Another side 6
「ラーメン、食べさせてもらえる?」
レンが屋台を引いて歩いていると、後ろから声が掛かった。
振り返ると、そこには片腕銀髪の小柄な女性……サラが立っている。
レンは屋台を止めて、椅子を置きながら言う。
「おう、いいぜ! ただ、せっかく来てもらって悪いけど、今夜はベジポタが出せないんだ。できるのは……」
サラは、にっこり笑って言う。
「とんこつラーメンでしょ? 匂いでわかるわよ!」
レンは苦笑しながら頷いた。
「ああ、そうだ。この強烈な匂いが、ベジポタの風味を邪魔しちまうからな。豚骨スープしか用意してねえ」
サラは、椅子に腰かけながら元気よく注文する。
「麺の硬さは、バリカタでお願い!」
「はいよ、バリカタいっちょう! お湯とスープが温まるまで、少し待っててくれ……なあ、あんた。こっちの世界の人じゃなくって、日本人だろ?」
サラはしばらく黙った後で、素直に頷く。
「ええ、そうよ」
「ずいぶん馴染んで見えるから、最初のうちはわからなかったぜ。詮索するわけじゃねえが、ずっとこっちにいるのかよ?」
サラは頷く。
「うん。もう、三十年近くになるかな……こちらの世界に迷い込んでね。最初は行き来できたんだけど、色々あって帰れなくなってしまったの」
「そっか……。大変だったんだな。今でも、日本に帰りたいかい?」
サラは寂し気に答える。
「帰りたくないって言えば、嘘になる。だけど、こっちの世界にも慣れたしね。それに今さら帰っても、私の居場所なんて向こうにはないわよ」
「……俺にできる事、何かあるか?」
サラは、少し考えた後で言う。
「こうやって美味しいラーメン食べさせてもらえたら、十分かな……それとたまにでいいから、日本のお菓子や食べ物を差し入れてもらいたいわね」
レンがニヤリと笑って言った。
「こないだの、お湯かけラーメンみたいにか?」
「あっははは、そうそう! ねえ……あなたはどうして、この世界に来ているの?」
「ん、俺か? 俺は、本棚の奥から親父の日記帳を見つけてな……」
レンはサラに、父親である伊東太勝の事、この世界に来てから起こった事、友人のエルフとドワーフ、そしてレストランを営む二人の兄妹の事を話した。
「……で、俺はみんなに色々なラーメンを食べさせたくって、屋台を引いて、毎晩ここに来てんだよ」
「ふうん。それで、この町ではラーメンが名物料理になってるわけかぁ……ようやく謎が解けたわ!」
サラは身を乗り出す。
「でも、お父さんの願いはもう叶えたんでしょ? こちらの世界でラーメンを振る舞うのもお金が掛かるのに、なんで異世界通いをやめないの?」
レンはとびきりの笑顔で答える。
「そりゃあ、決まってる! こっちの世界のみんなが大好きだからだよ!」
レンは寸胴鍋のスープを、オタマでかき混ぜながら言う。
「みんな、いい奴らでよ。美味いラーメン食うと、嬉しそうな顔するんだ! リンスィールさんとか、マジでいい顔するよなぁ……あの幸せそうな顔を見てるだけで、こっちまで元気になっちまうぜ!」
それから彼は、どこか遠くを見るような目をして言った。
「ベジポタ以外のラーメンを作るのも修行になるし、味の感想を聞くのも勉強になる。金なんか問題じゃねえ。みんなとの出会いや体験は、俺を大きく成長させてくれてんだ。それに……ブラドがな」
「……ブラド? さっき話してた、黄金のメンマ亭のご主人?」
レンは照れ臭そうに言う。
「ああ。なんていうかさ……俺、あいつのラーメンを食って、嬉しかったんだ。黄金のメンマ亭のラーメンは、親父のラーメンによく似てた。この異世界で、『親父の魂が受け継がれてる』って感じたんだ」
レンは丼を用意しながら、真剣な声で続ける。
「ブラドは、すごい才能を持ったラーメン職人だよ。でも、あいつはずっと親父の影を追っている。親父のラーメンを求め、作り続けてる……俺は、ブラドが満足いく醤油ラーメンを完成させた暁には、あいつ自身のラーメンを見つけられるんじゃないかと思ってるんだ。俺は、そいつが食ってみたい!」
「彼自身のラーメン……それってつまり、あなたのベジポタラーメンみたいな?」
レンは深く頷いた。
「そう! 俺が見つけた俺のラーメンは、極上のベジポタだった!」
