Another side 9
ヤタイを引いたレンが歩いていると、老齢の男が路地の壁にもたれて待っていた。
彼の名は『テンザン』……遠い極東の島国から、主君の仇である『片翼の魔女』を追って、大陸に渡ってきた剣士である。
レンはヤタイを止めると手を上げて、笑顔であいさつする。
「よう、こんばんは! テンザンさん、ラーメン食うかい?」
テンザンは黙って頷いた。
レンは椅子を用意し、鍋を温めながら言う。
「今日はベジポタとニボ系、二種類のスープがあるぞ。どっちが食いたい?」
テンザンは二つの鍋を交互に見やり、片方を指さしてから椅子に座った。
レンは頷く。
「よっしゃ、ニボ系だな」
レンは麺を茹でて丼にスープを注ぎ、ネギとチャーシューをトッピングしてからテンザンの前に置いた。
「ほいよ。ニボ系ラーメン、お待ちぃ!」
湯気の上がるラーメンを、テンザンはズルズルと音を立てて美味そうに食べる。
あっという間に平らげると、割り箸を丁寧に添えてレンに差し出し頭を下げる。
レンは空の丼を受け取りながら、話しかけた。
「……なあ。主君の仇ってのは、まだ見つからないのかよ?」
言葉は分からなくても、なんとなく意味は伝わったらしい。
テンザンはレンの顔を見つめて、深く頷く。
レンは渋い顔で言う。
「そうか……なんだっけ。『片田舎の魔女』とか、そんな感じの名前だったよな……? 俺も一応、魔女っぽい奴がいないか探してるけどよ。そもそもこの辺の路地って、ほとんど人通りがないからさ……」
テンザンは、フッと笑うと首を振った。
「ラメン、カタジケナイ」
その言葉に、レンは笑う。
「あはは。そういやこないだ、ヴァナロから来たって女の子が客にいてよ。その子も『カタジケナイ』って言ってたぞ! ありがとうって意味なんだって?」
テンザンは静かに立ち上がると、もう一度深く頭を下げて、暗い路地へと消えた……。
その後姿を見送り、レンが椅子を片付けようと持ち上げた、その時だ。
甲高い声が掛かる。
「おい。貴様、誰にゃ!?」
「……あん。『誰にゃ』だとぉ?」
そちらを見ると、真っ黒なマントに黒い帽子の女が一人、立っている。
レンは指さして叫んだ。
「あっ。その恰好、すっげー魔女っぽい! お前、まさか『片田舎の魔女』とかいう奴じゃねーだろうな?」
「か、片田舎の……? バカにするにゃーっ! うちは、王都生まれの王都育ちにゃ。それより、こっちの質問に答えろにゃ! なぜ、貴様がタイショのヤタイを持っている!?」
黒ずくめの女は肩を怒らせ、ツカツカと歩み寄りながら再び問いかける。
レンは、首を傾げてから言った。
「タイショのヤタイって……ああ、なんだ。あんた、親父の客だった人かよ」
「……親父だとう? えっ。じゃあ、貴様はタイショの息子かにゃ?」
レンは親指を立てて、白い歯を見せ笑って言う。
「そうだよ。俺の名前は、伊東レン! 親父の意思を継いで、異世界の連中にラーメン食べさせに来たラーメン職人さ!」
レンの目の前まで来た女は、拍子抜けした声で言った。
「にゃんーだ、そういう事か……で、タイショは今、どうしてるのかにゃ?」
「親父は死んだよ。もう、二十年も前になる」
聞いた女はしばし俯き、黙った後に震える声で呟いた。
「……そっか。タイショ、死んじゃったか。なんとなーく、覚悟はしてたにゃ」
レンは、女の服装を眺めながら問いかける。
「なあ。あんた、魔女じゃないのか? 全身黒ずくめで、すっげーそれっぽく見えるけど」
女は顔を上げ、首を振った。
「違うにゃ。うちは、アーシャ・ドゥオール。魔女ではない。『魔王』にゃ」
「ドゥオール……? もしかして、オーリさんとこの家族かよ? 魔王ってのは、一体なんだ?」
女は黒い帽子を脱ぐと、レンの手から椅子を奪って、それに座りながら言う。
