Another side 21 part1
……う……ら…………や
「ん?」
それはレンがジュリアンヌやリンスィールと別れ、自分の世界に帰ろうと屋台を引いている時だった。
どこかで、誰かが呟くような……そんな、声とも音とも判別がつかない、何かが聞こえたのである。
レンは屋台を止めて後ろを振り返り、耳を澄ます。上空を吹き抜ける風の他、何も聞こえない。
……だけど。何かが、おかしい。あの暗がりは、あんなに闇が濃かっただろうか?
路地の空気は、こんなにもヒンヤリと冷たかっただろうか?
足の先から凍るような嫌な寒気に、レンはぶるりと身を震わせた。
気を取り直し、屋台を引こうと前を向く。そこに、青白い女が立っていた。
青白い顔……ではない。青白い、女だ。
ほとんど白に近い肌。ほとんど白に近い髪。ほとんど白に近い服。ほとんど白に近い靴。だけど、その輪郭や陰影は群青色に、まるで月光に照らされる蝶の鱗粉のように、全身が淡くぼんやりと光っている。
服装は、古めかしいメイド服だ。古いと言っても、西洋風のそれではない。
ヤガスリ模様の着物に、レースのエプロン。戦前の女給を思わせる、日本風のメイドである。
女の顔は見えなかった。だが、ぐるり、ガクンと。
首が曲がったように折れて、レンの方へと傾いた。
その顔には青い血がベッタリとこびりいて、焦点の合わない瞳はどこか上を向き、細かくユラユラと揺れている。
「う、ら……の…………し、やぁ」
命が尽きる最後の一息のような、そんな奇妙な呻きだった。
と同時に、女の青く血走った目が、ギョロギョロと回転し始めた!
ギョロギョロギョロギョロと、青い瞳が路地のあちこちを高速でねめつける。
恐怖のあまり、レンの脚がガクガクと震えだす。
ピタリ。突然、瞳が止まる。視線の先にはレンがいた。ばっちり両者の目が合った。
女が両手を突き出して、スゥーっと滑るように高速で、音もなく近づいてくる。
「で、うぅらぁーーーめぇーーーしぃーーーーぃやぁぁぁあッ!」
女の叫び。
一瞬遅れて、レンの絶叫。
「――ッギャアアアアアアアアアアアッ!?」
それきり、彼の意識は途切れてしまった。
「あのう、もしも~し。すみませーん。そろそろ、起きてくださいよう! のんびりしてると朝が来ちゃいます~」
そんな呼びかけと共にユッサユッサと肩を揺さぶられ、レンは目を覚ます。
「……あ、あれ。俺、どうしちまったん――」
言いかけて、ギクリと硬直する。
自分の顔を覆いかぶさるように見下ろしてたのが、気絶する直前に目撃した『青白い女』そのものだったから。
ズザッと飛び退るレンに、女はにっこり笑いかける。
「こんばんは~! わたし、高岡ふみと申します~。どうぞお気軽に、『おふみ』とか、『ふみちゃん』ってお呼びくださいね~」
どうやらレンは、この女に膝枕されてたらしい。
数秒の後、恐る恐る口を開く。
「……じゃ、じゃあ、おふみ。あんた、幽霊だよな?」
「ですよ、ですよ~。幽霊ですう~」
「うわ、やっぱり! 悪霊退散、悪霊退散っ! な、なんで俺の前に化けて出た!?」
首をすくめて怯えるレンに、こちらはあくまでもノンビリと言った感じで、ふみは答える。
「はい。実はあなたに、ぜひ聞いていただきたい事がありまして~」
レンは震える声で言った。
「お、俺に……聞いてもらいたい事……っ? な、なんだよ、言ってみろ。成仏できない理由かよ。墓でも建てて欲しいのか? 恨みを晴らしてほしいのか。うろ覚えでよければ、お経くらいなら唱えてやるぞ」
ふみは、エホンエホンと何度か咳払いする。
はたして幽霊の喉に咳が必要なのかは不明だが、おそらく気分的なものなのだろう。
「えーっとですね、では行きます! ほらぁ。ここって、路地裏じゃないですか~?」
「あ、ああ。そうだな」
ふみはツイと、屋台を指さした。
「で、あれ。食べ物の屋台。つまりは、ご飯屋さん~、ですよね?」
「うん。そうだな」
レンが頷くと、幽霊は得意げにニヤリと笑い、両手を胸の前でぶらぶらさせながら言った。
「ですから~。『裏の飯屋で、うらめしや~』……なーんちゃって! うふ、むふふぅ。プーッ、クスクス! しかも、わたし自身が幽霊なわけで~、キャハハハ、ケラケラケラッ! あー、もう傑作ぅ!」
自分で言って、自分でウケてる。
「………………ハァ??」
長い長い沈黙の後、レンが困ったように首を傾げると、ふみは目をまん丸にして驚いた。
「えーっ!? で、ですから~。笑いどころは裏の飯屋と恨めしやで言葉の響きが似ているとこで~」
「いや、そうじゃなくてだな。それを俺に聞かせて、どうしようっての?」
しばし、無言で見つめ合う。
ふみは前のめりになって、一気に喋り始めた。
