転生する『ラメン』
ここは、『黄金のメンマ亭』のテーブル席である。
椅子には私とマリア、そしてオーリが座っている。
レンとブラドはラメンを作りに、厨房に向かった。
オーリがそわそわしながら言う。
「俺っち、あいつら二人といる時は、ずっと通訳やってたからよぉ。やっと、完成品が食えるんだな……リンスィール。俺はこの一杯をお前さんと食いたくて、ずーっと待ちわびてたんだぜ!」
その言葉に、私は首を傾げた。
黄金のメンマ亭のラメンならば、もう何度も食べてるだろ。
改めて食べなくっても、味くらい分かるじゃないか!
と、レンとブラドがやってきた。
彼らが食卓に置いたのは、ホカホカと湯気をあげる『ラメン』である。
スープは澄んだ褐色で、メンは中細に縮れている。
具材はヤクミ、チャーシュ、ナルト、メンマ。
いつも通りの、なんの変哲もない、ただの平均的な『普通のラメン』だった。
ブラドがニコニコ顔で言う。
「さあ、お熱いうちにどうぞ!」
私とマリアと顔を見合わせ、戸惑いながらもワリバシを手に取る。
まあ、『ニボケイラメン』は少なめだったし、ベーシックな『チューカソバ』は私の大好物。
もう一杯くらいなら、食べられないことはない。
そう考えながらメンを持ち上げ、啜りこんだ、次の瞬間。
とてつもない衝撃が身体を貫いた!
「なっ!? これは……この味は……『タイショのラメン』じゃないかぁっ!」
いや。じっくり味わえばスープの風味とか、小麦の香り方だとか、細かなディテールがわずかに違う……一瞬、混乱してしまったが、どうやら基本は『ブラドのラメン』のようである。
ブラドは『タイショのラメン』をずっと目標にしてたから、両者の味が似てるのは知っていた。
だが、ここまで『本物』には迫っていなかったはずなのだ……タイショのラメンを10とするなら、以前のブラドのラメンの完成度は7割ちょっと。
対して、今のラメンの完成度は9割5分っ!
つまりもう、『ほぼタイショのラメン』と言ってもいいほどなのである。
前と比べて、何が違うかはハッキリしている。『旨味』だ。
じっくりと煮出された鶏ガラと魚介の裏から押し寄せる、スッキリしてて雑味がない強烈な旨味……レンの世界にある魔法の調味料、『カチョー』でしか出せない旨味が、なぜこのラメンから!?
汁っ気たっぷりのメンが、唇をチュルチュルと気持ちよく撫でる。
褐色のスープは熱くてしょっぱくて、まろかな鶏の脂がたっぷり溶け込んでいる。
メンは噛みしめるたびにプツプツと気持ちよく千切れ、小麦の香ばしさが口いっぱいに広がっていく。
ヤクミはシャキシャキと爽やかに、チャーシュの脂身はこってりと。
甘辛のメンマは歯ごたえがよく、ナルトはモチモチの口触りだ……具材を齧るたびに、ラメンの魅力が何倍にも高まって……額には汗が浮かび、息は白く濁って、食べる手がひたすら止まらない!
ああ、美味い。
これぞ私が求める、理想的な『ショーユラメン』の味だった。
私は夢中でラメンを食べ続け、アッという間に平らげる。
……そして、おお、なんとっ!
食べ終わった後の満足感も、タイショのラメンにそっくりだな……。
ドンブリを置き、満ち足りた腹を抱えていると、ブラドが真剣な顔で尋ねてきた。
「みなさん、僕のラメンはいかがでしたか?」
私はハッと気づいて、居住まいを正して口元をナプキンで拭いてから答える。
「うむ! 非常に素晴らしいラメンであった。まるでタイショのラメンのように、強烈な旨味に溢れていたぞ」
オーリとマリアも、それぞれが言う。
「リンスィールの言う通りだぜ。おめえのラメンは、タイショのラメンと同じくらいに美味かった!」
「うちのラメン、いつの間にこんなに美味しくなっちゃったのよ!? あたし、ビックリしちゃった!」
ブラドはレンに、嬉しそうに目配せをする。
そんなブラドに、私は問いかけた。
「ブラド君。向こうの世界から、レンにカチョーを持って来てもらったのかね?」
彼は、ゆっくりと首を振る。
「いいえ、リンスィールさん。そんな事はしていませんよ」
その答えに、私は驚く。
「ならばあれほど強烈でクリアな旨味、一体どうやって出したというのだ!?」
レンが腕組み顎上げのポーズで進み出て、ニヤリと笑った。
「どうやって、このラーメンを完成させたか。俺が説明してやるよ。みんな、厨房に集まってくれ!」
全員が厨房に入るとレンは、小さな壺を持って来て我々の前に置いた。
「あのスープの強烈な旨味の正体……その答えは、こいつだ」
彼が蓋を取ると、中には白い粉末が入っていた。
やや緑っぽい色で、粒が細かくてサラサラしている。
マリアが壺を覗きながら言った。
「これ、もしかしてカチョーかしら?」
レンは首を振る。
「違う、化調じゃねえよ。まあ、似たような物ではあるがな。これは昆布粉だよ」
彼は食材置きからコンブを手に取り、その中央部分を指さして言う。
「まず、良質な昆布の中央部分のみをハサミで切り取る。理由は、この部分がグルタミン酸含有量が一番多いからだ。そうして集めた昆布を、石臼で挽いて作った粉だぜ」
私は『コンブコ』をつまみ、舌にのせて味見してみる。
「ふむ? カチョーほど澄んだ味ではないが、舌に確かな旨味が残る……コンブを粉にするだけならば、特殊な技術も調合も必要ない。これはいわば、『天然のカチョー』と言ったところか」
「昆布粉は、グルタミン酸の塊だからな。こいつを醤油ダレに直接混ぜることで、ブラドのラーメンの旨味を一気に増強し、親父のラーメンに近づけたってわけだ」
マリアが叫んだ。
「えーっ、たったそれだけの工夫なの!?」
レンは両手を挙げて苦笑し、首を振る。
「いやいや、さすがにまだ続きがある。中央を切り取った残りの昆布からも旨味が取れるのに、捨てるのはもったいない……だから、こいつもスープに使う! だけどそのまま足したんじゃ、量が多すぎて昆布臭くなっちまう。そこでスープを、『二段仕込み』にする事にした」
レンは我々を、コンロの一角に誘導する。
そこには厚手の毛布に包まれた、大きな物体が置いてあった。
ブラドが布を剥ぎ取ると、なんと中から出てきたのはスープ用の大鍋だ!
