Another side 21 part3
ふみが生まれた大正時代は、今からおおよそ百年前だ。
彼女の背格好からいって、おそらく死んだのは十代後半だろう。
それから、ずっと……誰とも話せず、何十年も。
見知らぬ世界を、ただひたすらに彷徨い続けた……。
そんな果てしない孤独と自己研鑽の末に、生み出されたのが『かつて日本をドッカンドッカンと笑わせたギャグ』と同じだったのは、とんでもない不幸というか、全く笑えない喜劇でしかない。
レンは屋台の椅子を地面に置くと、静かな声で呼びかける。
「おふみ。座ってくれないか?」
「あ、はい~」
ふみは、素直に腰かけた。
レンは調理台へと回り、コンロの火をつけながら言う。
「言いたいことがたくさんあんだけど……俺、ラーメン屋だからよ。色々と上手く言えねえんだ。おふみにどう言ったらいいのか、わかんねえ。ただ、お前に俺のラーメンを無性に食べてもらいたくて、仕方ないんだ。食ってくれないか?」
「わぁ、ラーメンですかぁ~!? すっごく食べたいです~!」
「おう! 今すぐ腕によりかけて、極上のラーメンを作ってやるよ」
しかし、ふみは残念そうな声を出す。
「でもでも~、わたし幽霊なので~。残念ながら、食べることができないんですよ~」
「えっ? 物を掴んだりできるのに人に触れたりできるのに、食べるのは無理なのか?」
「はい、無理ですね~。何度か挑戦したんですけど、パンとか手で掴めても、口に入れようとした瞬間にストンと落ちちゃうんです~」
レンは、少し考えた後で言う。
「うーん。あの世のシステムは良く知らねえけど……。お供え物とか、そういうのがあるじゃねえか」
「それも無理かと~。ほら、お供え物って、普通は死んだ場所とかお墓とか、あるいはお仏壇とか~。『その人と繋がりのある場所』でやるものじゃないですか~? わたし、ご覧の通り死んだ場所を離れて、フヨフヨしちゃってるので~」
「ああ、そっか。……なんだ。俺のラーメン、おふみに食べさせてやれないのかよ」
レンは寂しそうに呟くと、コンロの火を消して黙り込んでしまった。
ふみは、慰める口調で言う。
「レンさん~! どうか、お気になさらずに~。その気持ちだけで、わたしすっごく嬉しいですから~」
だけど、レンはうつむいたままだ。
しばらくして彼は、絞り出すような声を出す。
「……おふみ。俺は……俺はよ、ラーメン屋なんだ。俺は……ラーメン屋なんだよ! だから俺は……お前にっ! ラーメンを作ってやることしか、できねえんだッ!」
レンは真っ暗な路地を駆け出した。
「あっ!? ちょ、ちょっとレンさん~! どちらに行かれるんです~?」
「すぐ戻る! 悪いけど、屋台を見ててくれっ!」
そのまま行ってしまう。
で、『すぐ戻る』と言ったのに、レンはなかなか戻ってこなかった。
遠く白み始めた空を見て、ふみは呟く。
「レンさん、遅いなぁ~。あ~、朝が来ちゃう……太陽の光、ニガテなのに~」
と、やっとレンが息を切らせて、通りの向こうから戻ってきた。
「ハァ、ハァ……お、お待たせ」
レンは調理場のザルとオタマを手に取った。
彼はカウンターへと回って、ふみの前に立つ。
「おふみ。今、どんなラーメンが食いたい?」
「どんなラーメン……ですかぁ? そうですねえ。やっぱり普通の中華そばが一番食べたいですねえ~! ピーンと真っ直ぐな細麺の、透き通った醤油味です~。焼き豚、カマボコ、青ネギに、あっ、多めのシナチクと、海苔に小松菜も載ってたら嬉しいです~!」
「おお……。昭和初期のラーメンにしては、やたらと具を盛ってきたな。とにかく、わかった。ストレートの細麺にクリアなスープ。メンマ多めに、チャーシュー、ネギ、海苔と青菜にカマボコのトッピングだな」
レンは息を整え、目をつぶる。
何かに集中しているのだろうか……?
その額に、汗がじんわり浮いてきた。
「囁き……詠唱。祈り、念じろっ!」
そんな声と同時に、空中に光の丼が現れる!
