香ばしき『ラメン』
その日。
暗い夜道で白く光るヤタイからは、ものすごく特徴的で、とてつもなく良い匂い漂っていた……。
粉っぽくて発酵した、穀物のような。
殻付きのナッツをよく炒って、焦がしたような。
あるいは加熱したコーンに、潮の香りを混ぜたような。
とんでもなく香ばしい、この匂い! エビである!!
エビは魅力的な食材だ。
両の手からあふれるような大きいものや、水に目を凝らしてようやく見える小さなもの、カニに似てハサミのあるものまで、大小様々な種類がいる。
大きなエビを焚火で焼いて、殻を剥いてかぶりつくのは至福であるよ。
もちろん、生のエビも素晴らしい。ねっとりとした身に塩とレモンを軽く振り、口に入れれば甘みが舌をとろかし、たまらない!
エビは火を入れると、その肉質が大きく変わる。生の時はネッチリプツンとした食感であるが、熱が通るとプリプリと、歯切れのいい噛み心地になる。
強烈な匂いに比べて味は上品で、スープ、パエリア、フライ、グラタンなど、概ねどのような食べ方をしても美味い。
ただ、エビは死ぬとすぐ悪くなる。殻は黒く、身は溶けて苦くなり、すえたような悪臭をまとって、あっという間に劣化する。
だから獲ったその日か、遅くとも次の日までに食わねばならぬ。
海に棲んでるのだから海水に入れておけば生きているのかと思ったら、そういう話でもないらしい。飼育が非常に難しく、デリケートな生き物なのだ。
おかげで内陸であるここファーレンハイトでは、ほとんど流通していない。
以前、レンはジュリアンヌとのラメン対決で、エビをワンタンにしようと市場で求めたが見つからず、川に生息するエビを自分で獲って使っていた。
そんなエビを主役に、一体どのようなミソラメンを作ったのか……?
私は、ワクワクしながらノレンをくぐる。
「よう、いらっしゃい! この匂いでわかるだろうが、今日のラーメンは海老味噌ラーメンだぜ」
「エビミソラメン。確か以前、ミソラメンを食わせてもらった際、ヴァリエーションのひとつとして君が上げていたラメンだね?」
「そう、よく覚えてるな。日本には、蟹を味噌汁にした蟹汁の文化がある。同じ甲殻類である海老を、味噌ラーメンに応用しようってのは、あまりにも自然で当たり前の流れだよ。とはいえ、『単に海老や蟹を使いました』ってだけでなく、ジャンルとしての甲殻類系ラーメンが確立されたのは、ごく最近だ。今から二十年ぐらい前に、『元祖海老そば縁や』って店が発祥だと言われてるぜ」
椅子に座りながら、オーリが言う。
「なるほど。ラメン界では新参者ってわけだな」
「その通り。ただ、歴史が浅くても味は間違いなく一級品だ! みんなには洗練された、海老と味噌のマリアージュを楽しんで欲しい。そんじゃ、行くぜ!」
そう言うとレンはメンを茹でて湯をきって、スープを注いでトッピングしてラメンを完成させる。
並べられたドンブリ覗き込む。ビジュアルは、やや赤みがかったミソラメン、といった風だ。
前に食べたミソラメンはセピア色のスープだったが、今回は全体が赤みがかっている。この色はやはり、エビ由来の物なのだろうか?
表面にはピンク色の油がコの字に回し掛けられているが、おそらくは、エビを煮出したエビ油だろう。
そして、この強烈な香ばしさっ!
上にはチャーシュ、ヤクミ、アジタマの半分、それから真っ赤なアゲダマが載せられている。
具にエビが入っていないのは、少し意外だ……。
ヤクミは緑色の細い物がたっぷりと。同色系でまとめられたドンブリの中で、そこだけ色が違って綺麗に映えて、食欲を誘う。
よし! パチンとワリバシを割って、まずは一口っと。
ああ、新しいラメンを食べる、この瞬間っ! いつもドキドキが止まらない!
熱々のメンを口元へと寄せて、ズズゥと一気に啜りこむ。
すると、お、おおっ!?
こ、これは……なんともまろやかな……なんとも味わい深い!
これは、この味は……エビの脳の味じゃないかァッ!
