ワガママなジュリアンヌ
チャンポンを平らげた三人は、「なぜ、これはラメンではないのか?」としきりに不思議がる。
やはり引っかかるポイントは皆同じなようで、レンと私が交互に説明をすると、三人はわかったようなわからないような微妙な顔をしていたが、一応は納得したようだった。
「――とまあ。こんな感じで、いつもこのくらいの時間に、この辺りでラーメン食わせてるんだ。ジュリアンヌ、よかったらお前もちょくちょく食べに来いよ。歓迎するぜ!」
そう言うとレンは、空になったドンブリを洗い始めた。
しかし、ジュリアンヌは腰を上げない。モジモジと手を動かして、まだ何か言いたげにしている。
しばらくすると両側に座った従者二人が、彼女に耳打ちした。
「ちょっとジュリ様、なにやってるでヤンス!? このままじゃ、イトー・レンが帰っちまうでヤンスよ!」
「そやで、お嬢! はよ言わな。あない何度も練習したのに、土壇場でヘタれたらあかんて!」
「わ、わかってますわよっ! 今、切り出そうと思ってたところですわ!」
ジュリアンヌが、上ずった声でレンに問いかける。
「と、とととっ……とぉーっ!? ところでぇ、レェン! あなた、向こうの世界にどんなお店をお持ちなのかしらぁッ?」
ドンブリを洗っていたレンは、訝し気に顔を上げた。
「あん? どんな店って。そりゃ、どういう意味だよ。俺の店は、この屋台だけだぜ」
「へえっ!? こ、こんなみすぼらし……失礼。小さなお店がたったひとつですの?」
「そうだよ。これひとつだ。他に店なんて持ってねえよ」
するとジュリアンヌは、勝ち誇ったように高笑いを始めた。
「オーホホホホホ、オォーッホッホッホッホォ! なーんだぁ、だったら簡単なお話じゃありませんのぉ」
彼女は靴を脱いで椅子にヨジヨジ登ると、立ち上がってレンに指をビシッと突きつける。
「イトー・レン! 喜びなさぁい! あなたに、あたくしのお店『無敵のチャーシュ亭』の共同経営者の地位を与えてさしあげますわ!」
「いや、いらん」
「…………えっ。あの、なんで……えっと、聞き間違いかしら? あのですわね。共同経営者。あたくしと一緒に、お店をやりませんこと? あなたに『無敵のチャーシュ亭』の権利を半分さしあげますわ」
「だから、いらんて」
気まずい沈黙が落ちる。
レンはしばらくジュリアンヌの顔を見ていたが、反応がないので首を傾げてドンブリ洗いに戻ってしまう。
と、黙りこくった彼女の代わりに、ミヒャエルとダルゲがやいのやいのと騒ぎ出した。
「こら、イトー・レン! 貴様、正気でヤンスか!? ジュリ様の店はファーレンハイト一……いや。世界一豪華なラメンレストランでヤンス。それを断るなんて、どうかしてるでヤンス!」
「そやで、レンはん! そもそも、自分本位なお嬢が店の経営を半分とはいえ他人に任せるなんて、こらもう前代未聞や。こんなチャンス、二度とないで!」
「しかも、今なら貴族の常連客までたんまりついてるオマケつきでヤンス。貴族相手なら、いくらでも値段ふっかけられるでヤンス。ガッポガッポ稼ぎ放題でヤンスよ!」
「なあ、レンはん。お嬢の気持ち、わかったってや。お嬢にとって、店はなにより大事なんや。それを半分あげようなんて、どんだけ悩んで出した結論かわからんのかいな? それをあんなアッサリと……こんの人でなし! 薄情モン!」
「あー、わーかったわかった! ちゃんと話するから、ちょっと黙れっ!」
レンはたまらず両手を上げて、二人を制した。
それから静かな声で、椅子の上に呆然と立ち尽くすジュリアンヌに言う。
「なあ、ジュリアンヌ。お前の店、デカくて綺麗で立派だよな? 立地も最高だ。あんな店を構えられたら、さぞかし気分がいいだろうよ」
「じゃ、じゃあ……?」
「けどよ。俺は自分の店、『ラーメン太陽』を始めちまった。もう、他の店に浮気するつもりはない。だからお前の気持ちは嬉しいけど、申し出は断らせてもらうぜ」
ジュリアンヌはストンと腰を下ろし、震える唇で呟いた。
「……や、やだ……。そんなの、イヤですわ」
レンは苦笑する。
「嫌って、お前なぁ。俺は自分の店で手一杯だよ。お前の店まで手伝えねえ」
ジュリアンヌの目から、涙がはらりと零れ落ちた。
「う、うう。やだ……。レンが……レンがあたくしの前からいなくなってしまうなんて……そんなの、絶対に許しませんわぁ!」
「な、なんだよ、お前。なに泣いてんだよ、バカ! またこうやって、夜に食べにくりゃいいだけだろ」
「あ、あたくしは朝早くに起きてスープを仕込み、お昼はお店のラメン作りで夜はヘトヘトに疲れてグッスリ眠っていますもの。今日みたいに昼まで寝てるようなことがなければ、こんな時間に起きてるなんて無理ですわよ」
その言葉に、レンは「あっ」と小さく声を上げる。そ、そうだ!