「わたし、わたし~、お笑いが大好きで~! 落語、都都逸、小咄、俳諧、喜劇、漫談、浪花節。面白いことならなんでもござれです~! で、先ほどあなた、仰ってたじゃないですかぁ~? ちゃんぽん作って、『今日の一杯は俺の一敗』とかなんとか~?」
レンは顔を赤くする。
「あ、あれ聞いてたのかよ……。やめてくれ。終わったギャグをいじるのはマナー違反だぞ」
「そんなぁ~! あれ、とってもよかったですよ~! わたし、あの冗談で大笑いしちゃったんですから~。もう、笑いすぎてお腹が痛くなっちゃったくらいです~」
「……幽霊の腹も痛くなるのか?」
「物理的には痛くないですけど~。それくらい笑ったって意味ですよ~! 褒めてるんです~。それで、お返しにあなたにも、わたしのとっておきの駄洒落を聞いてもらいたいと思って、化けて出たってわけなんです~! まあ、ちょ~っとガンバリ過ぎちゃって、気絶させちゃいましたけど~。テヘっ」
レンはすっくと立ちあがると、屋台の方へとスタスタ歩き出した。
「あ、あららぁ~? どちらへ行かれるんです~。お手洗いですか~?」
「どこって、帰るんだよ! 付き合ってられっかッ!」
「ええー!? ちょ、ちょっと待ってくださいよう。もう少しお話しましょ~!」
最初は派手にビビッていたが、ふみは全然怖くない。それどころか、自分が気絶させられたのは単なるジョークの行き過ぎだと知り、レンは大いに怒っていた。
「やだよ。そもそも俺は、幽霊とか妖怪とかのオカルト話が大ッ嫌いなんだ。まったく、最近はほん怖だの都市伝説だの、嫌でもネットで目に入ってきやがる……ちょっとでも見ちまったら続きが気になって、結局は最後まで読んじまうんだぞ、クソっ! 大人しくお前の話を聞いてたのは、途中で逃げたら呪われると思ったからだ! ……なのに、裏の飯屋でうらめしや? 俺ぁそんな悪ふざけで気絶させられちまったのか!?」
ふみは、悪態をついて屋台をガラガラ引き始めるレンの腰にすがりつくと、空中をフヨフヨと引きずられながら言った。
「わ、わたし、ふざけてないです~! お笑いに命かけてます~!」
「命ねえだろ!」
「あ、そういやそうですね~。アッハハー! 面白~い!」
「笑えねえよッ!」
「じゃ、じゃあこうしましょう! わたし、今から面白いことやります~! これはわたしが長年温め続けてきた、とっておきの一発芸です!」
レンは足を止めて胡乱な目を向ける。
「……ほう? 言っておくが、俺はお笑いに厳しい男だぞ」
「ふっふっふ、望むところです~! こいつを見ちゃったら、抱腹絶倒まちがいなしですよ~」
自信満々のふみは、右手をかぎ爪のようにして顔の横に持ってきて、それを前後に突き出しながら叫んだ。
「ガッビョーン!」
レンの反応がないのを見ると、ふみは両手の親指を鼻につけて、残りの指をワキワキ動かしながら言った。
「ニャハニャハ! ニャハニャハ!」
「…………」
「アッとおどかす~~~ふみ五郎~!」
「もういい。帰る」
また歩き出そうとするレンの肩にしがみつき、ふみは必死な声を出した。
「あーっ!? じゃ、じゃあ、とっとき中のとっておき、やりますっ! これはいわゆる、寸劇です。二人以上じゃないとできないお笑いになります~」
「つまりは、コントだな? ……へえ。なかなか面白そうじゃねえか」
レンは興味をひかれたようで、足を止めてそう言った。
ふみは、路地の一角を指さして言う。
「はい。わたしがあっちから『ヒュードロドロ~』って言いながら出てきますので、レンさんは驚いた顔で、『なんだ、貴様は!?』と問いかけてください」
「おう、わかった。それで?」
「そしたらわたしが、『なんだキシャマはってか!? そうです、ワタスが変なオバケです』と言いますので~」
「あ、いや。もういい、聞きたくない」
「変なオバケ♪ あそーれ、変なオバケ♪ 変なオバケったら、変なオバケ♪」
「やめろっつってんのに、勝手にやんじゃねえ!」
怒られたふみは、しゅんとしょげかえる。
「そ、そんな~。これ、何十年も考え抜いたネタなのに。……面白くないですかぁ~?」
「いや別に、面白くないわけじゃねえんだよ。ただ、なんて言うかなぁ……センスが絶望的に古い上に、どっかで見たようなギャグばっかで――」
そこでレンはふと気づいたようで、顔を上げる。
「そういや、おふみ。お前、いつの時代の人間なんだ!? 日本語を話してるってことは、日本人の幽霊だよな。なんで、こっちの世界にいる?」
宣伝解禁されたので宣伝させてくだちい。
書き下ろしもあるます。
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