「ドワーフのオーリ・ドゥオールは、うちの義父ちゃんにゃ。魔王は文字通り、魔族を統べる王のことにゃよ……。それより貴様、ラメンが作れるんにゃろ? うち、ラメン食べたいにゃ!」
帽子の中から出てきたのは、少女といっても過言ではないほど若く愛らしい娘だった。
赤目赤髪で額のあたりから小さなツノがピョコンと飛び出しており、頭には猫耳がついている……レンは、カウンターの裏に回りながら言う。
「おう。今、作ってやるよ。ベジポタとニボ系、スープが二つあるけどよ。どっちが食べたい?」
アーシャは鼻を引くつかせてから言う。
「ふーん。スープの味が選べるのかにゃ……? だったら今は、魚のスープが食べたい気分にゃね」
レンは麺を茹でてニボ系スープを注ぎ、トッピングを乗せて女の前に置く。
「はいよ。ニボ系ラーメン、お待ちぃ!」
女は割り箸を手に取り、いそいそとラーメンを食べ始める。
「……へえ。タイショのラメンとは、かなり違った味わいにゃ。ちょっぴり苦くて、不思議な感じ。量が少し物足りにゃいけど、これはこれで嫌いじゃねーにゃ」
レンは苦笑した。
「その、『にゃ』ってのは口癖なのか?」
言われた彼女はキョトンとする。
「えっ……。うちの喋り方、なんか変かにゃ?」
「ああ。ちょっと変わってる」
アーシャは長い尻尾をピンと立て、戸惑ったように言う。
「で、でも……このニホンゴは、一緒に暮らしてる『異世界人』に教えてもらったモノにゃよ……?」
「なに、異世界人だって!?」
アーシャは、割り箸で路地を指し示す。
「うん。二年くらい前にゃ。この辺りでボーっと突っ立ってるのを、うちが見つけた女の子にゃ。白くてガサガサした薄い袋に、お湯を入れると出来上がる不思議なラメンを持ってたにゃ。なんでも、『コンビニ帰り』に歩いてたら、いつの間にかこの路地に迷い込んでたらしいのにゃ」
「おいおい。わけもわからず突然こんなとこに放り出されたんじゃ、大パニックだろう! 家に帰りたがって泣いてるんじゃないか?」
アーシャはラーメンを食べながら言う。
「うちもそう思って、元の世界に返す方法を探してやろうと思ったにゃ……もぐもぐ。でも、彼女はあっちの世界には絶対に戻りたくないって言ってるにゃ」
「ええっ。なんでまた?」
アーシャは頭の猫耳を、ピコピコ動かしながら言う。
「うーん? よくわかんにゃいけど、『ユーチューバー』とか『エンジョー』とか『ミバレ』とか『ジンセイオワタ』とか言ってるにゃ……とにかく、向こうの世界に戻るくらいなら死ぬって言ってるのにゃ」
レンは腕組みをして言う。
「帰る方法がどうこう以前に、家に帰りたがっていないのか。困ったもんだなぁ!」
アーシャは、ズズーっと音を立ててスープを飲むと、大きく息をついた。
「ぷはーっ。……うちはタイショが大好きだったから、異世界人には親切にしたいのにゃ。ほっとくわけにもいかねーし、仕方にゃいから家に連れて帰って面倒みてやってるにゃ」
「なるほど。で、その子も『にゃあにゃあ』言ってるのか?」
アーシャは上目遣いで、若干しょんぼりしながら頷く。
「うん、言ってるにゃよ……? タイショの喋り方となんか違うってわかってたけど、『最近のニホンゴは、こういう喋り方なのにゃ。アーシャはネコミミついてんだし、大正義にゃ!』なんて言われて、素直に信じてしまったにゃ。一生懸命ニホンゴ勉強したのに……うち、騙されちゃったのかにゃあ?」
彼女の頭の上で、猫耳がもの悲しく垂れ下がる。
レンは、少女二人が向かい合ってにゃあにゃあ言ってるのを想像し、また、『魔王』なんて名乗ってる輩があっさり騙されてたことが面白くって、つい笑ってしまった。
「あっははは! 魔族ってのは、肌が紫色で羽が生えててズル賢いイメージだったけど、そんなこともねえもんだな!」
