レンの決断
「あれで心が動かんようなら、もうええわ。お嬢。お嬢なら、レンはんなしでも余裕でやってけるで。なあ、ミヒャはん」
「で、ヤンス。お可哀相なジュリ様を見捨てるなんて、氷のような冷血人間でヤンス。いくらラメン・シェフとして優れていても、人として大事な物が欠けているでヤンス」
二人に責めるような目でジロジロと見られて、レンは怒って声を出す。
「うるせーなぁッ! お前ら、いちいちチャチャ入れてくんなっ」
ダルゲとミヒャエルは怒鳴られてウヒャッと首をすくめる。
レンはフゥーと息を吐き、静かな声で言った。
「……少し、考える時間をくれ」
レンはしばらくの間、例の『ツイッター』とかいう光る板を触ったり、虚空を睨んだりしていた。
やがて考えがまとまったようで、落ち着いた声でジュリアンヌに言う。
「おい、ジュリアンヌ。二週間に一回でどうだ?」
「……?」
問いかけられて、ジュリアンヌが涙にまみれた顔を不思議そうに上げる。
「だから、二週か……あ、いや。こっちの一週間が、七日間とは限らねえのか。えーっと、つまりだな。十三日過ぎるごとに、俺の一日をお前にやるって言ってんだよ」
「あなたの……? レンの一日を……あたくしに……?」
「そうだ。その日はつきっきりで、お前にラーメンを教えてやる。もちろん、お前のラーメンもしっかり食うし、俺が作ったラーメンも食わせてやる! どうだ?」
「レ、レンが、あたくしのために……? あたくしのためだけに……あなたの一日を……? 一日中、ずっとずっと、つきっきりでラメンを教えてくださるんですの!? この先、ずーっと!?」
「ああ、そうだよ。それじゃ不満か?」
ジュリアンヌはしばらくポカンとしていたが、やがて飲み込めたようで嬉しそうにコクコク頷いた。
「い、今はそれでけっこう……いいえ、十分ですわ!」
「そうか。じゃ、決まりだな。今夜は遅い、もう帰って寝ろよ」
レンはそう言って優しく笑い、エプロンから手ぬぐいを出すとジュリアンヌの涙を拭いた。
ジュリアンヌは明るい笑顔で頷き、従者二人を交互に見て呼びかける。
「ダ、ダルゲ! ミヒャエル! やりましたわよ! 当初の目論見とは違いますけれど、あたくしレンにラメンを教えてもらえることになりましたわ!」
「やったでヤンスな、ジュリ様ぁ!」
「こりゃメデタイでぇ! ヨヨイのヨイや」
「オーッホッホ! まずは、小さな一歩からですわ。少しずつレンを取り込んで、いずれはこちらに移住させますわよ」
「さすがでヤンス。あっしを超える策士でヤンスなぁ、ジュリ様は!」
「その意気やで。がんばりや、お嬢! お嬢が元気やと、わてらも嬉しいで」
手と手を取って輪になって、小躍りしながら無邪気に喜ぶ三人を見て、私はレンに言う。
「ふふふ。でも、よかったのかね、レン?」
レンは、フッと息を吐いた。
「いいんだよ。もともと、少し働きすぎだったんだ。向こうに帰れなくなったりで一ヵ月ほど休んじゃいたが、最近は雑誌の取材なんかも受けたりしてるし、固定客もついてきた。定休日を作るのも悪くねえ」
「しかし、君から直接教えを受けられるだなんて、ジュリアンヌ嬢は幸せ者だな! ブラド君が、さぞ悔しがるだろうね」
「そうか? ブラドは三日に一度、俺の新しいラーメンを食ってるじゃねえか。ブラドほどの才能があれば、俺が手取り足取り教えなくたって、どんな材料がどんな風に使われてるか、ある程度の予想はつくだろ」
「ふむ、それもそうだな。ブラド君にはタイショのラメンを復活させるべく、試行錯誤を続けてきた二十年分の経験があるからね」
ブラドとジュリアンヌでは、発想力や応用力、そして圧倒的な経験値の差がある。
ブラドは世界中の食材を取り寄せて、どれをどう使えばタイショのラメンの味に近づくのか、まったくの未知の状態から手探りでラメンを作り上げた。
一方、ジュリアンヌがラメンを作り始めた時には、不完全ながらもラメンの作り方は確立していた。
だから彼女には未知の食材の扱い方や、既存の材料の掘り下げ方が、まだまだ足りないのだ。