ついつい自分たちを基準に考えてしまっていたが、彼女はまだ子供なのだ。
子供は小さくて、体力がない。その上、いつでも全力だ。だから、夜はグッスリ眠る。
こんな時間に起きていたら次の日は眠くてたまらないだろうし、夜更かしが続けば成長だって止まってしまう。
実は大人は、日々の生活で手を抜いている。
手を抜くと言っても、サボるわけではない。毎日の暮らしで『ここは全力を出さなくても影響がない』という箇所を、経験を通じて知っているのだ。
私やオーリ、ブラドやマリアも、レンのヤタイに集まる日にはほどほどで身体を休め、空いた時間には仮眠を取って体力を残す。そうして深夜も起きている。
しかし子供のジュリアンヌは、大好きなラメン作りに時を忘れて熱中するし、空いた時間に身体を休める知恵もない。
レンは己の非を認め、素直に頭を下げた。
「すまねえ! お前の言うとおりだ、考えが足りてなかったよ。無神経なこと言っちまったな」
「お、お店さえあれば……あなたも、こっちの世界にいてくれるんじゃないかって……あたくし、そう考えましたの。だ、だって……あなたが……あなたがいれば……っ!」
ジュリアンヌは涙をポロポロ流し、ヒックヒックとしゃくり上げて声にならない声を出す。
「……あなたがいてくれればっ! あ、あたくしは……もっともっと、美味しいラメンが作れますのよ……理想のラメンを……それを超えた、美味しいラメンを……だから。あなたに、もっともっと色々なことを教えて欲しい。あたくしのラメンを食べて欲しい……。あなたのラメンを食べさせて欲しい。だから、だから……」
それきり、黙り込んでしまう。
レンはジュリアンヌが次の言葉を吐き出すまで、辛抱強く待った。
「…………行かないで。あ、あたくしが差し上げられるものなら、なんだってあなたに差し上げますわ! あたくしと一緒のお店がイヤなら、あなたのために新しくお店を建てます……で、ですから……お願いですわよ、レン……。向こうの世界になんて、行かないで……ずっとずっと、そばにいて! こっちの世界で暮らしてくださいましっ! あたくしはあなたと共にありたい、あなたに導いて欲しいのですわ!」
そう叫ぶと彼女は、カウンターに突っ伏してわんわん泣きじゃくる。
私は、そっとため息を吐いた。行かないでくれ、こっちの世界で暮らしてくれ。
それは、ずっと私が言いたかった言葉である。
いいや、私だけではない。
オーリも、ブラドも、マリアも。きっとみんな、みんなが言いたかった言葉だ!
だけど言えなかった。だって、言ってもレンを困らせるだけだから。
レンが、向こうの世界を捨てられるはずがない。無理なお願いをしても、断られるだけである。
だからみんな、言えなかった。……言わなかった。
私たちみんなが言えなかった言葉を、ジュリアンヌは言ってしまった。
なぜなら、彼女はワガママだから。
傲慢で、生意気で、自分勝手で、向こう見ずの考えなしで……そしてなにより、子供だから。
こんな風に傷つくことを恐れずに、感情を丸出しに言ってしまえる。
グスグスと泣き続ける彼女の背に、ダルゲとミヒャエルがそっと手を置く。
「頑張ったなぁ、お嬢。よう言えた。ホンマ偉いで」
「ジュリ様の素直なお気持ち、大変心に染みたでヤンス」
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