レンは小皿でスープを味見し、お湯に手をかざして温度をみながら言う。
「……直接教えを受けてなくたって、ブラドはきっと、親父の弟子みたいなもんだろ。ならば、俺とも兄弟弟子だ。なのに俺が知ってるラーメンを、ブラドが知らないのは、なんだか不公平じゃねえか? 俺は、俺が知ってる全部を、ブラドに教えるつもりだぜ」
それから、太ももをパンと打つ。
「よし……と、スープもお湯も温まったみたいだ。麺の硬さはバリカタだったな。すぐに作るから、待っててくれや!」
言いつつレンはスープを注ぎ麺を茹で、トッピングを乗せてラーメンを完成させる。
「ほいよ、バリカタおまち! 紅生姜と辛子高菜は、替え玉するまで入れないでくれよ」
湯気を上げるラーメンを前に、懐かしそうにサラは言う。
「わあ、この匂い、真っ白いスープ! 私、北海道生まれだからさ。最初にとんこつラーメン食べた時は、ホント驚いたなぁ!」
サラは割り箸を咥えて割ると、ラーメンを食べ始める。麺を食べ終わると替え玉はハリガネで、辛子高菜はちょっぴり、紅生姜はたっぷり入れて……やがてスープを飲み干すと、満足そうに息を吐いた。
「あーっ、美味しかったぁ! 久しぶりの豚骨ラーメン、大満足だわ!」
彼女は懐から、ボロボロの百円玉を五枚、取り出してカウンターに置く。
だがレンは、それを掴んでサラに突き返す。
「お代はいらねえ。こっちの世界じゃ、みんなにタダでラーメン食べさせてるんだ。あんたも遠慮しないで、食ってくれよ」
サラは首を振る。
「ダメ、受け取って。もうあっちには帰れないけど、私の魂は日本人のままだもの」
レンは彼女の表情を見て大きく頷き、百円玉を握った手を引っ込める。
「……わかった。それが、あんたの矜持なんだな? じゃ、ありがたく……毎度あり!」
サラは優しく笑った。
「それに、話を聞く限り……こっちの世界の人たちだって、タダで食べてる気はないと思うわよ? いつかあなたに恩返ししたくて、うずうずしてると思うけど?」
その言葉に、レンは苦笑する。
「まったくよお。俺は貸し借りしてるなんて、これっぽっちも思っちゃいねえんだけどなぁ」
サラは嬉しそうな声で言う。
「レン。私、また食べに来る。今度こそ、あなたのベジポタラーメンをね!」
「ああ、待ってるぜ!」
レンは笑って、空になった丼を片付けて……ふと顔を上げると、サラの姿は消えていた。
「……うーん。相変わらず、神出鬼没だな」
煙のように消え失せてしまったサラに、レンは首を捻りつつ椅子を片付けようとする。
と、今度は暗がりから、フードを被った女エルフが歩み出てきた。
「おーう、あんたかぁ! しばらく姿が見えないから、心配してたよ。ラーメン、食うだろ?」
なにやら真剣な顔した彼女に、レンは笑顔で手招きする。
すると、そのエルフ……アグラリエルは、嬉しそうにコクコクと頷きながら寄ってくる。
「アイシェ……? アイッシェーっ!」
「まだスープもお湯も熱いから、すぐに作れるぜ!」
いそいそと椅子に座りながらフードを脱ぎ、エルフの女王は注文する。
「ヤサイマシマシニンニクアブラ!」
レンは、呆れたように苦笑する。
「またかよっ!? ……でも悪いが、細麺はすぐ伸びちまうから大盛はできないんだ。まあ、替え玉で腹いっぱいにしてやっから。なあ、麺の硬さはどれがいい? 普通から始まって、硬い方がカタ、バリカタ、ハリガネ。柔らかい方がヤワ、バリヤワになるぜ。おすすめは、普通かカタだ!」
アグラリエルはキョトンとし、少し考えた後で言う。
「……フ、フツー?」
「よっしゃ、普通だな!」
レンはスープを注いで麺を茹で、豚骨ラーメンを完成させる。
一方のアグラリエルは、立ち込める豚骨臭さにやや戸惑っていたが……目の前にラーメンが置かれると、躊躇なく割り箸を手に取って食べ始めた。
「ン、ンーっ!? ゼィカルビア、フォクストレンダー。メリッサレス、ザリーム、レンラメン!」
初めて食べる、とんこつラーメン。アグラリエルは目を丸くして、夢中で丼に顔を寄せる。
だが、すぐに麺を食べ尽くしてしまい、寂しげにスープをかき回す。
「オバ、ラル……? レゥイ、シュムレス、バシエルフ。……メルディ、ヤサイマシマシニンニクアブラ?」
だから、大盛にしてって言ったのに!
