Another side 23 part3
アリストテレスの冠は、超希少鉱物である『オルハリコン』で作られている。
装着者の精神を増幅する冠は、この船シャン・グ・リラ号の制御装置であり、来るべき月面着陸の際は、操縦桿の役割も果たす。
スペアを作ろうにも、材料がない。
というか、そもそも地上のタルタル=ヴォーデンが、遠く宇宙を漂うアリストテレスを実験の協力者に選んだのは、『宇宙までエーテル波が届くか?』のテストの他に、まとまった量のオリハルコンを持っていたことが大きいのだ。
やがて、待ちに待った『味』の到着である。
前回はアリストテレスで終わったが、制限時間の120秒より明らかに長く被っていたため、特例としてギルミアからのスタートだ。
ワクワク顔のギルミアが、もちゃもちゃと口を動かし始めた。
「あ、熱い! やっと来たぞ! 次の味だッ! これはたぶん、魚介類だな。……えっと。なんだっけ、この味と香りは……? あ、そうそう! カニ、きっとカニだ! ……あ、いや、エビかなっ」
それを聞いたアリストテレスは、白い頭蓋骨を項垂れて、あからさまに落胆した声で言う。
「なーんだ、エビか。やはり、前回の鳥と塩のスープではないのか?」
「違うな。明らかに別の味だ。何かを啜りこむ食感はよく似ているが、とても濃厚で、不思議な味付けで……ええと? とにかく、今まで食べたことない味だよ。表現のしようがない」
「ふうん。今回のラメンは、前ほどの美味さじゃないらしいね」
「いいや。そんなことない。すこぶる美味い」
「え、美味いのか……?」
「ああ、美味い! う、うま……うんまあっ! 脳と舌が痺れるようだッ!」
「ええーっ!? そんなにか!」
「なんだろう、この不思議な調味料は……? 食べたことない味だから最初は戸惑ったが、これはクセになる味だよ!」
興奮したギルミアに、アリストテレスのテンションも上がった。
「おおーっ! それは楽しみだ……よし、ギルミア。120秒たったぞ。俺の番だ」
「ああ。アリストテレス、お前も味わってみろ」
「お、おおおっ、本当に美味い! 変わった味だが、奥深い。とはいえ、確かにこれは複雑というか妙というか、なんとも表現できない味であるなぁ!」
二人は大騒ぎしながらも、ちゃんと仲良く代わりばんこで冠を被った。
感じた味の詳細と実験結果をタルタルに送った後、二人はラメンについて話し合う。
横長の耳をピコピコと動かし、ギルミアが言った。
「僕はたぶん、『ラメン』とは紐状の何かが入った、スープ料理全般を指すのだと思う」
「うむ。俺もそう思う。きっとパンとかスープのように、料理のカテゴリを指す言葉であって、特定の料理名というわけではないのだろう」
「味が変わるという条件を考えると、その日の余り物で作ったような、あり合わせの料理がラメンということかな?」
「いいや。あり合わせで適当に作ったと考えるには、料理のレベルが高すぎるのではないか? もっとも俺たちは、今の地上の料理を知らないわけだが……。とにかくラメンとは、『ひとつの呼び名で複数の味』が存在する料理なのだろう」
「例え百の味、まるで正反対の味であったとしても、呼び名は同じ『ラメン』になるわけだね。なんだか、不便な話だよ」
二人はあーだこーだと議論を続けていたが、やがてギルミアがポンと手を打つ。
「よし、アリストテレス。僕は船に残った食材で、ラメンが再現できないから試してみるよ」
「食糧庫か。時間停止の魔術をほどこしてあったな。食べる者もいなくなって、ずいぶん経つが……肉や小麦、卵や野菜などもあった。だが、ギルミアよ。お前、料理はド素人だろう?」
その言葉に、ギルミアは首を振る。
「あ、いや。素人だけど、まったく経験がないわけじゃないんだ」
「なに、そうなのか?」
「うん。生まれ故郷のエルフの里に、リンスィールって子がいてね。家系が近くて仲良くしていたんだが、ある時そいつが美食にハマった」
「グルメ好きとは、また変わったエルフだな」
苦笑交じりのアリストテレスの言葉に、ギルミアも頷く。
「僕も同意見だよ。その頃は魔法大国ニルヴァーナに移住するため、定期的に行き来していたからね。外の世界の料理を作ってくれと、よくせがまれた。それで少しばかり料理を齧り、何度か手料理を作ってやったのだ」
「ふうん。ニルヴァーナの料理って、何を作ったんだ?」
「決まってるだろう。マギブレだよ」
