール』をなみなみと注いで持ってくる……普通、ジョッキと言えば陶製か木製だが、透明なガラスとはなんと涼し気で風流なっ!
ずっしりと重いジョッキを掲げて、火照った身体に冷たく美味いエールを飲んでいると、レンがテーブルに人数分の料理を並べて、腕組み顎上げポーズで言う。
「夏と言えば、餃子だろ。俺は普段、餃子には白菜を使うんだが、夏場はサッパリ食べたいからキャベツにしてる。箸でひとつずつ持ち上げて、そっちのタレにつけて食ってくれッ!」
それは『焦げた三日月』とでも言うべき、奇妙な形の料理であった。
手の平サイズでふっくら膨らんでいて、三日月の部分は平たくて、反対側は真っ白でヒダがあり、我々エルフの耳にちょっと似ている。
それが五つ。くっついて、連なっている。
横長の皿の端っこには、『ギョーザ』と同じ形の窪みがあって、茜色の液体が溜まっていた。
「へえ、不思議なビジュアルの料理だね。どれ、海で遊んで腹も減ったし、ラメンの前菜として食べさせてもらおう」
私はワリバシを割って、ギョーザをつまむ。
まずは、このくっついてるのを優しく剥がして……。おお、これは中々『ワリバシ使い』の技術が要求される料理だな。レンの指示通りにタレをつけ……よし。
さあ、いただこう!
……むっ? た、大して期待せずに口に入れたが……ひょっとしてこの料理、ものすごーく美味いんじゃないか!?
ギョーザは小麦粉の皮の中に、ひき肉と野菜のみじん切りを包んだ料理である。
シャキシャキのジューシーな甘いキャベツに、脂たっぷりの豚肉とニンニクのパンチが効いている。ヤクミに生姜、香草の類も入ってるようだ。
秀逸なのはその焼き方で、三日月の焦げた面はカリカリと香ばしく、反対側は蒸されたようにもっちりしっとり柔らかい。噛むと肉汁と野菜の旨味あふれるエキスが勢いよく飛び出して、口の中が極上のスープでいっぱいになる!
タレはショーユがベースで、唐辛子油と酢が絶妙なバランスで配合されてる。ピリリとした辛味とすっぱい酸味が、やや油っぽい後口を引き締めてくれて、ギョーザにぴったりの味付けだ。
さらに素晴らしくは、黄金色のシュワシュワしたエールとの組み合わせである!
口の中に広がったギョーザの油を、苦み走った冷たいエールがすっきり洗い流してくれて……た、たまらーんっ!
カリ、もち、ジュワー。そして、ゴクゴク。
五個が四個に、四個が三個に、三個が二個に……あっという間に、最後の一個。
もう、なくなってしまう!
ゆっくり食べないともったいない。
だけど、手が止まらない。
ギョーザを口に入れ、もぐもぐと噛みしめて飲み込んで、残ったエールをグイっと呷る。
……ふう、美味かった!
ジョッキをドンとテーブルに置き、余韻に浸る。
蒸し暑い夏の空気の中で、アルコールが全身にゆるゆると回り、じんわり汗が浮いてきた……。
とても、心地よい。
本当にすごい。レンの世界にはラメンの他にも、こんな美味しい食べ物があるのだな。
感動を分かち合いたくて、私は隣に座るオーリへと話しかける。
「いやはや。見事な味だった、ギョーザっ! オーリ、お前もそう思うだろう? ……って、どうしたのだ、オーリ!?」
どうしても夏のお話が書きたかったので、今回は禁じ手を使わせていただきました。
なお、作中でリンスィールがラムネ瓶のビー玉を「コルク栓では吹き飛んでしまうため」と考察してますが、間違いです。
人に話すとガセビアになっちゃいます。
実際は「ラムネから炭酸を逃がさないため」です。
気体の分子ってちっこいから、コルク栓だと少しずつ炭酸が漏れてしまうんですね。
コルクが弾けるのを防ぐだけなら、ハリガネで結ぶとかありますしね。
次回は……清涼なる『ラメン』




