彼女の母の物語
「――というわけだ。リンスィールさん」
「ふーむ。またぞろクラーケンのスープとドラゴンのチャーシュを食べて、ニホンに帰れなくなったと聞いた時は、一体何をやってるんだ! と呆れたが……。不幸にも異世界で命を落とした、同じニホン人の霊を慰めるためだったのか。ならば、仕方あるまいよ」
「まあ、今回は食った量が少なかったし、魔法で魔力をあらかた消費しちまったらしい。今夜には帰れるって、サラさん言ってたぜ」
「そのオフミとかいう幽霊、話を聞く限りヘタに刺激しなければ危険はなさそうだな。教会の司祭を通して、この付近の住民に話をしておこう」
それにしても、物や人体に軽々と触れて朝日の中でも自由に動き回る幽霊か……とんでもなく強大な力を持っているようだ。
もし退治するとしたら、聖職者が何十人も必要になるだろう。
飛竜の群れに石を投げるバカはいない(エルフの言い回しで『触らぬ神に祟りなし』の意)。被害が出ていないのであれば、とりあえずは静観で良さそうだ。
さて。私とレンは、『無敵のチャーシュ亭』への道を連れ立って歩いている。
どうせ一日帰れなくなったのだし、これを機会に、ジュリアンヌの父親に挨拶をすませておこうという流れになったのだ。
レンは、白くて薄いガサガサの袋を持ち上げて言う。
「……それはそうと、手土産こんなもんでよかったのか? 屋台の冷蔵庫に残ってた、缶ビールなんてよ。ロング缶二本に普通サイズ三本の五本しかねえ。しかも、コンビニのビニール袋に入れてるし」
「十分すぎるよ。その麦酒、アグラリエル様も召し上がったのだろう?」
「おう。美味そうに飲んでたな」
「エルフの女王も飲んだ、異世界の美酒。貴族にとって、これほど価値のあるものもあるまいよ! ついでに『これは異世界の酒であり、よく冷やしてグラスに注いで飲むとすこぶる美味い』と、そこそこ名の知られた私とオーリが、認定証もつけたしね。まあ、ペンソルディア子爵も、一本は自分で飲むだろう……その後、残った四本をどうするか」
「どうするんだい」
「普段、自分を守ってくれてる後ろ盾の権力者。王族、あるいは力のある地方領主。誰に贈り、どういった形で飲ませるか? 使い道は無限大だ! いずれにしても、子爵には多大な恩返しが待っている。そのガサガサした白い袋も、こちらの世界に似た素材の物はない。あるいは貴族にとっては、大粒の宝石ひとつより、その袋の方が自慢になるかもしれない」
「俺らの世界じゃコンビニやスーパーで簡単に手に入るけど、異世界だと珍品・奇品の扱いになるわけか」
「うむ。だから、安心したまえ。手土産としては、君は一級品……いや、特級品を持っている! と、ついたね。『無敵のチャーシュ亭』だ」
午前中。開店前ということもあり、外にいるのは庭師だけだ。
我々が自分の身分と用件を明かすと、使用人がやってきてすぐに応接室へと通された。
フカフカのソファに座っていると、ほどなくしてドアが開く。
入ってきたのは黒い燕尾服を来た、恰幅のいい中年男性である。
「お待たせしました。ウィリアム・ド・ペンソルディア子爵です」
レンは即座に立ちあがり、頭を下げながら言った。
「あっ……俺っ! 伊東レンって言います。この度はお預かりしたお嬢さんに風邪をひかせちまって、本当に申し訳ないと思ってます! あの。これ、つまらないものですが」
その言葉を訳してから、小声で囁く。
「レン、さっきも言ったろう? 君の持ってきた手土産は、決してつまらないものではないぞ」
「わかってるよ。そういう意味じゃねえって。お決まりのフレーズみたいなもんなんだよ」
ペンソルディア子爵は、コソコソ言い合う我々の前に座ると、白い袋を受け取って言う。
「レンさん、そんなに畏まらないでください。ジュリアンヌやミヒャエルから、よく話を聞いています。ワガママを言って無理について行ったあの子を、よくぞ面倒みてくださいました。風邪は不幸な事故です。あの子もすっかり元気ですし、もう気にしないでください」
なるほど。ミヒャエルの言っていた通り、道理のわかる温和な人物のようだ。
やがて使用人が入ってきて人数分のお茶を置くと、子爵はそれを飲みながら語りだした。
「ジュリアンヌの母親も、ヤンチャで無鉄砲な性格でした。もとは遠縁ながらも王族の親戚、公爵家だったのですがね。しょっちゅうトラブルばかり起こしてましたよ」
「え……? 公爵家から子爵家に嫁入り、ですか!? それはまた、なんというか……」
「ははは。まあ、異例中の異例です。あの子の母アンリエッタは、どういうわけか子爵家の領地の村を、避暑地として気に入っていました。自然や動物が好きだったからでしょう。豚しかいない辺鄙な田舎なのに、お忍びでよく遊びに来ておりました。私は貴族の息子として、世話を見るように父から申し付けられて幼馴染になったのです」
ペンソルディア子爵は、遠く懐かしそうな目をする。
「見た目は綺麗なお姫様でしたが、型破りで無茶苦茶だった……。私たちが十かそこらのある日、村の豚がトロールにさらわれましてね。アンリエッタは『自分が取り返してくる』と言い張って、私が必死で止めるのも聞かず、森に入っていきました」
