『ラメン』の到達点
私は思う。
このラメンはひとつの答えであり、ある意味での『到達点』だと。
例えば……例えばだ。
エルフ、ヒューマン、ドワーフ、オーク、ビーストなど……。
人種も文化も全く違う百人を集め、同じ料理を食べさせて、できるだけ多くに「美味い」と言わせろ!
そんな条件を突き付けられたら、私は迷わずこのラメンを選ぶ。
以前、シオラメンを食べた際、私たちは「美食の経験を積んでいないとわからない味」と評した。
実際、あの時のシオラメンは芸術的で高尚な美味であったが、やはり濃い味が好きなドワーフや、海産物の旨味を知らないエルフには、少し物足りないと感じるのは間違いなかろう。
だけど、このラメンは違う。
鶏と塩。どこまでもシンプルで、力強い。ゆえに老若男女人種を問わず、誰にでも理解できる美味なのだ。
ショーユやミソは旨味溢れる調味料だが、独特の匂いや風味がある。初めて食べる者の中には、それらに拒否感を示す者もいるだろう。
だが、塩味がマズいなどと言う食文化は、今まで聞いたことがない。
塩はどこでも取れる。沿岸部ならば海水から、山に近ければ岩塩から。生き物の血やミルクにも豊富に含まれているし、砂漠国でも塩湖など、塩を使わぬ食文化はない。
塩は人体に欠かせぬ栄養で、全ての味付けの基本である。
また、鳥は空を飛ぶ。どこでも行ける。絶海の孤島、森の奥深く、砂漠の民に至るまで……あくまで噂だが、遥か南の果てにある氷の大地にさえも、鳥の亜種はいると聞く。
宗教的な理由があれば別として、鳥を食したことがない人間も、おそらくおらぬであろう。これまた、万国共通の美味である。
その系譜であり家禽である鶏は、穀物や虫、葉物に果実と、なんでも食べる雑食性だ。
空を飛ばないので柵で囲めば逃げ出さず、サイズが小さく増えやすく、飼育が簡単。産み出す卵もさることながら、その肉は煮ても焼いても蒸しても美味い!
人はあらゆる場所に連れて行き、現地の人々との物々交換に使い、あっという間に世界中に広がった。今や食われる量で言えば、豚や羊を追い抜いて鶏がトップに違いない。
人類に最も近しい肉、身近なごちそう。それが鶏肉なのだ。
そしてこのスープは、最強の鶏の旨味と極上の塩味に溢れている。およそどのような食文化の人間であれ、これを口にすればきっと『美味い』と感じるだろう。
すべての整数を割り切れる、最小公約数としての『1』。誰もが美味いと感じる、人という生き物・食文化の根源の味。
それに限りなく近いところに、このラメンはあった。
もちろん、そもそも鶏が嫌いだとか、猫舌だとか、薄味が良いだとか……そういう、個々人の好みは別として、だ。
私はもう一度、スープを飲んだ。
どこまでも実直。凛とした力強い鶏の旨味が、舌を蕩かし喉に流れる。
次にメンを啜り、グッと噛みしめる。口当たりは滑らかで、プリプリとした噛み応えで実に楽しい。悔しいかな。ここまでのメンは、私たちの世界の技術では、まだ生み出せぬ。
日々、美食を求めて色々な物を食べ歩いていると、ふとした拍子に舌が疲れることがある。いくつもの珍味や最高級の食材を組み合わせた料理を口に入れても、なぜだかあまり美味しくない。
そんな時、ふとその辺の露店で買った塩を振っただけの焼き鳥や焼き魚を食べると、涙が出るほど美味かったりする。
このラメンはそんな時でも、きっと変わらず私に喜びを与えてくれる。
ついにはメンも具も食べつくし、どこまでも美しく透き通ったスープも、ドンブリの底にわずかに溜まるのみである。
私は、このような素晴らしいラメンに出会えた感謝と、必ずやスープの秘密を解き明かさねばならぬという決意を胸に、ドンブリを持ち上げて最後の一滴まで飲み干したのだった。
相手がどのような構成だろうと、そこそこ戦える『結論ラーメン』……!
メタはないけど、不利もない。
それがこいつだと思ってます。
次回。『限りなく近くて、どこまでも遠い場所』