どういう意味があるのか、周囲にぎっしりと石が敷き詰められている……。
蓋を開けると、中には金色のスープと大量のコンブが入っていた。
レンは、鍋を指さして言う。
「湯に小さな泡が出始めたら昆布を入れて火から降ろし、温めた石と一緒に毛布で包んで放置する。二時間たったらコンブを取り出し、湯を濾して鶏ガラやキノコ、香味野菜なんかの材料を入れて、改めてスープを作る。そうすると香りはいつもと変わらないのに、旨味がいつもの倍以上に加わったスープができるんだ」
マリアが首を傾げた。
「コンブでお出汁を取るなら、弱火で鍋を温めればいいんじゃないの?」
「どんなに弱火でも、鍋を直接火にかけると温度が上がり過ぎちまうんだよ。昆布ってのは、60度前後が一番旨味が出やすい。その温度をキープしながら温めることで、エグミや雑味をほとんど出さずに、旨味だけを抽出できるのさ……『低温調理』の技法だな。そして最後のダメ押しが、こいつよ!」
レンは厨房のテーブルから、赤黒い木片のような物体を手に取った。
私はそれを受け取り、マリアと一緒にまじまじと観察する。
「これは『マグロ干し』……いや、色が少し違うな。身も、わずかにしまっているようだ」
私の疑問に、レンが答える。
「こいつは、『マグロの荒節』だ。マグロの身を『燻製』にして、天日に干して作った物だよ。燻しのひと手間を加えることで、マグロ干しより熟成されて旨味が増してる。旨味成分のグルタミン酸が増えた分、イノシン酸も増やして釣り合いを取ったんだ。……スープの改良は、以上になる」
それからレンはブラドを見て、ニヤリと笑って言う。
「俺がやったのは、主に旨味の増強だけだ。やっぱブラドは、大したラーメン職人だな。独学であそこまで親父のラーメンに近づけるなんて、尊敬するよ!」
ブラドは、照れて頬を染めながら言った。
「そんな……レンさんが色々と教えてくれなかったら、このラメンは完成しませんでした。僕一人じゃコンブコも低温調理も、マグロのアラブシだって絶対に思いつかなかったでしょう」
仲良さげに互いを称える二人を見ながら、私はなんとも言えない不思議な気持ちになっていた……。
どうやら彼らは、この世界の食材を使って『ムカチョー』でタイショのラメンを再現してしまったらしい!
レンが、タイショの命日に作ってくれたラメンは、『タイショのラメンそのもの』だった。
あれは向こうの世界の材料を使い、向こうの世界の道具で作ったものを、我々の世界へと運んできたものだ。つまり、まったくの同一であり、同存在。
完璧なコピー品である。
しかし、このラメンは違う……。
私たちの世界の食材で、私たちの道具だけを使って作られたものだ。
小麦、鶏、コンブ、マグロ、豚肉、メンマ……このラメンの全部は、純度100%、交じりっ気なしに『我々の世界産』で出来ている。
それは決して、コピーとは呼べない。
コピーしようにも、足りない物が多すぎたからだ。
だが二人は足りない物を、知恵と工夫で補った。
このラメンは、タイショのラメンではない。
材料が違う。作り方も違う。しかし、『同質の存在』だ。
本質は受け継がれたままで、肉体だけが別世界の物へと置き換わる。
二十年前に失われたタイショのラメンが、この世界の物質だけで『再構築』された。
例えるならば、『ラメンの転生』とでもいうべき現象であった!
「お、おい……ブラドっ!」
そんな物思いに耽っていた私は、レンの叫びで顔を上げる。
見るとブラドが、俯いて肩を震わせていた。
マリアがオロオロと歩み寄る。
「ちょっと、ブラド兄ちゃん! 急にどうしたのよ!?」
ブラドの目から、涙がボロボロと落ちる。
それを拭おうともせずに、ブラドは絞り出すような声で言った。
「ああ、涙が止まらないや。やっと……やっと、ここまで来れたんだ。二十年間、必死で追い求めてきた。毎日毎日、ラメンのことだけを考えていた……タイショさんのラメンの味を……」
今回、お話が料理の説明ばっかになってしまったため、このまま載せるか全部書き直すか、最後まで悩みました……。
次回……ブラドの想い(仮