エビは頭部には、灰褐色のペーストが詰まっている。
見た目が悪くて不気味な上、食べにくいので敬遠する人も多いのだが、実はとりわけ通が好むのがこの脳なのだ。
エビの脳は独特の風味と強い旨味を持ち、口に入れれば蠱惑的なまろやかさが舌を打つ。
そのまろやかさがミソのしょっぱさと見事に溶け合い、濃厚ながらもクドさはない。やや太めのモチモチメンにはスープがよく絡み、啜りこむたびに鼻の奥にエビの香りがぶつかり、広がっていく。
スープのベースはエビの他に、トンコツと魚介か……?
どちらも濃すぎず薄すぎず、エビの風味を邪魔しない絶妙なバランスである!
ふむ? 真っ赤なアゲダマからは、強い生姜の味がするぞ。サクサクっと油っぽい食べ心地だが、ピリッとした辛味で、後味は軽い。しかもよく見ると、アゲダマには極小の揚げエビが混じっている。同じ赤なので、気づかなかった! さすがに小さすぎて身の味はしないが、カラリと揚げられた殻はパリパリと砕けて、良いアクセントになっている。
チャーシュは脂身の多い塊肉だ。やや厚めでしっとりジューシー、とろけるように柔らかい。香辛料は控えめで単純なショーユ味だが、スープの味が複雑なので、これくらいの方が食べやすい。
細くて緑のヤクミは辛味よりも、軽くて爽やかな苦みが際立っている。どの具材も油っぽいから、このサッパリ感は嬉しい限りだ。
そ、そして、このアジタマ……。味付けにミソを使っているな!? ミソ味とタマゴが、まさかここまで合うとは思わなかった! 淡白な白身も濃厚な黄身も、どちらも相性抜群である!
エビとミソと具材の完璧な調和、私は夢中で啜り続ける。と、三分の一ほどを食べたところで、レンが皿を私の前に置いた。
見ると皿には大きなノリが一枚と、その上に三角形のライスの塊が乗っている。ライスの上部からはフライにされたエビの尻尾が、ちょこんと可愛らしく突き出ていた。
「レン、これは……?」
「天むすだよ。下に敷いてあるノリを巻いて、ラーメンと一緒に食ってくれ」
早速、私は言われた通りにやってみる。
ノリを巻いて、上から齧りつくには尻尾が邪魔だから、横からパクンと……。
「むうう! ……う、美味いっ!」
巻いたばかりのノリはパリパリと、人肌のライスはしっとりしつつも、粒がしっかり際立っている!
一口目はエビが入ってこなかったのでノリとライスだけだったのだが、エビミソラメンでしょっぱくなった舌にはちょうどよく、シンプルながらも後を引く美味しさだ!
たまらずもう一口、パクリ。よし! 今度はエビが口に入ってきたぞ。
エビは衣をつけて揚げてあるが、ショーユベースの甘辛ダレが塗してある上、ライスに包まれていたこともあり、衣はフニャフニャになっている。しかし、ペットリとしたオイリーな衣が温かなライスとよく馴染み、また具材のエビがプリプリと違った食感で、そこにノリの香りが合うこと、合うことっ!
油でテラテラ光った断面が、なんとも言えず魅力的だ……。
思わず三口目に行こうとして、慌てて自制する。
おおっと、危ない、危ない。
ついつい夢中になってしまったが、こいつはラメンの付け合わせなのである。
そのまま食べてももちろん美味いが、エビミソ・スープと合わせれば、さらに美味さは加速することだろう!
メンを持ち上げてズルルと啜り、チャーシュの脂身をひと齧り。
よく噛んで飲み込むと間髪入れず、ドンブリを持ち上げてスープをゴクリ。
口の中が濃いエビミソ・スープで満たされて、そこに『テンムス』をパクリと一口。
お、おおう……! エビとミソとライスとノリで、口の中がパラダイスだ……!
なるほど。ラメンの具にエビが入ってなくてちょっと寂しいと思ったが、エビの身はテンムスで楽しめば良いのだな。
幸せな気分で唇の端が持ち上がり、ホッと一息吐いた、次の瞬間。
私は、稲妻に撃たれたような閃きを得た。