異世界から来たレンとならば、それらを学ぶ絶好の機会が得られるだろう。
「というわけで、俺がこっちの世界で滞在中に使ってた、『黄金のメンマ亭』の空き部屋。あれ、悪いけど、また使っても大丈夫かな……?」
「もちろんだとも。大丈夫に決まってる! 君が使っていた家具はそのままになってるそうだから、いつでも泊まれるぞ。ブラド君とマリアも喜ぶよ」
レンは、一瞬だけ間を置いて言う。
「それとさ、リンスィールさん。改めて、礼を言わせてくれ。気づかせてくれて、ありがとな」
「む? 何がだね。君から特別お礼を言われるような事、何かしたかな……?」
私が首を傾げると、レンは恥ずかしそうに鼻の頭を掻いて言った。
「ほら。ヴァナロでジュリアンヌと俺が、弟子がどーたらって叫んで話をした時だよ。俺にはああいう教え方は合っていないとか、エルフの里で料理を教えた時の事とか……色々と言ってくれただろ?」
「ああ、そんな事もあったな」
レンは布で半分隠れた目を遠くして、懐かしそうに言う。
「梁師父……俺の師匠は、ものすごい放任主義者でよ。言葉じゃ何も教えない。見て覚えろ、やって覚えろ、身体で覚えろって感じの人だったんだよ。当然、俺もあいつにそういう教え方をしようと思ってた。それが一番だと思ってたからな。でも、エルフの里でラーメン作りを教えた時のことを思い出したら、ああ、そうじゃねえな……って」
レンは白い歯を見せて笑う。
「俺はたぶん、いちいち細かく人に教える方が性に合ってるんだ! 親父も日記付けたりレシピ残したり細かい性格してたし、そういう性質を受け継いでるんだな。きっと」
と、ミヒャエルが小走りで戻ってきた。
「おーい、イトー・レーーーン! うっかり忘れるとこでヤンシた! はい、これ」
言いつつ、レンに封蝋の施された手紙を渡す。
「あん? なんだこりゃあ」
「なにって。ウィリアム・ド・ペンソルディア子爵、旦那様からの召喚状でヤンスよ。まさか、イトー・レン……不可抗力とは言え、貴族の娘に風邪をひかせて、そのままで済むと思ってたでヤンスか?」
「うっ!? あ、いや……いずれ、どっかのタイミングで挨拶に行くつもりではあったけども」
口ごもるレンに、畳みかけるようにミヒャエルは言う。
「ま、あんたが深夜にしか来ないのであれば、あっしもなんやかんやで理由をつけて、こいつは渡せなかった事にするつもりでヤンシた。けど昼間も来るなら、旦那様に会えるでヤンショ? しかも、ジュリ様にラメンを教えるとなれば、もう言い訳は不可能でヤンス! そういうわけで大人しく受け取って、旦那様にお会いするヤンスよ」
「おいおい。俺、こっちの世界のルールとかまだ全然わかってねえぞ! いきなり牢屋に入れられたりしないだろうな?」
不安そうな顔のレン。
「旦那様は無茶ばかりのジュリ様と違って、理屈の通ったお優しい方でヤンス。よっぽど失礼しなければ、牢屋になんか入れたりしないでヤンスよ」
「ろ、牢屋はあるのかよ……?」
「あるでヤンスね。貴族のお屋敷なんだから、当然でヤンス。あっしも、入ったことあるでヤンス。いやー、あそこはホント寒かったでヤンスなぁ」
その時の事を思い出したのか、ミヒャエルは寒そうに手足をすり合わせて身体をブルリと震わせた。
青くなるレン。私は、彼を安心させるように言った。
「レン、安心したまえ。私が一緒に行ってあげるよ。お詫びの品に、何か手土産を持って行こう。……というか、通訳がいないと君は言葉が通じないしな」
路地の向こうで、ジュリアンヌが呼ばわる。
「おーい、ミヒャエルゥー! まだですのー!?」
「じゃ、そゆことで。あっしはもう、帰るでヤンス。ジュリ様、用事は終わったでヤンスー! 今、行くでヤンスよー!」
そんな私たち二人を残し、ミヒャエルたちはスキップしながら帰ってしまった。
次回はanothersideです。
テイルズオブファンタジアの檻に囚われてからミントの母親シーンはトラウマです。
あとスプラッターハウスの一面も怖かったですね。
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