するとアーシャが言う。
「ああ。それは『悪魔』にゃね」
「ん……? 魔族と悪魔は違うのか?」
レンの疑問に、アーシャはチャーシューを齧りながら首をブンブン振った。
「全然、ベツモノにゃ! 魔族はいわば、『魂だけの種族』なのにゃ。魔族は死ぬと魂だけになる。そして他種族の胎児の身体を乗っ取り、生まれてくるのにゃ。ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ノーム、オーク、ホビット、ビースト、オーガ、ダークエルフ……主に、『一定以上の知能を持った種族』を依り代とするにゃ。魔族かどうかは8歳ぐらいになるまで本人に自覚もなく、見分けもまったくつかないにゃ。魔族は成長するとツノが生え、大人になる前に成長が止まり、『覚醒』すると前世の力と記憶を取り戻して完全体になるのにゃ!」
なんだか、オカルト染みた種族である。
レンは思わず感心した。
「へえ。つまり、ある程度大きくなるまで他人の親に面倒みてもらうのか……知らないうちにその家の子供とすり替わるなんて、まるでカッコウの托卵だな。ちょっと怖え」
アーシャは麺を食べきりスープを飲み干すと、ラーメン丼をカウンターに上げて説明を続ける。
「ふぅ、美味しかった……親にしてみれば、魔族は我が子の魂を殺し、身体を乗っ取ってる存在にゃ。当然、憎い。だけど、今まで育ててきた情もあるし、身体は自分の子の物だから殺すのもためらわれる。結果、魔族の子は判明した時点で、捨てられることがほとんどにゃ」
「なんつーか、気の毒な種族だな。じゃあ、悪魔はどう違うんだ?」
「悪魔ってのは、魔族の魂が『混沌』に染まった存在にゃ。魔族が覚醒する前の子供のうちに、何度も死んだり殺されたりを繰り返すと、そのうち悪魔になってしまうにゃ。こうなると無機物を依り代に独自の身体を得て、人外の存在となるのにゃ! 魔王の統制からも外れた、いわば埒外の存在にゃね」
アーシャは黒い帽子を被り、マントを着直すと、遠い目で無人の暗い路地を眺めながら言った。
「魔族の『覚醒』は、精神に多大なショックを受ける事で起こるのにゃ。アーシャも、この路地に捨てられて孤児になった……二十年前は今と違って、ここは汚くて荒んでいたにゃ。路地裏の子供たちは、誰もがお腹をペコペコに空かせてたにゃあ」
それからレンの瞳をジッと見つめて、感慨深げに言う。
「あのままだったらきっと、みんな遠からず死んでたにゃ。うちは魔族だから、普通の子供より身体が強い。皆が死んでも、うち一人だけが生き残ったに違いないにゃね。そして腐りゆく仲間の死体に囲まれて、絶望と哀しみと怒りの中で、『魔王』に覚醒していた……はずだったにゃ」
アーシャは小さくゲップをし、立ち上がると言った。
「レン……って言ったにゃね? うちが魔王であることは、義父ちゃんやリンスィール、兄弟たちには秘密にしてるにゃ! みんなに余計な心配かけたくないからにゃあ。レンも、絶対に言うんじゃねーにゃ?」
レンは、大きく頷いて見せる。
「ああ、わかった。内緒にするよ」
「うん。それじゃ、ラメンごちそうさまにゃ。さらばにゃ!」
そう言うとアーシャは背を向け、尻尾を揺らして去って行った。
この世界の魔族はめっちゃ嫌われ者ですが、そろそろ魔王未覚醒で20年なので、徐々に差別意識も弱まってきてます。
なお、オークとダークエルフはカオス信仰をしているため、魔族と近しい存在です。
なので魔族の子供も捨てずに、覚醒するまで大事に育てます。
戦争で魔王側についてたのもそれが理由ですね。
オーガも強者が正しいという文化のため、強い身体を持つ魔族の子供は、三本角と呼んで特別視します。
次回はタイトルは、出しちゃうと何を作るかモロバレなので秘密です。




