おいしい『ラメン』
今宵は、予告のあった『塩、ミソ、ショーユ三部作』の最終日、ショーユラメンの日である!
これまで色々なラメンを食ってきたが、やはり一番好きなスープは何かと問われれば、私は迷った末にショーユ味を選ぶだろう……。
始めて食べたタイショのラメンもショーユ味だったし、それを正当進化させた丸鶏スープのレンの『ワンタンメン』も、私に深い感動を与えてくれた。
強烈なインパクトの『ニボケイ』に、具沢山の『サンマーメン』、ジュリアンヌの鴨ラメンだってショーユ味だ。
だけども今日はそれらと違う、言わばまったく新しきショーユラメンが出てくるはずなのだ。
否が応でも期待が高まるではないかっ!
我らいつもの顔ぶれが「こんばんは」と挨拶をしながらノレンを潜ると、レンは白い歯をニカッと見せて笑う。
「よう、いらっしゃい! 今夜は予告通り、醤油ラーメンだ。まあ、どんなラーメンか、口で説明するのは簡単なんだけどな。予備知識なしで食ってほしい。偉大なる元ネタはあるが、一応は俺のオリジナル。いや、オマージュかな? 名付けるなら……そうだな。『俺流おいしいラーメン』ってとこかな」
そう言うとレンは、底が丸くて大きなフライパンに具材を放り込み、人数分のスープを移し入れて煮込み始めた。
おやっ? なにやら、『チャンポン』と作り方が似ているな……。
けれどメンは湯の張った大鍋へと入れ、グラグラ茹でる。やがて茹で上がったメンを湯きりして、ドンブリへと入れると、フライパンのスープと具材を上から注いだ。
最後にトッピングを載せて、レンはラメンを提供する。
「よっしゃ、完成。さあ、食ってくれ!」
目の前に並べられたのは、やや薄めな色したスープのラメンだ。
上には大きなチャーシュが二枚。
驚いたことに、大量のザク切り白菜と豚肉が、メンを覆い隠している!
なるほど。さっき煮合わせていたのは、この白菜と豚肉だったのか。
狐色のスープに若草色の白菜がひしめき合い、わずかに散らばる唐辛子の朱色が、実に見栄えのする美しさだ。
そ、それにしても……この香り……なんとも食欲を誘う、良い香りだ!
我慢できずにワリバシをパチンと割り、さっそくメンを手繰り寄せた。
メンは中細、ストレート。歯で噛み切るとモッチリプリっと。卵多めで小麦の風味はやや薄いが、口当たりがチュルチュルと格別に良い。
少し甘めのスープはリッチな旨味に富んでいて、中核を成すのは牛の出汁だ。コクはたっぷりだが、あっさりした味わいでスルリと飲める。
口に含むと旨味がじんわり舌の上に広がって、飲み込むとまるで胸の奥に牛肉の薔薇が咲き、そこから香気が弾けて喉から鼻へ抜けるような、そんな抜群の芳しさがあった。
香りが素晴らしいラメンと言えば、『カレー』や『ニボケイ』だ。
しかし、あれらは離れた場所からでもわかるほど強烈で個性的な匂いだったが、このラメンはどちらかというと、おとなしめな香りである。
カレーがエレガントなドレスで人を惹きつける社交界の花形ならば、ニボケイがアバンギャルドな性格で信奉者を増やす変わり者。
そしてこのラメンは近づけばその美貌にハッとして、隠し通せぬ気品と色気を振りまく妙齢のご婦人といったところか……。
普通、ラメンのスープはそれ単体だとやや塩辛いものだが、こちらはスープだけでも一品料理としても通用しそうなほどの味わいだ。
澄んだスープは様々な食材が輪郭もわからぬほど丁寧に溶け込んで、雑味のない味わいはまるで宮廷料理のように格調高く、それでいてどこか庶民的な気安さも感じる……。
それはおそらく、一緒に煮込まれた豚肉と白菜のおかげだろう。
豚バラ肉の脂と白菜の風味がスープに溶けて、芸術的なスープに、一種わかりやすい味わいを足しているのだ。
大量の白菜は、煮込まれて半透明。極上のスープをよく吸い込んで、噛み締めるとシャキシャキとした歯応えと共に、ジュワッとスープが滲み出る。
豚肉は白菜と比べてわずかだが、プルリと甘い脂身が熱でとろけて、肉の部分はクニクニとしてシンプルに美味い。
散らばった唐辛子は辛味が抜けて刺激はないが、吸い込むと特徴的な香りが鼻に抜け、味覚がリセットされる。
トッピングのチャーシュの味付けは、どうやら塩である。わずかにピンクを残した肉質は、厚さこそペラリと薄いものの、大きさは十分過ぎるほど。ムッチリ柔らか官能的で、豚の旨味が存分に味わえる。
そういえば、このスープ。タレこと、混合ソースを入れてなかったな……。
ショーユラメンはチャーシュの煮汁を、混合ソースに使うのが常である。
だから、チャーシュはどうしても煮込む必要があって、肉質は少し固めになってしまう。
つまり混合ソースを作る必要がなければ、『チャーシュとしての美味さを追求した火の通し加減』にできるのだった。
しかし私は、この美味しいラメンの数々の工夫に感心しながら、どうにも腑に落ちないというか、なんだか妙な違和感を覚えていた。
食えば食うほど、その感覚は大きくなっていく……。
いや、まさかな……? そんなはずはない。
だけども、しかし……もしかして、これは……?
やっぱり!? そうだッ!
私の心臓がドキリと跳ねて、頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。
……気づいてしまったからだ。
なぜ、レンがこのラメンを『新しいショーユ味』に選んだのかを。
なんと、この美味なるラメン……鶏ガラもコンブも、カツオブシも使っていないのだ!
言うまでもないが、鶏ガラ、そしてコンブことナガカイソウは、ショーユラメンを作る上で欠かせぬ必須の食材である。
また、我々の世界では主にマグロ干しを使っているが、レンの世界では『カツオブシ』と呼ばれる、似たような乾物で出汁を取っている。
けれどもこのラメンのスープは、最初に説明した通り『牛の出汁』がベースだ。
単に『鶏ガラを牛骨に変えただけ』とか、そんな単純な話ではない。
ぷうんと薫る特徴的な魚の乾物の匂いも、飲み込んだ後で舌に残るコンブの旨味も、このラメンからは一切しないのである!
じっくり煮出された鶏の旨味に、コンブの旨味。そこに天日に干されて凝縮した魚介の風味が加わってこそ、ショーユのしょっぱさが引き立つスープが生まれる。
それが常識であったはずなのに、だっ!
お、驚いた……。あんなに匂いに感動してたのに、食べてもしばらく気づかなかったぞっ!?