……そんな風に、恨めしそうな顔で上目遣いをしてくるアグラリエルに、レンは苦笑する。
「そんな顔すんなって! すぐに替え玉してやるから。ほら、硬さはどれがいい?」
レンは麺を片手に、鍋を指し示してジェスチャーする。
すぐに意図が伝わったようで、エルフの女王の顔がパッと輝き、少しだけ考えた後で言う。
「アー。……バァ、バァリカータ?」
「あいよ、替え玉バリカタいっちょう!」
レンは手早く麺を茹で上げ、アグラリエルの丼に滑り込ませる。
すると彼女は、ニコニコ顔で食べ始める。
レンは、次の麺を片手に言った。
「まだまだ替え玉は残ってるから、どんどん食ってくれよ!」
「アイッシェ! レ、レン……ラメン、オイシイ! タ、タクサン! バシエルフ、シアワセーっ!」
アグラリエルはズルズルとラーメンを食べ続け、レンは替え玉を作り続け、ついでにスープやトッピングまで追加してやる。
結局……アグラリエルはその後、八玉も替え玉して、レンの屋台に残っていた材料をほとんど食べ尽くしてしまった!
腹を真ん丸にして夢見心地で目を細めるアグラリエルに、レンが感心した顔で言う。
「いやぁー……好きに食えとは言ったけども。よくもまあ、そんだけ食ったなぁ!」
「けぷ。アイシェ……ドゥ、ラガ」
「あ。そういや屋台に来た時、妙に思いつめた顔してたけど……なんか、心配事でもあんのかよ?」
突然、アグラリエルはガバリと立ち上がる。
「アーッ!? ク、クラシェル、レンラメン……ハヌルホス、エル。ブラッシェ、ラーク!」
アグラリエルは、懐から懐中時計を取り出すとあわあわと指し示す。
「…………ワ、ワ、ワスレテタ。ジカン! ヤクソク、ジカン!」
「……時間? なんだよ、待ち合わせでもしてたのか? なら、急いだ方がいいんじゃないか?」
レンは言いながら、丼を片付ける。
しかし、アグラリエルは突っ立ったまま、どこにも行く気配がない。
「レン……! ロイプラテ、ステラ、エルフ! ヴァジェット、オリヘンド! ミスト、モスドラゴ、エルフバジ、レンラメン! ……ヴァロベティ、サモーラ、ルゥニング」
必死で訴える彼女に、レンは訝し気な顔で言う。
「おい。そっちの言葉で話しかけられても、俺にはわかんねえぞ?」
「ア、アウ……!? クゥ……クラッテ。エルタ、デスタッケ……っ!」
アグラリエルは涙目になって、ガックリとうなだれる。
何か伝えたいことがあるのだが、自分の言語能力が追い付かなくてもどかしい……と言った風だった。
だが彼女は諦めずに顔を上げると、ツカツカと屋台を回ってレンの前に立ち、その手を取った。
「レ、レン……!」
「えっ。はぁ? なんだよ、急に!?」
「レン、オネガイ」
アグラリエルは、通りの向こうを指し示しながら言う。
「レン、ヒツヨウ。レン、キテ」
「ああ……俺が必要だってえ?」
「アイッシェ。レン、ヒツヨウ」
アグラリエルは薄く涙を浮かべた目で、レンの瞳をジッと見つめながら訴えた。
「ラメン。ラメン……モット、ホシイ。ムコウ、ラメン」
一途な彼女に、ようやくレンも真面目な顔になる。
「えっと……よくわからんが。俺にできるのは、ラーメンを作る事だけだ。だがつまり俺のラーメンが、あんたの助けになるってことかよ!?」
「アイッシェ。キテ、イッショ……オネガイ!」
レンは、力強くコクリと頷く。
「よっしゃ、わかった! 俺のラーメンが役に立つなら、どこにだって行ってやるぜ! あんたの望む場所に、連れてってくれ!」
アグラリエルの顔が、パッと輝く。
「コ、コッチ……! エルフバシ、アイバルバト、クレイヴァイツ。……ルー、リンスィール」
彼女に手を引かれて、レンは屋台をガラガラと引いて歩き出した。
タオルで半分隠れた瞳は、真っ直ぐに見つめてる。
暗い闇、路地の向こうへと……その先に、何があるのかもわからぬままに。
サラ「あ、そういえば……ドラえもんの最終回って、どうなったの? ドラえもんは未来に帰った? のび太君は自立できた?」
レン「えっ? いや、まだ終わってないけども……」
サラ「ええっ!? 藤子不二雄って、まだ生きてるの!?」
レン「いや、死んでるよ。ほら、サザエさん方式っていうの……作者が死んでもアニメは続くんだよ」
サラ「ええーっ!? サザエさんもまだ続いてるのぉ!?」
レン「俺、マスオさんの声真似できるぜ。びゃあ゛ぁ゛゛ぁうまひぃ゛ぃぃ゛」
サラ「なによ、それ。マスオさんがそんな声出すわけないでしょ!」
レン「…………(これが三十年のブランクか。こ、こえー」
なお、歳はブラドのが少し上です。
次回……『アイバルバトの背の上で』




