ブラドの想い
ブラドは、消え入りそうに掠れた声で言う。
「寝ても覚めても、ラメンの事ばかり考えていた。何度も挫けた。諦めようと思ったこともあった。でも、タイショさんのヤタイが大好きだったから……あそこは明るくて、路地裏なのにいい匂いで、みんな笑顔で……温かかったから」
ああ、そうだ。
人懐っこいタイショの笑顔。ヤタイに集まる気の合う仲間たち。
眩い光に照らされた、湯気を上げる熱々の美味しいラメン。
……今はもう、全てが遠くて懐かしい。
それらを思い出して胸が詰まり、私は黙り込んでしまう。
ブラドは深く俯き、言葉を続けた。
「タイショさんが僕たちの世界に来なくなってから、あの路地にはリンスィールさんと義父さん以外、誰も行かなくなった……。僕ら兄妹も、誰もいない真っ暗な路地は怖くて寂しくて、あそこには二度と行けなくなった」
私は頷いて同意する。
「うむ、そうだな。寂しいことに、タイショの常連は集まる数が一人減り、二人減り、そしてついには、私とオーリだけになってしまった……」
かつてのヤタイの常連たち。
チャックルズ。ナンシー。クエンティン。タルタル……その他の者も。
今や彼らのほとんどは、この町の有力者となっている。
大勢の部下や仲間に頼られて、忙しく毎日を過ごしていた。
二十年もの間、深夜の路地裏に集まって、訪れない者を待ち続けるなどできるはずがない。
そんな思いから、私はブラドに呼びかける。
「けれど、ブラド君。彼らを許してやって欲しい。彼らとて、決して薄情なわけではないのだよ」
ブラドは寂し気に笑って、首を振る。
「……そんな。薄情だなんて思いませんよ。二十年という歳月の長さは、僕自身が一番よく知っている。小さな子供だった僕が、こんなに大きな店を構えられるほどの長さです」
「おお、そう言ってくれるかね……? だが、あるいは常連だった彼らが、一角の人物として名を馳せた背景には、『タイショの消失』があったのかもしれないね」
チャックルズは、タイショからもらったヤクミを大切に育てて、広大な畑一面に増やして『大農場主』となった。
ナンシーは、タイショから製法を聞き出したナルトの工房を漁港の町に、メンマの工房を遠い東の地に作り、それらの交易を確立させて『女豪商』と呼ばれている。
タルタルは全てを忘れるようにひたすら研究に邁進し、国内外に『大錬金術師』としての名を轟かせ、その知識はブラドのラメン作りの役にも立った。
クエンティン卿などは、騎士団を率いて世界の各地にラメンを探しに行き、多くの国と交流を結び、王の信任を得て『騎士団長』の位にまで上り詰めた。
みんな『何か』に縋って、がむしゃらに日々を生きていた……そうしなければ、耐えられなかったのだ。
ブラドは鼻をすすり、涙を袖でぐしぐしと擦ってから言う。
「ボロボロに傷つき飢えていた僕らは、タイショさんのラメンに救われました。タイショさんは憧れの人で、命の恩人です……だから僕は、タイショさんがいなくなってから、ずっと思ってたんだ。またあのヤタイみたいに、美味しいラメンがあって、みんなが笑顔で集まれる場所を作りたいって……。でも……っ!」
孤児時代の辛い記憶を思い出したのか、マリアもシクシクと泣き出した。
ブラドがまた、嗚咽交じりに涙を零す。
「……ど、どうやってもッ! ……どれだけ考えても。どんなに一生懸命に作っても。必死で手を伸ばしても……二十年間……。ぼ、僕のラメンは、タイショさんの味には届かなかったんです……。そ、それが今、ようやく……っ!」
心の中に『想い』を抱えて、ずっと頑張っていたのだな。
もう一度、光あふれる皆が笑顔で集まれる場所を作りたくって。
タイショのような、優しい人になりたくて。
思い出のラメンの味を、必死で追いかけてきた。
レンが鼻をグスリと鳴らし、涙声で言う。
「……ブラド。ラーメン、完成してよかったな!」
ブラドはレンに向き直ると、その手を握りしめて真っ直ぐに頭を下げた。
