未知なる食材『ニボシ』
全員が食べ終わってドンブリを置くと、レンが言う。
「さて、ニボ系ラーメンを食べた感想を……と言いたいとこだが、今回は俺から先に質問させてもらう。みんな、『煮干し』は見た事あるか?」
私たちは顔を見合わせ、首を振った。
するとレンは頷きながら、我々の前に小皿を差し出す。
「そうか。なら、知っておいた方がいいだろう。これが煮干しだよ」
小皿の上を見て、マリアが驚いた声を出す。
「わ、わっ!? カッワイィー!」
マリアは、ベビースライムだとかゾンビハンドだとか、小さな物をなんでも「カワイイ」と喜ぶ傾向があるので、『ニボシ』が可愛いかどうかは同意しかねる……だが、こいつが極めて興味深い素材であることは、間違いなかろう!
私は小皿からニボシを摘まみ上げると、ヤタイの光にかざして観察した。
「おお……これがニボシかね!? このような食材、初めて見たぞっ!」
ニボシは、『小魚のミイラ』とでも言うべき物体である。
カチカチに乾き切っていて、手の平にちょこんと乗る大きさで、形は『く』の字に曲がっている。
銀色に輝くメタリックな皮に包まれているが、背中だけ黒に近い深い群青に染まっており、真っ白に濁った丸い目玉が顔の窪みに嵌っていた。
私をあんなに大興奮させたイケない食材が、こんなに小さな魚だとは……!
ニボシをまじまじと見つめながら、私は言った。
「ふーむ? よく見ると、ひし形の鱗がみっしり生えてる。スープに浮かんだ銀粉は、この鱗が剥がれたものか……レン。これは、鰯の稚魚かね?」
レンは頷く。
「ああ、そうだ。煮干しは、カタクチイワシの稚魚を海水で煮て、天日に干して作ったもんだよ」
ブラドが声を出す。
「この大きさだと、我々の世界では食用にすることはまずありませんね!」
オーリが頷いた。
「だな。こんなに小せえと、持ち帰るのも面倒だし、そもそも網にかからねえ。もし獲れても釣り餌にされるか、その場で海に捨てられるだろうよ」
それにマリアも同意する。
「そうねぇ。もう少し大きければ、フライにしたりマリネにしたり、背骨を取ってオイル漬けにしたりと色々料理できるけど……こんなにちっちゃかったら、ネコちゃんや鳥のご飯にしかならないわ」
オーリが、ニボシを齧って言った。
「ふうん。ニボシってのは、かなりアクの強い食材なんだな……」
私も、ニボシを齧ってみる。
噛みしめるほどにじんわり旨味が滲み出るが、非常に硬くて食べにくい。苦味が強く、臭みとエグ味もあって、そのまま食べてもあんまり美味しくない。
齧り切った断面からは、干からびた肉と半透明の背骨が見えた。
レンが言う。
「実は親父のラーメンにも、この煮干しが使われていたんだぜ」
私は驚いて声を上げた。
「えっ、なんだとっ!? そんなはずないだろう? こんなに強烈な食材がラメンに入っていれば、すぐに気づいたはずだ!」
レンは、ニヤリと笑って応える。
「気づかなくっても当然だ。夏場に、ほんのちょっとの隠し味として、スープに加えていただけだからな。ムワッとした夏の夜の空気の中じゃ、煮干しの香りなんてほとんど感じなかったろう……だけど、そのおかげで暑い夏でもラーメンが美味しく食べられたんだよ」
「な、なんと……っ! タイショのラメンに、そんな工夫があったとはっ!」
つまり、先ほどニボシの香りを『懐かしい』と感じたのは、その時の記憶が無意識に刷り込まれていたからか……?