トロールと言えば身の丈四メートルほど、灰色で岩のような肌を持つ巨人だ。
ハチミツが大好物で、頭は鈍いが言葉は通じる。
普段は森の奥深くに暮らしているが、人里に出てきて畑を荒らしたり家畜を襲ったりするので、あんまり被害が拡大すると討伐隊が組まれたり、冒険者に依頼が出されたりする。
だけど英雄譚の中には、トロールに謎かけをして引っ掛けたり、トロールを騙して敵にぶつけてピンチを逃れたり……という風に、ややコミカルなシーンが多く、子供たちの肝試しの定番となっている。
まあ、大抵は寝てるトロールを遠くから見て、その巨体にビビって逃げ出す、というのがお決まりだ。
今回もその手の微笑ましい思い出話かと思ったら、どうも勝手が違った。
「森へと入った私たちは、運悪くトロールを見つけてしまった。見上げるような巨体です……手には豚を持っている。大きな豚が、まるで子猫に見えました。すぐにでも逃げ出したかった。ところがアンリエッタは、トロールの前に進み出ると『ちょっと、あなた! その豚を今すぐ返しなさい!』と、こう怒鳴りつけたのです」
私は驚いて腰を浮かす。
「ええっ!? こ、子供がトロールを怒鳴りつけたですと!? バカな、なんて危険な真似を……っ! そ、それで。どうなったのです?」
子爵は、ニコニコと楽しそうに続ける。
「人に怒鳴られるなど、トロールも初めてだったのでしょう。キョトンとしていましたよ。もう、本当にこのお姫様は、一体なにを考えているのか。恐怖心という物を、どこかに置き忘れたのではないかと。大いに呆れました! 私は彼女の袖を引っ張って、早く逃げようと促した。ところがよく見ると、アンリエッタの腕も小さく震えているんです……なんのことはない。彼女も怖いのに、意地を張ってただけなのですよ」
レンが笑った。
「ふふふ。意地っ張りな所が、ジュリアンヌにそっくりだ」
子爵も頷く。
「ええ、ええ、本当に。アンリエッタの声を聞きつけ、父がトロールの討伐隊を率いて駆けつけました。きっと私たちがいないことに気づいて、嫌な予感がしたのでしょう。公爵家の娘に万が一があったら、お家の取り潰しではすみません! 討伐隊は本職の騎士が数人に魔法使い一人、武器を持った村人が二十名。トロールの嫌う、火と油もありました。あっという間に決着がついたのですが、父がトロールにトドメを刺そうとすると、今度はそれをアンリエッタが止めたんです」
私が思わず呟いた。
「な、なんと……? 彼女は、豚を取り返したかったのではなかったのか? 行動が読めないな」
「アンリエッタは傷だらけのトロールに、大きな声で言い聞かせました。森はトロールの住むところで、村や町は人の住むところ。トロールが森にいる限り、人はトロールを虐めない。だから、トロールも村や町に入ってはいけないと」
レンが大きく頷く。
「ああ、そういうことかよ。野生動物と人間のテリトリーを、はっきり教えたかったわけだ。両者が下手に近づかなきゃ、争いは起きねえからな」
「……まあ、トロールの鈍い頭で、どこまで理解できたのかはわかりません。ただ、アンリエッタに命を救われたことだけは、わかったのでしょうな。以後、トロールは村に手を出さなくなった。そしてアンリエッタが村に遊びに来るたびに、お礼のつもりなのかハチミツたっぷりの巣が半分、森の入り口に置かれるようになったのです」
私は感心する。
「ほほう! どこぞの吟遊詩人が歌にしたり、童話作家が絵本にしそうなお話だ」
子爵は苦笑してみせる。
「そんな性格をしているものだから、何度お見合いをしても上手くいかない! 嫁いでいっても、すぐに逃げ出す。そんなこんなでいつの間にか、公爵家からはほとんど縁を切られてしまい、それならばと家督を継いだ私がプロポーズ。めでたく結婚というわけですね」
三人でワハハと楽しく笑った。
子爵は、少ししんみりした声で言う。
「アンリエッタは死んで、もういません。ですが、彼女は自由に奔放に生きた。あの無茶で無謀で美しき日々こそが、彼女の人生だったのです。娘のジュリアンヌもきっと、そうなのでしょう。……臆病者の私には、とてもできない生き方です」
子爵は立ちあがると、レンに向かって頭を下げ、手を差し出す。
「レンさん。あの子は、ラメン作りに情熱を注いでいます。あなたはあの子の師匠なってくれたのだと、そう聞いています。どうか、あの子を立派なラメンシェフに育ててあげてください!」
レンも立ちあがり、決然と言った。
「わかりました。約束します。俺は必ず、ジュリアンヌを一流のラーメン職人に育ててみせますよ!」
両者がガッチリ、握手を交わす。
男同士の熱い約束である……思わず目頭が熱くなるな。
と、そんな感動的なシーンをぶち壊すように、扉がドーンと音を立てて勢いよく開いた。
明日、誕生日なんだ……!
誰か祝ってくれ。
ブクマとポイントを入れてくれたら、それ見て密かにガッツポーズするから。
もしくはいつも読んでるとか、そんな言葉だけでも欲しいな。