「レンさん。僕らの世界に来てくれて、本当にありがとうございます。あなたがいなければ、僕のラメンは完成しなかった! これで……これでやっと、満足のいくラメンが店で出せる……このラメンならば、あの頃みたいにみんなが笑顔で集まれる……っ!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、嬉しそうにブラドは笑った。
オーリがブラドを力いっぱいにガシリと抱きしめ、叫ぶ。
「ブラドっ! ……よく頑張った。おめえ、偉えや。さすがは俺の自慢の息子だよ、ドワーフの名にかけてな」
感極まったマリアも、ブラドに抱き着く。
「に、兄ちゃぁん! よかったねぇー!? 念願のラメン、完成してよかったねえ! ごめんね……あたし、兄ちゃんがそんなに悩んでるなんて知らなかったの……。あたしってば、いっつも能天気でさ。全っ然気づかなくって……ほんと、ごめんねーっ!」
ブラドがマリアの頭を撫でながら言った。
「なにを言ってるんだよ、マリア。お前が隣で笑っててくれてたから、僕は二十年も頑張ってこられたんだぞ」
オーリも頷く。
「ああ、その通り。マリア、おめえの明るい笑顔にゃ、いつだって元気をもらってた。リンスィールも、ありがとな。お前が俺たちを支えてくれなかったら、今日という日は来なかったろうぜ!」
私は、笑って手を振った。
「なんの、我らの仲ではないか。しかしまさか、こちらの世界で『タイショのラメン』が食べ放題になるとはね……なんとも嬉しい驚きだ! ブラド君。きみのラメンは、すぐ評判になるだろう。かつての常連たちも聞きつけて、この店に集まるに違いない!」
その夜、私たちは泣いて笑って抱き合って、ブラドのラメンの完成を大いに喜んだのであった……『黄金のメンマ亭』に栄光あれ!
みなで感動を分かち合った後、ブラドとオーリは厨房の片づけを、私とマリアはレンの見送りに出た。
そしてレンをいつもの路地まで送り、マリアと一緒に『黄金のメンマ亭』まで夜道を帰る途中である。
マリアがポツリと、こんなことを言った。
「……ねえ、リンスィールさん。レンさんって、こっちの世界の女の子に興味あると思う?」
突然の質問に、私は驚く。
「なんだねマリア、藪から棒に……あ。でもそう言えば前に、レンが妙な事を言っていたな。確か、異世界人との恋愛がどうとかって……?」
「えええっ!? ちょっと詳しく聞かせてくれる?」
「む、いや……」
私は一瞬、躊躇する。
だがまあ、別に口止めされてるわけでもないので、話してもいいと判断して口を開いた。
「あくまで、『仮の話だ』と前置きされた上でだが、レンに異世界人との恋愛をどう思うか聞かれたことがある」
「それでリンスィールさん、なんて答えたの?」
「少し考えた後で、『大変に難しいだろう』と答えたよ」
するとマリアは、思いっきり不満気な顔で言う。
「えー? なにそれえ、もっと気の利いたアドバイスしてあげればいいのに。……んー、でもさ。レンさん、そんな質問するってことは、こっちの世界で恋愛する気あるのかな?」
私は肩をすくめて見せる。
「さあね。もっとも、レンが自分の世界に帰る前に、他の誰かと会っていても、それは私たちにはわからない……現にエルフの女王様とも、知らない間に親しくなっていたしね。もしかしたら私たちの気づかない所で、交友関係を広げているかもしれないよ」
それを聞いたマリアはハッとした顔で立ち止まり、月明かりに照らされた石畳を見つめて呟いた。
「……あ、そっか。こっちの世界で、あたしたちの知らない場所にレンさんの恋人がいる……? そ、そういう可能性も、あるのよね……」
今年は冷夏ですねえ、涼しくて過ごしやすいです!
僕は夏になると、タヌキやっこが食べたくなります。
お豆腐に刻みネギとキュウリと揚げ玉とカニカマとワカメ乗せて、めんつゆドボドボかけてワサビを薬味に食べる冷奴です。
次回……Another side 9