レンはザルやオタマを振るい、何もない場所から次々に麺やスープ、具材を生み出していく。
やがて出来上がったのは、キラキラと光る白い湯気を上げる、一杯の醤油ラーメンだ……ちゃんと多めのメンマに、チャーシュー、ネギ、カマボコ、海苔と青菜も入っている。
「わあ、ラーメンだぁ~! す、すごいです~ッ! これ、手妻じゃないですよね~!? どうなってるんですかぁ~?」
目をまん丸くするふみに、汗を拭いながらレンは言う。
「さあな。詳しい事は、俺にもわからん。だけど、どうだ? おふみ。それなら食えるんじゃないか?」
「こ、これを……? はい~、試してみます~」
ふみは恐る恐るラーメンに近づくと、懐から細長い物を取り出した。
扇子である。それを落語をやる時のように、箸に見立てて右手に持つと、光の丼に突っ込んでツイと口元に手繰り寄せる……。
本来、レンの『魔法のラーメン』は見せかけだけのはずである。
物質ではない。質量がないから、触れることはできない。動かせもしない。
だけど、食べる側が霊体である。
そして何より、レン自身が『食べさせたい』と強く願ったこと……。
その二つが合わさったことで、奇跡が起きた。
キラキラと光る麺が、ふみの口へと吸い込まれていく。
おふみは見開いた目をギュっとつぶり、さも美味そうにズズズ、ズズッと啜る音を立てる。
「どうだ? 美味いか?」
「はい、とっても美味しいです~! ……と言っても、本当に味を感じるわけじゃないですけどねえ」
そう言った後で、嬉しそうに、ゆっくりと味わうように、もぐもぐ口を動かした。
「だけど、レンさんがどんな想いでこのラーメンを作ってくれたのか、わたしにどんな味を食べさせたかったのか~……そういう感情が流れ込んでくるんですよ~。あああ、本当に美味しい~!」
ふみは扇子を上下させ、どんどん麺を吸い込んでいく。
青菜や海苔なども空中へと舞い上がり、口にスルスル入っていった。
やがて麺と具材がなくなると、ふみは丼の縁に口をつけてて啜った。
ズズズ、ズズズ。ズズズッ。何度も何度も、美味そうな音を立てて啜る。
スープがなくなる。それと同時に丼の色も薄くなり、全ての存在が消え失せる……。
空中には、もう何も残っていない。
あるのは虚空だけだ。代わりに、ふみのお腹が膨れてる。
その腹をさすりながら、ふみは言った。
「ああ~。食べ始めは、十杯でも二十杯でもペロリといけちゃうと思ったのに~! ……やっぱり……やっぱり、一杯で十分だなぁ~!」
ふみは実に嬉しそうに、ニコニコとレンに笑いかける。
「だって~! だってだって、たった一杯で~! こ~んなに美味しくって! こ~んなに熱くって! こ~んなにお腹いっぱいになっちゃうんだもん! すごいなぁ、ラーメン! ああ、あああ~、満ち足りたなぁ~。幸せだなぁ~……わたし今、心の底から幸せです~」
そう言うと彼女の姿は、朝日に溶けるようにしてスゥっと消えてしまった。
レンは眩し気に目を細め、朝焼けの空を見つめて言う。
「……へっ、おふみ。逝っちまったか」
「あ、いいえ~。まだ、成仏してません~」
首筋に、凍える冷たさの声がかかる。
「うっおおー!?」
レンは飛び上がった。
振り向くと、そこには朝日に照らされてニコニコ笑うふみの姿があった。
ふみは自分の和装メイド服を指さして、得意げな顔で言う。
「めいど、どうも~。幽霊冗句です~。面白かったですか~? わたし、何十年も幽霊やってるんですよ~。朝日に照らされたくらいじゃ、あの世に行けません~。ちょっと体が重たくなるくらいです~」
「…………」
「いや~、でもレンさん~。本当に天にも昇る味でした~。冥途の土産に、良い物食べさせていただきましたぁ~。メイドだけに~。あっははは~」
楽し気にパタパタ手を振るふみを、レンは胡散臭げにジロジロと見て言う。
「……なあ。この世界の幽霊って、みんなお前みたいにやかましいの?」
「あ、いえ~。わたしはかなり特殊みたいです~」
「そうなのか」
「はい~。言葉が通じないのは、そうなんですけど~。他の幽霊の皆さん、そもそも話しかけても反応がなかったり、存在感が薄くって生きてる人には干渉できない霊体がほとんどですね~」
「ふうん。そういう感じなのは、おふみだけなのか……なんでだ? 異世界から来たからかな」
「たぶん、わたしの生い立ちが関係あるかと~」
「生い立ち? どういうことだ」
「レンさん、恐山って知ってますか~? わたしの家系、代々イタコだったんですよ~。わたしも小さなころは千里眼を持っていて、失せ者や探し人の依頼をよく受けてました~」
レンはウンウンと頷く。
「あー、はいはい。生きてるうちに霊能力があったタイプか。貞子パターンね」
「貞子さん~? それ、どなたです~」
「俺のトラウマの女だよ。ったく、あんな怖えもんテレビで流しやがって! 俺はあいつのせいで、オカルト関係がダメになったんだ。二度と見たくねえ」
「わあ! な、なんだか罪作りな方みたいですね~! キャ~」
ふみは勝手な妄想をしてるのか、嬉しそうにキャアキャア言い出した。
「とにかく、おふみ。もう朝だし、お前こんなとこにいたら騒ぎになるだろ。また話し相手が欲しかったら、いつでも付き合ってやるからよ」
「はい~。それではレンさん、ごきげんよう~。ありがとうございました~」
ふみはすっかり白んだ空に浮かびあがると、フヨフヨどこかへ行ってしまった。
レンも呆れたようにため息を吐くと、屋台を引いて歩きだしたのだった。
地上波で偶然やってたリングの映画を見て、小説の螺旋とループを買いました。