と、オーリが苦笑する。
「しっかし、『ニボケイラメン』は味については申し分ねえが、ちょいと量が物足りねえや! 俺っちにとっちゃ、オヤツって感じのラメンだな」
それには私も同意する。
「うむ。ボリュームについては、私も大いに不満がある! あんなに美味いのだから、もっとたくさん食べたいぞ」
レンが頷く。
「ああ、スープが少ないってんだろ? それには、ちゃんと理由があるんだ」
マリアが、おずおずと手を上げる。
「……それって、もしかして苦いから?」
レンが首を傾げる。
「ん? ……マリア、そりゃどういう意味だ? もうちょい詳しく聞かせてくれないか」
マリアは、しばしモジモジと迷う様子を見せていたが、やがて口を開く。
「ええっと。レンさん……気を悪くしないでね? あたし、ニボケイラメンのスープを飲んだ時、『この味は少し苦手だな』って感じちゃったのよ……」
マリアの言葉に、レンは平然と頷いた。
「なんだ、そういうことかよ! ブームを起こしたラーメンってのは、どこか極端で個性的。好き嫌いの分かれるもんが多い……味の好みは、人それぞれ。ちゃんと食った上での『苦手』なら、俺は気なんて悪くしねえ」
マリアはホッとした顔で続ける。
「ああ、よかった! それじゃ、説明するわね……あたしがメンを食べ終わった時、ドンブリにスープはほとんど残ってなかったわ。だから、あたしは苦手と感じたスープも全部飲み切れた。でも、もしも普通のラメンくらいスープが上まで入っていたら、きっと後半は苦みにうんざりして、飲みきれなかったと思うのよ……それが理由じゃないかなって思ったの!」
私は彼女に言う。
「ふむ。要は、クセがあって万人受けしないスープを、『誰もが美味しく食べきれる量』として、わざと少なくしてるという事か?」
マリアは頷く。
「ええ、そう。リンスィールさん、その通りよ」
マリアの言葉に、私は密かに感心した。
それは、かなり的を射た『答え』に思えたからだ。
だが、レンは腕組みをしながら言った。
「うん。スープを残されたくない、だから少なくしてる……ま、確かにそれも間違いではないぜ!」
レンの物言いに、私は首を傾げる。
「……なに。もっと他に、別の理由があるのかね?」
「ある! 聞けば誰もが納得する、単純かつ当たり前の理由がな。なんだかわかるかよ?」
ブラドも、首を傾げつつ言う。
「あんなに美味しいラメンのスープを、わざわざ少なくする理由ですって……? 皆目見当もつきません」
オーリも眉根を寄せて唸った。
「うーん、俺もわからん! 多くするならともかく、減らす理由があるとは思えねえっ」
「あたしも、さっきの理由以外に思いつかないわねえ」
我々はしばらく頭を悩ませるが、答えは一向に出てこない。
するとレンが意地悪くニヤニヤしながら、カウントダウンをし始めた。
「はい、あと三十秒~。チッチッチッチッチ……」
私は慌てて声を上げる。
「お、おい。コラ、レン! そういうのは、焦るから止めろ!」
「あと二十秒~。よっしゃ、じゃあヒントを出すぜ。このスープは、『無化調』だッ!」
ほほう、あの素晴らしいスープは、『ムカチョー』だったのか!
それは旨味の塊である、『カチョー』を使っていないということだな。
レンは以前、言っていた。ムカチョーを売りにしてるラメンは、カチョーなしで『濃ゆい旨味』を出すために、出汁を工夫したりコストをかけて、大変な努力をしていると……ということは、つまりっ!
私は、勢いよく手を上げる。
「あーっ、わかったー! わかったぞ、レン! このスープ、『値段が高い』のだろう!?」
レンは拍手しながら大きく頷いた。
「そう! リンスィールさん、大正解ッ!」
「や、やったー! わーいっ!」
両手を突き上げ、私は喜ぶ。
レンは、スープを指し示しながら言った。
「このスープには九十九里浜産の高級ニボシを、『嘘!?』ってくらい大量に使っている。だから普段のスープの倍近く、コストがかかる……いつもと『同じ値段』で客に出すためには、スープの量を減らすしかねえのさ。な? 驚くほど単純な理由だろ?」
私はニボケイラメンのスープの味を思い出し、大いに感銘を受ける。
「あの、とんでもない旨味に溢れたスープが、実はムカチョーだったとは……。いやはや、ラメンとは本当にすごいものだね! やり方次第でカチョーなしでも、あそこまでの旨味が出せるのだなぁ」
ブラドも感心した顔で言う。
「なるほど。カチョー並みの強い旨味を出すためニボシを大量に入れたら、スープに苦みが出てしまう。だけど、ニボケイはその苦みを逆手に取って、最大の魅力にしたわけですね?」
レンが頷いた。
「ああ。普通なら料理の苦みは短所になるが、ラーメンならば立派な『特色』になっちまう! 今回はシンプルに、煮干しと鶏ガラにコンブを使って、濁らせないようにあっさり目にスープを取った。だけど、こってりした白湯スープに煮干しを入れまくって灰色になった、『セメント系』なんてラーメンもあるんだぜ!」
オーリが、喉をゴクリと鳴らす。
「俺っちは、ニボシの味が気にいった! その『セメントケイ』ってのも食ってみてえよ!」
「みんなが食べたいなら、それもいつか作ってやるよ。マリアも、今は煮干しが苦手でも、人間ってのは急に味覚が変わったりする。いつか、好きになるかもしれないぜ。ま、それはそれとして……」
と、レンは意味深にニヤリと笑う。
「マリア、リンスィールさん。もう一杯くらい、食えるだろ……次のラーメン、行ってみるかい?」
その言葉に、オーリとブラドがガタリ、ガタリと立ち上がった。
オーリが、私の肩にポンと手を置く。
「おら、リンスィール! ボーっとしてないで、早く立て。うめえラメンを食いにいくぞ!」
ブラドが、マリアの手を取って引っ張る。
「さあ、マリアも行こう! 今夜は、僕らの記念すべき日になるに違いない!」
私とマリアは顔を見合わせ、困惑しながら言った。
「えっ。なんだと……食べに行くって、一体どこへ?」
「そうよ、二人とも! こんな深夜じゃ、空いてるレストランなんてどこにもないわ」
我々二人の言葉に、椅子を片付けたレンがヤタイを引きながら答える。
「どこに、ラーメン食べに行くって……? そんなの、決まってるじゃねえか! 『黄金のメンマ亭』にだよ」
ハンド君、とことこカワイィ〜!
ホラーコメディの超傑作、アダムス・ファミリー。
あんなに面白い映画が二度と地上波に流れないなんて、人類の大損失だ!
次回……転生する『ラメン』