「ああ……マギブレ」
マギブレとは、魔法のパンの略である。油紙に包まれたペースト状のタネであり、魔力を注ぐとあっという間に膨らんでパンになる。
人体に必要な栄養素を過不足なく含んでいて、これさえ食べていれば病気知らず。味も百種類以上あった。もちろん、この船にもたんまり積んである。
アリストテレスがポッカリと空いた眼窩を宙にさまよわせ、感慨深げにポツリと言う。
「……あの頃の俺たちは、マギブレが世界で一番優れた食べ物だと信じて疑わなかったな」
「実際、優れてはいたがね。マギブレのおかげで、ニルヴァーナの人々は炊事という面倒から解放された。肥満も栄養失調もいなくなり、皆が穏やかに暮らしてた。……だけどあのラメンという料理を味わった今、どうにもマギブレは子供騙しだった気がしてならんよ」
「俺もラメンを食べて、料理の本質は味だと思ったぞ。百種類以上の味などと謳っても、所詮は本物には敵わない。手軽さよりも、そこをないがしろにするべきではなかったのだ! ニルヴァーナが滅んでしまったのは、そういう小さな間違いを重ね続けた結果なのかもしれんな」
それからアリストテレスは、やや呆れた声を出す。
「しかし、ギルミアよ……。お前、マギブレを料理経験として数えるのは、どうなんだ?」
「いやいや、作ったのはマギブレだけでないぞ! 他にも、ちゃんとした料理はいくつか作った」
「食べたリンスィールの反応はどうだったね?」
「どれも、エルフの里の料理よりは美味かったからね。物珍しさもあって、喜んではいたよ」
「そうか。では、本当に料理の経験はゼロではないのだな?」
「うん。食糧庫の備蓄は、五十名近い乗組員が二十年は食べていける量だった。多少は減ったとはいえ、残りを一人で消費するとなると、まだ当分は持つだろう。栽培できそうなものは、船で増やしたっていいしな」
「それなら俺は、タルタル氏に『味の発信装置』の作り方を詳しく聞いて、レプリカを作ってみようと思う。俺はアンデッドだが、お前が味わいその味を俺に送れば、俺も同じ味を感じることができるだろう? 二人の意見をすり合わせた方が、より近いラメンが再現できるんじゃないか?」
「ふ、ふふふ。なにやら、胸が熱くなってきたぞ!」
「ああ。この退屈な船の中で、久方ぶりにお前とできる『新しい暇つぶし』が見つかったのだ。心躍ると言うものよ!」
アリストテレスは、ポンと手を打つ。
「お、そうだ! そのリンスィール、エルフなのだろう? 不幸な事故など起こってなければ、まだ生きているはずだ。地上にいるタルタル氏に連絡を取り、探してもらおう」
しかしギルミアは首を振った。
「いや、いいよ。僕は、ハイエルフという研究結果を女王のアグラリエル様に否定され、意固地になって里との連絡を絶っていた。みんな、僕がニルヴァーナの爆発に巻き込まれて死んだと思っている。今さら宇宙で生きているなどと知らせても、直接会うこともできないのにみっともないだけだ」
「……そうか。お前がそういうのなら、俺は何も言わんよ」
複雑そうに言うアリストテレス。
ギルミアはちょっと懐かしい目をして、唇の端を持ち上げ楽しそうにポツリと呟く。
「それにしても、あの『ラメン』という料理。リンスィールは、知っているのかな? もし食わせてやったら、大喜びするだろうなぁ」
この船は、エーテルを燃料に進む。
周囲にエーテルさえあれば、いくらでも加速可能であり、例え隕石がぶつかろうと幾重にも張り巡らされた防護結界によって、船内には衝撃ひとつ伝わらず、常に快適な環境が保たれる。
しかし誤算は、宇宙にはエーテルが全く存在しない事であった……。
エーテルとは、あらゆる空間に満ちるもの。
いわば、世界が存在するためのエネルギー。
それが常識であったから、初めて大気圏の外に出るまで『完全なる無の空間』なんてものがこの世にあるなんて、誰も気づかなかったのである。
計算では、船が月につくまで残り三百二十四年。二人の旅は、まだまだ続く。
大変遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
年末年始は体調不良、たぶんインフルエンザで寝込んでました……。
そういえば、異世界ラーメン屋台のコミカライズが始まってます!
https://comicpash.jp/episodes/3b8428e9a9596/
次は……「おいしい『ラメン』」です。




